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11 公爵夫人と行き遅れ
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「未来の“公爵夫人”なんですもの!」
声高々に言ってのけた公爵夫人に、追随するようにミセス・リジャスもにこにこと笑って頷いた。フィオナは言われた言葉の意味を咀嚼できないまま、固まってしまった。
未来の、公爵夫人?それってつまり。頭の中で言葉が飛び交う、そんな混乱の中でもフィオナの判断は早かった。否定しなくては、そう思って口を開く。
「公爵夫人、わたくしはただ夜会のパートナーに誘われただけであり、ご子息とはそういった関係ではありません」
「あら、フィオナはテオドールが嫌いなの?」
「好きや嫌いという問題ではなく、その」
公爵夫人から返ってきた言葉はおよそ予想から大きく外れていた。ただのパートナーでしかない、と主張したはずなのに、フィオナのテオドールに対する好意の有無を聞かれるなんて。この自分の思うように会話を進めていくところ、やはり彼女は母エレノアの友人で間違いない、と内心納得してしまう。
「あの子が自らパートナーを誘うなんて初めてだもの、期待しちゃうわ」
ね、とウィンクをする姿はまるで少女のようだった。ミセス・リジャスと楽しげに生地を選ぶ作業に戻りながら、フィオナに手招きをして呼び寄せた。
おずおずと近づけば、大きなテーブルに所狭しと色とりどり、様々な種類の生地が並んでいた。そんな光景を見たことがないフィオナは目がちかちかするような錯覚に襲われながらも、公爵夫人とミセス・リジャスのオススメの生地に目をやる。
「この濃いブルーの生地なんてステキじゃない?」
「はい、よくお似合いになると思います」
「濃いブルー……」
その色は馬車の中でアルテリアが薦めてきたものと同じだった。何故皆一様に濃いブルーを薦めるのだろう、首を傾げれば公爵夫人はフィオナに「どうしたの?」と声をかけた。その問いに何と答えようか迷ったけれど、隠すようなことでもない、とそのまま伝えた。すると公爵夫人は訳知り顔で何度か頷いて、楽しげに笑った。
「アルテリアって、本当にわかってるわ」
そう満足そうに言うと、先ほど薦めてきた濃いブルーの生地に決めたようでミセス・リジャスに注文した。生地は決まった、次はどんな形のドレスにするかだ。正直に言うと、フィオナはこのドレス選びというものが苦手だった。貴族の娘たるもの、既製品ではなくオーダーメイドのものを仕立てなさいという祖母の教えをそのまま受け継いだエレノアはそれはもう熱心にドレスを選ぶ。デザイナーを家に呼びつけるなんてことはしないけれど、わざわざ店に馬車で乗り付けて、採寸から何からすべてやってしまう。
自分の体を数値化されるのも、どれも同じように見える生地を何十分も眺めるのも、どれもフィオナにとっては憂鬱でしかなかった。
「フィオナ、ステキなドレスを作りましょうね」
しかし、公爵夫人とミセス・リジャスはフィオナのドレス作りをまるで自分のことのように楽しんでいる。そんなに期待や楽しさに溢れた瞳を向けられて、いやな顔なんてできるはずもなかった。
最後にドレスを選んだのは、そうだ、あのときだ。
元婚約者が新しい婚約者と結婚をした数年後に爵位を継いだと伝えられたとき、それと同時にフィオナにはお披露目式の招待状が届いた。なんて恥知らず、とエレノアは憤慨したけれど、そこで断ってしまえばきっと遺恨を残してしまうだろうと考えたフィオナはエレノアを説得して参加することにした。
きっと彼と会うのはこれで最後になるだろうと考えたフィオナは、自ら両親に願い出てドレスを新調した。「貴方が居なくても、不幸じゃない」と伝えたかった。罪悪感や後悔を、彼にひとつも持って欲しくはなかった。だから、それまでで一番自分に似合うと思うドレスを作り、そのドレスを着てお披露目式に出た。
結局、それっきりフィオナはごく身内が集まるお茶会や夜会以外参加しなくなった。
「……本当に、わたくしでよいのでしょうか」
ぽつり、と小さくつぶやいた言葉は思ったよりも部屋の中に響いた。公爵夫人とミセス・リジャスの手がぴたりと止まる。問いかけのつもりだったのか、ひとり言だったのか、それはフィオナにもわからなかった。こんなこと、言うつもりじゃなかった。それなのに、目の前できらきらと輝くその楽しげな光景に、自分が相応しくないなんて思ってしまったから。
「……マクラレン侯爵との話は聞いているわ、婚約の経緯も、それが反故になった理由も」
「っ、それなら」
「貴女が何の、悪いことをしたというの? 貴女は被害者だわ。権力や体裁なんていうくだらなくてばかみたいなものの」
すっと細められた公爵夫人の瞳は、フィオナを見ていたけれど、見据えているのはもっと別のものなように思えた。権力、体裁、くだらなくて、ばかみたいなもの。当時、エレノアもフィオナにそう言った。
「選んだのは侯爵自身であって、彼はけして巻き込まれた被害者なんかではないわ。本当に貴女のことを愛しているのならば、結婚すべきだったし、それが出来ないのならば二年も待たせずに婚約を解消するべきだった」
公爵夫人の凛とした言葉の余韻を残して、しんと部屋の中が静まりかえった。フィオナは、何故だか泣き出してしまいそうだった。
『本当に愛していたのなら』その言葉は、何度も何度も、フィオナが心の中で叫んだ言葉でもあった。時代は変わり、格が違う家同士の結婚だって増えている時代だった。すまない、ごめん、ありがとう、なんて泣きそうな顔で言う彼は、まるで被害者だった。許さなければ、フィオナは加害者になっていた。
「フィオナ、貴女の周りの人は、みんな貴女の幸せを願っているのよ。もちろん、わたくしもね」
「……はい」
「この話はね、当時エレノアが大声でわたくしの家でぶちまけた話よ。あの子、ほんとに変わってないわ」
「お母様が?」
「ええ。実は今回、貴女たちを我が家に招待したときにもエレノアから手紙をもらったのよ。よろしくってね」
胸を、ぎゅう、とつかむような感覚は、母からのものだった。そして公爵夫人からのもの。貴女は悪くない、ずっと言って欲しかった言葉だった。でも、きっとそれを言わせなかったのも自分だったのだろうと、フィオナは思い返す。「大丈夫よ」と笑って返す自分に、誰が文句や不満を言えただろう。フィオナが我慢することで、家族がそれを言う機会をも、奪っていたのだと知った。
「……わたくし、今日帰ったら、お母様をぎゅっと抱き締めます」
「いいわね、ついでにアルテリアも抱き締めてあげなさい」
その言葉に、また部屋は楽しげな笑い声で包まれた。
声高々に言ってのけた公爵夫人に、追随するようにミセス・リジャスもにこにこと笑って頷いた。フィオナは言われた言葉の意味を咀嚼できないまま、固まってしまった。
未来の、公爵夫人?それってつまり。頭の中で言葉が飛び交う、そんな混乱の中でもフィオナの判断は早かった。否定しなくては、そう思って口を開く。
「公爵夫人、わたくしはただ夜会のパートナーに誘われただけであり、ご子息とはそういった関係ではありません」
「あら、フィオナはテオドールが嫌いなの?」
「好きや嫌いという問題ではなく、その」
公爵夫人から返ってきた言葉はおよそ予想から大きく外れていた。ただのパートナーでしかない、と主張したはずなのに、フィオナのテオドールに対する好意の有無を聞かれるなんて。この自分の思うように会話を進めていくところ、やはり彼女は母エレノアの友人で間違いない、と内心納得してしまう。
「あの子が自らパートナーを誘うなんて初めてだもの、期待しちゃうわ」
ね、とウィンクをする姿はまるで少女のようだった。ミセス・リジャスと楽しげに生地を選ぶ作業に戻りながら、フィオナに手招きをして呼び寄せた。
おずおずと近づけば、大きなテーブルに所狭しと色とりどり、様々な種類の生地が並んでいた。そんな光景を見たことがないフィオナは目がちかちかするような錯覚に襲われながらも、公爵夫人とミセス・リジャスのオススメの生地に目をやる。
「この濃いブルーの生地なんてステキじゃない?」
「はい、よくお似合いになると思います」
「濃いブルー……」
その色は馬車の中でアルテリアが薦めてきたものと同じだった。何故皆一様に濃いブルーを薦めるのだろう、首を傾げれば公爵夫人はフィオナに「どうしたの?」と声をかけた。その問いに何と答えようか迷ったけれど、隠すようなことでもない、とそのまま伝えた。すると公爵夫人は訳知り顔で何度か頷いて、楽しげに笑った。
「アルテリアって、本当にわかってるわ」
そう満足そうに言うと、先ほど薦めてきた濃いブルーの生地に決めたようでミセス・リジャスに注文した。生地は決まった、次はどんな形のドレスにするかだ。正直に言うと、フィオナはこのドレス選びというものが苦手だった。貴族の娘たるもの、既製品ではなくオーダーメイドのものを仕立てなさいという祖母の教えをそのまま受け継いだエレノアはそれはもう熱心にドレスを選ぶ。デザイナーを家に呼びつけるなんてことはしないけれど、わざわざ店に馬車で乗り付けて、採寸から何からすべてやってしまう。
自分の体を数値化されるのも、どれも同じように見える生地を何十分も眺めるのも、どれもフィオナにとっては憂鬱でしかなかった。
「フィオナ、ステキなドレスを作りましょうね」
しかし、公爵夫人とミセス・リジャスはフィオナのドレス作りをまるで自分のことのように楽しんでいる。そんなに期待や楽しさに溢れた瞳を向けられて、いやな顔なんてできるはずもなかった。
最後にドレスを選んだのは、そうだ、あのときだ。
元婚約者が新しい婚約者と結婚をした数年後に爵位を継いだと伝えられたとき、それと同時にフィオナにはお披露目式の招待状が届いた。なんて恥知らず、とエレノアは憤慨したけれど、そこで断ってしまえばきっと遺恨を残してしまうだろうと考えたフィオナはエレノアを説得して参加することにした。
きっと彼と会うのはこれで最後になるだろうと考えたフィオナは、自ら両親に願い出てドレスを新調した。「貴方が居なくても、不幸じゃない」と伝えたかった。罪悪感や後悔を、彼にひとつも持って欲しくはなかった。だから、それまでで一番自分に似合うと思うドレスを作り、そのドレスを着てお披露目式に出た。
結局、それっきりフィオナはごく身内が集まるお茶会や夜会以外参加しなくなった。
「……本当に、わたくしでよいのでしょうか」
ぽつり、と小さくつぶやいた言葉は思ったよりも部屋の中に響いた。公爵夫人とミセス・リジャスの手がぴたりと止まる。問いかけのつもりだったのか、ひとり言だったのか、それはフィオナにもわからなかった。こんなこと、言うつもりじゃなかった。それなのに、目の前できらきらと輝くその楽しげな光景に、自分が相応しくないなんて思ってしまったから。
「……マクラレン侯爵との話は聞いているわ、婚約の経緯も、それが反故になった理由も」
「っ、それなら」
「貴女が何の、悪いことをしたというの? 貴女は被害者だわ。権力や体裁なんていうくだらなくてばかみたいなものの」
すっと細められた公爵夫人の瞳は、フィオナを見ていたけれど、見据えているのはもっと別のものなように思えた。権力、体裁、くだらなくて、ばかみたいなもの。当時、エレノアもフィオナにそう言った。
「選んだのは侯爵自身であって、彼はけして巻き込まれた被害者なんかではないわ。本当に貴女のことを愛しているのならば、結婚すべきだったし、それが出来ないのならば二年も待たせずに婚約を解消するべきだった」
公爵夫人の凛とした言葉の余韻を残して、しんと部屋の中が静まりかえった。フィオナは、何故だか泣き出してしまいそうだった。
『本当に愛していたのなら』その言葉は、何度も何度も、フィオナが心の中で叫んだ言葉でもあった。時代は変わり、格が違う家同士の結婚だって増えている時代だった。すまない、ごめん、ありがとう、なんて泣きそうな顔で言う彼は、まるで被害者だった。許さなければ、フィオナは加害者になっていた。
「フィオナ、貴女の周りの人は、みんな貴女の幸せを願っているのよ。もちろん、わたくしもね」
「……はい」
「この話はね、当時エレノアが大声でわたくしの家でぶちまけた話よ。あの子、ほんとに変わってないわ」
「お母様が?」
「ええ。実は今回、貴女たちを我が家に招待したときにもエレノアから手紙をもらったのよ。よろしくってね」
胸を、ぎゅう、とつかむような感覚は、母からのものだった。そして公爵夫人からのもの。貴女は悪くない、ずっと言って欲しかった言葉だった。でも、きっとそれを言わせなかったのも自分だったのだろうと、フィオナは思い返す。「大丈夫よ」と笑って返す自分に、誰が文句や不満を言えただろう。フィオナが我慢することで、家族がそれを言う機会をも、奪っていたのだと知った。
「……わたくし、今日帰ったら、お母様をぎゅっと抱き締めます」
「いいわね、ついでにアルテリアも抱き締めてあげなさい」
その言葉に、また部屋は楽しげな笑い声で包まれた。
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