88 / 98
88
しおりを挟む
走り出した車内で、駈は無言のまま窓の外を眺めていた。
車は郊外から市街地へと入り、そびえるビル群には煌々と青白い明かりが灯っている。一方、駅前周辺はこの寒さの中でも人でごった返していて、過剰なほどのイルミネーションがクリスマス間近の浮かれた空気を彩っていた。
「……」
ちらりと視線を向け、英の横顔を見る。
その顔はいつもの英のようでいて、やはりどこかが違っていた。
山潟に言わせれば、二人は『言葉が足りない』らしいが――それは半分は当たっていて半分はちょっと違う、と駈は思っていた。
学生の頃もそうだったが……言葉が足りないのは主に英の方で、駈はむしろ、余計な一言で二人の仲を険悪にすることが多かった気がする。
(成長してないな、俺……)
はぁ、とため息を吐きたくなって、駈はそれをぐっと飲み込んだ。
(うわ、すごい渋滞)
ずらりと並ぶ赤いテールランプに、駈は目を丸くする。
街の中心部を突っ切るこのルートは、今までも英の車に乗るときには何度か使ったものだったが、その時はこんな渋滞に巻き込まれたことはなかったはずだ。
(あっ、そっか……いつもは深夜か早朝だもんな、ここを通るのは)
そう合点した駈だったが、ふとその時の――というより、その前後の記憶が蘇ってきてしまい、暗闇の中でひとり頬を赤らめた。
信号が変わるたび、車は数台ずつ前へと押し出されていく。
ほとんど動かない車内での沈黙は思った以上に耐えがたく、駈は少しずつしか解消されないこの長い列にイライラを募らせていた。
だから、ようやくこの時間を脱することができると思ったところで、前の車がもたついたときには思わず悪態をついてしまいそうになった。
目の前の横断歩道に、どっと人が流れ込んでくる。
この時間であればなおさら凍えるほど寒いはずなのに、誰かと並んで歩く人たちの顔は驚くほど明るく、温かそうな笑顔に溢れていた。
だが、そんな彼らの目がこちらへと向けられるたび、駈の心臓はどくんと脈打つ。
でも……ここで過剰な反応をすれば、また英に嫌な思いをさせることになる。駈は顔を伏せながら、シートの上に投げ出していた手を握りしめた。
……というか、冷静に考えれば、暗い車内は向こうからそれほどはっきりと見えるわけではないのだし、そもそも、隣に乗っているのがこんなさもない男なのだから、気にする方がよほど過剰なんじゃないか……
そう一人ぐるぐると考えていた駈だったが。
「……っ!」
その身体が突然、びくんと跳ねる。
駈は思わず、英へと振り向いた。
きつく握ったままだった右手のその上に、英の大きな手が重ねられていた。
「大丈夫、この場所なら見えないから」
英は正面を向いたまま、被せたその手にさらに力を込める。
英の言う通り、確かにこの位置ならちょうど死角になり、道行く人々の目は映らないだろう。それでも、駈の心臓はばくばくと激しく高鳴った。
駈も正面へと顔を戻す。そして、英の手に包まれた拳をさらに強く握りしめた。
それは、時間にしたら一分にも満たないくらいだったと思う。
気付けば目の前を往復していた人の波は消えていて、まもなく信号が青になる。
ゆっくりと車が動き出し、それと同時に、英の手が離れてゆく。
「あっ……」
消えてしまった熱に、思わずそんな声が漏れてしまう。
英が一瞬だけ、駈へと振り向いた。
「そんな顔しないで」
「あ、ご、ごめん……」
駈はいてもたってもいられず、赤くなった顔を伏せた。
(何してんだろ、俺……)
人目に触れる行為をあんなに嫌がっておきながら、今度はあからさまに惜しむような仕草をするなんて……と、駈は自分の一貫性の無さに頭を抱えたくなった。
走行音だけの響く車内で、英は相変わらず無表情のまま前だけを見ている。
「英……あのさ」
太腿の上へと戻していた右手を凝視しながら、駈はとうとうその口を開いた。
「さっき、俺がお前に言ったことだけど、その……」
「……違うんだ」
「えっ」
本題に行きつく前に遮られ、駈はぽかんと英を見る。
英は一つ深呼吸をすると、セットされたままだった髪をガシガシと解した。
「さっきも、それに今も……別に俺、駈に対してどうこう思ってなんかないよ」
「いや、でも……」
納得しない様子の駈に、英は「嘘じゃないって」と苦笑しながら、「まぁ、ムカついてたのは本当だけど」と続けた。
「……」
やっぱり、という顔をする駈へ、英はすぐに首を振る。
「もちろんそれだって、駈に、じゃない。……俺自身に、ムカついてたんだ」
「……?」
不思議そうに英を見つめる駈へ、彼はごまかすように小さく笑った。
再びの渋滞ははるか先まで続いていて、車は完全に停止する。
英はハンドルに上体を預けると、駈へと視線を向けた。
「今日、駈が車に乗り込んできたときさ……俺、実はすごいテンション上がってたの、気付いてた?」
試すようなその目に、駈は正直に首を横に振る。
英は気を悪くするでもなく、むしろ楽しげにふふっと笑うと、突然、駈の方へと覆い被さってきた。
「わっ、英、なに……っ」
反射的に目を瞑ってしまったが……予期していた温もりは、その唇には訪れなかった。
その代わり――
「これだよ、これ」」
英が掴んだのは……駈の左手だった。
「これ、付けてくれてるのを見たらさ……俺、なんかもう……たまらなくなっちゃって」
するりと絡められる英の長い指。
それが、駈の薬指にしっかりと嵌められている指輪をそろりと撫でた。
車は郊外から市街地へと入り、そびえるビル群には煌々と青白い明かりが灯っている。一方、駅前周辺はこの寒さの中でも人でごった返していて、過剰なほどのイルミネーションがクリスマス間近の浮かれた空気を彩っていた。
「……」
ちらりと視線を向け、英の横顔を見る。
その顔はいつもの英のようでいて、やはりどこかが違っていた。
山潟に言わせれば、二人は『言葉が足りない』らしいが――それは半分は当たっていて半分はちょっと違う、と駈は思っていた。
学生の頃もそうだったが……言葉が足りないのは主に英の方で、駈はむしろ、余計な一言で二人の仲を険悪にすることが多かった気がする。
(成長してないな、俺……)
はぁ、とため息を吐きたくなって、駈はそれをぐっと飲み込んだ。
(うわ、すごい渋滞)
ずらりと並ぶ赤いテールランプに、駈は目を丸くする。
街の中心部を突っ切るこのルートは、今までも英の車に乗るときには何度か使ったものだったが、その時はこんな渋滞に巻き込まれたことはなかったはずだ。
(あっ、そっか……いつもは深夜か早朝だもんな、ここを通るのは)
そう合点した駈だったが、ふとその時の――というより、その前後の記憶が蘇ってきてしまい、暗闇の中でひとり頬を赤らめた。
信号が変わるたび、車は数台ずつ前へと押し出されていく。
ほとんど動かない車内での沈黙は思った以上に耐えがたく、駈は少しずつしか解消されないこの長い列にイライラを募らせていた。
だから、ようやくこの時間を脱することができると思ったところで、前の車がもたついたときには思わず悪態をついてしまいそうになった。
目の前の横断歩道に、どっと人が流れ込んでくる。
この時間であればなおさら凍えるほど寒いはずなのに、誰かと並んで歩く人たちの顔は驚くほど明るく、温かそうな笑顔に溢れていた。
だが、そんな彼らの目がこちらへと向けられるたび、駈の心臓はどくんと脈打つ。
でも……ここで過剰な反応をすれば、また英に嫌な思いをさせることになる。駈は顔を伏せながら、シートの上に投げ出していた手を握りしめた。
……というか、冷静に考えれば、暗い車内は向こうからそれほどはっきりと見えるわけではないのだし、そもそも、隣に乗っているのがこんなさもない男なのだから、気にする方がよほど過剰なんじゃないか……
そう一人ぐるぐると考えていた駈だったが。
「……っ!」
その身体が突然、びくんと跳ねる。
駈は思わず、英へと振り向いた。
きつく握ったままだった右手のその上に、英の大きな手が重ねられていた。
「大丈夫、この場所なら見えないから」
英は正面を向いたまま、被せたその手にさらに力を込める。
英の言う通り、確かにこの位置ならちょうど死角になり、道行く人々の目は映らないだろう。それでも、駈の心臓はばくばくと激しく高鳴った。
駈も正面へと顔を戻す。そして、英の手に包まれた拳をさらに強く握りしめた。
それは、時間にしたら一分にも満たないくらいだったと思う。
気付けば目の前を往復していた人の波は消えていて、まもなく信号が青になる。
ゆっくりと車が動き出し、それと同時に、英の手が離れてゆく。
「あっ……」
消えてしまった熱に、思わずそんな声が漏れてしまう。
英が一瞬だけ、駈へと振り向いた。
「そんな顔しないで」
「あ、ご、ごめん……」
駈はいてもたってもいられず、赤くなった顔を伏せた。
(何してんだろ、俺……)
人目に触れる行為をあんなに嫌がっておきながら、今度はあからさまに惜しむような仕草をするなんて……と、駈は自分の一貫性の無さに頭を抱えたくなった。
走行音だけの響く車内で、英は相変わらず無表情のまま前だけを見ている。
「英……あのさ」
太腿の上へと戻していた右手を凝視しながら、駈はとうとうその口を開いた。
「さっき、俺がお前に言ったことだけど、その……」
「……違うんだ」
「えっ」
本題に行きつく前に遮られ、駈はぽかんと英を見る。
英は一つ深呼吸をすると、セットされたままだった髪をガシガシと解した。
「さっきも、それに今も……別に俺、駈に対してどうこう思ってなんかないよ」
「いや、でも……」
納得しない様子の駈に、英は「嘘じゃないって」と苦笑しながら、「まぁ、ムカついてたのは本当だけど」と続けた。
「……」
やっぱり、という顔をする駈へ、英はすぐに首を振る。
「もちろんそれだって、駈に、じゃない。……俺自身に、ムカついてたんだ」
「……?」
不思議そうに英を見つめる駈へ、彼はごまかすように小さく笑った。
再びの渋滞ははるか先まで続いていて、車は完全に停止する。
英はハンドルに上体を預けると、駈へと視線を向けた。
「今日、駈が車に乗り込んできたときさ……俺、実はすごいテンション上がってたの、気付いてた?」
試すようなその目に、駈は正直に首を横に振る。
英は気を悪くするでもなく、むしろ楽しげにふふっと笑うと、突然、駈の方へと覆い被さってきた。
「わっ、英、なに……っ」
反射的に目を瞑ってしまったが……予期していた温もりは、その唇には訪れなかった。
その代わり――
「これだよ、これ」」
英が掴んだのは……駈の左手だった。
「これ、付けてくれてるのを見たらさ……俺、なんかもう……たまらなくなっちゃって」
するりと絡められる英の長い指。
それが、駈の薬指にしっかりと嵌められている指輪をそろりと撫でた。
0
お気に入りに追加
38
あなたにおすすめの小説
おねしょ癖のせいで恋人のお泊まりを避け続けて不信感持たれて喧嘩しちゃう話
こじらせた処女
BL
網谷凛(あみやりん)には付き合って半年の恋人がいるにもかかわらず、一度もお泊まりをしたことがない。それは彼自身の悩み、おねしょをしてしまうことだった。
ある日の会社帰り、急な大雨で網谷の乗る電車が止まり、帰れなくなってしまう。どうしようかと悩んでいたところに、彼氏である市川由希(いちかわゆき)に鉢合わせる。泊まって行くことを強く勧められてしまい…?
怒られるのが怖くて体調不良を言えない大人
こじらせた処女
BL
幼少期、風邪を引いて学校を休むと母親に怒られていた経験から、体調不良を誰かに伝えることが苦手になってしまった佐倉憂(さくらうい)。
しんどいことを訴えると仕事に行けないとヒステリックを起こされ怒られていたため、次第に我慢して学校に行くようになった。
「風邪をひくことは悪いこと」
社会人になって1人暮らしを始めてもその認識は治らないまま。多少の熱や頭痛があっても怒られることを危惧して出勤している。
とある日、いつものように会社に行って業務をこなしていた時。午前では無視できていただるけが無視できないものになっていた。
それでも、自己管理がなっていない、日頃ちゃんと体調管理が出来てない、そう怒られるのが怖くて、言えずにいると…?
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
九年セフレ
三雲久遠
BL
在宅でウェブデザインの仕事をしているゲイの緒方は、大学のサークル仲間だった新堂と、もう九年セフレの関係を続けていた。
元々ノンケの新堂。男同士で、いつかは必ず終わりがくる。
分かっているから、別れの言葉は言わないでほしい。
また来ると、その一言を最後にしてくれたらいい。
そしてついに、新堂が結婚すると言い出す。
(ムーンライトノベルズにて完結済み。
こちらで再掲載に当たり改稿しております。
13話から途中の展開を変えています。)
【完結】義兄に十年片想いしているけれど、もう諦めます
夏ノ宮萄玄
BL
オレには、親の再婚によってできた義兄がいる。彼に対しオレが長年抱き続けてきた想いとは。
――どうしてオレは、この不毛な恋心を捨て去ることができないのだろう。
懊悩する義弟の桧理(かいり)に訪れた終わり。
義兄×義弟。美形で穏やかな社会人義兄と、つい先日まで高校生だった少しマイナス思考の義弟の話。短編小説です。
年上が敷かれるタイプの短編集
あかさたな!
BL
年下が責める系のお話が多めです。
予告なくr18な内容に入ってしまうので、取扱注意です!
全話独立したお話です!
【開放的なところでされるがままな先輩】【弟の寝込みを襲うが返り討ちにあう兄】【浮気を疑われ恋人にタジタジにされる先輩】【幼い主人に狩られるピュアな執事】【サービスが良すぎるエステティシャン】【部室で思い出づくり】【No.1の女王様を屈服させる】【吸血鬼を拾ったら】【人間とヴァンパイアの逆転主従関係】【幼馴染の力関係って決まっている】【拗ねている弟を甘やかす兄】【ドSな執着系執事】【やはり天才には勝てない秀才】
------------------
新しい短編集を出しました。
詳しくはプロフィールをご覧いただけると幸いです。
【R18】孕まぬΩは皆の玩具【完結】
海林檎
BL
子宮はあるのに卵巣が存在しない。
発情期はあるのに妊娠ができない。
番を作ることさえ叶わない。
そんなΩとして生まれた少年の生活は
荒んだものでした。
親には疎まれ味方なんて居ない。
「子供できないとか発散にはちょうどいいじゃん」
少年達はそう言って玩具にしました。
誰も救えない
誰も救ってくれない
いっそ消えてしまった方が楽だ。
旧校舎の屋上に行った時に出会ったのは
「噂の玩具君だろ?」
陽キャの三年生でした。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる