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忠珍鱈

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「その日も僕、ベンチに寝っ転がって空を見ていたんです。流れていく雲を追いかけると頭がスッキリするんで、アイディアが出ないときとか、よくそうやっていたんですが……そんなとき、あのボロいドアが軋む音がして。で、起き上がってそっちを見たら、あいつが立っていたんです」

「……」
今度はあの退職のきっかけとなった日の自分を追体験させるような語り出しに、駈は思わず険しい顔になる。
「どうしました?」
「あ、いや、なんでも……」
「……?」
藤河は少しばかり怪訝な顔をしたが、彼は彼で相当酔いが回っているため、それ以上深追いしてくることはなかった。

「最初、『誰だ?』って思ったんですよ。こんなところに来る奴なんて今までいなかったし。でも、だんだんと近づいてくるそいつに、ああ、樋野サンの部下だったヤツだ……って気が付いて。で、ひと声ぐらい掛けてやんないとなって、僕、わざわざベンチから立ち上がって、手を挙げようとしたんですよ……そうしたら!」
藤河は急に声を張り上げて、手にしていたコップを机にどん、と叩きつけた。
「ちょ、お前、うるさいって!」
個室だというのについきょろきょろと周りを見回しながら、駈が口元に指をあてて宥める。
「あっ、す、すみません……」
おしぼりで溢れた酒を拭きながら首を竦めている藤河に、駈は「……それで?」と続きを促した。

藤河はしょぼんとしながらも、その後のことを思い出しているうちにまた頭に血が上ってきたのか、何とか声のボリュームを抑えながら再び話し始めた。

「あいつ、僕の方をちらっとは見たんです。でも、それだけで。そしてそのまま、こちらに頭も下げずにさっさと隅の方に歩いて行って……で、僕に何の断りもなく、いきなり煙草を吸い出したんですよ!」
「……」
……ツッコミどころがありすぎる。
さも自分の私有地ですとでも言わんばかりの藤河も藤河だが、せっかく友好的な態度を示そうとしている彼に、あまりにも塩対応過ぎる羽根田も羽根田である。

「まぁ、一応、こっちに煙が来ないように気は遣ってくれてたっぽいっすけど……それにしたって、失礼すぎると思いませんか!?」
「まぁ、そうだなぁ」
あまり安易に同意したくはなかったが……確かにそうでないとも言い切れないし、ここで否定するともっと厄介なことになりそうだったので、駈はそう曖昧に頷いた。

藤河は駈の反応に「ですよね!?」と即座に反応した後、コップの中身をぐっと呷った。

「だから僕、すぐにあいつのところに行って、何でそういうことするんだよ、って問いただしてやったんですよ!」
「…………お前のメンタル、どうなってんだ!?」

信じられない……という目で藤河を見つめる駈に対し、彼はその視線の意味には全然気付かず、なおも憤慨したまま話を続けた。

「で、僕が近付いたら、あいつ、今吸い始めたばっかりの煙草を消しちゃって。きっとそれが迷惑だって言われると思ったんでしょうね。でも、僕が一番腹立ったのはそこじゃないんですよ。どうしてこっちが挨拶しようとしてんのに、無視するんだってところなんですよ! ……ってことを、直接言ってやったんです」
「……」
新人類の考えることに付いていけず、駈は黙って息巻く藤河を眺めていた。

「そうしたらあいつ、何て言ったと思います?」
そう聞かれても分かるはずなどない。
「さぁ?」
素直にそう返すと、藤河は傾けていた瓶をゴトリと置いた。

「なんとあいつ、こう言ってきたんですよ。『せっかく休んでいるところを邪魔したら申し訳ないので、あえてそうしたんです』って。『嫌な思いをさせたならすみません』って……。それを聞いたら当然、こいつ、意外とそういう気遣いのできるやつなんだな……とか思っちゃうじゃないですか。もちろん僕だって謝りましたよ。で、それから会うたびに少しずつ、色々と話すようになって……」
「へぇ……」
そんな二人の交流を、駈はまるで彼らの親のような気持ちで聞いていたのだが……
「それなのに!」
いきなり語気を強める藤河に、駈は慌てて口の前に指をあてる。
藤河ははっと口を噤みはしたが、激情のまま辛口のそれを喉へと流し込んだ。

「この間、あいつ……『実はあの時の話、全部嘘なんだ』って言ってきたんですよ!」
「……え?」
「『面倒くさそうな人が来たなって思ったから、適当にそう言ったんだよね』って……! というかそんな最低な話、『今まで秘密にしてたんだけどさ……』から始めたりします!?」

あいつマジでふざけてますよねどう思いますか樋野サン! とキレ散らかしている藤河の前で、駈は内心、結構驚いていた。
(あいつ、そんなこと言うんだなぁ)
駈には心を開いてくれた羽根田だったが、基本ツンケンとした嫌味っぽいところもあるやつなので、ここまではっきりと自分の中身を見せていくのは珍しい気もした。

「仲いいんだな」
駈が思ったままそう呟くと、藤河は「……話聞いてました?」と、ゲテモノを口にしたような顔をした。

「しかもこの前なんて、あいつ、僕にマウント取ってきたんすよ!」
「マウント?」
藤河は眉を寄せながらうんうんと何度も頷く。
「自分があの屋上を知ったきっかけは、樋野さんなんだよね、って」
「……それのどこがマウントなんだ?」
すると、藤河は「マウント以外ありえないじゃないっすか!」と悲鳴を上げた。
「だって、僕はあそこ、自力で見つけたんすよ? それなのに、あいつは樋野サンに連れてきてもらった、だなんて……そんなのズルすぎでしょ!?」
「はぁ……?」
「だから僕、あいつに言ってやりましたよ」
藤河は意地の悪そうな顔でニヤリと笑った。

「今日、樋野サンと二人っきりで飲みに行くんだ、って。その時の、あいつの顔……っ」
くつくつと堪えきれない笑いを漏らしながら一人楽しそうにする藤河に、駈はどう返すのが正解か考えるのをやめた。

「あまり刺激してやるなよ……」
瓶の残りを一滴残らず自分のグラスの方へと注ぎ入れながら、駈はげんなりとため息を吐いたのだった。
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