レグノリア戦記

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 テオの懸念どおり、相手は一領主が相対出来る相手では無かった。
 鉄器で身を固めた敵の兵士達は統制が良く取れており、おそらく専業の兵士として訓練されているのだろうとテオは思った。
 レグノリア大陸で専業の兵士と呼べるのは、領主や貴族自身、そして精々その家臣程度に過ぎず、王城の守備兵ですらも、王領内の村々から一年の任期で集められる農民に過ぎない。
 テオの周囲にいる味方の兵士達は、もちろん昨日まで畑を耕していた普通の村人達だ。
 領主や貴族達の力比べの応援団、力の誇示の為の演出に過ぎず、実際に戦うことは滅多にない。


 正面から戦いを挑んでも勝てる可能性は皆無、必要なのは弱者が絶対的な強者に対して戦わないで勝という物凄く虫の良い方法だとテオは絶望的になりながら考えていた。
 ”地の利”これは無いとテオは考えた、両岸切り立った崖の行き止まりの谷へ追い込もうとしているのが何よりの証拠だ。
 相手は地形を調べた上で、テオ達を谷へ追い込もうとしている。

 グルサレル軍は、浜で戦っても圧倒的に勝てる筈なのに、あえて谷へ追い込んでいる。
 何か圧倒的な、レグノリア全土の民に恐怖心を植え付ける勝ち方をするために谷へ追い込んでいる。
 何かをする為に谷が必要なのだ。
 ならばその谷から人が居なくなれば、その意図が空振りになる、そしてテオは閃いた。

「魔獣狩りだ、魔獣狩りの要領だ!周りに伝えてくれ!」

テオは大声で脇を走る兵に呼びかけた。

「テオ様!はい、魔獣狩りの要領だ!テオ様からだ!」
「魔獣狩りの要領だ!テオ様からだ!」
「魔獣狩りの要領だ!テオ様からだ!」
「魔獣狩りの要領だ!テオ様からだ!」
「魔獣狩りの要領だ!テオ様からだ!」
・・・・・

 声が池に生じた波紋の様に広がって行く。
 武の才能に恵まれなかったテオだが、商の才能と文の才能には恵まれ、領地経営の雑務を父から任されていた。 おかげで、水路や道の修繕、徴税の相談で村々を回ることも多く、テオの豊富な知識は村人から信頼を得ていた。
 魔獣狩りは西大陸の住民の対処方法を本で読み、テオが領内に広げた知識である。
 テオから指示が有ったと知り、指揮官たるテオの父親と兄を失い混乱していた兵達に落ち着きが戻る。

 混乱している筈の兵の足並みが整い、整然と谷奥へ逃げて行く。
 その姿に、敵指揮官は多少違和感を覚えたが、それでも圧倒的な戦力差に油断していた。
 事前に周辺の地形を調べた限り、絶壁に囲まれた谷に逃げ場は無い。
 獲物を追い詰めたと考えていたのだ。

 敵兵から見えない場所まで辿り着くと、テオ達は崖に向かって人櫓を作り始めた。
 囮となって魔獣を谷へ誘導し、崖上の安全な場所に逃げてから攻撃を仕掛ける為の慣れた動作だった。
 魔獣に食われない為に日頃から一生懸命練習しているので、皆の動きは連携が取れて素早い。
 皮肉な事に、グルサレル軍はレグノリア大陸で唯一団体行動の訓練を受けたことのある兵士を相手にしていたのだ。

 櫓の一番下になった者を最後に崖の上へ引き上げた瞬間だった。
 三匹の巨大な炎の蛇が谷底を走り抜けて行った。
 その光景にテオは鳥肌が立った、少しでも遅れれば、全員が焼き殺されていた。
 数千人の人間を焼き殺す目的で谷へ追い込んでいたのだ。
 彼等にとっては、文明で劣る北大陸の住民は野犬と同等の駆除対象にしか過ぎない、この物凄い魔術を使った魔術師を倒さなければ、背後から追われ、村々も焼かれるとテオは思った。

 だが運命の女神はテオに微笑んだ。
 崖の上で息を殺していると、成果を確認に来たのだろう、魔術師の杖を持った男三人と指揮官らしき装飾の多い赤色に輝く鎧を纏った男が、上級将校らしき兵達を従え談笑しながら谷に入って来た。
 そして谷奥、入口から見えない場所まで辿り着くと、突然谷奥を見上げて立ち止まって困惑した。

ーーーーー

「お前達、火力を間違えて灰にしたのではないか」

 グルサレル軍総督クロラノスは、背後から付いて来る三炎と呼ばれる三人の魔術師に問い掛けた。

『いや、間違い無く火力は調整した。半焼きで、まだのた打ち回っている奴が居ても可笑しくないはずだ。叔父上もそれくらは承知しているだろ。変だ、何かが変だ。ここには怨の気配が満ちていない』

 意思を共用している三人は、同時に話し、同時に全く同じ動作で周囲を見回す。
 単に成果を確認しに来た訳ではない、怨の魂を固定し、ここを怨霊の谷に変える積りでいたのだ。
 数千人規模の怨霊を固定すれば、怨嗟の声は百ギリ先まで届き、レグノリアの民にグルサレル軍への恐怖の心を植え付けられると考えたのだ。

 一瞬周囲が暗くなった、三人が空を見上げると、無数の大石が空を覆っていた。

ーーーーー

「それ!」

 テオ達は、左右の崖の上から一斉に石を投げ落す。
 高所から投げ下ろす石は、魔獣を倒す程の威力がある。
 魔術師が、指揮官が、幹部が、次々に脳天に大石を喰らい倒れて行った。
 谷に入って来る後続の兵達にも投石が襲い掛かり次々に倒れて行く。
 敵兵が雪崩を打つように慌てて逃げ出した。

ーーーーー

 神経質な総督と不気味な魔術師三人を見送って、副司令官カラカスは久々に肩の力を抜いていた。
 想像以上に相手は弱かった、戦いとは言えない。
 単に行進をしている様な物だった、味方にまだ損害は出ていないだろう。
 怨霊の谷を作る話が出た時には正直うんざりした、死霊の怨嗟の声が聞こえると酒が不味くなるのだ。
 連れて来た酌婦も怖がり、寝ていても興が削がれる。

 だが伯爵家の三男として入隊し、三十年間勤め上げて今の地位を確保したカラカスには、王族である総督と三炎に反対する権限は無かった。
 だからせめて進軍速度を早めて、声の聞こえない場所へ早く行きたかった。
 カラカスは、早ければ一週間、遅くとも三週間以内にはこの国が落せると思っていた。
 野蛮人だがこの国の女は美しい、王族や貴族の娘を集め、思うがままに蹂躙する光景を脳裏に浮かべてほくそ笑んでいた。

「副指令官殿、緊急事態です」
「何事だ」
「総督閣下と魔術師殿が戦死されました」
「えっ?ええーー!!!」

ーーーーー

 谷を逃げ出した敵兵は、谷前で陣形を整え直して崖上のテオ達と対峙した。
 赤い狼煙が打ち上げられ、沖の軍船から小舟が次々に吐き出されて浜全体を銀色に輝く敵兵の隊列が埋めた。
 そして数刻後、豪華な鎧を纏った敵の指揮官らしき男が、商人らしき男を引き連れて崖下に歩み寄って来た。
 通訳なのだろう、商人らしき男がテオの国の言葉で呼び掛けて来た。

「指揮官と話がしたい」
「なんだ」
「取引だ、魔術師殿と総督閣下の御遺体を回収したい、応じれば命は助けよう」
「駄目だ、兵を引け」

”副官殿、兵を引けと言ってますが”
”適当に脅かしてこの場から去らせろ”

 中央大陸言語が解るテオには二人の対話が筒抜けになっている。

「馬鹿な事を、なら逃げる時間を半刻だけやろう。その後は捕えて皮を剥いで海に晒してやる。野蛮人よ地獄に落ちよ。さあどうする」
「ならば地獄への先導はそちらの魔術師殿と指揮官殿にお願いしよう。遺骸の皮を剥いで、ルシェ紋を刻んで細切れにしてやる」

 中央大陸の文化では、死後も一週間は身体に魂が残っていると信じられている。
 神殿で丁重に弔って火葬にすれば天国に召され、現世で人の皮を剥がれると人外に変わり、魍魎の地獄に落とされると思われている。
 ルシャ紋とは中央大陸文化にある儀式紋で、罪人であることを地獄の王ルシェに知らせ、魍魎地獄の最下層、苦悶地獄に落としてもらう呪紋である。
 これらを本で読んで、テオは知識として知っていた。
 だが反応はテオの予想以上で、通訳の商人が物凄く動揺した。

「待て、待ってくれ、早まるな。そんなことされたら、俺まで皮を剥がれて殺されてしまう」
「なら指揮官に撤退するように伝えてくれ、俺は本気だ」
「解った」

”何だと貴様、儂を殺す気か”
”げほっ、げほっ、落ち着いて下さい。彼奴が言ってるんです”

 商人が訳して伝えると、指揮官の顔色が真っ青に変わり、商人が絞殺されそうになっている。

”小賢しい知恵が有っても所詮野蛮人の小僧だ、適当に誤魔化せ”
”はい、へへへへ、御遺体が回収できたら八つ裂きにしてやりましょう”

「良し応じよう。だから遺体には手を出すな」
「ならテリーサの神に誓え!」

 テオはまだ明るい地平の上に浮かんでいる白い月を指差して叫んだ。
 これもテオが本から得た異国の民の知識だった、テリーサとは異国の秩序と法を司る月の女神名前だ。
 中央大陸文化では、重要な契約の際には女神への宣誓が必須で、約束を違えると、宣誓は女神から地獄王に引き渡され、死後、誓約の糸が魂を地獄に引き入れると信じられたいた。

”なんじゃと、テリーサ契約を持ち出したのか、あの小僧は何者じゃ”
”さあ、適当に誤魔化しますか”
”馬鹿者、儂は地獄に落ちたくない”

 商人が指揮官に通訳して聞かせると、指揮官は動揺していた。

”契約が成立しなければ大丈夫ですよ、北大陸の奴にテリーサ契約が解る奴なんていませんよ。それに彼奴は子供だし、そんな知識はありゃしませんよ”
”うむ、そうだな、考え過ぎじゃった。良く視れば可愛い顔をしておる、騙して奴隷契約でもさせて可愛がってやるか”
”そうですよ、大丈夫ですよ。飽きたら私が売り払いますから”
”うむ、頼む”

 しばらく小声で話合っていたが、結論を出してテオに呼び掛けて来た。

「良し、応じよう」
「テルサメサ、ネリテリーサ。デメムルオ」

 返事を聞くと間髪を入れずに、テオは右手を左胸の上に乗せて叫び、テリーサ契約を済ませた。
 敵の指揮官は驚愕に目を開き、そして諦めの表情になって右手を左胸に当てた。
 異国語であっても言霊が意味持ち契約行為は始まっている。
 不誠実な対応は地獄王もテリーサの女神からも許されない。
 真剣な表情に変わり、姿勢を正して歴戦の軍人らしい同間声で叫んだ。

「テルサメサ、ネリテリーサ。デメテント」

 約束どおり、敵は遺体の回収が終わるとグルサレルの軍船に乗り、沖へと消えていった。

 テオは、味方の遺体を回収し、鎧や剣や盾を剥ぎ取った敵兵の遺体と一緒に埋葬し祈った。
 レグノリアの文化では、残された遺体はすべて大地神に返却し、大地神は無に帰った魂を地脈に戻して次の輪廻に繋げて行く。

 形の上ではテオ達が敵を撃退した、だが味方は半分が殺され、父や兄、家の柱だった将が皆戦死してしまった。
 死んだ兵士は領内の働き盛だ、来年の作付に大きな影響が出てしまうだろう。

 レグノリアの文明では鉄の装備は貴金属に近い貴重品だ。
 これを売った資金で、テオは残された村の寡婦達の生活を少しでも支えてやりたかった。
 一人一人の悲しい顔が思い浮かぶ。

 それでも多くの命が残された、雲の間から覗いた月に手を合わせ、テオは異国の神テリーサに祈りを捧げて感謝した。

 月の光を見上げるテオの銀髪が月光を宿し、冬を告げる風が銀粉を降り注ぐ様に髪を撫でて行った。
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