古(いにしえ)の魔法

切粉立方体

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Ⅰ 旅立ち

1 春祭り

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 長く厳しい冬が終わった。
 厚い雪の中に閉じ込められていたペセット村にも、ようやくく春の始まりである新年が訪れた。
 北の蒼穹に浮かぶペトローネ山脈は、その神々の座との呼び名に相応しく、切り立った峰々はまだ厚い雪で覆われていたが、春の訪れは確実に村を潤い始めており、春の微風が、まだ寂しげな木々の梢に春の訪れを優しく囁き始めている。
 氷刃の様に無慈悲だった山下ろしの風も、春の陽光の中で楽しげに竪琴を奏でる乙女のように、優しく陽気に春を告げる歌に変わり始めている。

「ファー!」

 まだ雪が所々残る山裾を、女性の様な甲高い少年の声が響き渡る。
 牧畜犬の力を借りながら、少年は村に向かう坂道を、五十頭ほどの冬毛に覆われたヤクルと呼ばれる山牛を追っていた。
 村から一ザン(三キロメートル)程下った場所にある、春の訪れが早い南に開けた牧草地へ牛を連れて行った帰り道である。
 遊び疲れたのか、一緒に付いて来た十歳になった双子の妹達は、ヤクルの背の上で眠っている。
 少年は大きな背負子を背負っていた。
 背負子には、蕾の付いた春告げ草の束が山の様に積まれている。
 今夜一晩、家の裏を流れる清流に浸しておけば、明朝には艶やかなピンク色の花が開く筈である。
 明日から始まる新年を祝う春祭りの店頭で並べれば、福を呼ぶ春の象徴の縁起物として一束銅貨五十枚で売れる筈である。
 少年の名はカイ、村外れの牧場に住む十二歳の少年である。
 村へ向かう旅芸人や行商人の荷馬車を眺めながら、少年は春祭りに夢を膨らませていた。

 村を囲む柵が見えて来たとき、黒塗りの旅馬車が牛の群れを追い抜いて行った。
 御者席で棚引いている領主の家紋が染め抜かれた旗が、役人の乗る馬車であること示していた。
 これから行われるヤクルの毛の刈り採りを控え、毛の収穫量の確認に来たのだとカイは思った。
 今年の冬は長く厳しかった、だが幸いにも秋に刈り採れた牧草の量が例年に比べ多かったので、飢える事無くヤクル達も冬が越せて、今年のヤクルは質の良い毛で厚く覆われている。
 この毛が高く売れれば、今年はヤクルの種付けをする余裕があるだろうとカイは思っていた。

 牛舎にヤクルを入れ終わると、カイは家の裏を流れる清流へと向かった。
 格子状に組んだ木枠を清流に渡し、春告げ草の束の切り口を清流に漬けて行く。
 春祭りは、カイが纏まった小使いを得られる唯一の機会だった。
 今年は春告げ草の開花がちょうど春祭りに間に合った。
 艶やかに開いた春告げの花を店頭に並べられる、カイはそう心を躍らせていた。
 木枠を固定してある木杭を確認する。
 母屋に戻ろうと火打石で松明に火を灯そうとした時、母屋から踊る様に松明の灯が降りて来た。

「兄ちゃん、御飯だよ。姉ちゃんが早く来いって」

 双子の妹のミラとミロだった、牧畜犬とじゃれ合いながら楽しそうに走って来た。

「花一杯売れるといいね」
「兄ちゃん冬前に一生懸命手入れしてたもんね」
「私達も手伝うからお小遣い頂戴ね」
「ああ、頑張って売ろうな」
「兄ちゃんが村から出る事になったら、私達がお花畑貰っていい」
「俺が万が一村を出る事になったらな。二人でちゃんと手入れをするんだぞ」
『うわーい』
「兄ちゃんの天職何だろうね」
「恰好いい天職がいいな、自慢したいから」
「俺は牛の世話と花の手入れしか知らないからなー、たぶん村に残って牛飼いか農夫だろうな。だからあんまり期待するなよ」

 年明けで十二歳になった子供達は、春祭りが終わると時の神殿で天職を神託され、生涯の職が決められる。
 多くの子供達は、農夫や牛飼い、機織りなどの職を得て、そのまま村に残ることになるが、職人や商人などの、村では技能を得られない天職を神託された子供達は、修行の為に町や都へと旅立つことになる。
 カイもミラやミロの年頃だった時は、騎士や冒険者などの華やかな天職に憧れ夢を見ていた。
 だが、多くの子供達と同様に、カイも天職の神託式近付くに連れて、自分を見据えた現実的な考え方に変わっていた。

 足下に纏わり着く牧畜犬をあしらいながら母屋に戻ると、父親のガルが台所のテーブルで待っていた。
 母親のムラナと姉のカーナは忙しそうに夕飯の準備をしている。

「どうだ、花の出来は」
「うん、今年はちょうど開花が間に合ったんで、良い花を並べられるよ」
「それは良かったな。今年は旅芸人や行商人も大勢来てるから賑やかな春祭りになるぞ」
「父さん、私達も手伝うんだよ」
「おー、二人共頑張れよ」
 
 父親のガルの天職は牛飼い、母親のムラナの天職は機織りだった。
 二人も、二人の両親も、ずっとこの村を出ること無くここでの暮らしを続けている。
 だからカイも農夫か牛飼いの天職を授かり、村の娘から伴侶を得てずっとここで暮らすのが自分の宿命と考え始めていた。

「カイ、食器並べるからテーブル拭いて。父さん、私明日の朝は神殿の準備が有るから先にお風呂入るよ。カイもミラもミロも一緒に入るから急いで食べてね」

 カーナは今年十六歳になったばかりの少女だが、村一番の秀才で、空席となっている神殿の神官の代役や神殿で行う子供達の手習いの教師をして暮らしている。
 天職は貴婦人というペセット村始まって以来の変わった職で、本来であれば上流階級で連れ合いを捜さなければならないのだが、片田舎の牛飼いの娘にそのような場へ行く機会も伝手も無く、村に留まったまま現在に至っている。
 ただ本人は、古文字の解読という物凄く変わった趣味を持っており、暇があれば神殿の書庫で古文書と睨めっこをしている今の現状に物凄く満足している。
 村一番の美人と言われながら、化粧っ気も全然無く、簡素で地味な洗い晒しの神官服を纏って普段過ごしている。

ーーーーー
”ザー”

「カイ、ミラとミロの頭良く洗ってあげて」
「はーい」

”ザバン、ザー”

「兄ちゃん、姉ちゃんのおっぱい、なんでヤクルみたいにお乳出ないの」
「お乳はお腹に赤ちゃんが居ないと出ないんだよ」
「ふーん、姉ちゃんもお腹に赤ちゃんが出来ればお乳が出るの」
「その前に種付けが必要なんだ。お金払って雄のヤクル連れてくるだろ。ああやって、痛てっ!」
「勘違いするから馬鹿な事教えないの。さあ、父さんと母さんが待ってるから暖まったら急いで出ましょ」

ーーーーー
 翌朝、牧場の朝は早く忙しい。
 カイは夜明け前に起き出して、牛舎へと向かう。
 ヤクルを牛舎から牧場へと追い出し、干し草と水を餌場に並べて朝食を食べさせる。
 その間に父親を手伝い敷藁を交換し、糞やし尿で汚れた敷藁を休牧地へと運び込んで肥料にする。
 そして戻ると、母親や姉が搾乳したヤクルの乳を瓶に小分けして、荷車に乗せて近所や村の商店へ配達する。

 それが終わると、今日はミラとミロに手伝わせて、開花した春告げ草を小分けして荷車に積み込む。
 積み込みが終わると、牛舎でヤクルの様子を確認してから、カイはやっとほっと息を吐いてから朝食へと向かった。
 母屋へ向かう途中、クムの実が詰まった籠を手に持った隣家の果樹園の娘、幼馴染のニーナに呼び止められた。
 すらりと背が高く、背は拳一個ほどカイより高い。
 短く切り揃えた明るい茶色の髪の毛が、スリムな体格と相まって、活発な少年の様な印象を与える。

「カイお早う、牛乳のお礼に母ちゃんがこれ渡して来いって。ミラとミロもお早う」
「お早うニーナちゃん、ありがとう」
「お礼に兄ちゃんハグしてもいいよ」
「へへ、そうなの。じゃっ、お言葉に甘えて。カイー、ぎゅー」
「こら痛いニーナ、痛いってば」
「ニーナちゃんも今日何か売るの」
「うん、母さんと一緒にクムの実の蜂蜜漬けを売るんだ。後であげるね」
「わーい、私達蜂蜜漬け大好きなの」
「それじゃカイ後でね」
「ああ、後でな」

 朝食を済ませると、カイとミラとミロは荷車に春告げ草を積んで村の広場へと向かった。
 荷車をまだ雪の残っている花壇の前に停めて、筵を広げて春告げ草を並べて行く。
 艶やかなピンク色の絨毯を広げた様で、道行く人も足を止めて眺めている。

「春告げ花は如何いかが
『福を運んで来る花だよ』
「一束銅貨五十枚だよ」
『福は如何』
「春告げ花だよ。門に飾ると福が来るよ」

「この時期に満開の春告げ花とは縁起が良いの。二束おくれ」
「はい、ありがとうございます。銀貨一枚になります」
「私も二束頂戴」
「はい、ありがとうございます」
「俺にも二束売ってくれ」
「はい、ありがとうございます」

 用意した二百束が飛ぶように売れて行く。
 昨年の冬の冷え込みが厳しかった分、春告げ草の花の色が艶やかになり、良く目立っている。
 陽の刻(午前十時)を知らせる鐘が鳴る時分には、最後の一束も売り切れた。

「兄ちゃん、売り切れちゃったね」
「家から新しいの持って来る」
「いや、あれは明日満開になるから明日売る分だ」
「それじゃ今日はお終い?」
「ああ、それじゃ手伝ってくれた御駄賃だ。姉ちゃんには言うなよ、怒られるから」

 カイは二人に銀貨十枚ずつ渡した、十歳の子供にとっては大金だ。

「うん判ってる。ありがとう兄ちゃん」
「それじゃ私達人形劇見て来る」
「暗くなる前に帰って来いよ」
「うん、判ってる」

 二人は踊る様に人形劇のテントに向かって走って行った。
 カイは後片付けを始めて帰り支度をする。
 父親の言っていた通り、今年は行商人の露店や楽を奏でる旅芸人のテントが数多く張られており、笛や太鼓や弦の音が風に運ばれ、例年に無く華やいでいた。
 食堂で小耳に挟んだ行商人達の噂話では、二百年続いている中央大陸と北大陸との戦闘が昨年は激しく、前面に立つ海沿いの国々で物資が不足しているので、物資の供給元であるカイ達の住む山国ノルトノスは好景気に沸いているとの事だった。

「あれ!売り切れちゃったの」
「大丈夫だよ、ケーナ。ほら、帰りに届ける積りだったんだ。はい、あげるよ」

 赤い毛を三つ編みにした小柄な少女がカイに声を掛けて来た。
 カイと同い年の少女で、神殿での手習いを一緒に受けている顔見知りである。
 村の表通りにある食堂の娘で、神殿での手習いの帰り、手作りのパンや菓子を良くカイに食べさせてくれる。
 カイは荷車に取り置いてあった二束の春告げ花をケーナに渡す。

「ありがとう、店の扉に飾りたかったの。じゃっ、お礼にビスケットあげる、少し焼き方を工夫してみたの、食べて」
「ありがと、うん、柔らかくて甘くて美味しいよ。これなら売れるんじゃないの」
「えへへへ、ありがと。村に残れたら売ってみようかな」
「村に残れるといいね」
「旅芸人の踊り子さんから聞いたんだけど、今年は村から出る子が多くなるらしいわ」
「何で」
「海沿いの国から派兵要請があって、人手が不足してるんだって」
「でも天職が兵士の人って少ないよね」
「うん、だから魔力を計って、少しでも魔力が有る人は天職に関係無く兵士訓練に回されるらしいわよ」
「神託を下さる女神様に怒られないのかな」
「軍隊で四年以上勤めれば、天職に復帰させて貰えるから問題はないんだって」
「へー、でも魔力なんて俺達には関係ないもんな」
「そうよね、町や都の子供の話よね、きっと」
「ビスケットもう一枚頂戴」
「はい、食べて」

 春の陽光が荷車に寄り掛かる二人を柔らかく温める。
 白い雲がゆっくりと青い空を流れて行く。
 人形劇のテントから、子供達の歓声と笑い声が風に乗って流れて来た。

「店の手伝いに戻るね」
「うん、また明日な」
「うん、また明日」
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