dominante_motion

忠珍鱈

文字の大きさ
上 下
98 / 98

98

しおりを挟む
『コード進行の基本中の基本であるドミナントモーションはこうして今だ愛され続けているが……ふと、それはなぜかと考えてみたことがある』

五百ページ以上もあるその指南書を読み切った達成感に浸っていた駈の目に飛び込んできたのは、彼をこの本へとのめり込ませるきっかけになったその用語だった。

『不安定な響きが安定な響きに引き寄せられる――それは、人間が平穏や幸せに焦がれる姿によく似ている。しかし、望み通りそこへと行きつき終結するコード進行とは違い、現実はそこまでシンプルには出来ていないからこそ……私達はそれに惹かれずにはいられないのかもしれない』

いくらあとがきとはいえ、専門書らしからぬそのポエムじみたフレーズは、当時思春期真っ只中の駈にはどこかむず痒くもあったのだが――

(確かにその通りかもしれないな)

あまり順風満帆とは言えない人生を、じたばたと藻掻くように生きてきた。上手くいかないことばかりの現状を嘆き、英を妬んだこともあった。
そして今……ようやくその呪縛から解き放たれ、しかもこんなに満たされてなお、手離さないと言った傍からもう失うことを恐れている――


「なに、駈……どうしたの?」

ぼうっとしてしまっていた駈を、唇を離した英が覗き込んでいた。

「やっぱり眠くなっちゃった? それとも具合悪いとか……?」
不安げな表情の英に、駈は慌てて首を振る。
「いや、そういうんじゃないんだ。ただちょっと、考えごとしてて……」
その言葉に、ピクリと英の眉が反応した。

「へぇ……結構余裕あるんだ?」

……と、背中を降りてきた指が、そのまま尻の間へと割り入り、熱を持って腫れぼったくなった縁をそろりとなぞる。
たったそれだけで、さっきまで執拗に可愛がられた奥がびくびくとわなないてしまい、駈は咄嗟に疼く腹をきゅっと丸めた。

「……まっ、待て、英」
「なに?」
「せめて、ベッドにしないか」

お互いすでに引けないところまで来ているのは分かっていたので、駈はそう懇願する。

「さすがにのぼせた?」
「いや、それもあるけど……」
「けど……何?」

言い淀む駈に英がわざとそう突っ込むと、駈の顔にさらに朱が差す。

「やっぱりダメか? せっかくシーツも替えてくれたのに、また、その……汚しちゃうから……」
「いや、別にそれはいくらでもどうぞ、って感じだけど……ここでそのままするほうが、駈的にも楽なんじゃないかなって」
後処理してすぐ寝れるしさ、と付け加える英に、駈は赤い顔をさらに赤らめる。
「うん、まぁ、確かにその通りなんだけど……でも」
「……でも?」

その追及に駈ははくはくと口を開けたり閉じたりしたが……とうとう腹をくくったのか、視線は逸らしたままぼそぼそと呟いた。

「ずっと、ここでしてただろ。だから……ふやけてしまったんじゃないか、って……その、ナカの方も……」

そこまで何とか言った後、「いや、これはお前のためでもあるんだぞ!」と駈はやけっぱちに付け足した。

「……」

ハァ……と深々とため息を吐きながら、英が駈の手を取り自分の首へと回させる。

「駈、ほんとそういうの良くないと思う」
「えっ、俺、何か変なこと言ったか……?」
「……いや、何も!」

英は諦めたようにそう叫ぶと、よいしょ、と駈を横抱きに持ち上げた。

「お前……いつか腰悪くするぞ」
「ああ、それなら大丈夫。最近さらに鍛えてるからね」
「あれ、お前、あんまりやるとマズいんじゃなかったか? 筋肉付き過ぎちゃうとかなんとか……」
「ん、前は確かにそう思ってたけどさ……ちょっと気が変わって。もっと体力付けようかなって」
「そうなんだ……頑張ってるんだな」

素直に感心しつつも、最近、仕事の忙しさにかまけてジム通いをサボっていた駈には耳の痛い話でもあった。
俺も行かなきゃな、と続けようとした駈だったが――

「やっぱりさ、男たるもの、きちんと相手を満足させたいでしょ?」
「……満足?」
怪訝な顔をする駈に、英は一人でうんうん、と頷く。
「俺、寝落ちしちゃって、駈をそのまま放置しちゃったこと何度かあったよね? ほんと、悪かったなってすごく反省してさ」
「いや、別にそれは……お前も疲れてたんだし……」
「でも、駈……辛かっただろ?」
「……え?」
「だって、隣であんなことするぐらいだから……って、ちょ、殴らないで!」
「……ッ!!」

涙目になりながら、英の無駄に鍛えられた身体をばかすか殴る。
必死に宥めようとしてくる英を本気で睨み付けつつ――でも、悔しいがそんなふざけたやりとりのお陰で、頭を覆っていた暗い靄がすうっと晴れていく気がした。

「駈、悪かったって~」
「……」
「次からはちゃんと声、掛けるからさ!」
「そういうことじゃないっての……」

ため息をこぼしながら、駈は自分を抱いている男を見上げる。

(そうだよな……たった一年先のことだって、まるで予想なんてできなかった。だったら――)

「すぐる」

呼びかければ、すぐにその端正な顔が近付いてくる。
しかし、唇が触れ合う直前、英が二ッと白い歯を見せた。

「覚悟してよ、駈」
「えっ?」
「今度こそ本当に、何も考えられなくしてやるからな……俺のこと以外、何も」
「……」
「……だからさ、何か言ってってば……」

英は今更のように顔を真っ赤にしている。
駈はふふっと笑うと、さらにその腕をぎゅっと逞しい首へと巻きつけた。

「その約束、違えるなよ」
「駈こそ、途中で寝ないでよ?」
「……そこは『今夜は寝かさない』じゃないのか?」
「あー! そうだ、そうだった……っ!」
「ちょっ、うるさすぎるだろ……」

やかましい男に文句は言いつつ、結局、二人で笑いあう。
と、彼の首の後ろに回した右手が、自身の左手の薬指へと触れる。
飾り気のないそのプラチナの指輪は、もうすっかりそこを自分の定位置と認めたようだった。

そう……二人の『未来』は、この指輪に誓ってある。

(だったら、今は、この瞬間を――英だけをただ感じていたい)

「かける」

自らを呼ぶその甘く掠れた声に、そっとまぶたを閉じる。
今度こそ期待通りに寄越された唇に、駈は柔らかく噛みついてやった。
しおりを挟む

この作品の感想を投稿する

みんなの感想(1件)

花雨
2021.08.15 花雨

作品登録しときますね♪

忠珍鱈
2021.08.15 忠珍鱈

ありがとうございます!!

解除

あなたにおすすめの小説

【R18】孕まぬΩは皆の玩具【完結】

海林檎
BL
子宮はあるのに卵巣が存在しない。 発情期はあるのに妊娠ができない。 番を作ることさえ叶わない。 そんなΩとして生まれた少年の生活は 荒んだものでした。 親には疎まれ味方なんて居ない。 「子供できないとか発散にはちょうどいいじゃん」 少年達はそう言って玩具にしました。 誰も救えない 誰も救ってくれない いっそ消えてしまった方が楽だ。 旧校舎の屋上に行った時に出会ったのは 「噂の玩具君だろ?」 陽キャの三年生でした。

怒られるのが怖くて体調不良を言えない大人

こじらせた処女
BL
 幼少期、風邪を引いて学校を休むと母親に怒られていた経験から、体調不良を誰かに伝えることが苦手になってしまった佐倉憂(さくらうい)。 しんどいことを訴えると仕事に行けないとヒステリックを起こされ怒られていたため、次第に我慢して学校に行くようになった。 「風邪をひくことは悪いこと」 社会人になって1人暮らしを始めてもその認識は治らないまま。多少の熱や頭痛があっても怒られることを危惧して出勤している。 とある日、いつものように会社に行って業務をこなしていた時。午前では無視できていただるけが無視できないものになっていた。 それでも、自己管理がなっていない、日頃ちゃんと体調管理が出来てない、そう怒られるのが怖くて、言えずにいると…?

九年セフレ

三雲久遠
BL
在宅でウェブデザインの仕事をしているゲイの緒方は、大学のサークル仲間だった新堂と、もう九年セフレの関係を続けていた。 元々ノンケの新堂。男同士で、いつかは必ず終わりがくる。 分かっているから、別れの言葉は言わないでほしい。 また来ると、その一言を最後にしてくれたらいい。 そしてついに、新堂が結婚すると言い出す。 (ムーンライトノベルズにて完結済み。  こちらで再掲載に当たり改稿しております。  13話から途中の展開を変えています。)

おねしょ癖のせいで恋人のお泊まりを避け続けて不信感持たれて喧嘩しちゃう話

こじらせた処女
BL
 網谷凛(あみやりん)には付き合って半年の恋人がいるにもかかわらず、一度もお泊まりをしたことがない。それは彼自身の悩み、おねしょをしてしまうことだった。  ある日の会社帰り、急な大雨で網谷の乗る電車が止まり、帰れなくなってしまう。どうしようかと悩んでいたところに、彼氏である市川由希(いちかわゆき)に鉢合わせる。泊まって行くことを強く勧められてしまい…?

男色医師

虎 正規
BL
ゲイの医者、黒河の毒牙から逃れられるか?

短編エロ

黒弧 追兎
BL
ハードでもうらめぇ、ってなってる受けが大好きです。基本愛ゆえの鬼畜です。痛いのはしません。 前立腺責め、乳首責め、玩具責め、放置、耐久、触手、スライム、研究 治験、溺愛、機械姦、などなど気分に合わせて色々書いてます。リバは無いです。 挿入ありは.が付きます よろしければどうぞ。 リクエスト募集中!

新しいパパは超美人??~母と息子の雌堕ち記録~

焼き芋さん
BL
ママが連れてきたパパは超美人でした。 美しい声、引き締まったボディ、スラリと伸びた美しいおみ足。 スタイルも良くママよりも綺麗…でもそんなパパには太くて立派なおちんちんが付いていました。 これは…そんなパパに快楽地獄に堕とされた母と息子の物語… ※DLsite様でCG集販売の予定あり

とろとろ【R18短編集】

ちまこ。
BL
ねっとり、じっくりと。 とろとろにされてます。 喘ぎ声は可愛いめ。 乳首責め多めの作品集です。

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。