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第7話 APAR
しおりを挟む近くのコンビニで弁当を買い込んだ時也と落合は、県警本部二階の食堂を訪れた。食堂のサービスは十七時で終了するが場所自体は終日開放されていて、夜七時を回った今も職員の姿がちらほら目に留まる。二人は奥まった端の席を陣取ると、それぞれ焼肉弁当と生姜焼き弁当を広げて夕飯にありついた。
「落合部長の警護対象も、立浜ネクストワールド計画の関係者ですか」
時也が購入した生姜焼き弁当は、豚肉一枚が分厚く生姜をふんだんに使った濃い味付けだった。白米の量も申し分なく、値段に相応しいボリュームだ。
「ああ。建設委員会のメンバーに名を連ねている。これがまた一癖も二癖もあるおばさんで……っと。いかんな、クライアント様の悪口を言っちゃ」
皮肉を飛ばし、焼き肉数枚を一口で頬張る。テレビ番組で取り上げられた有名な焼肉店が監修している弁当だ。ケースから溢れんばかりの白米付きで税込八百九十円也。
「立浜ネクストワールド建設計画自体は市民からの批判も多い。建設費用は現時点でおよそ八百億円。それも今後は増額するだろうって話だし」
「四年前の万博のときみたいですね」
「新宮はたしか、警備課にいたんだよな」
「ええ。ちょうど関西で万博が開催されて警備担当で出張しましたよ」
「あのときの政権も、国民から散々ヤジを飛ばされていたっけ。会場の建設だけで二千億円だったか」
「建物内設備や周辺施設の改築なども含めるとそれ以上ですよ。ただでさえ前の年から国民の不満は限界点ギリギリだったのに」
「五年前か……そうだな。万博もそうだが、その二年間は特に警備部もてんやわんやだったろうなあ」
五年前、という月日に公安捜査員は敏感に反応する。当時現役で総理大臣を務めていた宝田善治が、関東の空港で何者かに射殺された。二〇二七年十二月十一日の凶行である。犯人は現場から逃走し、有力な目撃情報や遺留品などもなく捜査は暗礁に乗り上げた。国民の怒りの声は警察組織に殺到し、一時は警視庁の門前で市民団体がデモを敢行したり、交番襲撃事件が発生したりする騒ぎにもなった程だ。そして、その翌年には多額の税金を投入した万博の開催。日本国民の怒りは頂点に達し、全国各地で暴動やデモなどが相次いだ。日本の治安が根底から揺らぎ始めた時代だ。
「四年前の万博も、本来であれば二〇二七年に開催するはずだった。ですが宝田元首相の暗殺事件を受けて翌年に延期。まあ、それで国民の怒りが収まるわけもありませんが」
「そういや、宝田元首相の暗殺は万博開催を阻止しようと民間人の武装組織が起こしたって噂もあったな」
「過去の捜査資料を見ると、その線でも調べを進めていたようですね。結局それらしい組織の特定には至らず空振りだったようですが」
「ハムの捜査員もかなりの数が投入されて、名前も聞いたことがないような弱小組織まで徹底して調べ上げたらしいからな。単独犯か複数犯か、レジスタンスか政治組織か、はたまたマルBか……ありとあらゆる可能性を虱潰しにあたって、結局未だ犯人逮捕には至っていない。このまま時間だけが虚しく過ぎて、いつか『公安警察史上最大の汚点か』なんてマスコミに揶揄されるのかもな」
「そうならないためにも、捜査を引き継いでいるじゃないですか」
首相暗殺事件から間も無く、警察庁は事の重大さを鑑みて本件を警察庁広域重要指定事件に認定。警視庁をはじめとする関東の各警察本部に特別捜査室を設置し、事件の全容解明に向けて本格的な捜査を始めた。だが、手がかりがほとんど残されていない上に犯人像も曖昧であるため、的を絞った捜査ができず後手に回っている感は否めない。
「まあ、それに比べりゃ今回の事件は手がかりも多少はあるわけだし、とっかかりは掴みやすいわけだ」
「手がかりの輪郭をもっと鮮明化したいですね。今のところ、内海と田端係長が集めた情報が最有力ですけど」
「佐野渉とAPARか。泳がせている魚が派手に動いてくれりゃいいけどな」
パーマ頭の言葉を最後に、しばらくは互いの弁当を黙々と平らげる。食堂から人影が消え、二人きりになったタイミングを見計らって時也は再び口を開いた。
「落合部長、先ほどの会議で田端係長を随分と意識していましたよね」
ペットボトルの緑茶をラッパ飲みしていた落合は、飲み口から唇を離して一息つく。
「その話があるから俺を飯に誘ったんだろ」
「俺の記憶違いでなければ、APARの情報はリストに含まれていないはずです。しかし、田端係長は戸羽署での騒動より以前からAPARの存在を知っているようでした」
公安調査庁が作成している要監視対象組織のデータ以外に、県警公安課では犯罪集団および予備軍の一覧を独自に取りまとめている。公安課の中でも限られた人間のみが閲覧を許されている秘匿情報だが、時也は情報閲覧責任者の立ち会いのもとで一度だけ目を通していた。その記憶に相違がなければ、リストの中にAPARの組織名はなかったはずだ。
「まさか本人に直接訊ねるわけにもいかねえもんな。喉まで言葉が出かかっていたけどよ」
首あたりを指で示して、軽く肩を竦める落合。「訊ねたところで上手い具合にはぐらかされただろうが」
「APARの話をしていたとき、一瞬だけですが歯切れが悪かったですね。内海は何か関知しているでしょうか」
「俺の勘では、内海にも知らせちゃいないだろうな。ボスは案外、事情を察しながらも自由にさせているってところか。あの人は良い意味で放任主義だから」
「APARが県警公安の要監視対象にリストアップされていないのは、やはり実態が不透明だからでしょうか」
「どうだろうな。海外では手榴弾やら車での暴走やら過激な活動をしているんだろ? 政府もエコテロリストとして警戒を強めているみたいだし」
「日本国内では、名前すら認識していない人がほとんどではないでしょうか」
「認知度は圧倒的に低いだろうな。だからハムも監視対象に入れていない、ってのも何か違う気がするんだが」
パーマ頭を掻きむしりながら呻く。時也は椅子の背もたれに浅く寄りかかり、
「むしろ秘密裏に調査を進めている気配がありますね。もしかして、宝田元首相の暗殺に関与しているとか」
「だとすれば扱いも慎重にならざるを得ないよな……けど、どうして東海林班の中でも田端なんだろうな」
「落合部長、係長にライバル意識ですか」
「そういうわけじゃねえよ。ただ、何か特別な事情があるのかって勘繰っただけだ。あと、あいつも意外と無鉄砲なところがあるからな。変に暴走しないか心配してやってんのさ」
レジ袋に弁当の空容器をまとめて席を立つ。のろのろと遠ざかる後ろ姿を見送りながら、
「特別な事情、か」
時也の呟きは、誰の耳に届くこともなく伽藍堂の空間に吸い込まれた。
同時刻。県警本部庁舎を後にした田端警部補は、立浜市西港区沼田町へ車を走らせた。沼田商店街通りから少し外れたコインパーキングに駐車すると、徒歩に切り替えて目的地へと向かう。やがて到着したのは、商店街通りの一角にある小さなコンビニエンスストアだ。
自動ドアを通った瞬間、レジの中で作業をしていた店員と目が合った。眠たげな二重瞼の男はこめかみを掻き、「らっしゃいませ」と覇気のない一言を放つ。店内に客の姿はない。田端は雑誌コーナーで立ち止まると、週刊誌を手に取りてきとうなページを開いた。
入店から一時間。田端の後から店に来たのは若いカップルが一組とステテコ姿の老人のみで、雑誌に読み耽る私服警官を気にかける者など誰もいない。気怠げな店員も雑誌一冊で粘る客を邪険にするふうでもなく、陳列棚でのんびりと仕事している。緊張感など皆無の店の中で、だが田端一人は雑誌を手にしながらも神経はある場所に絶えず注がれていた——店の斜め向かい、寂れた居酒屋の隣に建つ二階建ての建物。APAR立浜支部の本拠地と目される廃ビルだ。
APARのアジトと思しきそのビルを特定したのは、つい一週間前。佐野渉を含むAPARのメンバー四人が戸羽署で拘束された日のことだ。田端は偶然にも別件で戸羽署に立ち寄っており、タイミング良く騒動を知るに至ったのである。
田端が県警本部の公安所属だと聞きつけた戸羽署の刑事が、四人の処遇をどうするか彼に相談したのは想像に難くない。眼鏡の警部補は迷った末に、「厳重注意で四人を解放し、それぞれのメンバーに尾行をつけましょう」と指示を出した。その結果、メンバーの一人が沼田商店街の中にある例の建物へ入る瞬間を捜査員が確認したのである。
田端が実際にその建物を訪れたのは三日前。近隣住民への聞き込みによると、一階部分はかつて店舗が入っていたようだが数年前からシャッターが降りて一度も開けられた様子がないという。二階は居住部屋になっているが、住人らしき姿を目撃したといった話は聞かない。それらの証言だけを総合すれば人の出入りが皆無の廃ビルであるが、逆に言えば人目を忍んで密会するには好都合だ。
「あのAPARのアジトが古色蒼然としたビルの一部屋だとすれば、何だか拍子抜けですね」
とは、田端と交代で監視を担当する公安捜査員の言だ。フロリダに拠点を置くAPARの本部は、大企業の本社かと言わんばかりの立派なビルを所有している。その事実を知る者からすれば、日本支部が商店街の外れにひっそり佇む廃屋だと聞けば肩透かしを食らうかもしれない。
田端は立ち読みするふりを続けながら、ジャケットの内ポケットからスマホを取り出す。廃ビルの向かいにある倉庫に小型カメラを設置し、スマホのアプリと連動させて人の出入りを確認しているのだ。カメラのセンサーが人の動きを捉えたら、アプリに通知が入るように設定されている。だが、ビルの監視を始めて一週間が経った今日までアプリには一度も通知が入っていない。つまり、ビルを出入りする者は一人もいないわけだ。
「今日も空振りか」
無意識のうちに口から小さな溜息が漏れる。業務用のスマートフォンを仕舞うと、今度は別のポケットから私用のスマホを取り出した。ホーム画面には妻の桜子、そして一人娘の陽香と三人で撮った写真が表示されている。去年の四月、近所の公園で花見をしたときに撮影したものだ。春の陽光に目を細めながら、満面の笑みをカメラに向けた妻と娘。一日に一度、仕事の合間に必ずこの写真を眺めることが彼の日課になっていた。
「今年は行けなかったな、花見」
四月といえば、ゾディアック団事件の捜査に公安一課が乗り出し始めた頃だ。不動産社員殺しに端を発した連続殺人事件。三ヶ月が経った今も殺人の主犯と目される男女は捕まっていない。ゾディアック団は目的のためならば仲間の粛清さえ厭わない、危険極まりない犯罪集団だ。一分一秒でも早く彼らの身柄を抑え、組織の全貌を明らかにする。それもまた、田端たちに課された使命なのだ。
「仕事が一段落すれば、来年は花見に行こう」
弱音を喉の奥へと押し戻すように、力強い声で呟く。結局、日付を超えて交代の捜査員が現れるまで田端の目が標的を捉えることはなかった。
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