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「もちろん、ヒットした曲のセルフカバーとかもあって、それはそれで最高なの。ただそれよりも、そのアルバムのために書いた曲の方がずっと印象的、っていうか……」
「へぇ……そんなにいいんだ?」
「うん。ただ……正直、最初聴いたときは『何だこれ』って思ったけどね」
「えっ、どういうこと?」
「なんか、今までのサヤマスグルのイメージとだいぶ違う気がして。不安になってレビューとか見たけど、やっぱりそんな風なこと言ってる人もいたし。でも……どうしてかな、そっちの曲の方が不思議と耳に残っちゃって。気付いたら、何十回も聴いてたりしてさ」
「何それ、めちゃくちゃハマってんじゃん!」
「……」
こんなに思いきり盗み聞ぎするだなんて……と初めは気が咎めていた駈だったが、気を抜くとうんうんと頷いてしまいそうなほど真剣に聞き入ってしまっていた。
「いや~そんなにナオが推すんなら、私も聴いてみよっかな!」
隣の子の言葉に、彼女はパッと嬉しそうな顔をしたのだが。
「……でも、人を選ぶとは思う。メグには合わなそう」
「何その言い方~! 絶対馬鹿にしてるでしょ?」
「いや、そういうんじゃないけどさ……こういうのって、分かる人にしか分からないからなぁ」
「ほらー! やっぱそうじゃん!」
目の前の信号が青になり、じゃれ合う彼女たちが雑踏に消えていく。
駅へと飲み込まれるような流れの中で、駈はとうとう我慢できずに口元を綻ばせた。
「……っ」
緊張の面持ちで、玄関ドア横のチャイムに指を押し付ける。
その数秒後……ガチャリと開けられたドアから顔を出した英は、目をまん丸くして赤い顔の駈を見つめた。
「そのまま入ってきてくれて良かったのに……っていうか、電話くれれば迎えに行ったのに」
中へと招き入れられながら、英は「今日は早く終わりそうって言ってたのにさぁ」と少し口を尖らせ、駈の強風で乱れた髪を撫でつける。
あまりに自然なその仕草にも駈は未だに照れが勝ってしまい、彼の顔から目を逸らしてしまったのだが――
駈はポケットに手を突っ込むと、ゆっくりと中から何かを取り出した。
「だって、これ、使ってみたかったから……」
英の目の前に翳されたのは、一枚のカードキー。
それは、先日英が駈に渡したものだった。
その日も、かみ合わないスケジュールを何とか擦り合わせて作った時間で、二人は数週間ぶりの逢瀬を楽しんでいた。
だが、ベッド上でうつらうつらとしていた駈に英が差し出したそのカードと「一緒に住もう」という言葉は、一瞬にして駈を甘い余韻から現実へと引き戻してしまった。
「お前……何言ってんだ?」
駈のその言葉に、英はきょとんとする。
「えっ、駈、嫌だった……?」
断られると思っていなかったのだろうか、英はにわかにうろたえ始める。
「だってさ、そこそこ近くに住んでるのに、この通り全然会えてない訳でしょ。だったらさ、いっそ一緒に住んじゃったらいいかなって」
さも当たり前のようにそう言う英。
しかし駈とて、それに簡単に頷くわけにはいかなかった。
「じゃあ、駈は何が嫌なの?」
「嫌っていうか、その……さすがにそれはマズいって」
「マズいって……だから何が?」
「……」
口を噤んだ駈の脳裏に浮かんだのは、黒い服の男の姿と――ぎらりと光ったカメラのレンズだった。
その男は、マンションを出てすぐの所に潜んでいた。
物陰に気配を感じ、ちらりとそちらを向いた瞬間、男はレンズ越しに英の隣を見て――それが『男』だと気付いたのだろう。何事も無かったかのようにスッとそれをジャケットの内側へと隠し、路駐していた車に乗り込み、風のように去っていった。
そのときはたしかにそれで済んだ。だが、もしこれから、何度かそのようなシーンを目撃されたなら……そのうち、彼はある確信とともにシャッターを切るかもしれないのだ。
駈はあまり力の入らない身体を無理やり起こすと、英へと身体を向けた。
「お前と一緒に住むって、そんな簡単なことじゃないだろ」
そう口走って……駈はやってしまった、と思った。
ずっと前にも、こんな感じのことで彼と揉めそうになった。それなのに、また同じことを繰り返そうとしている。
(そもそも英がそんな危険を分かってないはずないじゃないか。それでも、こうして誘ってくれたっていうのに……)
落ち込む駈だったが……英の反応はまるで予想外のものだった。
「……なんてさ。冗談だよ、冗談!」
「……は?」
「言ってみたかったんだよ、その台詞。で、駈はなんて返すかなって思ってさ」
「…………」
駈はそれに怒ればいいのか乗っかればいいのか分からず、ただ黙ったまま、「シャワー行ってくるね」と寝室を出ていく英を目で追いかけることしかできなかった。
……という一件以来、その話は二人の間でタブーとなってしまい、駈は半ば強制的に預けられたカードを財布にしまいこんでいたのだが……。
「これ、ほんとにすごいな。ちょっと翳すだけで入口もエレベーターホールも一発だし、しかも乗るだけでこの階に、……っ」
正面からぶつかるように抱き締められ、言葉が途切れる。
「……ありがと、駈」
肩口に押し付けられた頭の上から、優しい声が降ってくる。
「……別に、まだここに住むって決めたわけじゃないけど」
「でも、前向きに考えてくれるんでしょ?」
「まぁ、こっちの方が職場に近いし、それに……もしお前が売れなくなったとき、少しでも家賃の足しになればいいだろ?」
ここ、死ぬほど高そうだしな、と胸の中から見上げた駈がそう言ってニッと笑う。
「……意地悪だなぁ」
英もまたつられるように笑う。
そして、そのまま引き寄せられるように互いの唇を重ね合わせた。
「へぇ……そんなにいいんだ?」
「うん。ただ……正直、最初聴いたときは『何だこれ』って思ったけどね」
「えっ、どういうこと?」
「なんか、今までのサヤマスグルのイメージとだいぶ違う気がして。不安になってレビューとか見たけど、やっぱりそんな風なこと言ってる人もいたし。でも……どうしてかな、そっちの曲の方が不思議と耳に残っちゃって。気付いたら、何十回も聴いてたりしてさ」
「何それ、めちゃくちゃハマってんじゃん!」
「……」
こんなに思いきり盗み聞ぎするだなんて……と初めは気が咎めていた駈だったが、気を抜くとうんうんと頷いてしまいそうなほど真剣に聞き入ってしまっていた。
「いや~そんなにナオが推すんなら、私も聴いてみよっかな!」
隣の子の言葉に、彼女はパッと嬉しそうな顔をしたのだが。
「……でも、人を選ぶとは思う。メグには合わなそう」
「何その言い方~! 絶対馬鹿にしてるでしょ?」
「いや、そういうんじゃないけどさ……こういうのって、分かる人にしか分からないからなぁ」
「ほらー! やっぱそうじゃん!」
目の前の信号が青になり、じゃれ合う彼女たちが雑踏に消えていく。
駅へと飲み込まれるような流れの中で、駈はとうとう我慢できずに口元を綻ばせた。
「……っ」
緊張の面持ちで、玄関ドア横のチャイムに指を押し付ける。
その数秒後……ガチャリと開けられたドアから顔を出した英は、目をまん丸くして赤い顔の駈を見つめた。
「そのまま入ってきてくれて良かったのに……っていうか、電話くれれば迎えに行ったのに」
中へと招き入れられながら、英は「今日は早く終わりそうって言ってたのにさぁ」と少し口を尖らせ、駈の強風で乱れた髪を撫でつける。
あまりに自然なその仕草にも駈は未だに照れが勝ってしまい、彼の顔から目を逸らしてしまったのだが――
駈はポケットに手を突っ込むと、ゆっくりと中から何かを取り出した。
「だって、これ、使ってみたかったから……」
英の目の前に翳されたのは、一枚のカードキー。
それは、先日英が駈に渡したものだった。
その日も、かみ合わないスケジュールを何とか擦り合わせて作った時間で、二人は数週間ぶりの逢瀬を楽しんでいた。
だが、ベッド上でうつらうつらとしていた駈に英が差し出したそのカードと「一緒に住もう」という言葉は、一瞬にして駈を甘い余韻から現実へと引き戻してしまった。
「お前……何言ってんだ?」
駈のその言葉に、英はきょとんとする。
「えっ、駈、嫌だった……?」
断られると思っていなかったのだろうか、英はにわかにうろたえ始める。
「だってさ、そこそこ近くに住んでるのに、この通り全然会えてない訳でしょ。だったらさ、いっそ一緒に住んじゃったらいいかなって」
さも当たり前のようにそう言う英。
しかし駈とて、それに簡単に頷くわけにはいかなかった。
「じゃあ、駈は何が嫌なの?」
「嫌っていうか、その……さすがにそれはマズいって」
「マズいって……だから何が?」
「……」
口を噤んだ駈の脳裏に浮かんだのは、黒い服の男の姿と――ぎらりと光ったカメラのレンズだった。
その男は、マンションを出てすぐの所に潜んでいた。
物陰に気配を感じ、ちらりとそちらを向いた瞬間、男はレンズ越しに英の隣を見て――それが『男』だと気付いたのだろう。何事も無かったかのようにスッとそれをジャケットの内側へと隠し、路駐していた車に乗り込み、風のように去っていった。
そのときはたしかにそれで済んだ。だが、もしこれから、何度かそのようなシーンを目撃されたなら……そのうち、彼はある確信とともにシャッターを切るかもしれないのだ。
駈はあまり力の入らない身体を無理やり起こすと、英へと身体を向けた。
「お前と一緒に住むって、そんな簡単なことじゃないだろ」
そう口走って……駈はやってしまった、と思った。
ずっと前にも、こんな感じのことで彼と揉めそうになった。それなのに、また同じことを繰り返そうとしている。
(そもそも英がそんな危険を分かってないはずないじゃないか。それでも、こうして誘ってくれたっていうのに……)
落ち込む駈だったが……英の反応はまるで予想外のものだった。
「……なんてさ。冗談だよ、冗談!」
「……は?」
「言ってみたかったんだよ、その台詞。で、駈はなんて返すかなって思ってさ」
「…………」
駈はそれに怒ればいいのか乗っかればいいのか分からず、ただ黙ったまま、「シャワー行ってくるね」と寝室を出ていく英を目で追いかけることしかできなかった。
……という一件以来、その話は二人の間でタブーとなってしまい、駈は半ば強制的に預けられたカードを財布にしまいこんでいたのだが……。
「これ、ほんとにすごいな。ちょっと翳すだけで入口もエレベーターホールも一発だし、しかも乗るだけでこの階に、……っ」
正面からぶつかるように抱き締められ、言葉が途切れる。
「……ありがと、駈」
肩口に押し付けられた頭の上から、優しい声が降ってくる。
「……別に、まだここに住むって決めたわけじゃないけど」
「でも、前向きに考えてくれるんでしょ?」
「まぁ、こっちの方が職場に近いし、それに……もしお前が売れなくなったとき、少しでも家賃の足しになればいいだろ?」
ここ、死ぬほど高そうだしな、と胸の中から見上げた駈がそう言ってニッと笑う。
「……意地悪だなぁ」
英もまたつられるように笑う。
そして、そのまま引き寄せられるように互いの唇を重ね合わせた。
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