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4 ケロニサロン
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「もそっと離れろ鬱陶しい」
「無理言うな、ベットが狭いんだから仕方無いだろう」
「ならば貴様は床に寝ろ」
「寒くて風邪を挽くだろ」
「大丈夫じゃ、頭の中身が薄い奴は風邪を挽かん」
「知力は俺の方が上だ」
”ガブリ”
「悪かった、俺が悪かった。だから噛むのは止めろ」
俺達は夕刻前にケロニサロンの外周壁に辿り着いた。
主街道からは遠く離れた検問所なので、通行札の形だけの確認で無事門を通り抜けられた。
門前の広場で適当な箱車に乗り、適当な駅で降りた。
箱車とは辛うじて二人が並んで座れるくらいの木箱を数十個連結して軌条の上を走行させる荷車のことである。
回転石と呼ばれる回転する魔道具を車軸に埋め込んで人や荷を運んでいる。
人がゆっくり走る程度の早さで細い路地や屋根を跨ぐ様に設置された軌条の上を走り抜けて行く。
変化に富んだ光景にアムはもちろん俺も大喜びで見入っていた。
一時間程乗った後、小さな駅で降りた。
俺はケロニサロンの広さを舐めていた。
ケロニサロンは二百五十六もの町が集まった広大な区域だったのだ。
ケロニサロンの外周に設置されている外壁は、東西南北四十キロ、総延長百六十キロに及ぶとも言われている。
知識のない俺は単にケロニサロンへ行く事のみを目指したので、到着後に向かう町までは考えて無かった。
だから気分による場当たり的な行動で目的地を決めるしかなかった。
要するに、俺達は木箱の中で尻が痛くなったので箱車を降りたのである。
駅と言っても倉庫に囲まれた殺風景な場所だった。
切り離された箱車が倉庫の中に吸い込まれて行く。
何もないホームの端にある狭い階段で地上に降りた。
小さな木造の駅舎で料金を払い町に出る。
倉庫の間の暗い通路を抜けて、夕闇に沈む町の中を魔灯の明かりを目印に人の多い場所を目指した。
魔灯の間隔が短くなり、直に人の笑い声と話し声が聞こえて来た。
路地を左に折れると急に明るくなり、酔っぱらいの騒ぐ声が聞こえる騒がしい場所に辿り着いた。
半透明の窓ガラスに人影が踊っている。
「よう、可愛い嬢ちゃん。おじさんと飲まないかい」
「この無っ、モガモガ」
口と剣を抜こうとする手を押さえて抱え込む。
この数日は大人しかったので忘れていたが、基本的には剣で人の飯を強奪しようとする餓鬼だった。
「駄目だぜとっちぁん、此奴は俺のだ」
「ヒック、あんちゃんそりゃ俺が悪かった。頑張ってヒイヒイ言わせてやれや」
「?ああ、善処する」
アムが俺を睨み付けている。
口を大きく開いて、可愛い犬歯を剥いて、ん、あっ不味い。
婆さんが新しい攻撃方法を此奴に教えた様だ。
殴り飛ばそうかと思ったが、女の餓鬼を殴る事は人間として失格だと婆さん言われている。
俺は腕をさすりながら宿を探すこととなった。
酒場は宿を兼ねている店が多かった。
看板の料理の絵の脇にベットが小さく描かれているのだ。
石造りの長い四階建ての連棟に思い思いの看板が並べられている。
そんな酒場地区の一画に、場違いな感じで建っていたログハウスを見つけた。
客も静かで山暮らしだった俺は、木の温もりに妙な安心感を感じた。
辛うじて一室空いていたので宿泊を頼んだ。
宿の風呂で汗を流してから、食堂で夕飯を食う。
煮戻した干し肉と葉菜と根菜の煮物、味付けはバターと香草の様だった。
白パンに薄く切った干し肉と葉菜を乗せてソースをかける。
タギと呼ばれる直径が三十センチ程の大きな玉葱を刻み、ミニキャロットと迷宮キノコ、大豆の様なミシャ豆とクルヌの木の芽を煮込んだ具沢山なスープ。
サモと呼ばれる冬瓜くらいの大きさの芋を刻んで油で揚げたものがメニューだった。
冒険者向けの宿なので、ボリュームは満点だ。
アムも美味そうに食っていた、此奴は軍事行動に慣れているので意外に食い物に関する文句は言わない。
これにワインの飲み放題が付いて、二人一泊で銀貨六枚だ。
しかも明日の朝飯と昼の弁当も付いている。
町の物価の高さを心配していたが、冒険者に優しい町の様だ。
婆さんの所で受け取った金額は金貨二枚と銀貨六十三枚なので当面の心配は無い。
部屋の鍵を受け取ってから、四杯目のワインに手を伸ばすアムをテーブルから引き剥がして部屋に向かった。
屋根裏の小さな部屋でベットは一つしか無かった。
俺達は此処の町に隠れ住む積もりでいる。
宿の親父に聞いたら此処はプセロというケロニサロンでは至って平凡な町だった。
歴史は多少長いが、平均的な人口、平均的な冒険者数、平均的な魔石の産出量の町だ。
地下迷宮への降り口である転送石が二カ所、地下迷宮から戻る為の転送石が二カ所。
この転送石が置かれた四カ所の広場を中心に町並みが形成されている。
この宿は、西入りと呼ばれる広場の近くの風の精霊通りと呼ばれる名前だけメルヘンチックな酒場街の一画に建っていた。
船乗り出身の冒険者が多く移り住んだ場所らしく、メルヘンチックな名前とは裏腹に気性に荒い住民が多いらしい。
屋根の両端に飾ってある風の精霊の小さな彫像は、船に飾ってあったお守りだそうで、その可愛らしい外見と異なり、風の精霊はもの凄く好戦的な性格なので魔除けや嵐除け、戦いのお守りも兼ねているとの話だった。
似た様なのが身近に居た気もしたが、こっちは妖精じゃなくて疫病神だ。
俺の直ぐ脇で幸せそうな顔をして小さな寝息を立てている。
翌朝、宿の主人に冒険者ギルドの場所を聞いた。
なぜかそれが当たり前の様な気がしたのだ。
「冒険者ギルドの場所を教えてくれ」
「そんな物無いぞ」
取り敢えず、俺の背後で”役立たず”とか”知ったか振りが”とか”恥曝し”とか言って俺を蹴飛ばしているアムの頭に一発グリグリをかませてから、再度聞き直す。
「迷宮の情報や仕事の情報を聞きに行きたいんですが」
「それならば神殿に行けば良いよ。今からならば初心者向けの講習会を銀貨一枚でやってる筈だからな。それとな、此処は迷宮の町だから雑仕事は引退した年寄り向けで若い連中向けの依頼は無いと思うぞ」
神殿への行き方を地図に書いてくれた。
神殿は西出の広場と東出の広場にあり、魔石の買い取りやレベルアップの祈祷もしてくれるそうだ。
どちらも同じ様な距離だったが、若干近い様に思えた西出の神殿に向かった。
神殿に奉られているのは迷宮神だ。
この世界では人類に努力と困難に挑戦する大切さを教えるために、神が試練として迷宮を作ったと信じられている。
試練に打ち勝った褒美として神は魔石を人類に与え、人類の発展を促していると言うのである。
神の存在を疑う者はいない、迷宮の上や中で殺人が起これば、神の宣告が有ってから殺人者は煙になって迷宮に吸い込まれるのだ。
さらに迷宮上で争いが生じた時も神に審判を問えば答えてくれるのである。
だから迷宮の町には裁判所は無い。
法律も過去の神の判断に基づいて作られているのだ。
地図を見ながら曲がりくねった路地を抜けて西出の広場に到着した。
百メートル四方くらいの広さで、中央に十メートル角の大きな黒い石の立方体が置かれている。
広場の周りには八百屋や肉屋、魚屋や雑貨屋、古着屋や金物屋等の日常品の店と食堂や酒場などが並んでおり、その中で一際大きな建物が神殿で、庇や窓枠、入り口の扉等に白いガラス細工の飾りを施し、ステンドグラスの窓が美しい建物だった。
この世界にはガラス製品が豊富に有る。
建物の窓には半透明の窓ガラスが填め込まれ、食器も白いガラス製が多かった。
ガラス産業が発達している、原料は魔石を使った後に残る白い砂なので安価且つ豊富に入手できるのだ。
白い砂は比較的低温で溶けてしかも軽い。
特殊な魔道技術でガラスと金属の合金も作られており、アムの剣もガラスと銀の合金だ。
神殿の扉は開かれており、入り口正面の白いベンチの並んだ礼拝堂は、ステンドグラスの絵がベンチに写り幻想的だった。
入口脇の受付らしき場所で訪問理由を説明すると、申し込み用紙を渡された。
名前、国籍、宿の住所、順次記入して行く。
勿論通行札に書いてある偽名の方だ。
銀貨二枚を添えて手渡すと、二階の机の並んだ教室の様な場所に通された。
椅子が受講者で埋まると講習が始まった。
教材が配られ、開くと迷路図と注意事項を書き出した紙だった。
講習は二時間くらいで終わった。
受講前は元気に燥いでいた受講者達は、終了後には重く暗い雰囲気を纏って退出して行った。
だが、これは俺達も同様である。
迷宮へは地上にある二カ所の転送石と呼ばれる石の箱から入る。
十メートル角の大きな立方体で、表面が虹色に輝いているそうだ。
虹色に輝く面には魔法結界が張ってあり、ケロニサロンの通行札を持つ者のみが通過できる。
冒険者レベルが五以下の者は一層、五を超える者は二層へと冒険者のレベルに応じた階層に転送してくれる。
なお、パーティーでレベルの異なる者が混在している場合、最低レベルの者に合わせた層に飛ばされるそうだ。
飛ばされる先は、なんとランダム、迷路内に降り立つまで飛ばされた場所は解らないらしい。
同じ場所に飛べる人数の上限は八人で、一緒に行動したい者は互いに手を繋いで転送石を潜るそうだ。
迷路そのものは予想以上に広く複雑だった。
基本的な形は十メートル四方の正方形の部屋と幅五メートル長さ二十メートルの通路の組み合わせで、通路は真っ直ぐだったり曲がったりと何種類か有る。
部屋には必ず三つの幅二メートル、高さ二メートの開口部があり、通路や隣接する部屋と繋がっている。
迷路全体は大きな正方形で、中央に正方形の大きな空白地帯があり、その周りを部屋や通路が埋めているのだ。
単純な構造と思われるが、これが六万千四百四十もの部屋と通路で埋め尽くされているとなると話は異なってくる。
地上への出口となる転送壁のある部屋が空白地帯の右上隅と左下隅にあり、右上の転送壁は東出の転送石、左下の転送壁は西出の転送石に繋がっているとの事だ。
転送石を潜った後は、飛ばされた場所も解らない状態からこの二カ所の出口を目指さなければならないのだ。
迷路の中で出口を探すだけでも大変なのだが、迷宮なので当然魔獣が徘徊している。
一層の魔獣は四足獣、鼠や犬と聞いて受講者から安堵の息や笑い声が漏れたし俺も少々安堵した。
が、迷路全体で六万千四百四十匹生息し、倒しても一晩でリポップすると聞いて凍り付いた。
鼠や犬は群を作る習性がある。
最初に一部屋、一通路に一匹の割合で再生するのだが、迷路内を徘徊して数時間で大きな群に変わって行く。
中心地帯に近い場所は移動を制限する扉が多いため群の規模も小さいが、外周部では扉のある部屋が少ないので群の規模も大きくなる。
数千匹単位の群が出来ている可能性も有るのだ、たまたまそんな場所に放り込まれたら万事休すだ。
教官役の神官からのアドバイスとしては
①慣れないうちは他のパーティーの狩が終わった安全な時間帯に入ること
②他のパーティーと合ったら必ず合流して多人数で行動すること
③優秀な地図役をパーティーに加えて、危険区域からいち早く離脱すること
④装備をきちんと整えること
⑤戦闘スキルの無い者は修行を積んでから入ること
等が説明された。
得られる魔石は魔獣一匹につき一個、鼠の魔石は一個銀貨一枚、犬の魔石は銀貨二枚から五枚で引き取ってもらえる。
一層の冒険者は約六千人なので単純計算で一人頭一日十数個の魔石が得られる。
二層ならば魔獣の落とす魔石は一個銀貨四枚以上、三層ならば銀貨八枚以上だ。
命懸け対価としては微妙だが、他の仕事の報酬よりも高額である。
若者向けの求人が少ないのも納得できる。
説明の最後は教官から通行札回収の要望だった。
迷路内には衣服、装備、通行札が落ちていることが有るので、衣服と装備は発見者の取得物として差し支えないが通行札は遺族に形見として渡したいので神殿に渡して欲しいとの要望だ。
講習会場は静まり返った。
そして最後に、迷宮探索は神から与えられた神聖な試練であり、迷宮内でたとえ倒れても迷宮神の御身元への安らかな旅立ちが保証されているので頑張って欲しいとの激励があった。
真実かどうか知っている経験者がいたら教えて欲しい。
神殿を重い足取りで出る。
神官は迷宮に入らないそうだ、迷える子羊達を励まして地獄の門を潜らせるのが役目なのだろうか。
「アム、迷宮に入るのは止めないか。俺はまだ鼠に食われて死にたく無い」
「ふん、意気地無しが。童一人でも行くぞ。童には夢が有る」
「なんだ、世界征服か」
「それは弟に任せる。童には子供の頃から心に決めた恋人がおる」
まだ十分此奴は子供だと思うのだが。
「幼い頃に読み聞かされた童話の中に聖女様と勇者様の冒険談が有っての、その話は迷宮に掠われた聖女様が勇者様に助け出される話なんじゃ。迷宮を彷徨よっていた聖女様と勇者様が偶然出合うんじゃ。感動的での」
手を胸の前で組んで、瞳はキラキラと夢見る少女状態だ。
「幼い頃、童はこの外見じゃから聖女様と呼ばれておった。じゃから迷宮に入れば勇者様に会えると信じておった。童も世の中の理は十分学んだ。じゃから夢と現実の区別は十分に解る。じゃが心は別じゃ、勇者様が童の永遠の恋人で、迷宮に入れば会えると信じたいのは今も一緒じゃ。笑いたくば笑うがよい」
頬を赤らめながら俺を睨みつけてから、アムは一人で先を歩き始めた。
俺は溜息を吐いて後を追う。
おーいアム、方向が逆だ。
「無理言うな、ベットが狭いんだから仕方無いだろう」
「ならば貴様は床に寝ろ」
「寒くて風邪を挽くだろ」
「大丈夫じゃ、頭の中身が薄い奴は風邪を挽かん」
「知力は俺の方が上だ」
”ガブリ”
「悪かった、俺が悪かった。だから噛むのは止めろ」
俺達は夕刻前にケロニサロンの外周壁に辿り着いた。
主街道からは遠く離れた検問所なので、通行札の形だけの確認で無事門を通り抜けられた。
門前の広場で適当な箱車に乗り、適当な駅で降りた。
箱車とは辛うじて二人が並んで座れるくらいの木箱を数十個連結して軌条の上を走行させる荷車のことである。
回転石と呼ばれる回転する魔道具を車軸に埋め込んで人や荷を運んでいる。
人がゆっくり走る程度の早さで細い路地や屋根を跨ぐ様に設置された軌条の上を走り抜けて行く。
変化に富んだ光景にアムはもちろん俺も大喜びで見入っていた。
一時間程乗った後、小さな駅で降りた。
俺はケロニサロンの広さを舐めていた。
ケロニサロンは二百五十六もの町が集まった広大な区域だったのだ。
ケロニサロンの外周に設置されている外壁は、東西南北四十キロ、総延長百六十キロに及ぶとも言われている。
知識のない俺は単にケロニサロンへ行く事のみを目指したので、到着後に向かう町までは考えて無かった。
だから気分による場当たり的な行動で目的地を決めるしかなかった。
要するに、俺達は木箱の中で尻が痛くなったので箱車を降りたのである。
駅と言っても倉庫に囲まれた殺風景な場所だった。
切り離された箱車が倉庫の中に吸い込まれて行く。
何もないホームの端にある狭い階段で地上に降りた。
小さな木造の駅舎で料金を払い町に出る。
倉庫の間の暗い通路を抜けて、夕闇に沈む町の中を魔灯の明かりを目印に人の多い場所を目指した。
魔灯の間隔が短くなり、直に人の笑い声と話し声が聞こえて来た。
路地を左に折れると急に明るくなり、酔っぱらいの騒ぐ声が聞こえる騒がしい場所に辿り着いた。
半透明の窓ガラスに人影が踊っている。
「よう、可愛い嬢ちゃん。おじさんと飲まないかい」
「この無っ、モガモガ」
口と剣を抜こうとする手を押さえて抱え込む。
この数日は大人しかったので忘れていたが、基本的には剣で人の飯を強奪しようとする餓鬼だった。
「駄目だぜとっちぁん、此奴は俺のだ」
「ヒック、あんちゃんそりゃ俺が悪かった。頑張ってヒイヒイ言わせてやれや」
「?ああ、善処する」
アムが俺を睨み付けている。
口を大きく開いて、可愛い犬歯を剥いて、ん、あっ不味い。
婆さんが新しい攻撃方法を此奴に教えた様だ。
殴り飛ばそうかと思ったが、女の餓鬼を殴る事は人間として失格だと婆さん言われている。
俺は腕をさすりながら宿を探すこととなった。
酒場は宿を兼ねている店が多かった。
看板の料理の絵の脇にベットが小さく描かれているのだ。
石造りの長い四階建ての連棟に思い思いの看板が並べられている。
そんな酒場地区の一画に、場違いな感じで建っていたログハウスを見つけた。
客も静かで山暮らしだった俺は、木の温もりに妙な安心感を感じた。
辛うじて一室空いていたので宿泊を頼んだ。
宿の風呂で汗を流してから、食堂で夕飯を食う。
煮戻した干し肉と葉菜と根菜の煮物、味付けはバターと香草の様だった。
白パンに薄く切った干し肉と葉菜を乗せてソースをかける。
タギと呼ばれる直径が三十センチ程の大きな玉葱を刻み、ミニキャロットと迷宮キノコ、大豆の様なミシャ豆とクルヌの木の芽を煮込んだ具沢山なスープ。
サモと呼ばれる冬瓜くらいの大きさの芋を刻んで油で揚げたものがメニューだった。
冒険者向けの宿なので、ボリュームは満点だ。
アムも美味そうに食っていた、此奴は軍事行動に慣れているので意外に食い物に関する文句は言わない。
これにワインの飲み放題が付いて、二人一泊で銀貨六枚だ。
しかも明日の朝飯と昼の弁当も付いている。
町の物価の高さを心配していたが、冒険者に優しい町の様だ。
婆さんの所で受け取った金額は金貨二枚と銀貨六十三枚なので当面の心配は無い。
部屋の鍵を受け取ってから、四杯目のワインに手を伸ばすアムをテーブルから引き剥がして部屋に向かった。
屋根裏の小さな部屋でベットは一つしか無かった。
俺達は此処の町に隠れ住む積もりでいる。
宿の親父に聞いたら此処はプセロというケロニサロンでは至って平凡な町だった。
歴史は多少長いが、平均的な人口、平均的な冒険者数、平均的な魔石の産出量の町だ。
地下迷宮への降り口である転送石が二カ所、地下迷宮から戻る為の転送石が二カ所。
この転送石が置かれた四カ所の広場を中心に町並みが形成されている。
この宿は、西入りと呼ばれる広場の近くの風の精霊通りと呼ばれる名前だけメルヘンチックな酒場街の一画に建っていた。
船乗り出身の冒険者が多く移り住んだ場所らしく、メルヘンチックな名前とは裏腹に気性に荒い住民が多いらしい。
屋根の両端に飾ってある風の精霊の小さな彫像は、船に飾ってあったお守りだそうで、その可愛らしい外見と異なり、風の精霊はもの凄く好戦的な性格なので魔除けや嵐除け、戦いのお守りも兼ねているとの話だった。
似た様なのが身近に居た気もしたが、こっちは妖精じゃなくて疫病神だ。
俺の直ぐ脇で幸せそうな顔をして小さな寝息を立てている。
翌朝、宿の主人に冒険者ギルドの場所を聞いた。
なぜかそれが当たり前の様な気がしたのだ。
「冒険者ギルドの場所を教えてくれ」
「そんな物無いぞ」
取り敢えず、俺の背後で”役立たず”とか”知ったか振りが”とか”恥曝し”とか言って俺を蹴飛ばしているアムの頭に一発グリグリをかませてから、再度聞き直す。
「迷宮の情報や仕事の情報を聞きに行きたいんですが」
「それならば神殿に行けば良いよ。今からならば初心者向けの講習会を銀貨一枚でやってる筈だからな。それとな、此処は迷宮の町だから雑仕事は引退した年寄り向けで若い連中向けの依頼は無いと思うぞ」
神殿への行き方を地図に書いてくれた。
神殿は西出の広場と東出の広場にあり、魔石の買い取りやレベルアップの祈祷もしてくれるそうだ。
どちらも同じ様な距離だったが、若干近い様に思えた西出の神殿に向かった。
神殿に奉られているのは迷宮神だ。
この世界では人類に努力と困難に挑戦する大切さを教えるために、神が試練として迷宮を作ったと信じられている。
試練に打ち勝った褒美として神は魔石を人類に与え、人類の発展を促していると言うのである。
神の存在を疑う者はいない、迷宮の上や中で殺人が起これば、神の宣告が有ってから殺人者は煙になって迷宮に吸い込まれるのだ。
さらに迷宮上で争いが生じた時も神に審判を問えば答えてくれるのである。
だから迷宮の町には裁判所は無い。
法律も過去の神の判断に基づいて作られているのだ。
地図を見ながら曲がりくねった路地を抜けて西出の広場に到着した。
百メートル四方くらいの広さで、中央に十メートル角の大きな黒い石の立方体が置かれている。
広場の周りには八百屋や肉屋、魚屋や雑貨屋、古着屋や金物屋等の日常品の店と食堂や酒場などが並んでおり、その中で一際大きな建物が神殿で、庇や窓枠、入り口の扉等に白いガラス細工の飾りを施し、ステンドグラスの窓が美しい建物だった。
この世界にはガラス製品が豊富に有る。
建物の窓には半透明の窓ガラスが填め込まれ、食器も白いガラス製が多かった。
ガラス産業が発達している、原料は魔石を使った後に残る白い砂なので安価且つ豊富に入手できるのだ。
白い砂は比較的低温で溶けてしかも軽い。
特殊な魔道技術でガラスと金属の合金も作られており、アムの剣もガラスと銀の合金だ。
神殿の扉は開かれており、入り口正面の白いベンチの並んだ礼拝堂は、ステンドグラスの絵がベンチに写り幻想的だった。
入口脇の受付らしき場所で訪問理由を説明すると、申し込み用紙を渡された。
名前、国籍、宿の住所、順次記入して行く。
勿論通行札に書いてある偽名の方だ。
銀貨二枚を添えて手渡すと、二階の机の並んだ教室の様な場所に通された。
椅子が受講者で埋まると講習が始まった。
教材が配られ、開くと迷路図と注意事項を書き出した紙だった。
講習は二時間くらいで終わった。
受講前は元気に燥いでいた受講者達は、終了後には重く暗い雰囲気を纏って退出して行った。
だが、これは俺達も同様である。
迷宮へは地上にある二カ所の転送石と呼ばれる石の箱から入る。
十メートル角の大きな立方体で、表面が虹色に輝いているそうだ。
虹色に輝く面には魔法結界が張ってあり、ケロニサロンの通行札を持つ者のみが通過できる。
冒険者レベルが五以下の者は一層、五を超える者は二層へと冒険者のレベルに応じた階層に転送してくれる。
なお、パーティーでレベルの異なる者が混在している場合、最低レベルの者に合わせた層に飛ばされるそうだ。
飛ばされる先は、なんとランダム、迷路内に降り立つまで飛ばされた場所は解らないらしい。
同じ場所に飛べる人数の上限は八人で、一緒に行動したい者は互いに手を繋いで転送石を潜るそうだ。
迷路そのものは予想以上に広く複雑だった。
基本的な形は十メートル四方の正方形の部屋と幅五メートル長さ二十メートルの通路の組み合わせで、通路は真っ直ぐだったり曲がったりと何種類か有る。
部屋には必ず三つの幅二メートル、高さ二メートの開口部があり、通路や隣接する部屋と繋がっている。
迷路全体は大きな正方形で、中央に正方形の大きな空白地帯があり、その周りを部屋や通路が埋めているのだ。
単純な構造と思われるが、これが六万千四百四十もの部屋と通路で埋め尽くされているとなると話は異なってくる。
地上への出口となる転送壁のある部屋が空白地帯の右上隅と左下隅にあり、右上の転送壁は東出の転送石、左下の転送壁は西出の転送石に繋がっているとの事だ。
転送石を潜った後は、飛ばされた場所も解らない状態からこの二カ所の出口を目指さなければならないのだ。
迷路の中で出口を探すだけでも大変なのだが、迷宮なので当然魔獣が徘徊している。
一層の魔獣は四足獣、鼠や犬と聞いて受講者から安堵の息や笑い声が漏れたし俺も少々安堵した。
が、迷路全体で六万千四百四十匹生息し、倒しても一晩でリポップすると聞いて凍り付いた。
鼠や犬は群を作る習性がある。
最初に一部屋、一通路に一匹の割合で再生するのだが、迷路内を徘徊して数時間で大きな群に変わって行く。
中心地帯に近い場所は移動を制限する扉が多いため群の規模も小さいが、外周部では扉のある部屋が少ないので群の規模も大きくなる。
数千匹単位の群が出来ている可能性も有るのだ、たまたまそんな場所に放り込まれたら万事休すだ。
教官役の神官からのアドバイスとしては
①慣れないうちは他のパーティーの狩が終わった安全な時間帯に入ること
②他のパーティーと合ったら必ず合流して多人数で行動すること
③優秀な地図役をパーティーに加えて、危険区域からいち早く離脱すること
④装備をきちんと整えること
⑤戦闘スキルの無い者は修行を積んでから入ること
等が説明された。
得られる魔石は魔獣一匹につき一個、鼠の魔石は一個銀貨一枚、犬の魔石は銀貨二枚から五枚で引き取ってもらえる。
一層の冒険者は約六千人なので単純計算で一人頭一日十数個の魔石が得られる。
二層ならば魔獣の落とす魔石は一個銀貨四枚以上、三層ならば銀貨八枚以上だ。
命懸け対価としては微妙だが、他の仕事の報酬よりも高額である。
若者向けの求人が少ないのも納得できる。
説明の最後は教官から通行札回収の要望だった。
迷路内には衣服、装備、通行札が落ちていることが有るので、衣服と装備は発見者の取得物として差し支えないが通行札は遺族に形見として渡したいので神殿に渡して欲しいとの要望だ。
講習会場は静まり返った。
そして最後に、迷宮探索は神から与えられた神聖な試練であり、迷宮内でたとえ倒れても迷宮神の御身元への安らかな旅立ちが保証されているので頑張って欲しいとの激励があった。
真実かどうか知っている経験者がいたら教えて欲しい。
神殿を重い足取りで出る。
神官は迷宮に入らないそうだ、迷える子羊達を励まして地獄の門を潜らせるのが役目なのだろうか。
「アム、迷宮に入るのは止めないか。俺はまだ鼠に食われて死にたく無い」
「ふん、意気地無しが。童一人でも行くぞ。童には夢が有る」
「なんだ、世界征服か」
「それは弟に任せる。童には子供の頃から心に決めた恋人がおる」
まだ十分此奴は子供だと思うのだが。
「幼い頃に読み聞かされた童話の中に聖女様と勇者様の冒険談が有っての、その話は迷宮に掠われた聖女様が勇者様に助け出される話なんじゃ。迷宮を彷徨よっていた聖女様と勇者様が偶然出合うんじゃ。感動的での」
手を胸の前で組んで、瞳はキラキラと夢見る少女状態だ。
「幼い頃、童はこの外見じゃから聖女様と呼ばれておった。じゃから迷宮に入れば勇者様に会えると信じておった。童も世の中の理は十分学んだ。じゃから夢と現実の区別は十分に解る。じゃが心は別じゃ、勇者様が童の永遠の恋人で、迷宮に入れば会えると信じたいのは今も一緒じゃ。笑いたくば笑うがよい」
頬を赤らめながら俺を睨みつけてから、アムは一人で先を歩き始めた。
俺は溜息を吐いて後を追う。
おーいアム、方向が逆だ。
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