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槇島城の戦い~高屋城の戦い
新たなるお犬様
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やがて戦後処理を終えてソフィアも帰った頃、何か報告したいことがあるとのことで、六助が久々に顔を見せた。久々とは言っても数日間のことだけど、いつも会っていたせいでそう感じる。
まだ撤収していない陣営の中、俺はお座敷に寝転び、六助は椅子にどっしりと座っている。
「本日はプニ長様に御伺いしたいことがあって参りました」
「キュン(ほう)」
「とある者の処遇を決めていただきたいのです」
「キュンキュン(かしこまりました)」
とある者、とは誰だろう。武田の家臣や指揮官は、追撃戦で遭遇するなりその場で斬ったと聞いている。とすれば、何か織田家の力になりそうな屈強な兵とかそんなところだろうか。
あれこれと考えていたら、六助が背後を振り向き、「連れて来い」と手を挙げながら言った。のれんのような布が押し分けられ、六助の部下が姿を現す。その足元には見知った顔があった。
「キュ(あっ)」
黒を基調とした毛並みに、尖った耳と短い尻尾。チワワ程ではないけど、かっこよさと可愛さを兼ね備えた尊い生命体がそこにいる。
すっかり忘れていた。勝頼に「親父」と呼ばれていた、恐らくは武田信玄代わりにされていたドーベルマンだ。
部下とドーベルマンが俺たちのところに歩み寄って来ると、六助は彼らを手で示して言った。
「合戦が終わった後の設楽ヶ原を、武田兵と共に彷徨っていたとのこと。何らかの原因で逃げ遅れたのでしょう。見たこともない犬種であることから、プニ長様やモフ政殿同様、お犬様ではないかと思われます。となると信玄の代わりに召喚された可能性が高い。少なくとも今回の戦場に居合わせた武将ではないはずですから」
俺やモフ政みたいに誰かの代わりに召喚されたということは、長篠の戦い以前に他界していなければならない。武田四名臣のうち三名を始めとした重臣や指揮官はこの戦場にいたことがわかっている。
となれば、このドーベルマンは信玄の代わりとして召喚されたと見てほぼ間違いない……ということになる。俺はわかっていたけど、他から見ても明らかというわけだ。
「それを踏まえまして、この者をどうするか御伺いしたく存じます」
「キュン(ううむ)」
どうって言われても、こんなに尊い生き物を悲惨な目に遭わせるようなことなんて出来ない。だから選択肢は一つだ。
「キュキュン(こいつはうちで飼おう)」
「…………」
言葉が通じないので首を傾げられた。毎度毎度、それなら聞くなよと思う。ところが六助は手のひらに拳をぽんとのせ、何かいいことを思いついたと言わんばかりのアクションをすると、俺に両の手の平を差し出した。
「生かすならこちらの手に、殺すならこちらの手に『お手』を賜る、というのは如何でしょうか。どちらでもないなら『お手』は結構ですので」
確かにそれは名案だ。何故この簡単な意思確認の方法を今まで思いつかなかったのかは置いておこう。
俺が右前足を「生かす」の選択を示す、六助の右手に置いた。すると六助は気持ちの悪い笑みを浮かべながら「うっほほ」と喜ぶ。
「さすがはプニ長様。敵の総大将を生かし置くとは」
「キュンキュキュン(ただの犬だろうが)」
おまけに向こうの総大将は勝頼だろ。いや勝頼じゃないのか?
俺と六助のやり取りが終わると、それまで大人しくしていた信玄? がゆっくりとこちらへ歩いて来た。俺と正面から対峙する形になる。
「ん? おいどうした。プニ長様に何かしたら怒るぞ」
人質にもなるので斬れず、何だか小学生みたいなことを言ってしまった六助を無視して、信玄? は静かにこちらを見下ろしている。周囲にいる者たちが警戒して腰に携えた刀に手をかけた。
だが。
スンスン、スンスン。
信玄は俺の身体を隅から隅まで嗅ぎまわり始める。場の緊張が一気に解け、あちこちから「なんだ」「いつものやつか」と言った声が聞こえてきた。
モフ政もそうだけど、何でこいつら身体の匂い嗅ぐの好きなの? 俺としては恥ずかしいので直ぐにやめて欲しい。
「キュ、キュン。キュウン(おい、もういいだろ。やめろ)」
「……」
「キュン(おい)」
「……、……。……!」
そこで信玄は匂いを嗅ぐのをやめて、勢いよく顔を上げた。陣の中にいる一人の足軽をじっと見つめている。
「キュン? (どうした?)」
「ガルル……」
唸り声をあげた次の瞬間、信玄が地を蹴り駆け出した。空気の抵抗があることを忘れてしまいそうな程の軽やかな走り。筋肉質な足で一歩一歩、素早く確実に足軽との距離を縮めていく。
足軽は何が起こったのかわかっていない様子で、驚いた表情のまま固まってしまっている。
誰も制止する間すらなく、気が付けば信玄は足軽に噛みついていた。
「ガルル!」
「うおっ、痛え! 何だこいつ、おい、誰か助けてくれ!」
「一体どうした!」
六助がそう叫びながら立ち上がると、部下たちも一斉に彼らの元へ詰め寄る。しかし、足軽の顔を見た六助が何かに気付いたらしい。そろっと指を差しながら問い掛けた。
「お主、見かけぬ顔だが……もしや、武田の者ではないのか?」
「「「!!!!」」」
全員が目を見張り、ほんまや! みたいな顔をした。いやいやそれは気付けよ。
いや、でも武田に仕えているとはっきりわかっているものを持っていなければ案外気付かないものかもしれない。高校で同じ学年の生徒の顔を全員は覚えていなかったように、今や何万という軍勢を抱える司寿隊なら、同僚の顔がわからないということもあるのだと思う。
「はい、私は武田の者です!」
「捕らえろ!」
とても素直に認めたので、六助が号令を出す。部下たちが次々に足軽を抑えつけて、その内の一人が縄をかけた。
役目を終えた信玄が、何食わぬ顔でゆっくりとこちらに戻って来る。
「キュキュン(ありがとな)」
「ガルル」
通じてるか通じてないんかわからん。でも、武田の残党を潰してくれた辺り、味方になったと見ていいのではないだろうか。
俺の匂いとか何かそんなのを気に入ってくれたということにしておこう。
部下たちに残党の処分などを申し付けた六助は、こちらに帰ってくるなり信玄の背中を撫でながら笑った。
「いや~、プニ長様に命を救っていただいたことに恩義を感じているようですな! 早速、忠誠を結果で示してくれました!」
「ガルル」
「うおっ!」
慣れ慣れしくするなと言わんばかりに、六助の手に噛みついた。とはいえ甘噛みで、六助もすぐに離れたので特に怪我などはないようだ。
「何だ、プニ長様以外には触られたくないということか?」
「キュウン? (そうなの?)」
試しに近付いてぽんと右前足で触れてみる。
「ガルル」
「喜んでいるようですな」
わかりやすくぶんぶんと尻尾を振り始めた。よくわからんけど、俺には心を開いてくれているとみていいようだ。
「プニ長様が命の恩人であるだけではなく、いと尊き御方でもあることを肌で感じているのでしょう。中々に見所のあるやつです」
「キュキュンキュウン? (何で上から目線なの?)」
まあ、でもこいつ強そうだし、護衛についてくれたら心強いかもな。ただ、そうなると屋敷に住む子たちが怖がらないかがちょっと心配だ。帰蝶やお市は何とかなるにしても、浅井三姉妹はだめかもしれない。
何を隠そう俺も小さい頃は警察犬というイメージの強いドーベルマンの魅力を理解出来ず、ただただ怖い犬と思って、近くを通る度に怯えていたものだ。
「キュキュンキュン(とりあえずは屋敷に連れ帰ってみるか)」
「ガルル」
翌日、織田軍と徳川軍は長篠を後にし、それぞれの帰路に就いた。
まだ撤収していない陣営の中、俺はお座敷に寝転び、六助は椅子にどっしりと座っている。
「本日はプニ長様に御伺いしたいことがあって参りました」
「キュン(ほう)」
「とある者の処遇を決めていただきたいのです」
「キュンキュン(かしこまりました)」
とある者、とは誰だろう。武田の家臣や指揮官は、追撃戦で遭遇するなりその場で斬ったと聞いている。とすれば、何か織田家の力になりそうな屈強な兵とかそんなところだろうか。
あれこれと考えていたら、六助が背後を振り向き、「連れて来い」と手を挙げながら言った。のれんのような布が押し分けられ、六助の部下が姿を現す。その足元には見知った顔があった。
「キュ(あっ)」
黒を基調とした毛並みに、尖った耳と短い尻尾。チワワ程ではないけど、かっこよさと可愛さを兼ね備えた尊い生命体がそこにいる。
すっかり忘れていた。勝頼に「親父」と呼ばれていた、恐らくは武田信玄代わりにされていたドーベルマンだ。
部下とドーベルマンが俺たちのところに歩み寄って来ると、六助は彼らを手で示して言った。
「合戦が終わった後の設楽ヶ原を、武田兵と共に彷徨っていたとのこと。何らかの原因で逃げ遅れたのでしょう。見たこともない犬種であることから、プニ長様やモフ政殿同様、お犬様ではないかと思われます。となると信玄の代わりに召喚された可能性が高い。少なくとも今回の戦場に居合わせた武将ではないはずですから」
俺やモフ政みたいに誰かの代わりに召喚されたということは、長篠の戦い以前に他界していなければならない。武田四名臣のうち三名を始めとした重臣や指揮官はこの戦場にいたことがわかっている。
となれば、このドーベルマンは信玄の代わりとして召喚されたと見てほぼ間違いない……ということになる。俺はわかっていたけど、他から見ても明らかというわけだ。
「それを踏まえまして、この者をどうするか御伺いしたく存じます」
「キュン(ううむ)」
どうって言われても、こんなに尊い生き物を悲惨な目に遭わせるようなことなんて出来ない。だから選択肢は一つだ。
「キュキュン(こいつはうちで飼おう)」
「…………」
言葉が通じないので首を傾げられた。毎度毎度、それなら聞くなよと思う。ところが六助は手のひらに拳をぽんとのせ、何かいいことを思いついたと言わんばかりのアクションをすると、俺に両の手の平を差し出した。
「生かすならこちらの手に、殺すならこちらの手に『お手』を賜る、というのは如何でしょうか。どちらでもないなら『お手』は結構ですので」
確かにそれは名案だ。何故この簡単な意思確認の方法を今まで思いつかなかったのかは置いておこう。
俺が右前足を「生かす」の選択を示す、六助の右手に置いた。すると六助は気持ちの悪い笑みを浮かべながら「うっほほ」と喜ぶ。
「さすがはプニ長様。敵の総大将を生かし置くとは」
「キュンキュキュン(ただの犬だろうが)」
おまけに向こうの総大将は勝頼だろ。いや勝頼じゃないのか?
俺と六助のやり取りが終わると、それまで大人しくしていた信玄? がゆっくりとこちらへ歩いて来た。俺と正面から対峙する形になる。
「ん? おいどうした。プニ長様に何かしたら怒るぞ」
人質にもなるので斬れず、何だか小学生みたいなことを言ってしまった六助を無視して、信玄? は静かにこちらを見下ろしている。周囲にいる者たちが警戒して腰に携えた刀に手をかけた。
だが。
スンスン、スンスン。
信玄は俺の身体を隅から隅まで嗅ぎまわり始める。場の緊張が一気に解け、あちこちから「なんだ」「いつものやつか」と言った声が聞こえてきた。
モフ政もそうだけど、何でこいつら身体の匂い嗅ぐの好きなの? 俺としては恥ずかしいので直ぐにやめて欲しい。
「キュ、キュン。キュウン(おい、もういいだろ。やめろ)」
「……」
「キュン(おい)」
「……、……。……!」
そこで信玄は匂いを嗅ぐのをやめて、勢いよく顔を上げた。陣の中にいる一人の足軽をじっと見つめている。
「キュン? (どうした?)」
「ガルル……」
唸り声をあげた次の瞬間、信玄が地を蹴り駆け出した。空気の抵抗があることを忘れてしまいそうな程の軽やかな走り。筋肉質な足で一歩一歩、素早く確実に足軽との距離を縮めていく。
足軽は何が起こったのかわかっていない様子で、驚いた表情のまま固まってしまっている。
誰も制止する間すらなく、気が付けば信玄は足軽に噛みついていた。
「ガルル!」
「うおっ、痛え! 何だこいつ、おい、誰か助けてくれ!」
「一体どうした!」
六助がそう叫びながら立ち上がると、部下たちも一斉に彼らの元へ詰め寄る。しかし、足軽の顔を見た六助が何かに気付いたらしい。そろっと指を差しながら問い掛けた。
「お主、見かけぬ顔だが……もしや、武田の者ではないのか?」
「「「!!!!」」」
全員が目を見張り、ほんまや! みたいな顔をした。いやいやそれは気付けよ。
いや、でも武田に仕えているとはっきりわかっているものを持っていなければ案外気付かないものかもしれない。高校で同じ学年の生徒の顔を全員は覚えていなかったように、今や何万という軍勢を抱える司寿隊なら、同僚の顔がわからないということもあるのだと思う。
「はい、私は武田の者です!」
「捕らえろ!」
とても素直に認めたので、六助が号令を出す。部下たちが次々に足軽を抑えつけて、その内の一人が縄をかけた。
役目を終えた信玄が、何食わぬ顔でゆっくりとこちらに戻って来る。
「キュキュン(ありがとな)」
「ガルル」
通じてるか通じてないんかわからん。でも、武田の残党を潰してくれた辺り、味方になったと見ていいのではないだろうか。
俺の匂いとか何かそんなのを気に入ってくれたということにしておこう。
部下たちに残党の処分などを申し付けた六助は、こちらに帰ってくるなり信玄の背中を撫でながら笑った。
「いや~、プニ長様に命を救っていただいたことに恩義を感じているようですな! 早速、忠誠を結果で示してくれました!」
「ガルル」
「うおっ!」
慣れ慣れしくするなと言わんばかりに、六助の手に噛みついた。とはいえ甘噛みで、六助もすぐに離れたので特に怪我などはないようだ。
「何だ、プニ長様以外には触られたくないということか?」
「キュウン? (そうなの?)」
試しに近付いてぽんと右前足で触れてみる。
「ガルル」
「喜んでいるようですな」
わかりやすくぶんぶんと尻尾を振り始めた。よくわからんけど、俺には心を開いてくれているとみていいようだ。
「プニ長様が命の恩人であるだけではなく、いと尊き御方でもあることを肌で感じているのでしょう。中々に見所のあるやつです」
「キュキュンキュウン? (何で上から目線なの?)」
まあ、でもこいつ強そうだし、護衛についてくれたら心強いかもな。ただ、そうなると屋敷に住む子たちが怖がらないかがちょっと心配だ。帰蝶やお市は何とかなるにしても、浅井三姉妹はだめかもしれない。
何を隠そう俺も小さい頃は警察犬というイメージの強いドーベルマンの魅力を理解出来ず、ただただ怖い犬と思って、近くを通る度に怯えていたものだ。
「キュキュンキュン(とりあえずは屋敷に連れ帰ってみるか)」
「ガルル」
翌日、織田軍と徳川軍は長篠を後にし、それぞれの帰路に就いた。
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