眩暈。

霧夜眩羽

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付き合うことになってから、1ヶ月が経とうとしていた。
いつものように仕事帰りに店に寄ると、口元にガーゼをし目には眼帯を付けた彼がそこに居た。

「あ、圭吾くん。お疲れ様」
「その傷どうしたんですか?」
「へへへ、転んじゃって。ドジだよね」
「もう…気を付けてくださいよ?」

その日は特に深く考えず彼の仕事が終わるのを待ってから食事に行って家まで送った。
だけど翌日は頭に包帯が巻かれていて、その次の日には腕にギプスがはめられていた。
それに加え眠れていないようで、1週間が経った頃にはひどく疲れきった様子が伺えた。
心配になって理由を聞いても、大丈夫だと笑っていつも誤魔化されてしまう。

「ちょっとすいません」
「っあ…」
「これ、は…」
「気持ち悪い、よね」

店の戸締まりをしていた彼の身体が僅かに後ろへ傾き慌てて抱きとめると、大袈裟にビクリと肩を震わせそのまま蹲ってしまった。
異常に痛がる仕草を不信に思い軽く服を捲ってみると、体中に痣や切り傷、それから煙草を押し当てられた痕が残っていた。

「何があったんですか…?」
「…父親に暴力を振るわれているんだ。所謂DVってやつだね」
「え…」
「詳しく話すから、場所変えよう」

頷いて、此処から2つ先の駅にある俺のアパートへと移動する。
タクシーでは一言も会話を交わさず緊迫した空気のまま過ごし、部屋に着いてやっと口を開いた。

「適当に座っててください。コーヒーで良いですか?」
「あ、うん」
「ミルクとかいります?」
「ううん、大丈夫」

ソファーの隅に座り俯いている彼の前に、コーヒーを差し出して隣に座る。
マグカップを受け取るその手が、少し震えているような気がした。

「…僕の母ね、小学3年生の時に若い男と浮気して出て行っちゃったんだ」
「…はい」
「それから父は狂ったようにお酒を呑んでは、暴れるようになったんだ」
「っはい…」

此方に向き直して話を始めた彼の言葉に、俺は小さく返事をするのが精一杯だった。
そんなに壮絶な過去を抱えているなんて想像もしなかった。

「最近、僕らが付き合ってることに気付いたみたいで、お前も母親みたいに俺を裏切るんだろって、前にも増して暴力を振るってくるようになったんだ。幸せそうなのが許せなかったのかもしれないね」
「そん、な…」
「本当はもう僕も大人だし家を出れば良いだけなんだけど、精神的に不安定な父を見捨てることは出来なかった。それに、お酒を呑んでいない少しの間だけは、母が出て行く前と何も変わらない優しい人なんだよ」
「っ…」

酷い目に遭っても尚、父親を優しい人だと言って笑う姿が痛々しかった。
そもそも俺が彼を好きになんてならなければ、ここまで痛めつけられずに済んだのかもしれないと思うと心苦しい。

「付き合わなければ良かったって思ってる…?」
「…あの日に出逢わなければ、俺が好きだなんて言わなければ、こんなに酷く紫苑さんが傷付けられることはなかったのかなとは思ってます…」
「痛くて痛くて逃げ出したくなることもあるけど、圭吾くんの傍に居ることを選んだのは僕なんだから、自分を責めたりしないで…」
「…はい」

小さく頷いた俺を見て、彼はホッとしたような表情を浮かべた。
どうしてこんなにも優しくて温かな人が、辛い思いをしなければならないのだろう。

「…あとね、最後にひとつお願いがあって。もし父のせいで僕が死ぬようなことがあっても、警察には通報しないでくれないかな」
「どうしてですか…?」
「だって、お父さんも被害者だから」
「…っわ、かりました」

お父さんと言って少し笑った彼の顔がひどく幼く見えて、一瞬何と答えたら良いのか分からなかった。
もしかするとまだ、優しかった頃の父親に戻ってくれるのを、心の何処かで期待しているのかもしれない。

「…もしもの話が現実にならないように最善を尽くします。だから、紫苑さんも何かあったら絶対に連絡してください。いつでも駆け付けますから」
「うん、ありがとう。心配掛けてごめんね」
「いえ。俺こそ、もっと早く気付いてあげられなくてごめんなさい」

傷に響かないように抱き締めると、安堵したように彼はすぐに腕の中で寝息を立て始めた。
ベッドに連れていってあげたいけれど起こしたら可哀想だと思い、そのままソファーに寝かせて毛布を掛ける。

「おやすみなさい。せめて今日だけは、ゆっくり休めますように」

額に唇を落とし、そっと電気を消した。
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