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序幕
しおりを挟むそこは、公園の中に建つ古くこぢんまりとした教会だ。白い外壁は土埃で薄汚れ、ペンキが所々剥がれかかっている。屋根の上に聳え立つ木製の十字架は端の部分が腐食し、台風でも来れば屋根から外れて吹き飛んでいきそうだ。人の目から建物を覆い隠すかのように木々が周囲を取り囲み、教会を案内する看板はどこにも見受けられない。人の出入りは皆無と言ってもよさそうな外観である。
そんな世間から忘れ去られたような教会の中に、二つの人影が認められた。二人とも男性で、一人は壁に掲げられた十字架の前で床に膝をつき、両手を組んで静かに目を閉じている。真夏日が続く七月のこの季節に、袖も裾も長い黒ローブ姿だ。
もう一人はローブの男から数メートル離れた場所に立ち、やはり前方の十字架をじっと見上げている。髭を生やした彫りの深い顔立ちで、一見すると外国人だろうか。ローブの男とは異なり、白ワイシャツにベストを合わせたごく一般的な服装だ。半袖から伸びる腕はしっかりと筋肉がつき、普段から鍛えている様が窺える。
「神の世から、世界は滅亡と再生を繰り返してきました。旧約聖書のノアの方舟や新約聖書のバビロン崩壊も然りです」
ローブの男が不意に口を開いた。両目はいつの間にか開かれているが、視線は前方に注がれたままだ。澄んだ灰色の瞳の中に、古びた十字架が映り込んでいる。
「世界では一定の期間で人類の淘汰が繰り返されます。それは、地球が環境を保って生存し続けるために必要なことなのです。人類が一方的に増え続ければ、地球は人類により蝕まれて消滅してしまう」
「舟に定員以上の人間が乗り込んでしまうと、重量オーバーで舟が傾いて転覆してしまう。地球も同じ、ということですね」
髭の男の例え話に、ローブの人物は薄く微笑む。
「まさにその通りです。この地球は、生命を乗せた舟なのです。宇宙という無限の海を航海する小さな舟……ですが、舟の中の空間には限りがある。その舟に乗り込む者は誰なのか。搭乗の資格を有する者とそうでない者は、どのように区別されるべきなのか」
「難しい問題ですね」
髭面は険しい顔で十字架を睨んでいた。小窓から陽光が細く差し込み、十字架を斜めに横断する。ローブの男は組んでいた手を解き、音もなくゆっくりと立ち上がった。
「この世のすべてを決定する権利があるのは、神のみです。神は絶対の存在であり、何人たりとも逆らうことはできません。私も同様です」
「神の下には神の声を届ける者が必ず存在します。イエスや御使いのように、神からの啓示を人類に伝える伝達者が」
ローブの男が優雅な動きで振り返る。一度会話が途絶えてしまえば、衣擦れの音さえも響くほどに教会の中は静けさに満ちていた。
「バビロンの崩壊を神が預言したとき、その内容はイエスから御使いに、そして御使いからヨハネに伝えられました。バビロン崩壊の封印を解いたのはイエスです。神はすべてを預言するが、その預言を実行するのは神の下に仕える者たちです——貴方のように」
髭の男は一歩前に進み出た。ブーツの硬い靴底が床を踏み、その音が建物内に大きくこだまする。
「今こそ、神の御言葉を行動に移す時です。貴方にはその使命がある。力もある。神が定めた罪人の名をお告げください」
胸の前に左手を添え、髭面はローブの男との距離を詰める。男は、ローブの内ポケットから一枚の紙を取り出した。丁寧な仕草で紙を広げると、そこに書かれていた人物の名をゆっくりと読み上げる。低く穏やかな声が、教会の中に反響した。
「彼らが、哀れな罪人たちですか」
神妙な面持ちの髭男に、ローブの男はこくりと頷く。その表情は驚くほど冷たく、一切の感情を排除しきった能面のようであった。男は十字架に向き直ると、
「神は、この地球を良きところとするために彼らを選ばれた。我々は、彼らに敬意を持って手を下さなければならない。彼らの死は地球の発展に寄与する尊いものなのだ。罪人は裁かれるが、神の世にて悔い改めることを祈ろう。彼らの魂が神の世で安寧に暮らせるように——アーメン」
厳かに告げ、胸の前で十字を切った。
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