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槇島城の戦い~高屋城の戦い

迫り来る最期

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 やはり、怖いものは怖い。
 大切な人が元気に生きてくれればそれいいと、生き延びることをしっかりと諦めたはずだったのに、いざとなると、黙ってその時を待つことが出来なくなる。
 何かに追われているかのように奥の部屋へと駆ける。その途上、六助から遅れて戦場へと駆けつけるやつらと会った。

「プニ長様、ご無事でしたか!」
「早く奥の部屋へ!」「私たちがこの命に代えてでもお守りします!」

 そう言うなり、おっさんたちは正門へと向かう。全員が全員、何故か寝起きのままの格好で。
 ほとんどのやつはバカ騒ぎをして、そのまま酔いつぶれて寝ているので、あるものは半裸で、あるものは着崩れした着物といった格好だった。六助に対するそれと同じく、服を着て行けよという感想しかない。
 とは言っても、ここに泊まっているやつらは合戦をすることを想定していなかったので、鎧などの類は備えていない。それでも、さすがにふんどし一丁や半裸はどうかと思うけど。

 とりあえず宴が催されていた部屋まで戻ったはいいものの、特にやることもないので逆にそわそわしてしまう。
 しかしそれも数分間のこと。部屋を右往左往しながら考え事をしている内に、興奮は冷め、死に対する恐怖はわずかばかりに影を潜める。いつしか俺は部屋の中央に伏せて状況の進展を待つようになっていた。
 俺は所詮犬だ。今敵に抵抗しようとしても出来ないし、家臣たちも俺がいない方が何かとやりやすいだろう。

 ふと縁側に出てみた。遠のいた喧騒。人々の松明や提灯の灯りで、薄く朱に染まった宵闇が障子に滲んでいる。
 やがて静寂を切り裂いて、一つの慌ただしい声が薄暗い廊下に響き渡った。

「プニ長様、失礼致します!」
「キュン(どうぞ)」

 一人の男が姿を現し、片膝をつく形で座る。普通にきちんと服を着てくれているので何だか嬉しい気持ちになった。

「先刻、織田とは関係のない僧らを裏口から退避させようとしたところ、それらを牽引していた織田兵のみが捕らえられました」
「キュン(ふむ)」
「さすがは明智殿、やはり本能寺は隙間なく囲まれており、織田兵は一人たりとて逃がさぬということでしょう。関係のない人間は逃がしてくれるだけでも僥倖といったところですが」
「キュン(だな)」

 俺の生存が無理だというなら、せめて他の織田兵だけでも逃がしてやりたかったけど……それも出来ないらしい。
 男は俯き、無念といった表情で、両の拳を強く握りしめながら言った。

「是非に及ばず。しかし、プニ長様だけには何としても生き延びて、安土城へとお戻りいただきます。時が来るまで、ここでしばしお待ちください」

 是非に及ばず、というのは「仕方がない」的な意味だ。指揮官として優秀な明智にこの状況で襲撃されてしまった以上、逃げ延びることは不可能だ、という意味合いだと思われる。
 男は立ち上がって去っていった。再び廊下は静まり返り、戦場の音が遠くから鼓膜に触れる。それが先程よりも近くにあるような気がした。

「……」

 ここでずっと待機しているつもりだったけど、さすがに落ち着かない。段々にそわそわむずむずとしてきた。
 戦場に出てもしょうがないけど、ここにいてもそれは同じ。とりあえず皆の邪魔にならない位置からでいいので、状況を確認しに行こう。

 縁側から廊下へと出る。早足でてててて、という尊い足音を立てながら廊下を歩いて行った。
 早々に、先ほど戦の模様を眺めていた部屋の前までやってくる。しかし、そこで異変が起きた。

 障子の向こう側からぼうっとした光が、放物線を描きつつこちらに接近してくるのが見えた。
 珍しいものを見たせいか、それとも別の何かが要因か。まるで走馬灯のように時間の流れが遅くなっていく。

 この状況でも一瞬、俺はそれを「綺麗だな」なんて思ってしまった。花火かな? とか、それとも流れ星かな? とか。
 放物線を描いているのだから、もちろん流れ星なわけはない。
 やがて遠くから次々に光の塊が出現し、それら全てが同じ軌道を描きながらこちらに飛んでくる。それこそ、流星群のように。

 しかし、それが建物に近付いてきた時点でようやく気付く。戦場の灯りでわかりづらかったけど、光が赤い。時間の速さが突然に引き戻される。
 そして塊は、建物に触れた瞬間、まるで獲物を捕らえる網のように勢いよく拡がり、やがて赤い光の柱となった。
 これは……火矢だ!

 障子の並べられた一面が血のように赤く染まる。
 襲い来る、戦場のどよめき。急速に張り詰めた緊張の糸が俺の心臓を締め上げ、生存本能に対して警笛を鳴らした。

 心なしか、どよめきが戦場全体を包んでいる気がする。織田兵だけではなく、明智の兵までもが驚いているかのように。
 詳しい状況を確認しようとするより先に、織田兵の一人が建物の中へと戻って来た。そして俺を見つけるなり、焦燥を一面に塗りたくった顔で声をかけてくる。

「プニ長様! お逃げください! 火矢が放たれました!」
「キュキュウンキュン(逃げるったってどこにだよ)」
「お、おおお、落ち着いてください! 大丈夫ですから! ワオーン!」
「キュンキュン(お前が落ち着け)」

 完全に包囲されている以上、俺たちが逃げる場所なんてどこにもない。すでに燃え拡がっている火の勢いからして、救援が来るにしても、それが到着する頃には本能寺は灰に姿を変えているだろう。
 かといって、劣勢を覆して包囲網を突破するには数が圧倒的に足りない。こちらの兵はわずか百人から二百人しかいないのに対し、状況からして向こうは数千、下手をすれば万に達するかもしれない。
 秀吉の元へ援軍に向かうはずだったことを考えれば後者が有力だ。

「とっとにかく、プニ長様は奥へお戻りください!」

 そう言って、男は慌ただしく戦場へと戻っていく。

「キュン……(奥って……)」

 後に残された俺の反響は、随分と膨れ上がった喧騒に溶けて消えた。
 このまま奥に逃げたところで、焼け死ぬのを待つだけだ。あいつは気が動転して冷静に物事を考えられなくなっているのか。と思ったけど、そうじゃない。
 恐らく、あの男は自害を勧めているのだ。

 元から勝ち目のないこの絶望的な状況で、救いの手も期待出来ない。ならば、採るべき手段は一つだけ。腹を切り、武士として立派な最期を遂げること。
 ただ、あいつの頭が回らなくなっているのも確かで、小刀すら扱えない俺ではそれは出来ない。腹切りから介錯まで、誰かが代わりにやってくれるのか。
 それに、自害を勧めるにしてもあんな言い方は普通しない。もうちょっとオブラートに包んだ言い方をするだろう。俺の邪推で、本当に奥へ避難してくれって意味だった可能性もあるけど。
 ちなみに介錯というのは腹を切った後に首を斬り落としてとどめを刺すことだ。通常腹を切っただけではすぐには死ねないので、なるべく早く楽にさせてやるために、首を落としてやるのだ。

 まあそもそもの話、腹を切るのってめちゃくちゃ痛そうだから嫌なんだけど。
 でも敵兵にやられるのも嫌だ。ここはあいつの言う通り、奥で「敦盛」でも踊って織田信長ごっこを楽しむか……。

 火の手は確実に回りつつある。本能寺が完全に炎に包まれるのも時間の問題かもしれない。そうか、本当にこの時がやって来てしまったのか……。
 俺は最期の時を悟り、身体を朱の光に染めながら奥へと向かった。
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