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第一話
私立IT学園・説明会12
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何が起こったのか分からなかった。
急に理事長が接近してきたのと、直後に目の前が覆われたようになったこと、そして俺と理事長の唇が重なったところまでは認識できた。
が、そのあとの瞬間から数秒程度、俺の記憶は白く染め上げられていた。どうも意識が一瞬、飛んだようだ。
「ん、ん……」
意識が戻ってきたときにはじめて気づいたのは、全身が軽く痺れていたことだ。嫌な感覚ではなく、むしろぐっすりと眠った後に目覚めた時のような、すっきりした感があった。
その場にしゃがみ込むような形になっていること、俺の胸元にいるのはたぶん理事長だというのはすぐに分かった。
「んぅん……ちゅく……ちゅぷッ」
くぐもった喘ぎ声と、それに同期するように唇に広がる生ぬるい感覚が、意識に割り込んでくる。
短く何度も響く艶めいた声が、次第にはっきりと聞こえるようになってきて、直前の状況を思い出した。
「ッ」
そうだ。
理事長とキスしているんだ。
自覚したためか、重ね合わせられた唇の感覚が少しずつ明確になってくる。
ぞわり、とした感覚が、唇から顎、喉を駆け抜け、上半身に浸透していく。
「ぅお……ッ」
しびれを感じていた全身の感覚がそこで一気に取り戻された。
キスしているだけだというのに、信じられないほどに研ぎ澄まされた感覚が走る。
「ん、んッ」
理事長の声は、色気という一言で済ますには色めきすぎている。
そこに下品さやいやらしさ、下卑たものは感じない。年上女性の色香、包容力、そのようなものが満ち溢れているように感じ取れた。
先ほど抱き着かれたときの姿勢のまま、俺は理事長と密着していた。
いつの間にか俺の背中には理事長の両腕が回されていて、しっかりと抱き合っている。
俺の唇に重なった理事長の唇は、生々しい感触で俺の唇を軽く滑る。
特筆すべきはその一滑りごとに脳髄に響いてくる感覚だ。
「ん、くちゅ、くちゅる、ちゅるるッ」
唇周辺の感覚神経をじかにしごきたてられるような密着度でこすれあっている。
しみだしてきた唾液を舌先で掬い取られ、なぶりたてられる。
鼻息混じりに口から溢れる吐息に、唾液のねぶる音が混じる。
理事長は俺の唇に自らの唇を這わせながら口をすぼめ、吸い立ててくる。
「巧さん」
キスの合間、熱にうかされたように、理事長が俺の名前を呼ぶ。
「ずっと会いたかったのですよ」
会いたかった? 俺に?
俺とこの人は初対面のはずだ。
なのにまるで昔から俺のことを知っているかのような口ぶりである。
どういうことなのだろう。
「あぁ……こんなふうに、して欲しいって、ずっと……思って……」
息継ぎを挟みながら、積もった思いを打ち明けるように、理事長がはかない声を漏らす。
おっとりとしつつも年上の雰囲気を纏う女性である。
そんな彼女の想いの丈の告白からは、少女のような純粋さを感じさせられる。
俺はもたれかかってくる理事長の肩を優しく抱え、支える。
「ん……」
俺の行為に、理事長は少し目を開き、すぐに体にこもっていた力を緩める。
安心してくれたのだろうか。
すがりつくような格好から一変、姿勢を整えて俺へと体重を預けてくれた。
落ち着いてくれたか、とひとまず安堵する。
が。
「んッ」
唇にヌルリとした違和感が伝う。
理事長の緩んだ唇の間からぬるりとしたモノ……舌が、俺の口を割開き、入り込んできたのだ。
「ふむう、ん」
理事長の形のいい鼻から息が漏れて俺の頬にそよぐ。
ゆらついた感触は理事長の唇を刷いたルージュのぬかるみだろうか。
互いの唇表皮が滑りあうたび、背中がビクンと跳ねそうになる。
「……ッ」
意味をなさない声が喉の奥からこみあげてくる。
この感覚は明らかにおかしい。ただ口づけしているだけの感覚にしては鋭敏すぎる。
異常なまでの興奮と高揚が俺の脳内を満たしはじめる。
危機感を感じるほどに、普段の自分からは考えられない類の衝動がこみあげ始めてきていた。
「り、じ、ちょ……ま、まってくださ……」
ふさがれたままの口で、必死に訴えかける。
が、理事長は閉じていた瞳はそのまま、軽く頭を横に振る。
「ん……」
戸惑う俺をよそに、理事長は唇を小刻みに動かし始めた。
「ん、んん、んふぅん、んっ」
甘ったるい喘ぎに混じる唾液をねぶるような音が、理性を揺さぶる。
なんという魅惑的な喘ぎ声なのか。
ちゅぷ、ちゅぷ、と音が鳴り、俺と理事長の唇がこすれあう。
ぽってりとした唇が俺の唇の上で滑り、ぬらぬらとした感触を塗り拡げる。
あまりにも強い刺激に、頭がクラクラしてきた。
俺はされるがまま、体重を預けてくる理事長を抱きとめた。
意図せずに継続する深い口づけに、頭が沸騰しそうなほど熱くなってくるのを感じていた。
舌を絡め、ねっとりとまとわりつくような温い唾液を交換しあう。
まるで互いの舌が一つに融合したかのような、ぬかるみに蕩ける感覚が背筋を這い上る。
どういうことだ。
俺は、この人と会うのは初めてなのに、まるではるか昔から知っているかのような錯覚を覚えていた。
それにもう一つ、奇妙な感覚もある。この感覚は、つい先ほどまで感じていたモノと同じだ。
そう。姉妹達との甘ったるいキスと同じ味なのだ。
「……」
愛する姉妹とのキスの感触を思い出してしまったことを後悔した。
さきほどの記憶の残滓は、さほど鮮明ではなかった。
にも拘わらず、俺の中で爆発的に広がっていく感覚はひどく現実的で、強い愉悦を叩き込むように流し込んでくる。
姉妹たちの記憶と相まって、熱いマグマのような衝動が腹の底からこみ上げてくる。
俺は、嵐のような衝動が暴走しないように、下腹部にこみ上げてくる熱を必死でこらえる。力をこめすぎて頭がクラクラしてきた。
「んはぁ……」
痺れていた全身が一気に別の感覚に支配されていくのを感じていたさなか、ちゅぱ、という音とともに唇が軽くなった。
理事長が唇を離したのに気づくのに数秒かかった。
唇を離した理事長は、露にぬらつく唇を指先で拭いつつ、俺を真近から見つめる。
超のつく美女に至近距離から、それも笑顔で見つめられている。
しっとりとした唇の質感は、唾液に混じったルージュが部屋の明かりに映えているからだろう。
「思った通り」
姉とはまた違う、程よく熟成した女性の色気が全身から立ち上っている。
「とても素敵な口づけでした」
「あ、あの」
上気した頬は桃色に染まり、整った顔は笑顔に綻ぶ。
姉妹達とはまた違う類の美しさが、目の前で花開く様には、思わず見とれてしまう。
「私の口づけは、いかがでしたか? お気に召していただけましたか?」
唇を離した理事長は、鼻先をくっつけたまま、俺にそう問う。
彼女の唇は濃いめのピンクで、湯気が立ち上っているのではないかと思うほどに温かかった。
かすかに湿った表面がこすれあった時の快感は、言葉ではたとえようもない。
時間にして数秒から十秒ほどだったであろうに、名残惜しさを感じるくらいの気持ちよさだった。
「私、このようなことをするのは初めてなのです」
「……えッ」
「ふふッ。意外ですか?」
「そ、それは」
「私は巧さん専用なのですよ。このようなことは、あなた以外の者とは絶対に致しませんし、する気もございません」
「はッ?」
意味がよくわからない。
専用?
「ですので、お気に召していただけなければどうしようと思っていたのです」
目を細め、俺を上目遣いに見上げる。
頬はうっすら桃色で、シャープなラインを描く顎の輪郭には、緩やかな笑みが浮かびあがっていた。
「嬉しいですわ」
きゅ、と俺の背中に回していた手が微かに締まる。
年上の美女が無防備に喜びをさらけ出してくれている。
照れるべきか喜ぶべきか、なのだが、俺の頭の中では別の疑問がわいていた。
「うふふッ」
理事長はおっとりとした笑みを満面に浮かべ、俺を見つめる。
「約束させていただきます」
「え?」
「私は、自らの全てをかけて、あなたに尽くします」
「!」
穏やかな笑顔に似つかわしくない真面目な口振りだ。
「どのような事があっても、私はあなたの事を常に想いつづけることを誓います」
理事長は俺から一度も目を逸らさず、潤んだ瞳で見つめてくる。
「心よりお慕い申し上げます。巧さん」
ゆらめく人見は、まるで愛しい相手に恋慕の念を告げる乙女のようである。
上品かつ優雅な仕草は女優のような華やかさも感じさせられる。
男であれば、このような状況は打ち震えるほどの喜びであろう。
が、この時の俺が抱いていた感覚は、動揺と違和感だった。
「あの、理事長」
「はい」
「失礼ですが、自分と理事長はどこかでお会いしたことがございますか?」
理事長の表情が、驚きに変わる。
が、それも一瞬のこと。
優雅な仕草で細長い指の先端を自らの唇に当てる。
ぞくっとするほどの色気である。
「それに関しましては簡単です」
すぐさま表情を笑顔に戻し、俺の方に更に顔を近づける。
何をされるのか、と身構えていたら、鼻の頭を指先でつつかれた。
「私、巧さんのことを生まれたときからずっと知っていますよ」
「……え?」
予想外の返答に、間抜けな声を出してしまう。
「巧さん」
「は」
間近から俺を見つめ続けていた理事長は、俺の両頬を包むように撫でる。
「立派に……逞しく育ってくださいましたね」
やや半開きの目は笑顔のためか、先程のキスの余韻だろうか。
端正かつおっとりとした表情には僅かな赤みが差し込んで見える。
そしてその目尻に、光るものを見つけた。
「理事長……」
なんといっていいのかわからない。
理事長は、座り込むようにしていた俺の前に両膝立ちになる。
何をするのかと見上げていたら、次の瞬間、目の前が何かに覆われた。
「えッ?」
ふわ、という感触が頭を包み込む。
「な、な……」
「ありがとうございます」
「??」
理事長の声が上から降り注がれるように聞こえる。
頭を抱きかかえられているのだ、と気付いた。
いや、抱きかかえられているといっていいものか。
もっと詳しく説明するならば、理事長の豊かすぎる胸の谷間に、俺の顔がまるごと包み込まれているという状況だった。
「会いに来てくださって、ありがとうございます」
豊かな胸の狭間は、柔らかくフカフカだ。すべてを包み込み抱きとめてくれるような錯覚をいだいてしまう。
「私に触れてくださって、ありがとうございます」
ずっとこうしていたいくらいの安心感が胸を満たす。
「健やかに育ってくださってありがとうございます」
言葉の一つ一つが胸にしみいる。俺の中の奥底が、その一言を待ち受けていたかのように喜びで満ちていく。
「この日のことを、私はきっと一生忘れないでしょう」
この時の俺の頭の中は、ある一つの単語で埋め尽くされていた。
その言葉しか思いつかない。その単語は、驚くほどあっさりと俺の口からこぼれ出た。
「……母さん?」
急に理事長が接近してきたのと、直後に目の前が覆われたようになったこと、そして俺と理事長の唇が重なったところまでは認識できた。
が、そのあとの瞬間から数秒程度、俺の記憶は白く染め上げられていた。どうも意識が一瞬、飛んだようだ。
「ん、ん……」
意識が戻ってきたときにはじめて気づいたのは、全身が軽く痺れていたことだ。嫌な感覚ではなく、むしろぐっすりと眠った後に目覚めた時のような、すっきりした感があった。
その場にしゃがみ込むような形になっていること、俺の胸元にいるのはたぶん理事長だというのはすぐに分かった。
「んぅん……ちゅく……ちゅぷッ」
くぐもった喘ぎ声と、それに同期するように唇に広がる生ぬるい感覚が、意識に割り込んでくる。
短く何度も響く艶めいた声が、次第にはっきりと聞こえるようになってきて、直前の状況を思い出した。
「ッ」
そうだ。
理事長とキスしているんだ。
自覚したためか、重ね合わせられた唇の感覚が少しずつ明確になってくる。
ぞわり、とした感覚が、唇から顎、喉を駆け抜け、上半身に浸透していく。
「ぅお……ッ」
しびれを感じていた全身の感覚がそこで一気に取り戻された。
キスしているだけだというのに、信じられないほどに研ぎ澄まされた感覚が走る。
「ん、んッ」
理事長の声は、色気という一言で済ますには色めきすぎている。
そこに下品さやいやらしさ、下卑たものは感じない。年上女性の色香、包容力、そのようなものが満ち溢れているように感じ取れた。
先ほど抱き着かれたときの姿勢のまま、俺は理事長と密着していた。
いつの間にか俺の背中には理事長の両腕が回されていて、しっかりと抱き合っている。
俺の唇に重なった理事長の唇は、生々しい感触で俺の唇を軽く滑る。
特筆すべきはその一滑りごとに脳髄に響いてくる感覚だ。
「ん、くちゅ、くちゅる、ちゅるるッ」
唇周辺の感覚神経をじかにしごきたてられるような密着度でこすれあっている。
しみだしてきた唾液を舌先で掬い取られ、なぶりたてられる。
鼻息混じりに口から溢れる吐息に、唾液のねぶる音が混じる。
理事長は俺の唇に自らの唇を這わせながら口をすぼめ、吸い立ててくる。
「巧さん」
キスの合間、熱にうかされたように、理事長が俺の名前を呼ぶ。
「ずっと会いたかったのですよ」
会いたかった? 俺に?
俺とこの人は初対面のはずだ。
なのにまるで昔から俺のことを知っているかのような口ぶりである。
どういうことなのだろう。
「あぁ……こんなふうに、して欲しいって、ずっと……思って……」
息継ぎを挟みながら、積もった思いを打ち明けるように、理事長がはかない声を漏らす。
おっとりとしつつも年上の雰囲気を纏う女性である。
そんな彼女の想いの丈の告白からは、少女のような純粋さを感じさせられる。
俺はもたれかかってくる理事長の肩を優しく抱え、支える。
「ん……」
俺の行為に、理事長は少し目を開き、すぐに体にこもっていた力を緩める。
安心してくれたのだろうか。
すがりつくような格好から一変、姿勢を整えて俺へと体重を預けてくれた。
落ち着いてくれたか、とひとまず安堵する。
が。
「んッ」
唇にヌルリとした違和感が伝う。
理事長の緩んだ唇の間からぬるりとしたモノ……舌が、俺の口を割開き、入り込んできたのだ。
「ふむう、ん」
理事長の形のいい鼻から息が漏れて俺の頬にそよぐ。
ゆらついた感触は理事長の唇を刷いたルージュのぬかるみだろうか。
互いの唇表皮が滑りあうたび、背中がビクンと跳ねそうになる。
「……ッ」
意味をなさない声が喉の奥からこみあげてくる。
この感覚は明らかにおかしい。ただ口づけしているだけの感覚にしては鋭敏すぎる。
異常なまでの興奮と高揚が俺の脳内を満たしはじめる。
危機感を感じるほどに、普段の自分からは考えられない類の衝動がこみあげ始めてきていた。
「り、じ、ちょ……ま、まってくださ……」
ふさがれたままの口で、必死に訴えかける。
が、理事長は閉じていた瞳はそのまま、軽く頭を横に振る。
「ん……」
戸惑う俺をよそに、理事長は唇を小刻みに動かし始めた。
「ん、んん、んふぅん、んっ」
甘ったるい喘ぎに混じる唾液をねぶるような音が、理性を揺さぶる。
なんという魅惑的な喘ぎ声なのか。
ちゅぷ、ちゅぷ、と音が鳴り、俺と理事長の唇がこすれあう。
ぽってりとした唇が俺の唇の上で滑り、ぬらぬらとした感触を塗り拡げる。
あまりにも強い刺激に、頭がクラクラしてきた。
俺はされるがまま、体重を預けてくる理事長を抱きとめた。
意図せずに継続する深い口づけに、頭が沸騰しそうなほど熱くなってくるのを感じていた。
舌を絡め、ねっとりとまとわりつくような温い唾液を交換しあう。
まるで互いの舌が一つに融合したかのような、ぬかるみに蕩ける感覚が背筋を這い上る。
どういうことだ。
俺は、この人と会うのは初めてなのに、まるではるか昔から知っているかのような錯覚を覚えていた。
それにもう一つ、奇妙な感覚もある。この感覚は、つい先ほどまで感じていたモノと同じだ。
そう。姉妹達との甘ったるいキスと同じ味なのだ。
「……」
愛する姉妹とのキスの感触を思い出してしまったことを後悔した。
さきほどの記憶の残滓は、さほど鮮明ではなかった。
にも拘わらず、俺の中で爆発的に広がっていく感覚はひどく現実的で、強い愉悦を叩き込むように流し込んでくる。
姉妹たちの記憶と相まって、熱いマグマのような衝動が腹の底からこみ上げてくる。
俺は、嵐のような衝動が暴走しないように、下腹部にこみ上げてくる熱を必死でこらえる。力をこめすぎて頭がクラクラしてきた。
「んはぁ……」
痺れていた全身が一気に別の感覚に支配されていくのを感じていたさなか、ちゅぱ、という音とともに唇が軽くなった。
理事長が唇を離したのに気づくのに数秒かかった。
唇を離した理事長は、露にぬらつく唇を指先で拭いつつ、俺を真近から見つめる。
超のつく美女に至近距離から、それも笑顔で見つめられている。
しっとりとした唇の質感は、唾液に混じったルージュが部屋の明かりに映えているからだろう。
「思った通り」
姉とはまた違う、程よく熟成した女性の色気が全身から立ち上っている。
「とても素敵な口づけでした」
「あ、あの」
上気した頬は桃色に染まり、整った顔は笑顔に綻ぶ。
姉妹達とはまた違う類の美しさが、目の前で花開く様には、思わず見とれてしまう。
「私の口づけは、いかがでしたか? お気に召していただけましたか?」
唇を離した理事長は、鼻先をくっつけたまま、俺にそう問う。
彼女の唇は濃いめのピンクで、湯気が立ち上っているのではないかと思うほどに温かかった。
かすかに湿った表面がこすれあった時の快感は、言葉ではたとえようもない。
時間にして数秒から十秒ほどだったであろうに、名残惜しさを感じるくらいの気持ちよさだった。
「私、このようなことをするのは初めてなのです」
「……えッ」
「ふふッ。意外ですか?」
「そ、それは」
「私は巧さん専用なのですよ。このようなことは、あなた以外の者とは絶対に致しませんし、する気もございません」
「はッ?」
意味がよくわからない。
専用?
「ですので、お気に召していただけなければどうしようと思っていたのです」
目を細め、俺を上目遣いに見上げる。
頬はうっすら桃色で、シャープなラインを描く顎の輪郭には、緩やかな笑みが浮かびあがっていた。
「嬉しいですわ」
きゅ、と俺の背中に回していた手が微かに締まる。
年上の美女が無防備に喜びをさらけ出してくれている。
照れるべきか喜ぶべきか、なのだが、俺の頭の中では別の疑問がわいていた。
「うふふッ」
理事長はおっとりとした笑みを満面に浮かべ、俺を見つめる。
「約束させていただきます」
「え?」
「私は、自らの全てをかけて、あなたに尽くします」
「!」
穏やかな笑顔に似つかわしくない真面目な口振りだ。
「どのような事があっても、私はあなたの事を常に想いつづけることを誓います」
理事長は俺から一度も目を逸らさず、潤んだ瞳で見つめてくる。
「心よりお慕い申し上げます。巧さん」
ゆらめく人見は、まるで愛しい相手に恋慕の念を告げる乙女のようである。
上品かつ優雅な仕草は女優のような華やかさも感じさせられる。
男であれば、このような状況は打ち震えるほどの喜びであろう。
が、この時の俺が抱いていた感覚は、動揺と違和感だった。
「あの、理事長」
「はい」
「失礼ですが、自分と理事長はどこかでお会いしたことがございますか?」
理事長の表情が、驚きに変わる。
が、それも一瞬のこと。
優雅な仕草で細長い指の先端を自らの唇に当てる。
ぞくっとするほどの色気である。
「それに関しましては簡単です」
すぐさま表情を笑顔に戻し、俺の方に更に顔を近づける。
何をされるのか、と身構えていたら、鼻の頭を指先でつつかれた。
「私、巧さんのことを生まれたときからずっと知っていますよ」
「……え?」
予想外の返答に、間抜けな声を出してしまう。
「巧さん」
「は」
間近から俺を見つめ続けていた理事長は、俺の両頬を包むように撫でる。
「立派に……逞しく育ってくださいましたね」
やや半開きの目は笑顔のためか、先程のキスの余韻だろうか。
端正かつおっとりとした表情には僅かな赤みが差し込んで見える。
そしてその目尻に、光るものを見つけた。
「理事長……」
なんといっていいのかわからない。
理事長は、座り込むようにしていた俺の前に両膝立ちになる。
何をするのかと見上げていたら、次の瞬間、目の前が何かに覆われた。
「えッ?」
ふわ、という感触が頭を包み込む。
「な、な……」
「ありがとうございます」
「??」
理事長の声が上から降り注がれるように聞こえる。
頭を抱きかかえられているのだ、と気付いた。
いや、抱きかかえられているといっていいものか。
もっと詳しく説明するならば、理事長の豊かすぎる胸の谷間に、俺の顔がまるごと包み込まれているという状況だった。
「会いに来てくださって、ありがとうございます」
豊かな胸の狭間は、柔らかくフカフカだ。すべてを包み込み抱きとめてくれるような錯覚をいだいてしまう。
「私に触れてくださって、ありがとうございます」
ずっとこうしていたいくらいの安心感が胸を満たす。
「健やかに育ってくださってありがとうございます」
言葉の一つ一つが胸にしみいる。俺の中の奥底が、その一言を待ち受けていたかのように喜びで満ちていく。
「この日のことを、私はきっと一生忘れないでしょう」
この時の俺の頭の中は、ある一つの単語で埋め尽くされていた。
その言葉しか思いつかない。その単語は、驚くほどあっさりと俺の口からこぼれ出た。
「……母さん?」
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