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序章
プロローグ、二
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家までの道のりはそう複雑なものじゃない。これから寄ろうとしている本屋もその途上にある。
ニクキューサンキューを出てからずっと真っすぐ行って、最初に曲がるべき交差点に差し掛かった。現在は信号が赤になっている。
通りを行き交う人々は、ピークの時間帯に向けてその数を増やしつつある。お兄さんと話し過ぎてしまったらしく、信号待ちの間にスマホで確認すると、すでに時刻は夕方になっていた。
信号が青になり、地面から足を離して再びペダルを踏み込んだ。横断歩道を横に渡って、本屋のある通りを走って行く。
その最中、視界の端に何か神々しいものを捉えた気がした。自転車を停めてその場で勢いよく振り返ると、そこには神があらせられた。
トコトコと、チワワがその小さい手足で頑張って歩いている。
「可愛い~」「でもあれ、やばくない?」
「飼い主とか近くにいないの?」
近くで同じように気付いたらしい女性二人の会話が耳に届く。
そう、神が歩いていらっしゃるのは道路のど真ん中。片側二車線でそこそこの交通量がある中を、勇猛果敢に横断しようとしている最中だ。
いつものように尊いと思う間もなく、気付けば自転車を置き去りにして走り出していた。ガードレールを乗り越えて、いつでもチワワを救出出来るようにスタンバイしておく。
少しずつ小さな異常事態に気付いた人も増え、道路に視線が集まっていく。隣にいる人と何やら話をしていたり、スマホで撮影をしている人なんかもいるけど、誰もあの子を助けようとはしない。
それはそうだ。誰だって自分の身が一番可愛いんだから。チワワを可愛いとか、あんなところにいて危ない、とか思うことはあっても、身体を張ってまで助け出すなんてことをする人はそうそういない。
でも俺は違う。チワワの危機とあっては身を投げ出さずにはいられないし、むしろこの為に生まれて来たんじゃないかと思えるくらいだ。
明らかに救出のタイミングを窺っている俺の方にも、徐々に衆目の興味が注がれているのを感じる。ちょっと恥ずかしいけど、もうそんな場合じゃなかった。
ようやく車の往来が一段落したところで標的を目指し、駆けていく。向こうもこちらに気付いて、「何? 遊んでくれるの?」みたいな顔で尻尾を振りながら歩いて来た。かなり人懐っこい。
尊すぎて思わず鼻血が出そうになるのを必死でこらえる。
今まで生でチワワと触れ合う機会はそこまで多くなかった。ニクキューサンキューで、たまに店長がいない時にお兄さんが触らせてくれる時だけだ。
どさくさに紛れてこのままモフモフしてしまいたい……。そんな邪な気持ちを抱いたのが良くなかったのかもしれない。
けたたましいクラクションの音が鳴り響く。
鼻血をこらえる為に立ち止まった隙に、普通乗用車が接近していたらしい。進路と速度から考えれば、このままでは俺も尊いこの子もあの世行きだ。
そうなれば、もう俺に他の選択肢は存在しなかった。
目の前にいたチワワを抱き寄せて、車がいる方向に背を向ける。道路脇からあがる悲鳴。車のタイヤが奏でる、急ブレーキをした時の耳障りな擦過音。
もう俺はどうなったっていい、この子だけでも生きてくれれば……と、そこまで考えたところで、ある一つの衝撃的な事実に気が付いた。
ほわあ、この子めっちゃモフモフしてる……。
チワワを抱っこ出来るだけでも至福だというのに、すごく毛並みがよくて思わず昇天しそうになってしまう。そんな場合じゃないけど、まあこんな終わり方をするのなら、俺の人生も悪くはなかったかもな。
(そんなに好きなら、来世でチワワになれるかもね。もしそうなったら、私が大きなお屋敷で飼ってあげる!)
何故か、幼馴染の女の子の言葉が脳裏をよぎった。
そんなことあるわけはないけど、もしそうなったら頼むよ。飯は豪華なやつを一日三食ください……。
なんて考えている内に、俺の視界は光に包まれて白くなっていった。
〇 〇 〇
気付けば真っ白な空間の中にいた。方向感覚はなく、水の中に仰向けで漂っているような、そんな不思議な感じだ。
どうしようもないのでそのままぼーっとしていると、突然目の前に光に包まれた何かが現れる。
次第にそれは人……いや、翼の生えた女性になった。
さらりと肩のあたりまで流れる金の髪に、全てを見通しているかのような、理知に富んだ碧い瞳。そしてくすみ一つない色白の肌を持つ美少女は、こちらと目が合うなり語りかけて来た。
「犬上武《いぬがみたけし》さん、こんにちは」
「こんにチワワ」
不思議と気持ちは落ち着いている。恐らく俺はあのチワワをかばって死んでしまったのだろう。
ならよかった。俺は俺の使命をきちんと果たせたんだ。
だけどここは天国にも地獄にも見えない。なんなんだろう……そう思っていると女性が話を切り出す。
「あなたはお亡くなりになられました」
「そうみたいですね」
「なので、これから貴方にはチワワに転生していただきます」
「なんで?」
いやいやちょっと待って、全然意味がわからない。
まず何で「なので」なのか繋がりがわからないし、転生することにも驚きだし、その先がチワワだっていうのもそうだ。
さっきはもしそうなったら、なんて考えたけど、本当にチワワになるにしても、まだ幼馴染の女の子は生きてるから来世で出会えないし……いや、もうそこは置いておこう。
大いに戸惑って固まっていると、女性は頬に人差し指を当てながら可愛らしく首を傾げた。
「もしかして武さんは、どのようにしてご自身が亡くなられたのか理解していらっしゃらないのですか?」
「車に轢かれたんですよね?」
女性は首を小さく横に振った。
「いえ違います。あなたはチワワを抱っこした際に幸福のあまり昇天したのです」
「ええっ」
「もっとも、その後にちゃんと乗用車には轢かれましたが……」
「ちゃんとって何だよ」
確かに痛みは感じなかったような気もするし、幸せだったのは確かだけど。
死んだ時の状況を頭の中で思い起こしていると、女性は勝手に話を続けた。
「それで、助けられたチワワが『ありがとうだワン……せめて次の世ではチワワになって僕とお友達になって欲しいワン……』と天に祈ったので、私がしょうがなくその願いを聞き届けてあげることにしたのです」
「しょうがなくとかいうな」
ていうかそんな風に思ってくれてたのか、あのチワワめっちゃ可愛いやん。女神の方はありがた迷惑なだけだけど。
「とにかくそういったわけで、これから貴方にはとある世界でチワワとして天下を統一していただきます」
「天下を統一とか今どきヤンキーくらいしか使わない言葉ですけど」
そもそもチワワと天下統一という単語が並ぶのも意味不明だ。
「貴方が転生するのは戦国時代の日本風異世界ですから」
「戦国時代の日本風異世界……。でも、俺がチワワってことはその世界には他にもチワワが」
「いません」
「何でだよ」
「まあそんな細かいことはいいじゃないですか。現地に行けばわかることですし」
「はあ」
細かいことって、そもそもそれだとあのチワワと来世でも友達になれないから意味ないやん。何のためのチワワ転生だよ。
呆れ果てていたら、女性はどこから取り出したのかせんべいをぼりぼりと食べ始めた。説明に飽きたのかもしれない。
「それじゃあ後は現地で何とかしてくだふぁいね~」
「説明します、とかじゃなくて何とかしてください、ですか」
「私も行けたら行きますから」
「それ絶対来ないやつじゃないですか」
「早くしないとサザ〇さん始まっちゃいますから、はいスタート!」
「送り出し方適当だなおい」
そして俺の視界は再び光に包まれた。
ニクキューサンキューを出てからずっと真っすぐ行って、最初に曲がるべき交差点に差し掛かった。現在は信号が赤になっている。
通りを行き交う人々は、ピークの時間帯に向けてその数を増やしつつある。お兄さんと話し過ぎてしまったらしく、信号待ちの間にスマホで確認すると、すでに時刻は夕方になっていた。
信号が青になり、地面から足を離して再びペダルを踏み込んだ。横断歩道を横に渡って、本屋のある通りを走って行く。
その最中、視界の端に何か神々しいものを捉えた気がした。自転車を停めてその場で勢いよく振り返ると、そこには神があらせられた。
トコトコと、チワワがその小さい手足で頑張って歩いている。
「可愛い~」「でもあれ、やばくない?」
「飼い主とか近くにいないの?」
近くで同じように気付いたらしい女性二人の会話が耳に届く。
そう、神が歩いていらっしゃるのは道路のど真ん中。片側二車線でそこそこの交通量がある中を、勇猛果敢に横断しようとしている最中だ。
いつものように尊いと思う間もなく、気付けば自転車を置き去りにして走り出していた。ガードレールを乗り越えて、いつでもチワワを救出出来るようにスタンバイしておく。
少しずつ小さな異常事態に気付いた人も増え、道路に視線が集まっていく。隣にいる人と何やら話をしていたり、スマホで撮影をしている人なんかもいるけど、誰もあの子を助けようとはしない。
それはそうだ。誰だって自分の身が一番可愛いんだから。チワワを可愛いとか、あんなところにいて危ない、とか思うことはあっても、身体を張ってまで助け出すなんてことをする人はそうそういない。
でも俺は違う。チワワの危機とあっては身を投げ出さずにはいられないし、むしろこの為に生まれて来たんじゃないかと思えるくらいだ。
明らかに救出のタイミングを窺っている俺の方にも、徐々に衆目の興味が注がれているのを感じる。ちょっと恥ずかしいけど、もうそんな場合じゃなかった。
ようやく車の往来が一段落したところで標的を目指し、駆けていく。向こうもこちらに気付いて、「何? 遊んでくれるの?」みたいな顔で尻尾を振りながら歩いて来た。かなり人懐っこい。
尊すぎて思わず鼻血が出そうになるのを必死でこらえる。
今まで生でチワワと触れ合う機会はそこまで多くなかった。ニクキューサンキューで、たまに店長がいない時にお兄さんが触らせてくれる時だけだ。
どさくさに紛れてこのままモフモフしてしまいたい……。そんな邪な気持ちを抱いたのが良くなかったのかもしれない。
けたたましいクラクションの音が鳴り響く。
鼻血をこらえる為に立ち止まった隙に、普通乗用車が接近していたらしい。進路と速度から考えれば、このままでは俺も尊いこの子もあの世行きだ。
そうなれば、もう俺に他の選択肢は存在しなかった。
目の前にいたチワワを抱き寄せて、車がいる方向に背を向ける。道路脇からあがる悲鳴。車のタイヤが奏でる、急ブレーキをした時の耳障りな擦過音。
もう俺はどうなったっていい、この子だけでも生きてくれれば……と、そこまで考えたところで、ある一つの衝撃的な事実に気が付いた。
ほわあ、この子めっちゃモフモフしてる……。
チワワを抱っこ出来るだけでも至福だというのに、すごく毛並みがよくて思わず昇天しそうになってしまう。そんな場合じゃないけど、まあこんな終わり方をするのなら、俺の人生も悪くはなかったかもな。
(そんなに好きなら、来世でチワワになれるかもね。もしそうなったら、私が大きなお屋敷で飼ってあげる!)
何故か、幼馴染の女の子の言葉が脳裏をよぎった。
そんなことあるわけはないけど、もしそうなったら頼むよ。飯は豪華なやつを一日三食ください……。
なんて考えている内に、俺の視界は光に包まれて白くなっていった。
〇 〇 〇
気付けば真っ白な空間の中にいた。方向感覚はなく、水の中に仰向けで漂っているような、そんな不思議な感じだ。
どうしようもないのでそのままぼーっとしていると、突然目の前に光に包まれた何かが現れる。
次第にそれは人……いや、翼の生えた女性になった。
さらりと肩のあたりまで流れる金の髪に、全てを見通しているかのような、理知に富んだ碧い瞳。そしてくすみ一つない色白の肌を持つ美少女は、こちらと目が合うなり語りかけて来た。
「犬上武《いぬがみたけし》さん、こんにちは」
「こんにチワワ」
不思議と気持ちは落ち着いている。恐らく俺はあのチワワをかばって死んでしまったのだろう。
ならよかった。俺は俺の使命をきちんと果たせたんだ。
だけどここは天国にも地獄にも見えない。なんなんだろう……そう思っていると女性が話を切り出す。
「あなたはお亡くなりになられました」
「そうみたいですね」
「なので、これから貴方にはチワワに転生していただきます」
「なんで?」
いやいやちょっと待って、全然意味がわからない。
まず何で「なので」なのか繋がりがわからないし、転生することにも驚きだし、その先がチワワだっていうのもそうだ。
さっきはもしそうなったら、なんて考えたけど、本当にチワワになるにしても、まだ幼馴染の女の子は生きてるから来世で出会えないし……いや、もうそこは置いておこう。
大いに戸惑って固まっていると、女性は頬に人差し指を当てながら可愛らしく首を傾げた。
「もしかして武さんは、どのようにしてご自身が亡くなられたのか理解していらっしゃらないのですか?」
「車に轢かれたんですよね?」
女性は首を小さく横に振った。
「いえ違います。あなたはチワワを抱っこした際に幸福のあまり昇天したのです」
「ええっ」
「もっとも、その後にちゃんと乗用車には轢かれましたが……」
「ちゃんとって何だよ」
確かに痛みは感じなかったような気もするし、幸せだったのは確かだけど。
死んだ時の状況を頭の中で思い起こしていると、女性は勝手に話を続けた。
「それで、助けられたチワワが『ありがとうだワン……せめて次の世ではチワワになって僕とお友達になって欲しいワン……』と天に祈ったので、私がしょうがなくその願いを聞き届けてあげることにしたのです」
「しょうがなくとかいうな」
ていうかそんな風に思ってくれてたのか、あのチワワめっちゃ可愛いやん。女神の方はありがた迷惑なだけだけど。
「とにかくそういったわけで、これから貴方にはとある世界でチワワとして天下を統一していただきます」
「天下を統一とか今どきヤンキーくらいしか使わない言葉ですけど」
そもそもチワワと天下統一という単語が並ぶのも意味不明だ。
「貴方が転生するのは戦国時代の日本風異世界ですから」
「戦国時代の日本風異世界……。でも、俺がチワワってことはその世界には他にもチワワが」
「いません」
「何でだよ」
「まあそんな細かいことはいいじゃないですか。現地に行けばわかることですし」
「はあ」
細かいことって、そもそもそれだとあのチワワと来世でも友達になれないから意味ないやん。何のためのチワワ転生だよ。
呆れ果てていたら、女性はどこから取り出したのかせんべいをぼりぼりと食べ始めた。説明に飽きたのかもしれない。
「それじゃあ後は現地で何とかしてくだふぁいね~」
「説明します、とかじゃなくて何とかしてください、ですか」
「私も行けたら行きますから」
「それ絶対来ないやつじゃないですか」
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