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第一話
私立IT学園・説明会3
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セキュリティチェックを抜けた先は、一直線の通路になっていた。
通路には窓やドアなどがなく、ひたすらまっすぐに通路が続いている。照明で照らし出されたこの場所は、特に何があるわけでもないらしい。俺たちは歩き続けた。
ほどなくして突き当りに差し掛かると、そこにはエレベーターの扉があった。
そしてさっきのセキュリティチェックのプレートと同じものが、移動する階を選ぶボタンの隣についている。
「ここでも認証するのか?」
「そうみたい」
「ずいぶん厳重なんだな」
「うん……」
真姫は言葉少なにカードをセキュリティのプレートにかざし、ロックを解除する。即座にエレベーターの扉が開いた。
「行きましょ。遅れちゃう」
「あぁ」
俺は真姫に促されるまま、エレベーターに乗り込んだ。
この建物は学園の付属施設ということだが、実際には独立した建物ではなく学園の地下にあるらしい。案内状は簡素な紙だけなので、具体的な内容が分かりづらい。
取り敢えず嘘は書いていないみたいだが、これからどうなることやら。
エレベーターの階数表示は2、1、B1、B2となっている。俺たちが向かっているのはB1だ。
エレベーターが移動をし始めてからやや長めの間を置いてから、到着を知らせる電子音が響き、扉が開いた。
「……なんだ、ここ」
エレベーターから出ると、そこは別世界のようだった。
広大な室内の床にはカーペットが敷き詰められ端には大型のテーブルと、そこをぐるっと囲むように柔らかそうなソファが整然と置かれている。
建築素材からして柔らかみがある。クリーム色の暖かみのある色調の壁面に、よく分からないがオシャレな模様が所々に刻み込まれている。
学園の講義堂や部活、サークル棟は鉄筋の無機質な造りで、まさに学園という感じだった。
ここは違う。学園というより何らかの娯楽施設のように見える。
「……ここ、学園の中なんだよな」
「そうみたい」
「本当にここが目的地なのか?」
「案内状にはそう書いてあるよ」
真姫が案内状を俺に見せる。たしかに会場案内図のとおりである。こんな内装とは全くどこにも書かれていないが。
「こんな時間に、こんな場所で、妹連れの学部説明会か」
立ち尽くしたまま周囲を見渡してみる。
シャンデリアが高い天井から吊り下がっていて、煌びやかに輝いている。微妙に色合いの異なるガラスでこしらえられているシャンデリアのようだ。
お陰で部屋の照明が色彩がかって、正確な色調が分かりづらい。
大きい間取りの部屋の奥の方には柔らかそうなソファとガラス製の高そうなテーブル、そして壁に埋め込まれた48インチほどのモニタがある。
大企業の受付のようなカウンターがあるが、今の時間は誰もいないようだ。
かなりの規模で作られている設備だった。
一般的な学園のイメージとはあまりにもかけ離れすぎている。その上、信じられないほどに本格的だ。
「こんな場所だとは思ってもみなかったな」
「そうだよね。ステキ」
「うん。いいよな、こういう雰囲気」
造りが派手すぎる気はするが、大人っぽい雰囲気に遊び心も垣間見えて、施設としては素晴らしいと思う。
「普段は何につかうんだろうな」
「……なんだろうね」
「講義や勉強会なんかには向いてなさそうだし、新年会や忘年会とか、あとは結婚式とかかな」
「け、結婚式……!?」
「ん? ああ、場所はまぁとにかく、こういう雰囲気のトコで結婚式を上げられれば、一生の思い出になるだろうな」
「な、なに言ってるの兄さんッ!?」
「ん?」
妹の上ずった声に、ちらっと隣の様子を伺ってみると、
「ッ」
上目遣いで俺を見上げていた真姫と真正面から目があった。
真姫は両目をまん丸に広げ、俺の顔をまっすぐに見上げている。目元と両方の頬がほんのりと紅に染まっている。
驚きと恥じらいの入り交じったような表情だ。
真姫はしばし俺を直視していたが、淡い桃色の唇から「あわわ」という小さい声を吐息とともに漏らした。
「待って。あまりこっち見ないで」
真姫は両手を頬で挟むような格好で慌てて顔をそらす。声はひどく弾んでいて、露骨に動揺しているのがわかる。
「いきなりどうしたんだ?」
真姫は両手を頬に当てたポーズのまま、俺の方を視線だけで再び見つめ返す。
「兄さんが変なこと言うからでしょッ」
「へんなこと?」
「私たち、兄妹なのに!」
「……?」
「た、たしかに、ここに来たからには、そういうことも考えなきゃいけないけどッ」
「ん? え?」
「でも、まだちゃんと説明を聞いてないじゃない!」
「????」
「どういう条件をクリアすればいいのかもわからないしッ」
「条件?」
「それに、姉さんもいるし、結だっているの。まだ私たちがそうなるって決まったわけじゃ……」
真姫が何を言ってるのか分からん。
「わ、私もそうなりたいとは思うけどッ! でも、まだそんな段階じゃないって言うか……」
「ちょっと待った。ストップ」
「え、え?」
「まずは落ち着け」
「で、でも」
「さっきから何の話してるんだ?」
「えッ?」
「何に動揺してるんだ? 俺、変なこと言った?」
「や、だから、その……結婚式、とか」
「おかしかったか?」
「え」
「それくらい広くていいとこだなっていう意味だったんだけど、おかしいか?」
「あ、それは……」
「今日の真姫はやっぱり変だよ。ここに来たことと関係あるのか?」
「それは、その……」
「うん」
「な、内緒ッ」
わけがわからない。ここに来る前から様子が変だったが、輪をかけて変だ。事情を聞いても話してはくれないだろうから、聞けないんだろうが……気になる。
「あーッ! 真姫ちゃんッ」
突然、遠くの方から甲高い声が響き、俺達は同時にそちらを見た。
大広間の向こうには通路があり、先が見えないくらい長く続いている。
その入り口の辺りの場所に、1人の少女が立って手をぶんぶん振っていた。
「加奈ちゃん」
「さっき電話してた子か?」
「うん。あの子も、お兄さんと一緒に説明会なの」
真姫が少しほっとしたように、手を振り返す。さっきまでの焦りが和らいだようだ。
「真姫ちゃーんッ」
少女は勢い良く手を振りながら、駆け足でこちらに走り寄ってくる。
丸い目を一杯に見開き満面に笑みを湛える少女は、真姫よりも一回り体躯が小さめに見えた。
「久しぶりーッ。元気だった?」
「加奈ちゃん……ずいぶんご機嫌だね」
「それはもう、ねッ」
真姫とハイタッチする彼女は、どうやらすこぶる上機嫌のようだ。
なだらかな輪郭の顔立ちに丸くぱっちりとした目、ぷっくりとした唇は微笑みに彩られ、愛嬌たっぷりだ。
やや大人びた真姫の友達という割に、可愛らしい童顔という印象だった。
ストレートの長髪を胸元くらいまで垂らした髪型で、その頭頂部の右側辺りを青いリボンで軽く結っている。
真姫と同じか、少しばかりふくよかなくらいの、年相応の標準体型だ。
大胆に肩を出したトップス、膝まで露出したフリル付きミニスカートという出で立ちである。アクセサリーのチョーカーとネックレスがポイント高い。
相手を信頼しきっていて裏表のなさそうな表情や、足どりがやや覚束無いあたり、子供っぽさも感じる。健康的に焼けた小麦色の肌も、活発な少女に似つかわしい雰囲気を醸し出している。
「今日の加奈ちゃん、おしゃれだね」
「えっへへー。似合ってる?」
「うん。すごく可愛い。とっても似合ってるよ」
「ありがとー。真姫ちゃんも可愛いよー」
女子同士のやりとりに俺みたいなのが紛れ込んでいると、何だか野暮ったいことをしているような気分になってしまう。
俺は視線をそらし、加奈ちゃんが現れた通路に目をやった。
「それにしても遅かったねッ。今ついたところ?」
「そうなの。心配かけてごめんね。迷っちゃった」
「もしかしてここに来るの初めてだった?」
「こっちから入るのは初めてなの。だからセキュリティチェックがあるなんて知らなくて」
「今日くるんだったら教えてくれれば良かったのにー。そしたら一緒に来られたじゃん」
「ごめんね」
「やだ、謝らないでよー」
これがこの2人の普段の様子らしい。とにかく明るい加奈ちゃんと、それにおとなしく付き合う真姫という構図か。
性格は真逆だが気が合うようだ。
「あ、じゃあ、こちらの方が真姫ちゃんの?」
「うん。私の兄さん」
「わあ、やっぱりッ!」
加奈ちゃんは手をぱあんと叩き、妹から俺の方へと向き直る。
「初めましてッ! 私、真姫ちゃんの友達の石山加奈って言います!」
「加奈ちゃんとは小学校からの友達なの」
「初めまして。妹と仲良くしてくれてありがとう」
「どういたしましてッ!」
こちらが釣られて笑みが浮かぶほど元気いっぱいだ。
「そっかぁ、遂に真姫ちゃんも一歩踏み出すのかぁ」
「ちょ」
「良かったじゃん! 夢が叶ったね!」
夢?
「か、加奈ちゃんッ」
「真姫ちゃん、小さい頃からずっと言ってたもんねッ。絶対にお兄ちゃんと……」
「わ、わッ! ダメ、ストップ!!」
「え? どうしたの?」
「まだだから、私たち。これからなの」
「え、まだって……何が?」
「初めての説明会なの、今日が。学園での、だけじゃなくて、何もかも全部」
「ぜんぶ?」
「えっと、だから、兄さんは学園の詳しいことを何も知らないの」
「何もって……なにも?」
「うん。これから初めての説明会だから、兄さんは、まだ何も」
「はぇ? そういうパターンありなの?」
「特例なの」
「はぇえー?」
何やら深く息を吐きだし、加奈ちゃんは俺と真姫を交互に見比べる。
この子も俺の知らない事情を知ってるらしい。何も知らないのは俺だけか?
まん丸の目で俺をまじまじと見る加奈ちゃんは、珍しい動物を観察しているようにも見える。
そんな珍しがられるような事態なのか……
「……あのね」
と、真姫が口を開きかけた時、
「おーい、加奈。どこまで行ったんだよ」
先ほど加奈ちゃんが訪れた通路から、場違いな声が聞こえてきた。
「お兄ちゃんッ」
加奈ちゃんがまたもや駆け出し、その声の主へと走り寄っていく。
お兄ちゃんと言っていたから、一緒に来たお兄さんのことだろう。
白いボーダー柄のシャツに薄手のジャケット、黒いスキニーというスマートなファッションを華麗に着こなしている。
端正な顔立ちに長い脚が目立つ高身長と、モテる男の見本のような外見だ。
「行ったきり帰ってこないから心配したんだぜ」
「ごめんねー」
「しかたないヤツ」
お兄さんは加奈ちゃんの頭を撫でながら抱き寄せる。
「んふぅ」
手櫛で髪を梳かれるたび、加奈ちゃんが気持ちよさそうに鼻を鳴らし、それが年不相応の色っぽさを滲ませていた。
「お兄ちゃん。大好き」
「わんぱくなのもいいけど、ちょっとは落ち着けよ」
「分かってるんだけどぉ。お兄ちゃんと一緒の時は、どうしても嬉しくなっちゃって」
「俺と加奈はいつも一緒だろ」
「えへへー」
仲がよさそうで何よりだ。年の割にはちょっと仲良しすぎる気がするが。
その彼が、俺たちの姿に気づいたようだ。ぺこりとお辞儀をしてきた。俺たちも倣って頭を下げる。
「いつもお世話になってます。加奈ちゃんの友達の伊藤です」
「ああ、いつも加奈が話してる子だ。えっと、確か」
「真姫ちゃんだよ」
「そうそう、その真姫ちゃん。じゃあ、隣の人は、お兄さん?」
「はい。伊藤巧といいます。いつもうちの妹がお世話になってます」
「石山恵一です。よろしく。今年入学?」
うなずく。
「じゃあ同級生だ。堅苦しいのは無しでいこうぜ」
恵一はいきなり相好を崩し、握手を求めてくる。手を握り返すと、ぐっと力を込めてきた。ぽんぽんと俺の肩を叩く。
「お互いいい時代に生まれてきたモンだよなッ」
「いい時代?」
「そりゃもう」
恵一は訳知り顔であるが、あいにく俺は詳しい事情をまだ知らない。
「どうした? ノリ悪いな」
「お兄ちゃん。真姫ちゃんのお兄さん、まだこの学園のことを何も知らないんだって」
「何も知らないって?」
「あー……あぁ。色々あるんだけど、簡単に説明する」
俺は経緯をかいつまんで説明した。
「へ? マジで? お前、選抜入学じゃないの?」
彼もまた、自身の妹と同じような反応だった。というか選抜入学ってなんだろう? 聞きなれない言葉だ。
「へぇえ。選抜入学じゃないって、どうやってこの学園を知ったんだ?」
「いや……卒業した母校の担任に言われたんだ。俺に入学して欲しいって直接問い合わせがあったらしい」
「名指し? そりゃまた凄ぇな」
本気で感心しているようだ。何が凄いというのかが分からん。
「そういや、招待入学の生徒が何人かいるっていうのは聞いてたけど、その1人か」
「招待入学?」
これもまた聞きなれない言葉だ。
「ふーん、へえぇ」
何に感心しているのかさっぱりだ。が、こちらのことなどお構いなしに、恵一は一度、大きくひとりで頷いた。
何故かキリリとした表情に変わり、俺の両肩に手を置く。
「俺の名前を覚えたか? 石山恵一だ。これからよろしくな、親友。仲良くしてくれ」
「ん? あ、うん、こちらこそ」
握手する。スポーツでもやっているのか、ごつい手だ。
「ってか親友? いったいどうしたんだいきなり」
「相手は学園のエリートだ。今のうちにお近づきになっておくに超したことない」
「エリート? 俺が?」
「そうさ、なんたって学園から乞われて入学したってことだから」
「いや、まぁ……」
「仲良くしてくれよ。初めてなんだよ、こんな機会」
「そんな大袈裟な」
「いやいや、大袈裟じゃないって。考えてみろよ、世界唯一だぜ? 兄妹で……」
「わーッ!!」
真姫が突然、叫んだ。その場の全員が、ビクッと飛び跳ねる。
「そこはこれからの説明会で話す内容だから、言わないで下さいッ!」
「そ、そうだった」
「私たちにとって凄く大切な事なんです。本当にお願いします」
真姫の珍しい大声で、俺は固まってしまう。怒っている、というより必死になっている様子だった。
その必死すぎる様子で俺は声が出せないでいた。
加奈ちゃんにとってもそうだったらしく、しばし目をパチパチさせていたが、すぐに我に返ったようだ。
「ごめんね真姫ちゃん。お兄ちゃんが口をすべらせちゃって」
「いいの。何事もなかったんだから」
「うぅん、ちゃんと謝らなくちゃ。ね、お兄ちゃんッ」
「ご、ごめん。迂闊だった」
「お兄ちゃんたら、たまに気が抜けるんだから」
兄を強めに嗜める加奈ちゃんは、さっきまでの雰囲気と打って変わって強気だ。実は尻に敷くタイプなのかも知れない。
「こちらこそ、急に大声出しちゃってすみませんでした」
真姫がぺこりと頭を下げる。
「あ、いや、こちらこそ、ホントにごめん」
「次は気をつけてねッ」
「ああ。ごめんな」
「あ、いや。別に」
何をどう受け止めればいいんだろう。
IT学園……
いいのか、俺、わけもわからないまま話を進めて。不安と疑念が頭の中を駆け巡り始める。何かうまい言い訳を考えて、引き返すか?
……と本気でそう思い始めたときだった。
「兄さん」
「ん?」
「……不安になっちゃった?」
「真姫」
真姫が俺の手を握る。柔らかい手の感触が手を包み込む。真姫は、するすると俺の手の指と指を絡ませ、自らの胸へと引き寄せた。
妹の柔らかく豊かな膨らみの狭間に俺の両手が誘われ、真姫は祈るような形で固定する。
「もしかしたら信じられないかもしれないけど……でも、私は、兄さんと、この先に進みたい」
真姫は俺の正面へと移動し、上目遣いで俺を見上げる。
「この先って……」
「兄さん。私のこと」
「……」
「信じて、くれる?」
俺達の手を祈るような形で包み込んだまま、真姫はこちらをじぃっと見上げてくる。
潤んだ瞳、淡い桃色の頬は、何かに恥じらっているようにも、泣き出しそうにも見えた。
普通にしていても美少女なのだ。こんな表情をしていると、整った顔に切なそうな色気が混じり、世界一の美少女なのではないかという想いまで生まれてしまう。
そんな美しさに魅了されていていい状況ではない。
だが、真姫は不安になっている。
俺の抱いている漠然とした心配なんかではない、もしかしたらもっと大きい、絶望にも近い感情なのではないか。
俺はハッとなった。
妹にこんな顔をさせるだなんて、俺は何をしてるんだ。俺が真姫に悲しそうな顔をさせるなんて、許されない。
信じてくれるかどうか?そんなの、答えはひとつしかない。
「信じるに決まってる」
「兄さん……」
「この学園で俺が何をするのかはまだわからないけど、真姫が俺をだましたりしないってのは信じてる」
「……兄さん」
俺は握り締められたままの手を、真姫の頬に当てる。真姫の頬は見た目通りに熱く火照っていた。
「お前はいつも俺の味方だったもんな。だらしない俺をいつも支えてくれた」
「兄さんは、だらしなくなんか……」
俺は真姫の頬を手で包み、ふにふにと揉む。もち肌の弾力が心地よかった。
「俺がお前の事を信じないハズがない。この先には俺達にとっていいことが待ってるんだろ?」
「……うん」
「だったらもう考える必要なんてない。先に行こう。もうだいぶ経ってる」
「うん……ありがと、兄さん」
ぎゅ、と握ってくる真姫の手に力がこもる。潤んだ瞳がゆらゆら揺れて、俺をまっすぐに見つめる。心なしか、唇がしっとりとしているように見えた。
我が妹ながらあまりにも愛くるしい。いつかは自分の手から離れると分かっていても、この手をまだ離したくはなかった。
「礼を言われるようなことじゃないさ」
「うぅん。そんなことない」
「俺はお前の兄貴なんだからな。妹のことを信じない兄なんていない」
「兄さん……」
「それに、こうして俺に懐いてくれる時間は、そろそろ貴重になってくるだろうしさ」
「そんなこと」
「少しでもお前にとっていい兄貴でいたい。エゴだよ」
「……」
「お前の事を独り占めできるうちは、いつまでだって独占させてもらうさ」
「……嬉しい」
真姫は俺の手を自らの口元に寄せ、目を閉じる。手の甲に暖かいぬくもりが触れた。吐息、だけではないような気がする。しっとりとした唇表面が、ちゅ、と弾む。
祈るような仕草にしては色っぽすぎるが、それも今のうちの役得だろう。
「……大好き」
真姫は溜め息をつくように小さくつぶやいたが、あいにく声が小さすぎて聞こえなかった。
「えっと! あー、その、それじゃ俺達はそろそろ行こうかなッ! な、加奈!」
「えッ!? あ、あぁッ、そうだねッ」
「はッ!?!?」
石山兄妹が揃って声をあげて、俺達は現実に引き戻された。あまりにも妹が可愛すぎて雰囲気に飲まれていたようだ。
真姫もそれに気づいたらしい。顔を真っ赤にして俺から離れる。
「あ、あのッ、さっきは、本当に、いきなり声だしちゃってすいませんでした」
真姫は深々と頭を下げて、丁寧なお辞儀をする。
「え? あ、そ、そっか、うん。いや俺が悪いんだからさ、はは」
「そ、そうだよ。お兄ちゃんにはちゃんと注意しておくからッ」
「いや、あまり気にしないでくださいね、本当に」
「は、はは……俺達、まだ用事があるからもう行くよ」
「うん、真姫ちゃん、お兄さん。またねッ」
加奈ちゃんは何故か顔を赤らめていた。恵一も何だか声が上ずっていた。
「あの、2人とも仲良くね」
もう十分仲良しじゃないかとは思ったが、言わないでおこう。
「にへへー。お二人ともねー。お幸せにッ」
「また会おうぜ」
恵一は加奈ちゃんと連れ添うように、俺達の行き先とは別の方向へと歩き出す。
その足取りは、やや千鳥足っぽかった。
「あの2人、ふらついてるぞ。大丈夫かな」
「さ、さぁ……」
真姫の反応もやや鈍い。何となくフワフワしているというか、浮き足立っているというか。
いきなりどうしたというのか。
「やっぱスゲェな、招待されたヤツらは」
「ホント。大胆だよねッ」
「人目のある場所でアレか……そりゃ来てくれって言われるワケだぜ」
「私もお兄ちゃんにあんな風にしてほしいなー」
石山兄妹は、やいのやいの言いながらも、仲良さそうに連れだって歩き出す。
さっき2人が現れたのとは違う方向へ伸びている通路の奥へと歩いて行き、またもや俺達は二人きりとなった。
通路には窓やドアなどがなく、ひたすらまっすぐに通路が続いている。照明で照らし出されたこの場所は、特に何があるわけでもないらしい。俺たちは歩き続けた。
ほどなくして突き当りに差し掛かると、そこにはエレベーターの扉があった。
そしてさっきのセキュリティチェックのプレートと同じものが、移動する階を選ぶボタンの隣についている。
「ここでも認証するのか?」
「そうみたい」
「ずいぶん厳重なんだな」
「うん……」
真姫は言葉少なにカードをセキュリティのプレートにかざし、ロックを解除する。即座にエレベーターの扉が開いた。
「行きましょ。遅れちゃう」
「あぁ」
俺は真姫に促されるまま、エレベーターに乗り込んだ。
この建物は学園の付属施設ということだが、実際には独立した建物ではなく学園の地下にあるらしい。案内状は簡素な紙だけなので、具体的な内容が分かりづらい。
取り敢えず嘘は書いていないみたいだが、これからどうなることやら。
エレベーターの階数表示は2、1、B1、B2となっている。俺たちが向かっているのはB1だ。
エレベーターが移動をし始めてからやや長めの間を置いてから、到着を知らせる電子音が響き、扉が開いた。
「……なんだ、ここ」
エレベーターから出ると、そこは別世界のようだった。
広大な室内の床にはカーペットが敷き詰められ端には大型のテーブルと、そこをぐるっと囲むように柔らかそうなソファが整然と置かれている。
建築素材からして柔らかみがある。クリーム色の暖かみのある色調の壁面に、よく分からないがオシャレな模様が所々に刻み込まれている。
学園の講義堂や部活、サークル棟は鉄筋の無機質な造りで、まさに学園という感じだった。
ここは違う。学園というより何らかの娯楽施設のように見える。
「……ここ、学園の中なんだよな」
「そうみたい」
「本当にここが目的地なのか?」
「案内状にはそう書いてあるよ」
真姫が案内状を俺に見せる。たしかに会場案内図のとおりである。こんな内装とは全くどこにも書かれていないが。
「こんな時間に、こんな場所で、妹連れの学部説明会か」
立ち尽くしたまま周囲を見渡してみる。
シャンデリアが高い天井から吊り下がっていて、煌びやかに輝いている。微妙に色合いの異なるガラスでこしらえられているシャンデリアのようだ。
お陰で部屋の照明が色彩がかって、正確な色調が分かりづらい。
大きい間取りの部屋の奥の方には柔らかそうなソファとガラス製の高そうなテーブル、そして壁に埋め込まれた48インチほどのモニタがある。
大企業の受付のようなカウンターがあるが、今の時間は誰もいないようだ。
かなりの規模で作られている設備だった。
一般的な学園のイメージとはあまりにもかけ離れすぎている。その上、信じられないほどに本格的だ。
「こんな場所だとは思ってもみなかったな」
「そうだよね。ステキ」
「うん。いいよな、こういう雰囲気」
造りが派手すぎる気はするが、大人っぽい雰囲気に遊び心も垣間見えて、施設としては素晴らしいと思う。
「普段は何につかうんだろうな」
「……なんだろうね」
「講義や勉強会なんかには向いてなさそうだし、新年会や忘年会とか、あとは結婚式とかかな」
「け、結婚式……!?」
「ん? ああ、場所はまぁとにかく、こういう雰囲気のトコで結婚式を上げられれば、一生の思い出になるだろうな」
「な、なに言ってるの兄さんッ!?」
「ん?」
妹の上ずった声に、ちらっと隣の様子を伺ってみると、
「ッ」
上目遣いで俺を見上げていた真姫と真正面から目があった。
真姫は両目をまん丸に広げ、俺の顔をまっすぐに見上げている。目元と両方の頬がほんのりと紅に染まっている。
驚きと恥じらいの入り交じったような表情だ。
真姫はしばし俺を直視していたが、淡い桃色の唇から「あわわ」という小さい声を吐息とともに漏らした。
「待って。あまりこっち見ないで」
真姫は両手を頬で挟むような格好で慌てて顔をそらす。声はひどく弾んでいて、露骨に動揺しているのがわかる。
「いきなりどうしたんだ?」
真姫は両手を頬に当てたポーズのまま、俺の方を視線だけで再び見つめ返す。
「兄さんが変なこと言うからでしょッ」
「へんなこと?」
「私たち、兄妹なのに!」
「……?」
「た、たしかに、ここに来たからには、そういうことも考えなきゃいけないけどッ」
「ん? え?」
「でも、まだちゃんと説明を聞いてないじゃない!」
「????」
「どういう条件をクリアすればいいのかもわからないしッ」
「条件?」
「それに、姉さんもいるし、結だっているの。まだ私たちがそうなるって決まったわけじゃ……」
真姫が何を言ってるのか分からん。
「わ、私もそうなりたいとは思うけどッ! でも、まだそんな段階じゃないって言うか……」
「ちょっと待った。ストップ」
「え、え?」
「まずは落ち着け」
「で、でも」
「さっきから何の話してるんだ?」
「えッ?」
「何に動揺してるんだ? 俺、変なこと言った?」
「や、だから、その……結婚式、とか」
「おかしかったか?」
「え」
「それくらい広くていいとこだなっていう意味だったんだけど、おかしいか?」
「あ、それは……」
「今日の真姫はやっぱり変だよ。ここに来たことと関係あるのか?」
「それは、その……」
「うん」
「な、内緒ッ」
わけがわからない。ここに来る前から様子が変だったが、輪をかけて変だ。事情を聞いても話してはくれないだろうから、聞けないんだろうが……気になる。
「あーッ! 真姫ちゃんッ」
突然、遠くの方から甲高い声が響き、俺達は同時にそちらを見た。
大広間の向こうには通路があり、先が見えないくらい長く続いている。
その入り口の辺りの場所に、1人の少女が立って手をぶんぶん振っていた。
「加奈ちゃん」
「さっき電話してた子か?」
「うん。あの子も、お兄さんと一緒に説明会なの」
真姫が少しほっとしたように、手を振り返す。さっきまでの焦りが和らいだようだ。
「真姫ちゃーんッ」
少女は勢い良く手を振りながら、駆け足でこちらに走り寄ってくる。
丸い目を一杯に見開き満面に笑みを湛える少女は、真姫よりも一回り体躯が小さめに見えた。
「久しぶりーッ。元気だった?」
「加奈ちゃん……ずいぶんご機嫌だね」
「それはもう、ねッ」
真姫とハイタッチする彼女は、どうやらすこぶる上機嫌のようだ。
なだらかな輪郭の顔立ちに丸くぱっちりとした目、ぷっくりとした唇は微笑みに彩られ、愛嬌たっぷりだ。
やや大人びた真姫の友達という割に、可愛らしい童顔という印象だった。
ストレートの長髪を胸元くらいまで垂らした髪型で、その頭頂部の右側辺りを青いリボンで軽く結っている。
真姫と同じか、少しばかりふくよかなくらいの、年相応の標準体型だ。
大胆に肩を出したトップス、膝まで露出したフリル付きミニスカートという出で立ちである。アクセサリーのチョーカーとネックレスがポイント高い。
相手を信頼しきっていて裏表のなさそうな表情や、足どりがやや覚束無いあたり、子供っぽさも感じる。健康的に焼けた小麦色の肌も、活発な少女に似つかわしい雰囲気を醸し出している。
「今日の加奈ちゃん、おしゃれだね」
「えっへへー。似合ってる?」
「うん。すごく可愛い。とっても似合ってるよ」
「ありがとー。真姫ちゃんも可愛いよー」
女子同士のやりとりに俺みたいなのが紛れ込んでいると、何だか野暮ったいことをしているような気分になってしまう。
俺は視線をそらし、加奈ちゃんが現れた通路に目をやった。
「それにしても遅かったねッ。今ついたところ?」
「そうなの。心配かけてごめんね。迷っちゃった」
「もしかしてここに来るの初めてだった?」
「こっちから入るのは初めてなの。だからセキュリティチェックがあるなんて知らなくて」
「今日くるんだったら教えてくれれば良かったのにー。そしたら一緒に来られたじゃん」
「ごめんね」
「やだ、謝らないでよー」
これがこの2人の普段の様子らしい。とにかく明るい加奈ちゃんと、それにおとなしく付き合う真姫という構図か。
性格は真逆だが気が合うようだ。
「あ、じゃあ、こちらの方が真姫ちゃんの?」
「うん。私の兄さん」
「わあ、やっぱりッ!」
加奈ちゃんは手をぱあんと叩き、妹から俺の方へと向き直る。
「初めましてッ! 私、真姫ちゃんの友達の石山加奈って言います!」
「加奈ちゃんとは小学校からの友達なの」
「初めまして。妹と仲良くしてくれてありがとう」
「どういたしましてッ!」
こちらが釣られて笑みが浮かぶほど元気いっぱいだ。
「そっかぁ、遂に真姫ちゃんも一歩踏み出すのかぁ」
「ちょ」
「良かったじゃん! 夢が叶ったね!」
夢?
「か、加奈ちゃんッ」
「真姫ちゃん、小さい頃からずっと言ってたもんねッ。絶対にお兄ちゃんと……」
「わ、わッ! ダメ、ストップ!!」
「え? どうしたの?」
「まだだから、私たち。これからなの」
「え、まだって……何が?」
「初めての説明会なの、今日が。学園での、だけじゃなくて、何もかも全部」
「ぜんぶ?」
「えっと、だから、兄さんは学園の詳しいことを何も知らないの」
「何もって……なにも?」
「うん。これから初めての説明会だから、兄さんは、まだ何も」
「はぇ? そういうパターンありなの?」
「特例なの」
「はぇえー?」
何やら深く息を吐きだし、加奈ちゃんは俺と真姫を交互に見比べる。
この子も俺の知らない事情を知ってるらしい。何も知らないのは俺だけか?
まん丸の目で俺をまじまじと見る加奈ちゃんは、珍しい動物を観察しているようにも見える。
そんな珍しがられるような事態なのか……
「……あのね」
と、真姫が口を開きかけた時、
「おーい、加奈。どこまで行ったんだよ」
先ほど加奈ちゃんが訪れた通路から、場違いな声が聞こえてきた。
「お兄ちゃんッ」
加奈ちゃんがまたもや駆け出し、その声の主へと走り寄っていく。
お兄ちゃんと言っていたから、一緒に来たお兄さんのことだろう。
白いボーダー柄のシャツに薄手のジャケット、黒いスキニーというスマートなファッションを華麗に着こなしている。
端正な顔立ちに長い脚が目立つ高身長と、モテる男の見本のような外見だ。
「行ったきり帰ってこないから心配したんだぜ」
「ごめんねー」
「しかたないヤツ」
お兄さんは加奈ちゃんの頭を撫でながら抱き寄せる。
「んふぅ」
手櫛で髪を梳かれるたび、加奈ちゃんが気持ちよさそうに鼻を鳴らし、それが年不相応の色っぽさを滲ませていた。
「お兄ちゃん。大好き」
「わんぱくなのもいいけど、ちょっとは落ち着けよ」
「分かってるんだけどぉ。お兄ちゃんと一緒の時は、どうしても嬉しくなっちゃって」
「俺と加奈はいつも一緒だろ」
「えへへー」
仲がよさそうで何よりだ。年の割にはちょっと仲良しすぎる気がするが。
その彼が、俺たちの姿に気づいたようだ。ぺこりとお辞儀をしてきた。俺たちも倣って頭を下げる。
「いつもお世話になってます。加奈ちゃんの友達の伊藤です」
「ああ、いつも加奈が話してる子だ。えっと、確か」
「真姫ちゃんだよ」
「そうそう、その真姫ちゃん。じゃあ、隣の人は、お兄さん?」
「はい。伊藤巧といいます。いつもうちの妹がお世話になってます」
「石山恵一です。よろしく。今年入学?」
うなずく。
「じゃあ同級生だ。堅苦しいのは無しでいこうぜ」
恵一はいきなり相好を崩し、握手を求めてくる。手を握り返すと、ぐっと力を込めてきた。ぽんぽんと俺の肩を叩く。
「お互いいい時代に生まれてきたモンだよなッ」
「いい時代?」
「そりゃもう」
恵一は訳知り顔であるが、あいにく俺は詳しい事情をまだ知らない。
「どうした? ノリ悪いな」
「お兄ちゃん。真姫ちゃんのお兄さん、まだこの学園のことを何も知らないんだって」
「何も知らないって?」
「あー……あぁ。色々あるんだけど、簡単に説明する」
俺は経緯をかいつまんで説明した。
「へ? マジで? お前、選抜入学じゃないの?」
彼もまた、自身の妹と同じような反応だった。というか選抜入学ってなんだろう? 聞きなれない言葉だ。
「へぇえ。選抜入学じゃないって、どうやってこの学園を知ったんだ?」
「いや……卒業した母校の担任に言われたんだ。俺に入学して欲しいって直接問い合わせがあったらしい」
「名指し? そりゃまた凄ぇな」
本気で感心しているようだ。何が凄いというのかが分からん。
「そういや、招待入学の生徒が何人かいるっていうのは聞いてたけど、その1人か」
「招待入学?」
これもまた聞きなれない言葉だ。
「ふーん、へえぇ」
何に感心しているのかさっぱりだ。が、こちらのことなどお構いなしに、恵一は一度、大きくひとりで頷いた。
何故かキリリとした表情に変わり、俺の両肩に手を置く。
「俺の名前を覚えたか? 石山恵一だ。これからよろしくな、親友。仲良くしてくれ」
「ん? あ、うん、こちらこそ」
握手する。スポーツでもやっているのか、ごつい手だ。
「ってか親友? いったいどうしたんだいきなり」
「相手は学園のエリートだ。今のうちにお近づきになっておくに超したことない」
「エリート? 俺が?」
「そうさ、なんたって学園から乞われて入学したってことだから」
「いや、まぁ……」
「仲良くしてくれよ。初めてなんだよ、こんな機会」
「そんな大袈裟な」
「いやいや、大袈裟じゃないって。考えてみろよ、世界唯一だぜ? 兄妹で……」
「わーッ!!」
真姫が突然、叫んだ。その場の全員が、ビクッと飛び跳ねる。
「そこはこれからの説明会で話す内容だから、言わないで下さいッ!」
「そ、そうだった」
「私たちにとって凄く大切な事なんです。本当にお願いします」
真姫の珍しい大声で、俺は固まってしまう。怒っている、というより必死になっている様子だった。
その必死すぎる様子で俺は声が出せないでいた。
加奈ちゃんにとってもそうだったらしく、しばし目をパチパチさせていたが、すぐに我に返ったようだ。
「ごめんね真姫ちゃん。お兄ちゃんが口をすべらせちゃって」
「いいの。何事もなかったんだから」
「うぅん、ちゃんと謝らなくちゃ。ね、お兄ちゃんッ」
「ご、ごめん。迂闊だった」
「お兄ちゃんたら、たまに気が抜けるんだから」
兄を強めに嗜める加奈ちゃんは、さっきまでの雰囲気と打って変わって強気だ。実は尻に敷くタイプなのかも知れない。
「こちらこそ、急に大声出しちゃってすみませんでした」
真姫がぺこりと頭を下げる。
「あ、いや、こちらこそ、ホントにごめん」
「次は気をつけてねッ」
「ああ。ごめんな」
「あ、いや。別に」
何をどう受け止めればいいんだろう。
IT学園……
いいのか、俺、わけもわからないまま話を進めて。不安と疑念が頭の中を駆け巡り始める。何かうまい言い訳を考えて、引き返すか?
……と本気でそう思い始めたときだった。
「兄さん」
「ん?」
「……不安になっちゃった?」
「真姫」
真姫が俺の手を握る。柔らかい手の感触が手を包み込む。真姫は、するすると俺の手の指と指を絡ませ、自らの胸へと引き寄せた。
妹の柔らかく豊かな膨らみの狭間に俺の両手が誘われ、真姫は祈るような形で固定する。
「もしかしたら信じられないかもしれないけど……でも、私は、兄さんと、この先に進みたい」
真姫は俺の正面へと移動し、上目遣いで俺を見上げる。
「この先って……」
「兄さん。私のこと」
「……」
「信じて、くれる?」
俺達の手を祈るような形で包み込んだまま、真姫はこちらをじぃっと見上げてくる。
潤んだ瞳、淡い桃色の頬は、何かに恥じらっているようにも、泣き出しそうにも見えた。
普通にしていても美少女なのだ。こんな表情をしていると、整った顔に切なそうな色気が混じり、世界一の美少女なのではないかという想いまで生まれてしまう。
そんな美しさに魅了されていていい状況ではない。
だが、真姫は不安になっている。
俺の抱いている漠然とした心配なんかではない、もしかしたらもっと大きい、絶望にも近い感情なのではないか。
俺はハッとなった。
妹にこんな顔をさせるだなんて、俺は何をしてるんだ。俺が真姫に悲しそうな顔をさせるなんて、許されない。
信じてくれるかどうか?そんなの、答えはひとつしかない。
「信じるに決まってる」
「兄さん……」
「この学園で俺が何をするのかはまだわからないけど、真姫が俺をだましたりしないってのは信じてる」
「……兄さん」
俺は握り締められたままの手を、真姫の頬に当てる。真姫の頬は見た目通りに熱く火照っていた。
「お前はいつも俺の味方だったもんな。だらしない俺をいつも支えてくれた」
「兄さんは、だらしなくなんか……」
俺は真姫の頬を手で包み、ふにふにと揉む。もち肌の弾力が心地よかった。
「俺がお前の事を信じないハズがない。この先には俺達にとっていいことが待ってるんだろ?」
「……うん」
「だったらもう考える必要なんてない。先に行こう。もうだいぶ経ってる」
「うん……ありがと、兄さん」
ぎゅ、と握ってくる真姫の手に力がこもる。潤んだ瞳がゆらゆら揺れて、俺をまっすぐに見つめる。心なしか、唇がしっとりとしているように見えた。
我が妹ながらあまりにも愛くるしい。いつかは自分の手から離れると分かっていても、この手をまだ離したくはなかった。
「礼を言われるようなことじゃないさ」
「うぅん。そんなことない」
「俺はお前の兄貴なんだからな。妹のことを信じない兄なんていない」
「兄さん……」
「それに、こうして俺に懐いてくれる時間は、そろそろ貴重になってくるだろうしさ」
「そんなこと」
「少しでもお前にとっていい兄貴でいたい。エゴだよ」
「……」
「お前の事を独り占めできるうちは、いつまでだって独占させてもらうさ」
「……嬉しい」
真姫は俺の手を自らの口元に寄せ、目を閉じる。手の甲に暖かいぬくもりが触れた。吐息、だけではないような気がする。しっとりとした唇表面が、ちゅ、と弾む。
祈るような仕草にしては色っぽすぎるが、それも今のうちの役得だろう。
「……大好き」
真姫は溜め息をつくように小さくつぶやいたが、あいにく声が小さすぎて聞こえなかった。
「えっと! あー、その、それじゃ俺達はそろそろ行こうかなッ! な、加奈!」
「えッ!? あ、あぁッ、そうだねッ」
「はッ!?!?」
石山兄妹が揃って声をあげて、俺達は現実に引き戻された。あまりにも妹が可愛すぎて雰囲気に飲まれていたようだ。
真姫もそれに気づいたらしい。顔を真っ赤にして俺から離れる。
「あ、あのッ、さっきは、本当に、いきなり声だしちゃってすいませんでした」
真姫は深々と頭を下げて、丁寧なお辞儀をする。
「え? あ、そ、そっか、うん。いや俺が悪いんだからさ、はは」
「そ、そうだよ。お兄ちゃんにはちゃんと注意しておくからッ」
「いや、あまり気にしないでくださいね、本当に」
「は、はは……俺達、まだ用事があるからもう行くよ」
「うん、真姫ちゃん、お兄さん。またねッ」
加奈ちゃんは何故か顔を赤らめていた。恵一も何だか声が上ずっていた。
「あの、2人とも仲良くね」
もう十分仲良しじゃないかとは思ったが、言わないでおこう。
「にへへー。お二人ともねー。お幸せにッ」
「また会おうぜ」
恵一は加奈ちゃんと連れ添うように、俺達の行き先とは別の方向へと歩き出す。
その足取りは、やや千鳥足っぽかった。
「あの2人、ふらついてるぞ。大丈夫かな」
「さ、さぁ……」
真姫の反応もやや鈍い。何となくフワフワしているというか、浮き足立っているというか。
いきなりどうしたというのか。
「やっぱスゲェな、招待されたヤツらは」
「ホント。大胆だよねッ」
「人目のある場所でアレか……そりゃ来てくれって言われるワケだぜ」
「私もお兄ちゃんにあんな風にしてほしいなー」
石山兄妹は、やいのやいの言いながらも、仲良さそうに連れだって歩き出す。
さっき2人が現れたのとは違う方向へ伸びている通路の奥へと歩いて行き、またもや俺達は二人きりとなった。
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