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野田福島~比叡山

土下座とプニプニ

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 最初に仕掛けて来たのは顕如だった。

「さて、和睦とはいっても、このまま戦争を続ければ織田の敗北は必至。話を持ち掛けてきたのもそちらなわけですし、ここは一つ誠意を見せていただかなければなりませんね」

 そう言って怪しげな笑みを浮かべてくる。やはり俗世との縁は一ミリも切れていないらしい。
 でも、顕如の言っていることは正しい。むしろ一時は三好三人衆からの和睦案を断っておきながら、この話を受けてもらえただけでも幸運だ。

「……誠意……誠意……誠意……」
「顕如の言う通りぞ。早くしてたも」

 全員からちくちく言われつつも、六助は反撃をする様子は見せない。織田家の為に腹は括っているということだろう。だったら最初から大人しくしていて欲しかったところだ。
 ていうか上洛を手伝ってやったんだから、義昭は少しくらいこちらの味方をしてくれてもいいと思うんだけどな。

「どうしました? 何もしてくださらないというのであれば、やはりこの話はなかったことに」
「お待ちください」

 六助が手を前に突き出して制止した。そして、そのまま一切ためらうことなく速やかにあの姿勢をとる。

「この度は真に申し訳ありませんでした。今回の戦、どうかここまでで手打ちにしてくださいませんでしょうか」
「ぬっ」
「……意外……漢……」
「ほほう。やれば出来るではないかえ」

 驚くほどすんなりと土下座をした六助に、顕如と義景は面喰らい、義昭は感心をした様子だ。
 さっきまでのこいつを見ていたらどうなることかと思ったけど、ちゃんと謝れるじゃねえか。何だかんだ言って織田家に忠実なやつだし、皆の為に土下座をする覚悟は決めてくれてたってことだろう。
 センキュウ六助……あれ?

「…………」

 こ、こいつ、両手が床についてねえ……! 横にいてかつ、犬の身体で視線の低い俺じゃないと気付かないくらいの浮き具合だけど、本当に少しだけ床から離れている!
 おまけに般若のような恐ろしい形相で微妙に口角を吊り上げながら、他の三人には見えないように舌を出してやがる。こわっ!
 やっぱり嫌なもんは嫌だったか。織田家の為と屈辱の板挟みで、想像を絶する葛藤があったに違いない。

「まあ、そこまで仰るのなら仕方がありませんね。私も法然様の教えを説く身、これまでのことは水に流すと致しましょう」
「私も……なく……許……」

 お~い、皆さん騙されてますよ~。こいつは一つも水に流す気はありませんよ~むしろ後日、約束を反故にして襲いかかる勢いですよ~。
 まあ仲介してくれた朝廷や義昭の面目もあるし、さすがにそこまではしないか。しないよな?

「ただし」

 そこで言葉を区切った顕如の視線はこちらに向けられた。

「もう一つの条件を差し出していただいてからです。ご自身でお書きになったものを忘れたわけではないでしょう」
「……もちろんです」

 そう言って六助は身体を起こすと、俺の方に向き直る。

「プニ長様、申し訳ありませんが」
「キュキュン(もう謝らなくていいって)」

 もう一つの条件というのはもちろん俺の肉球を顕如と義景に触らせることだ。日本の常識でいえばアホみたいな話だけど、こちらの世界では柔らかい肉球にはそれくらいの価値があるらしい。
 すでに覚悟を決めている俺は、自ら進んで宿敵たちの前に躍り出る。

「おや、素直で実に結構なことです」
「キュ、キュキュンキュン(さあ、やるならやってくれ)」
「では早速……」

 顕如は俺の左前足を手に取ってプニプニし始めた。

「ふっふっふ、正にいとプニプニといったところでしょうか」
「くうっ……プニ長様、申し訳ありません……申し訳ありません……」
「キュ、キュウンキュン(いや、そんな泣かんでも)」

 背後からは六助のむせび泣く声が聞こえてくる。

「さあ、次は義景殿の番で……むっ」

 義景に渡す為、顕如が俺を抱っこしようとしたので、思わず避けてしまった。

「キュキュン、キュン(行けばいいんだろ、行けば)」
「自分で義景殿のところまで歩くと……随分と賢いのですね」
「プニ長様は……ぐずっ、ただの犬では、ありませんから。お犬様でず」
「キュ、キュウンキュン(いや、ただの犬だけど……)」

 六助が泣きながら何か言っているけど、意味はよくわからない。ていうかとりあえず泣き止んでくれ。
 義景の前に移動すると、ぎらぎらぎょろりとした目でこちらを見つめてきた。正面から見てもやっぱり不気味な面だ。

「犬……肉球……ても……やわら……」

 そしてその手が俺の前足に伸びて来た、その瞬間だった。

「うおおおおお!!!!!! プニ長様ああああぁぁぁぁ!!!! あはああああぁぁぁぁん!!!!」

 大講堂の空気を切り裂く、六助の絶叫。俺の肉球を宿敵にプニプニされるということについに耐え切れなくなったのだろう。自分で言ってても何の話なのかよくわからない。
 視界に入った義景だけでなく顕如も義昭も、その場にいた全員の肩が一瞬跳ねるのが容易に想像出来た。
 案の定、次々と不満の声が漏れてくる。

「び、びっくりしたであろ。何じゃその断末魔は」
「全く……仮にも武将たる者が、潔くないにも程がありますね。先程の土下座で見せた覚悟はどこに行ったのですか?」

 見れば顕如は、露骨に顔をしかめて侮蔑の眼差しを送っていた。

「……本当……驚……情け……」
「だってだって、プニ長様の肉球が……プニプニが! んもおおおおおおっほっほほおおおおぉぉぉぉん!!!!」
「キュンキュン(いいから落ち着け)」

 一向に講和が進行しないから、義景の前でプニプニ待機する時間が続いていて俺まで逆につらい。言うなれば小学生の頃、インフルエンザ予防か何かで注射をされるのを同級生の後ろに並んで待っていたあの時間に似ている。
 やるなら早くやってくれ、なんて思っていると、息を一つついて気を取り直した義景が改めて俺の方に腕を伸ばしてきた。すると、

「ああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!」
「キャンキャン! (うるせえよ!)」

 我慢ならず、とうとう俺まで怒ってしまった。
 ただ泣き叫ぶだけならいざ知らず、そのタイミングとか声量にめちゃめちゃ驚いてしまうのだからしょうがない。造りのお粗末なお化け屋敷なんかよりもよほどびっくりする。
 その後も似たようなやり取りを繰り返しながら、どうにか義景にプニプニさせるのを終えることが出来た。ところが。

「さて、義景殿もプニプニし終えたようですし、次はモフモフですな」
「なっ……!」

 事務的に放たれた顕如の言葉に、六助が驚愕の表情を浮かべる。

「おや、お忘れですか? 和睦の条件にはプニプニだけでなく、モフモフし放題というのも含まれていたはずですが」
「うぐっ」

 確かに、軍議の通りなら和睦の条件にはプニプニだけでなくモフモフも提供していたはずだ。書状を送った本人である六助が言葉に詰まっているのを見る限り、そういう内容になっていたのも間違いないらしい。
 まじかよ明智め、余計なアイディアを出しやがって……とは思ったものの、まあ少し触られたり頬ずりされるのくらい我慢してやるか。
 再び目の前にやってきた俺を見て、顕如が口の端に笑みを浮かべた。

「ふふ、そうですそれでいいのですよ」
「ぐぐっ……くそぅっ」

 背後からは六助の唸り声が聞こえている。頼むからまたさっきみたいに泣き叫ぶのだけはやめてくれよ。

「くっくっく。このモフモフ、正に天下無双。この世に金と女以上に尊いものがあることを認める日が来るとは思いもよりませんでしたよ」
「…………」

 こいつどんどん本性があらわになってるな……まあ、元から隠す気はなさそうだったから別にいいんだけど。
 しかし、六助がいる方からは何も聞こえてこないな。さすがにあいつも慣れて耐えられるようにはなってきたのか。このまま終わるまで静かにしておいてくれると嬉しい。
 顕如の番が終わって義景のターンへ。もう何をしても変わらないので、特に抵抗することもなく抱っこされてやる。

「……モフモフ……モフモフ……」

 義景は頬ずりしながら不気味な笑みを浮かべている。
 うおお、怖すぎてめっちゃ鳥肌立ってきた。穢れた身になってしまったし、早く帰って帰蝶に浄化してもらわないと。
 おっさんどもに一通りプニプニとモフモフを提供し終えて、耐え難い儀式がようやく終わった。結局、六助はモフモフの最中に沈黙して以来、一度も暴れずに我慢してくれていたみたいだ。
 でも俺はこの十秒後、まだまだ六助という人間のことを理解出来ていなかったんだと後悔をするはめになる。

 義景の腕から解放されて、さあ帰ろうかと六助がいる方を振り向いた。その時。

「…………」
「キュン? (六助?)」
「…………」
「キュ、キュキュン! (おい、六助!)」

 そこには、正座の体勢で膝の上に血がにじむ程に強く拳を握り、鬼の形相のまままるで彫像のように固まって動かない、六助の姿があった。

「キュン、キュキュン…… (こいつ、死んでやがる……)」

 思わずそうつぶやいてしまったけど、多分死んではいない。

「どれだけプニ長殿に触れられるのが嫌だったのですか」
「これは死んでいるのかえ?」

 義昭が指でつんつんするも全く反応はない。

「いえ、さすがに気絶しているだけだとは思いますが。我々にもどうしたらいいかはわかりませんので、ひとまず放置しておきましょう」
「うむ」

 そう言って六助を放置したまま、三人は退出していった。当然置いて帰る訳にも行かないので、俺は六助の横で寝て待つことにする。
 こいつなりに頑張ってくれたとは思うし、たまにはこんな時間も悪くはない。
 外に見える黄色と赤に染まった自然を眺めながら、しばらくはごろごろして時間を潰していた。
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