IT学園○学部

阿井上男

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第四話

目覚め・そして愛しあう兄妹5

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「えッ!?」

「ッ!?」

不意に後ろからかけられた声に、俺と真姫は大きく跳ね上がった。

テーブルが大きく揺れて、がたんと音を立てる。

「きゃ」

慌てて立ち上がった真姫がバランスを崩し、小さい悲鳴を上げた。

「真姫ッ」

俺は倒れこみそうな真姫に手を伸ばし、自身の身体へと抱き寄せる。

軽い衝撃と共に、真姫の背筋の少し窪んだところが指先に触れた。

「んっ」

細い背筋が俺の手に支えられ、やや引きつったように力が入る。俺は手にぐっと力を込めて、大事な妹を抱き留めた。しなやかな真姫の体が俺の体に抱き留められて弾み、腕の中で小さく身をよじる。

一瞬、時間が止まったように感じた。

「大丈夫か、真姫」

ややかすれ気味の声を出すと、腕に抱き留められた真姫が、俺の胸板のあたりでもぞもぞと動く。

「う……うん」

俺の胸板に顔をうずめる真姫を覗き込む。真姫の目に前髪が被さり、表情が伺いづらい。

俯き加減の真姫が、ふと、顔を上げた。その表情には紅が差し込み、まるで濃いめのメイクをあしらったかのように鮮やかに映えている。

「に、兄さん、ごめんね」

「いや。それよりどこかぶつけたりしてないか?」

「だいじょうぶ……」

「よかった」

髪を指ですくい、真姫の顔色をのぞき込んで確認する。

俺が顎に指をあててクイッと顔を持ち上げると、真姫の美しい顔がよく見えた。普段は切れ長の瞳が大きく開き、かぁぁっと目元が腫れている。

「に、にいさ……」

やや顔が紅潮していて、目が見開いている。それ以外は普段の真姫である。

整った顔に切れ長の目、そして透き通る瞳を縁取る長い睫毛が、とびきりの美少女の佇まいを演出していた。

いつまでも見つめていたくなるほどの妹の顔を見つめつつ、指に絡むつやつやの髪を軽く梳いた。

「本当によかった。いつもどおりの可愛い真姫だ」

「に、兄さん……恥ずかしい」

わずかに目が見開き、上目遣いに俺を見上げる。

淡いピンクの唇の隙間から、短い間隔で息が漏れている。

なんという愛らしさだろう。

儚げな美少女が俺の実妹で、かつ俺の守るべき彼女なのだ、と改めて強く実感した。

俺が真姫の身体を抱き寄せると、真姫は、こてん、と俺の胸元に額をくっつけた。

香水のいい香りが鼻腔をくすぐる。ラベンダーだろうか。

真姫の柔らかい身体が俺の胸元で弾む。

「うわぁ……完全に世界に入り込んじゃってる……」

「兄妹なんだよね?」

「いいなぁ。ほとんど新婚じゃん」

「私もあんな風にしてもらいたいなー」

ひそひそ声が耳に届き、俺はそこでようやく周囲の目が俺達に集中していることに気づいた。

ざわついた店内が静まりかえっているのは、間違いなく俺たちの騒動のせいだろう。

「ごめん、なんだか居心地わるくなったな」

俺が真姫を腕の中から解放しようと肩に手を置くと、真姫は再度、俺の胸板に手のひらをあてて、額を触れさせた。

「兄さんが謝ることないよ」

すり、と俺の胸元で真姫の顔がこすれる。すこしほつれた髪が、さらりと俺の鼻先をかすめた。

甘い少女の香りが鼻腔をくすぐる。

「助けてくれてありがと。兄さん、かっこよかったよ」

「真姫」

恥じらう妹の姿は、ひどく大人っぽく見えた。

周囲の目なんか関係ない。このまま抱き寄せて唇を奪いたい、という欲望が、むくむくと鎌首をもたげる。

ちょっと前までなら考えもしなったことが、激しい衝動と共にこみあげてしまう。

俺はまっすぐに真姫を見つめ、その美しい顔をしっかりと目に移しこむ。

真姫の見開いた目が、長いまつげに縁取られて可愛く見開かれている。

しっとりとしたナチュラルメイクが真姫の恥じらいの表情に映える。

良く見たら薄らとしたアイシャドウが引かれていて、眼のふちがさりげなく強調されている。

ほんのりとした香水の香りと相まって、真姫は大人の女性のフェロモンを漂わせていた。

恥じらいを浮かべるその仕草も色っぽい。

このまま強く抱きすくめてしまいたくなる衝動が胸の奥からこみ上げる。

真姫が、実の妹が、あまりにもかわいらしく、どこまでも愛しい。

そうして見つめあっている最中、俺の脳裏に昨夜の真姫とのまぐわいの記憶がよみがえってきた。

まずい。こんな状況で我を忘れたら、これからの学園生活に取り返しのつかないほどの影を落としてしまう。

しかし、だがしかし。

妹の薄桃色の唇は何かを期待するようにきゅっと、すぼんでいる。

その唇は、あまりにも甘く美味しそうで、俺は吸い寄せられるように真姫の顔を凝視し続けていた。

「にゃははー。巧兄、かっこいー。王子様みたーい」

耳元のはじけるような声で、俺はビクリと全身を震わせ、我に返った。

「すっかり彼氏彼女の雰囲気じゃんっ。結のこと、ぜんぜん気づかないくらいだなんて、いいなー、うらやましーッ」

「結」

末妹の結がいつの間にか俺のすぐ横に立っていた。どうも聞き覚えのある声だと思っていたら、さっきのは結だったようだ。

真姫を支えるために中腰になっていた俺の顔は、結の身長と同じくらいの高さにある。

結は気づけば俺の肩に手を起き、顔がくっつきそうなほどに近寄ってきていた。

というかくっついていた。

「えへへー♪ 真姫姉、巧兄の特別にしてもらえたんだね♪」

結の柔らかい頬が俺の頬にくっつき、ぷにぷにと弾む。

俺が真姫を抱き留めている逆側から結がくっついている、という絵面になっている。居心地がいいようで、反面、いたたまれない。

真姫の目に、剣呑な光が浮かびあがっていたからだ。

「結、どうしてここに?」

「ここでバイト始めたの。見てみて、この制服カワイイでしょぉ?」

いったん離れた結は、俺の目の前でくるっと回って見せる。

フリルのふんだんにあしらわれた衣服に、ひらひらしたスカートは、アイドルの衣装のようである。

スカートの丈は短めで長い素足が露出している。結自慢のきめこまかい素肌は、僅かなくすみすらない。選ばれた美少女にしか出せない、特別な甘さ……それを、結はしっかりと持ち合わせていた。

店内の照明に照らされて白くまばゆい素足は、実妹のものとは言えひどく生々しい。

ファミレスの制服としてはやや露出が大きいのは集客のためか。妹がそういう服装なのは、気分的に複雑である。

「ねね、似合う? 巧兄の好み?」

「あ、あぁ。すごく似合ってる。結は何を着てても似合ってるよ」

「わはぁ、うれしいッ。巧兄に見てもらいたかったのぉ」

結は俺に飛びつくようにして抱き着き、またもや顔をくっつけてくる。俺と結のほっぺたとほっぺたがぴちっと密着した。

もち肌の結の頬が俺の頬にぴたっと合わさると、素肌が吸い付くように触れ合う。

あ、これ、気持ちいい。

言葉では言い表しきれない微妙な快感に、俺は一瞬、気を取られてしまう。

すると、俺の胸元に、ぐぐっと力が入った。

「兄さん」

俺を呼ぶ声は冷え切っていて、ぎゅむ、と胸板に爪が食い込む。

「いててっ」

恐る恐る俺が胸元に目をやると、そこには表情の固まった真姫が、こちらを見上げている。

「兄さんって結にはかなり甘いよね」

「そ、そうかな?」

「結だって妹だし、可愛いものね。しかたないよ。けどね、今は私が兄さんの彼女なの。それをもっと自覚してほしいな」

目が、目が笑っていない。俺は背筋に冷たいものを感じつつ、ピシッと伸ばした。

「ご、ごめん。うかつだった」

「謝らなくてもいいけど……」

「いや、謝らせてくれ。真姫を悲しませたら意味ないものな」

「……私こそ、ごめんなさい。兄さんを独占するなんて、しちゃいけないのに」

俺は真姫の身体を抱き上げた。

男として真姫を守る。そう決意したのはついさっきのことだ。もう揺らがないと決めた。

「結、ごめんな。後で伝えなきゃいけないことがある。」

「うん、わかったよ」

くっついている結が、俺を見てニパっと笑う。可愛いこの笑顔が、ゆがむかもしれない。そう思うと少し胸に苦い思いが浮かぶ。

俺の想いをよそに、結は真姫を覗き込み、はしゃいだように話しかけた。

「真姫姉、巧兄に抱きしめてもらってすっごく嬉しそうだったねー」

「あんたね。アルバイト中じゃないの?」

真姫が呆れ声を上げる。

さっきまでの赤ら顔は鳴りを潜め、切れ長の目をさらに鋭く吊り上げる。

ついさっきまでの蕩けるような彼女の雰囲気は、今はない。

「ねね巧兄。真姫姉、重くない?」

結は俺の方に顔を向き直し、唇が頬に触れるくらいの近距離から、そっと耳打ちする。

耳打ちするような仕草ではあるが、結の声はひそひそ話をするには大きすぎる。すぐそばにいる真姫には筒抜けだった。

「誰のお陰でこうなったと思ってるの」

「にしし、プリティ結ちゃんのお陰だよん」

「なにがプリティよ。あんた、調子に乗りすぎ」

「結ちゃんのおかげで巧兄にハグしてもらえたんじゃーん。嬉しかったでしょ?」

結は悪びれもせず、指を立てて勝ち誇って見せる。

「それにしても顎クイしてもらってた時の真姫姉、うっとりしすぎッ。完璧に二人の世界に入っちゃってたよー?」

結はいたずらっぽく微笑む。

この子らしく愛嬌あふれる小悪魔風のしぐさで、それはそれでとても魅力的だ。

が、この状況でその態度は、あまりよろしくない。

案の定、真姫はムッとした表情になった。

「悪ノリしたことをキチンと反省しなさいって言ってるの」

「えぇー、悪ノリぃ? ナイスアシストじゃない?」

「いきなり耳元で声を出されたら驚くでしょ。転びそうになったんだからね」

「いい思いできたから良いじゃん」

「よくない! そもそもバイト中なんでしょってさっきから言ってるじゃない。仕事、さぼったらダメでしょ」

「お客様がお困りの時に手助けをするのも仕事のうちですー」

「手助けなんかしてないじゃない。ひっかきまわしてるだけだって言ってるの」

「そんなことないもーん」

悪びれる様子のない結に、イラつきを抑えきれない真姫、その二人の言い合いに着地点が見いだせない。

周囲は奇異の目で俺たちを見ている。

「とりあえず席に腰掛けよう。な? 真姫」

「う、うん」

「じゃ、結も結も♪」

「なんであんたもくっついたままなのよ」

「ま、まぁまぁ」

俺は間に挟まりながら、妹たちを抑えて腰掛けようとする。真姫と結は俺にくっついたまま、元居た席に三人で腰掛けることになった。

「真姫姉さぁ。いろいろ言ってるけど、ずっと巧兄に抱きついたままだよね~」

「はッ」

真姫は目を丸くして、すぐ前の俺へと顔を向ける。

自然と視線が絡み合った。

「あ……」

俺たちは弾かれるように離れた。

「ごめんね、兄さん」

「い、いや、俺こそ」

ハタハタと衣服の埃を払い、真姫は俺から離れた位置の椅子に着席する。

俺も同様に、反対側の椅子に腰かける。

まだぬくもりの残る胸元に若干の心残りを覚えつつも、俺はとりあえず周囲の視線が減ってきているのに少々、安堵した。

「巧兄、結、ナイスアシストだったでしょ?」

結は俺たちのテーブルのすぐそばに立ち、俺たちを交互に見る。

俺たちが席に着いたとたん、いきなり話を振られてしまった。

「結ね、ずっと気になってたんだぁ。巧兄と真姫姉、うまくいったのかなぁって。でもぉ、ここに入ってきたときの二人を見てたらぁ、胸の奥がムズムズしてきちゃった」

「ちょ、結?」

結の声に、普段からは考えられないほどの艶が混ざる。

この結の表情、見覚えがある。昨日の夜だ。

昨日の夜。家族が勢ぞろいしたとき、俺が流れで結とキスをすることになったときの、その時の結の表情と一緒だった。

濃すぎない程度の薄ピンク色の唇が、淡くぬかるんでいる。

湿り気を帯びた幼い唇は、まるで昨夜と同じ行為をせがむように、つやつやと照明を照り返していた。

「巧兄、すっごくたくましくて、かっこいい……久しぶりに会ったら、改めてそう思ったの」

結がふと前かがみになり、俺の顎あたりに顔を寄せてきた。うっとりとした表情、その赤らんだ目が俺を捉え、首元に生暖かい吐息を漏らす。

ふんわりと、妹の香りが漂ってくる。この子特有の、幼いフェロモンが俺を誘惑してくる。

クラクラしそうだ。

「いつもの優しい巧兄と、キリッとした真姫姉が、すっかり恋人同士になっちゃってて、ラブラブなんだもん……結は、どんな風にしてもらえるのかな、って、想像しただけで、胸の奥が熱いの」

「結、ちょ……ま、待て」

「ね、巧兄……」

「え、な、ゆ、結?」

「今日は結の番だよ?」

「結の番?」

どういうことだ? 番?

「うん。だからぁ……いっぱい、かわいがってね?」

「かわいがる、って、どういう」

そこで、バンとテーブルを叩く音が店内に響いた。

「いい加減にしなさい」

真姫が勢いよくテーブルをたたいた。存外に本気を込めたらしく、かなり音が大きい。

ピキン、と水をうったように、店内のざわつきが消えた。

……少しの間を置いて、店内のBGMが響き、喧噪が復活する。

元気のいい結も、これには驚いたようで、一瞬だけ目を丸くしていた。

真姫は冷たい表情のまま、俺にくっついたままの結に厳しい視線を向ける。

「せっかく彼女にしてもらえた後の初めてのデートだったのに……その最中に乱入するだけじゃなく、に、兄さんに、くっついて、あまつさえ誘惑までするなんて……」

かなり苛ついているらしく、珍しく早口でまくしたてる。真姫、かなり怒ってるな。

「ま、真姫、落ち着け」

「落ち着いてられない! 今は私が兄さんの彼女なの! 結は前から兄さんと仲良しだったでしょ! 今くらいは邪魔しないでよ!」

「彼女になれたんだからいいじゃん」

「まだ彼女にしてもらったばっかりなの! 私、もっと私なりに、兄さんと仲良くしたいのに……」

そこまで言い、真姫は、すぅっと息を吸い込んだ。気持ちを落ち着かせる時、いつも真姫はこんなふうにしていた。

かくいう俺は、さりげなく真姫と結の間に入り、すぐに抑えられるようにしていた。

店内はざわめきを取り戻していた。店の奥、結と同じ服を身に着けた店員さんの動きが少し騒がしくなりつつある。

もしかしたら追い出されるかもしれない。

「真姫の気持ちはありがたいよ。俺も真姫のことは大事にしたいと思ってる。ちゃんと話そうな」

「結は仕事に戻ったほうがいい。怒られちゃうぞ」

「んー。そうしようと思ってるんだけどぉ」

結は、俺にすり寄ったまま、首に手を伸ばす。

「お客様ぁ? ここ、ちょっと赤いアザがありますよ? これってぇ、さっき転んだ時にぃ、ケガ、しちゃったんじゃないですかぁ?」

結が俺の首元に指を這わせる。

……アザ? そんなのあったか?

と思ったが、すぐにそれがなんなのか気づいた。唇の形に刻み込まれた、そのアザは、俺の位置からは確認できない。

が、それが何なのかは瞬時に分かった。

……夕べの、真姫と愛し合った時の、痕跡だ。

「ねぇ。真姫姉、これって、なぁに?」

「なんで私に聞くのよ」

「こんなの、巧兄が自分でつけるワケないじゃん。だったらぁ……ね?」

ぐ、と真姫がうめく。形勢逆転とでもいうべきか。

声がすぼまり、しゅぅんと縮こまる。

「ちゃんと確かめないとぉ、痛い痛いになっちゃうかもしれないしぃ、手当てしますねぇ♡」

煽る煽る……結め、真姫をからかうことにかけては超一流だ、この子は。

「結、離れなさい。兄さんを困らせるんじゃないの」

「えーッ。困らせてなんかないよぉ」

「困らせたでしょ。私たち、無駄に目立っちゃってたじゃない」

「うん、結のせいなんだよね? だから責任とって、手当てするよ。それでいいでしょ?」

「よくない。バイトに戻って」

「えぇーッ。真姫姉、厳しすぎッ」

「あんたが緩すぎるの」

むぅ、と結が頬を膨らませる。実に不服そうである。

これは困った。二人の問題だからと何もしなければ、どこまでもこじれそうな感じだ。

「真姫姉、巧兄とくっついてるとき、めっちゃ嬉しそうにしてたじゃん。私がアシストしたからでしょッ」

「そういうことを言ってるんじゃ……」

「ちょっと待った」

俺は二人の口論を遮った。

このままじゃ本格的な姉妹喧嘩になってしまう。

二人の相性があまりよくないのは俺もよく知っている。

今までの俺たちなら、お互いの言いたいことを言いきらせてそれを区切りにさせて終わるのだが、そうも言ってられない。

今回は俺も絡んでいる。俺が二人を説得しないといけない。

「巧兄はどう思うの? 結、いけない子?」

結は邪気のない目で俺に尋ねる。純粋な子だ。

兄の欲目が混じっているかもしれないが、やはりこの子が質の悪い企み事をするとは思えない。

「俺も、真姫の可愛いところを見ることが出来たのは嬉しいかな」

「でしょでしょッ? 結のお陰でしょ?」

「結が元気いっぱいなのも嬉しいよ」

「わはァ、巧兄ステキッ」

結はご満悦である。

この子は褒められると際限なく舞い上がる癖がある。

ただ、そういう単純なところが、物を深く考えがちな真姫と相性がいまいちな要因になっている。

「けどな、結。あんなに大きな声だとびっくりさせちゃうのは分かるだろ?」

「うん」

「さっき真姫は、びっくりして転びそうになったじゃないか」

「うん……そうだね」

結の表情が曇る。

「もし真姫が怪我してたら、俺は凄く悲しかったよ。結もそんなのイヤだろ?」

「うん。絶対にイヤ」

結はキッパリと言い切る。

この子はふざけて真姫をからかうことはあっても、本気で嫌ったり傷つけようとすることは全くない。

真姫もそれは分かっている。だからお互いに本気で嫌ったりはしない。

2人は相性が良くないだけで、仲は悪くはないのだ。

「俺はいつまでも二人に仲良し姉妹でいてほしい。俺の気持ちは分かるよね?」

「うん、すごくよくわかるよ」

「なら、真姫を驚かせちゃったことをちゃんと謝ろう?」

「そうだね。巧兄の言う通りだねッ」

結はにこやかな表情はそのままに、コクンと頷く。

天真爛漫、元気いっぱいな末妹と接していると、こちらまで心が洗われるようだ。

「真姫姉、危ない思いをさせてごめんね」

結は俺を挟んで反対側にいる真姫に、頭を下げる。

俺の顔に自らの顔をくっつけたままなので、結の顔が俺の頬っぺたですりすりと擦れた。

その様子を見た真姫は、一瞬だけ困ったように眉をひそめたが、やがてやれやれといった風に苦笑を浮かべた。

「いいわよ、もう。悪気は無かったのはわかってるし。私だって、本気で怒ってなんかない」

「そうなの?」

「そ。許してあげる。でもその代わり、次からは調子に乗りすぎないこと」

「はーい。分かりましたッ」

真姫は余裕の表情である。

普段なら結をきつめに叱り、それを嫌がった結が逃げ出す、というのが定番の流れだった。

「今日の真姫姉、優しいねー」

「おかげさまでね。成長したの、私」

俺に抱き着いていた結がいったん離れ、俺たちのテーブルの脇に移動した。

「大人の余裕って感じだね」

結の感嘆の声に、真姫はまんざらでもなさそうである。

俺も同意だった。

真姫は大人になった。一皮むけた大人の女性となってくれた。兄として純粋に嬉しい。

「やっぱり巧兄はすごいね。あの真姫姉がこんなにすぐ許してくれるなんて信じられない」

「真姫が偉いんだよ。真姫が自分で大人になったんだ。俺のためじゃない」

「うぅん。兄さんのおかげ」

真姫がかぶりをふり、俺の手を握る。

「兄さんがいてくれるから、私、たくさんのことを学べるの。だから、これからもそばにいさせてね」

たおやかな手が、俺の武骨な手を包み込む。

「私はまだまだ大人になりたい。結のいたずらくらい軽く受け流せるくらいになりたいの」

「真姫はじゅうぶん大人だよ」

「ありがと。でもね、私、もっと成長して、巧兄さんにふさわしい女の子になりたいな」

にっこりと微笑み次女の表情に、悩ましさや迷いはない。

いつも落ち着き払っていた真姫が、更に隙のない女性へと成長していく過程を見守ることができる。

それがこれほどの喜びとは、俺も思っていなかったことだった。

「にししー。いいないいなー、好きな人の彼女になった真姫姉、すっかり大人の女じゃーん」

俺たちの様子を見ていた結が歯を見せて笑う。

無邪気で子供っぽさの残る微笑みは、末妹らしい魅力たっぷりである。

「結は結の魅力で勝負するもん。で、真姫姉とは違った形で、巧兄の彼女になるのッ」

ん? ん? 俺の彼女に? なんかおかしいぞ。どういうことだ?

「巧兄、今日は結の番だよ。バイトが終わったらすぐに交代したいから、真姫姉とのデートが終わったらここに来てねッ」

ん? え?

俺がここに来る? 決定事項みたいになってるけど、いつ決まったんだろうか。

「待ち合わせはこのお店の……そーだ。鍵を開けてもらうから、中に入って。この席で待ってるねッ」

訳が分からない。

どういうことなんだろう。この店、結が好きにできる店なんだろうか?

分からない単語とか状況が多すぎる。

「そういえばさっきも結の番って言ってたけど、どういうことだ?」

「?? 真姫姉から聞いてないの?」

「何を?」

「えぇーッ?」

結は真姫の表情をうかがうように視線を移す。

真姫は、焦ったように目をそらした。

「そういえばさっき真姫姉、学園のことを説明してたっぽいけど、もしかして巧兄にまだちゃんと説明してないの?」

結は追い打ちをするように、真姫に問い詰める。

「そ、それは、その……なんていうか、これからする、っていうか」

「これから? ゆうべ、巧兄に説明するって流れになってたんじゃないの?」

「し、しかたないじゃない。私だって、その、初めてだったし……特別な夜だったから、兄さんに思いを伝えることしか考えられなくて……余裕がなかったの」

真姫にしては珍しく、しどろもどろである。

まぁ気持ちはわかるのだが、結にその言葉の内容を伝えるのはどうかとは思う。

「これからちゃんと説明するから、結は早く仕事に戻りなさいよ」

苦しい言い方である。

これはさすがに結が相手でも通用しなかったようで、それを聞いた末妹の視線は彼女らしからぬ鋭さだった。

「……ぜんぜん大人じゃないじゃん。本当に成長したのかなぁ」

あきれたようにジトっとした目で姉を見る結と、ひたすら目をそらす真姫はさっきとは対照的である。

「まーいーや。まだ真姫姉のターンだもんね。ちゃんと巧兄に話しておいてよねッ」

まだ? ターン?

なんだかあまりよくない意味の言葉のような気がする。

まだ聞いてないことや聞きたいことはあるのだが、もしかしたら想像以上に大変な出来事が起きているのかもしれない。

俺は真姫と結を見比べた。

結は、ひらひらした服装を翻すようにして俺から離れる。

「じゃーね。あんまりデートの邪魔しちゃ悪いからそろそろ仕事に戻るねッ」

離れ際、結は俺の頬に、ちゅ、とキスをする。

小さく丸いぬくもりが頬に広がる。甘いバニラのような匂いは、真姫とはまた違う少女の香りである。

ちょっとした刺激なのに脳の奥がしびれるような感覚を覚えるのは、昨夜の結とのキスの記憶が脳裏をよぎったからだろうか。

「えへへ。楽しみにしてるよ、巧兄ぃ」

ほんのりと暖かい結の唇の感触をなぞりながら、手を振って去っていく結に、手を振り返す。

真姫を横目でみやると、その表情は軽く引きつっていた。

やらかした時の顔だ。なんか……嫌な予感がする。

嵐のような末妹の襲来と、その謎めいた言葉に、俺はぽかんとするしかなかった。
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