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槇島城の戦い~高屋城の戦い

命名

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 ところがその会話を聞いていた初が、信玄をぺたぺたしながら、驚いた様子で異議を唱える。

「え! このこうちでかわないの?」
「茶々が怖がってるなら飼わないわよ」
「べ、べつにこわいってわけじゃないけど……」

 と言いつつも、茶々が妹たちと一緒にぺたぺたをしようとする気配はない。

「初ちゃん、そのお方はお犬様なの。プニ長様と同じ。だから犬扱いしちゃだめ」
「は~い」

 帰蝶に優しく注意され、初は間延びした返事をする。
 お市が俺やモフ政を犬扱いしているのに、というやり取りはいつも交わしているので今反論したりはしない。それに、元々初は帰蝶の言うことなら素直に受け入れることが多かったりする。

「それで、あねうえはしんげんがこわいの?」
「しんげん……さま」

 江がぼそりと注意をした。

「うぅ……」

 茶々は、やはりお市の背後から動こうとしない。でもさっきからちらちらと信玄の方を見ている辺り、興味はあるのかもしれない。その信玄はと言えば、いつの間にか観念し、その場に座って初と江に撫でられ放題になっている。
 初は茶々に向かって手招きをした。

「あねうえもこっちきてさわってみなよ。とうといよ?」
「……」
「怖がってるんだから、無理に誘わないの」
「は~い」

 母に怒られたことを気にした様子もなく、初はにこにこと信玄を撫でている。
 う~ん、茶々が本当は信玄と触れ合ってみたいのなら何とかしてやりたい。通じるかわからないけど、ちょっと声をかけてみるか。

「キュン(あのさ)」

 すると、信玄がくるっとこちらを振り向いた。何かあったのかと周囲の視線も俺たちに集まっている。

「ガルル」
「キュキュキュン。キュンキュンキュウン(茶々もお前を撫でてみたいらしい。どうにか自分が怖くないって表現することは出来ないか?)」
「ガルルル」
「なになに。プニながさま、しんげんさまとおはなししてるの?」

 初が楽しそうにこちらへ走り寄って来た。

「おばうえ、プニながさまをだっこしてもいい?」
「いいよ。優しくね」

 許可が下りたのでひょいと俺を抱き上げる。ここに来たばかりの頃、初は帰蝶の膝の上にいる俺を無断で抱っこしたりしていたので、俺をびっくりさせてしまうと周囲から注意された。それ以来、今みたいに帰蝶に許可を取っている。

「いととうとし!」
「ずるい、わたしも」

 それを見た江が、つられてこちらに歩いてくる。
 けど、そんなやり取りをしている背後で、置き去りにされた信玄がすっくと立ちあがり、静かにお市と茶々の方へと近寄っていった。

「こっち来たわよ。あんた、何か言ったの?」
「キュキュン(とんでもございません)」

 そして茶々の方へと近寄って目を合わせると、信玄は尻尾を振りながらその場に座り込んだ。それで怖くないアピールになるのかどうかはわからないけど、俺の言葉は通じていたらしい。
 信玄の働きもあって、茶々はようやくお市の背中から出て来た。恐る恐る、でも一歩一歩確実に信玄の方へと進んで行く。

 お市も帰蝶も、存在を半分忘れていたけど六助も。固唾を呑んで事の行く末を見守っている。

「あねう……むぐっ」

 何かを言いかけた初の口を、江が塞いだ。
 ようやく信玄の元へと辿り着いた茶々がゆっくりと手を伸ばし、そして。
 彼の頭を撫でた。

「……」
「ガルル」
「……」
「どう? 信玄様は」

 帰蝶に問われた茶々は、目線はそのままに顔を綻ばせて答える。

「いととうとしです」
「ふふっ、良かったね」
「はい」

 全員でその微笑ましい様子を眺めることしばし、やがてお市が六助に向かって口を開く。

「茶々もあの黒いのを気に入ったみたいだし、うちで飼ってもいいわよ」
「本当ですか! いや~助かります。では早速ではありますが、例によって命名式の準備を」



「たけだしんガル!」



「え?」

 突然割って入った声に、呆けた表情になる六助。全員がその主である初の方に顔を向けた。

「プニながさまやモフまささまみたいに、なまえをきめるんでしょ? だったら、しんげんさまはたけだしんガルさまがいい!」
「たしかに、ガルガルいってるし。かっこいいしにあう、かも」

 江も同意する。突然に意見が出されたことで、戸惑いの表情を浮かべる六助。

「初殿の提案も素晴らしいのだが、名前をそう簡単に決めるわけにも」
「うちで飼うんだし別にいいじゃない」
「お市殿。名前と言うのは、とても重要なものなのですぞ」
「でも、今までの二匹だってプニ長にモフ政でしょ? 重要な割には適当に付けてるじゃない」

 全くの正論だし正直、俺もそう思う。さすがに反論は出来ないだろう、と思っていたら、六助は厳格な顔つきで首を横に振った。

「適当ではありません。どちらも、プニ長様とモフ政様を簡潔かつ的確に表した素晴らしい名前です」
「武田信ガルだって簡潔かつ的確だと思うけど」
「簡潔ですが的確ではありません。身体的特徴に触れていないし、信玄殿の長所がわかりづらい。こういったことやはり家臣団で協議を……」
「いちいちうるさいわね。そんなのだからいつまでも結婚出来ないのよ」
「ぐはあっ!」

 まるで槍でも突き刺されたかのように腹を抑えてうずくまる。そんな六助の元に初がきょとんとした表情で近づいて首を傾げた。

「ろくすけさま、けっこんできないの?」
「うぼおっ!」

 どうやら止めを刺しに来たらしい。このままいじめに発展する流れかと思っていると、次の瞬間に初が微笑みを口元に湛えながら言った。

「じゃあ、おおきくなったらわたしがけっこんしてあげてもいいよ!」
「えっ?」

 六助が間抜けな声を出す。

「何言ってんの、初。織田家の人間と結婚してどうすんのよ」
「おだけのひととけっこんしちゃだめなの?」

 純真無垢な瞳をした初に説明すべきかと顔を合わせた大人たちだったが、やがて帰蝶が一つうなずき、ゆっくりと口を開いた。

「初ちゃんは六助様のことが好きなの?」
「ううん、ぜんぜん」

 真顔で首を横に振る初。六助が一瞬ガクッとなったものの、すぐに気を取り直した。

「じゃあ、結婚出来なくてもいいじゃない」
「でも、してあげないとかわいそうだよ?」
「大丈夫よ。六助様程の方ならきっと、いい相手が見つかるから」
「どうして?」
「結婚ていうのはね、そういうものなんだよ」

 帰蝶はそう言って、とても寂しそうに笑う。その表情に何か感じるものがあったのか、初は言葉を失い、質問攻めは中断されていた。
 この世界において、大名の家に生まれた女性にとっての「結婚」とは、政略結婚のことを指している。例に漏れず、帰蝶と信長もそうだったと聞いた。俺の知る唯一の例外は、秀吉とその奥さん、寧々の恋愛結婚だけだ。
 もちろん政略結婚だからといって愛が生まれないわけじゃない。お市も側室で政略結婚だったけど、浅井長政とは仲睦まじかったそうだ。

 でも、ほとんどの女性は家の安寧や発展のため、望まぬ結婚をさせられたのかもしれない。帰蝶も信長のことは慕っていたみたいだけど、俺の周りが恵まれているだけなんだと思う。
 帰蝶とお市、そして六助は、そんな現実をこの場で伝えることを避けた。出来ればこの子たちが大人になるまでに天下泰平の世が訪れ、誰もが皆恋愛結婚を出来る世の中になればいいと願っているのかもしれない。

 あれこれと物思いにふけっていると、目尻に涙を溜めた六助が口を開いた。

「でも、初殿の気持ちはとても嬉しいよ。ありがとう」
「うん! おおきくなったらね!」
「いや、そうじゃなくて……」

 やんわりと断られたことを理解するのは、初にはまだ早いらしい。そのやり取りを見たお市が険しい視線を向ける。

「ちょっとあんた、本当に初のこと……!?」
「いやだから」
「誰か! この変態をつまみ出しなさい!」
「え!? 本当に!? いやいや、ちょっと待っ……!」
「ろくすけさま、ばいば~い!」

 笑顔で手を振る初に見送られ、薙刀を持った侍女たちに、強制的に連行されていく織田家の重臣。翌日噂の広まった織田家では、六助が幼女趣味――俺の元いた世界でいうロリコン――認定を受けるに至ったとさ。めでたし、めでたし。
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