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慌ただしい日々を過ごすうち、季節はいつの間にか変わっていたらしい。
気付けば道行く人の装いもすっかり秋らしくなり、日の暮れるのも随分と早くなっていた。
数週間ぶりに顔を出したいつものバー。
駈が一人ちびちびと酒を啜っていると、その肩にするりと腕が回される。
「カケル、久しぶり!」
ひと月ぶりに見るタクヤは、今度は目にも眩しいオレンジの髪で駈に笑いかけた。
「はい、ご無沙汰してました」
「最後に会ったのって九月とかだっけ? というか、少し見ない間にずいぶん……」
隣のスツールに腰掛けながら顔を覗き込まれ、「何ですか」と目を逸らす。
タクヤはしばしニヤニヤと駈を眺めながらもったいぶっていたが、ぐっとその腕に力を込めて駈をより引き寄せると、
「何というか……イイ顔になったな、って」
と、いたずらっぽく口角を上げた。
愛されている自信ってやつ? と付け足され、駈は「……そんなんじゃ、ないです」と赤らんだ顔を背けた。
テーブルに片肘を付いて、タクヤはさっそくお気に入りのオリーブの塩漬けをつまみながら駈へと話しかける。
「驚いたよ、仕事辞めたんだって?」
「あ、はい。でも、今はもう別の所に勤めていて」
「ああ、だから忙しかったってワケね」
タクヤはそう言いつつも、「でも寂しかったよ~」とまた肩に手を回してくる。
されるがままになりつつ次の酒をオーダーしようとすると、その手を彼に止められた。
「マスター!」
そう呼ばれるより先に目の前へとやってきた彼へと、タクヤは威勢のいい声を上げた。
「二人の新たな門出にふさわしいやつ、よろしく!」
「えっ」
駈が振り向くと、タクヤはニッと歯を見せて笑う。
「祝、二号店!」
「わっ、マジですか。おめでとうございます」
「へへ、ありがと。今度こそカケルも来てよ~?」
「それは……考えておきます」
「それ絶対来ないやつじゃん!」
そんな風に軽口の応酬を続けていると、二人の前にコトン、と揃いのカクテルが差し出された。
「マスター、これは……」
透き通る赤にしゅわしゅわと立ち上る泡を見つめながらそう尋ねると、マスターは「カシスソーダさ」と、その苦み走った顔で片目を瞑って見せた。
「目新しさはないんだけど、これからさらに輝いてもらわないといけない二人にはお似合いかな、ってね」
「マスター、分かってるねぇ」
タクヤがふふんと鼻を鳴らす。
「……」
駈はじっとその綺麗な赤色を見つめた。有名どころのカクテル言葉なら、ここでマスターが客に解説するのを聞いて何となく覚えていったはずなのだが、確かにこういうバーであえてこれを頼む人はいなかったのかもしれない。
「これってどういう……」と口を開こうとしたが、隣のタクヤは既にそのグラスを駈の目の前へと掲げていた。
「二人の未来に!」
その弾んだ声に、駈も急いでグラスを持ち上げる。
すると、「僕も混ざっていいかな?」と、マスターもまた自分専用のグラスを差し出した。
「もちろん!」
その声にマスターは嬉しそうに微笑むと、仕上げにぎゅっとレモンを絞り入れ、二人の前へと掲げた。
「それでは改めて、三人の素敵な未来に……乾杯!」
三つのグラスが合わさり、チン、と澄んだ音を立てた。
「で、最近どうなのよ。例の彼とは」
初めこそお互いの新しい職場について語り合っていた二人だが、話題は当然のように駈の恋人のことへと移り変わっていった。
「もう二か月くらいは経つでしょ?」
タクヤはビールを喉に流し込みながらそう尋ねる。
色々と迷惑を掛けたり相談に乗ってもらったりしてきたタクヤとマスターにだけは付き合うことになったという報告はしていたのだが、それ以降のことは、二人にだけでなくこれまで誰にも話したことはなかった。
「そろそろカケルの惚気話ってのも聞いてみたいなぁ~?」
またその顔をニヤつかせながら、タクヤは駈を覗き込む。
だが当の駈はというと、浮かない顔で三杯目のカクテルを舐めていた。
「え、何その反応……もしかしてケンカ中?」
「あっ、いや、そういうんじゃないです、けど……」
「けど……何よ?」
「あの……ええと、その……」
駈は口を開けたり閉めたりと、なかなか話し出す決心がつかないようだった。
その様子をじっと見つめていたタクヤだったが、突然、「あっ!」と声を上げると、すすすと駈へと顔を近づける。
「……ねぇ、駈」
至近距離で声を潜めるタクヤに、駈もつられて小声で「……はい?」と返す。
タクヤは真剣な顔で駈へと向き合うと、さらに密やかな声で問いかけた。
「それって、もしかして……ソッチの悩み?」
「は……はい!?」
駈は思わず口を付けていたグラスをゴン、とテーブルへと叩き置く。危うくタクヤの顔面に噴き出してしまうところだった。
タクヤは腕を組むと、うんうんと難しそうな顔で唸っていた。
「そういや彼ってノンケだったんだもんね。こればっかりは俺、経験無いから大したアドバイスってのも出来なさそうだけど……でもさ、よく言うじゃん? セックスだけが全てじゃない、って。だからさ、焦らずゆっくりと進んでいけばいいんじゃない…………って、違うねこれは」
タクヤは言葉を切ると、盛大にため息を吐いた。
「確かに惚気話が聞きたいとは言ったし、素直なのはカケルの良いところだけどさぁ。でも、こうもあからさまに反応されると……こっちまで照れちゃうっての!」
「すみません……」
か細過ぎる声で呟く駈の、その顔はもちろん、パーカーからちらりと覗く首筋までもが見事に真っ赤に染まっている。
タクヤはくつくつと笑うと、「ごちそうさま」とその肩を小突いてやった。
「……で、そんなカケルくんの悩みってのは?」
お兄さんが聞いてあげよう、とウイスキーを片手に恰好をつける彼に、駈は躊躇いながらも口を開いた。
「あいつの職業ってご存じですよね」
「知らない人の方が少ないんじゃない?」
「まぁ、確かに……」
「と、いうことは……仕事のこと?」
「あ、はい……」
「それなら俺よりカケルのが詳しいでしょ?」
首を傾げ駈を見やるタクヤに、駈は手に持ったグラスへと視線を落とすと、「そう、なんですけど……」と呟いた。
沈んだままの駈の表情に、タクヤはただ黙って彼を見つめていた。
そんなタクヤの穏やかな視線に、駈はグラスの中身を一口飲むと、ようやくその顔を上げた。
気付けば道行く人の装いもすっかり秋らしくなり、日の暮れるのも随分と早くなっていた。
数週間ぶりに顔を出したいつものバー。
駈が一人ちびちびと酒を啜っていると、その肩にするりと腕が回される。
「カケル、久しぶり!」
ひと月ぶりに見るタクヤは、今度は目にも眩しいオレンジの髪で駈に笑いかけた。
「はい、ご無沙汰してました」
「最後に会ったのって九月とかだっけ? というか、少し見ない間にずいぶん……」
隣のスツールに腰掛けながら顔を覗き込まれ、「何ですか」と目を逸らす。
タクヤはしばしニヤニヤと駈を眺めながらもったいぶっていたが、ぐっとその腕に力を込めて駈をより引き寄せると、
「何というか……イイ顔になったな、って」
と、いたずらっぽく口角を上げた。
愛されている自信ってやつ? と付け足され、駈は「……そんなんじゃ、ないです」と赤らんだ顔を背けた。
テーブルに片肘を付いて、タクヤはさっそくお気に入りのオリーブの塩漬けをつまみながら駈へと話しかける。
「驚いたよ、仕事辞めたんだって?」
「あ、はい。でも、今はもう別の所に勤めていて」
「ああ、だから忙しかったってワケね」
タクヤはそう言いつつも、「でも寂しかったよ~」とまた肩に手を回してくる。
されるがままになりつつ次の酒をオーダーしようとすると、その手を彼に止められた。
「マスター!」
そう呼ばれるより先に目の前へとやってきた彼へと、タクヤは威勢のいい声を上げた。
「二人の新たな門出にふさわしいやつ、よろしく!」
「えっ」
駈が振り向くと、タクヤはニッと歯を見せて笑う。
「祝、二号店!」
「わっ、マジですか。おめでとうございます」
「へへ、ありがと。今度こそカケルも来てよ~?」
「それは……考えておきます」
「それ絶対来ないやつじゃん!」
そんな風に軽口の応酬を続けていると、二人の前にコトン、と揃いのカクテルが差し出された。
「マスター、これは……」
透き通る赤にしゅわしゅわと立ち上る泡を見つめながらそう尋ねると、マスターは「カシスソーダさ」と、その苦み走った顔で片目を瞑って見せた。
「目新しさはないんだけど、これからさらに輝いてもらわないといけない二人にはお似合いかな、ってね」
「マスター、分かってるねぇ」
タクヤがふふんと鼻を鳴らす。
「……」
駈はじっとその綺麗な赤色を見つめた。有名どころのカクテル言葉なら、ここでマスターが客に解説するのを聞いて何となく覚えていったはずなのだが、確かにこういうバーであえてこれを頼む人はいなかったのかもしれない。
「これってどういう……」と口を開こうとしたが、隣のタクヤは既にそのグラスを駈の目の前へと掲げていた。
「二人の未来に!」
その弾んだ声に、駈も急いでグラスを持ち上げる。
すると、「僕も混ざっていいかな?」と、マスターもまた自分専用のグラスを差し出した。
「もちろん!」
その声にマスターは嬉しそうに微笑むと、仕上げにぎゅっとレモンを絞り入れ、二人の前へと掲げた。
「それでは改めて、三人の素敵な未来に……乾杯!」
三つのグラスが合わさり、チン、と澄んだ音を立てた。
「で、最近どうなのよ。例の彼とは」
初めこそお互いの新しい職場について語り合っていた二人だが、話題は当然のように駈の恋人のことへと移り変わっていった。
「もう二か月くらいは経つでしょ?」
タクヤはビールを喉に流し込みながらそう尋ねる。
色々と迷惑を掛けたり相談に乗ってもらったりしてきたタクヤとマスターにだけは付き合うことになったという報告はしていたのだが、それ以降のことは、二人にだけでなくこれまで誰にも話したことはなかった。
「そろそろカケルの惚気話ってのも聞いてみたいなぁ~?」
またその顔をニヤつかせながら、タクヤは駈を覗き込む。
だが当の駈はというと、浮かない顔で三杯目のカクテルを舐めていた。
「え、何その反応……もしかしてケンカ中?」
「あっ、いや、そういうんじゃないです、けど……」
「けど……何よ?」
「あの……ええと、その……」
駈は口を開けたり閉めたりと、なかなか話し出す決心がつかないようだった。
その様子をじっと見つめていたタクヤだったが、突然、「あっ!」と声を上げると、すすすと駈へと顔を近づける。
「……ねぇ、駈」
至近距離で声を潜めるタクヤに、駈もつられて小声で「……はい?」と返す。
タクヤは真剣な顔で駈へと向き合うと、さらに密やかな声で問いかけた。
「それって、もしかして……ソッチの悩み?」
「は……はい!?」
駈は思わず口を付けていたグラスをゴン、とテーブルへと叩き置く。危うくタクヤの顔面に噴き出してしまうところだった。
タクヤは腕を組むと、うんうんと難しそうな顔で唸っていた。
「そういや彼ってノンケだったんだもんね。こればっかりは俺、経験無いから大したアドバイスってのも出来なさそうだけど……でもさ、よく言うじゃん? セックスだけが全てじゃない、って。だからさ、焦らずゆっくりと進んでいけばいいんじゃない…………って、違うねこれは」
タクヤは言葉を切ると、盛大にため息を吐いた。
「確かに惚気話が聞きたいとは言ったし、素直なのはカケルの良いところだけどさぁ。でも、こうもあからさまに反応されると……こっちまで照れちゃうっての!」
「すみません……」
か細過ぎる声で呟く駈の、その顔はもちろん、パーカーからちらりと覗く首筋までもが見事に真っ赤に染まっている。
タクヤはくつくつと笑うと、「ごちそうさま」とその肩を小突いてやった。
「……で、そんなカケルくんの悩みってのは?」
お兄さんが聞いてあげよう、とウイスキーを片手に恰好をつける彼に、駈は躊躇いながらも口を開いた。
「あいつの職業ってご存じですよね」
「知らない人の方が少ないんじゃない?」
「まぁ、確かに……」
「と、いうことは……仕事のこと?」
「あ、はい……」
「それなら俺よりカケルのが詳しいでしょ?」
首を傾げ駈を見やるタクヤに、駈は手に持ったグラスへと視線を落とすと、「そう、なんですけど……」と呟いた。
沈んだままの駈の表情に、タクヤはただ黙って彼を見つめていた。
そんなタクヤの穏やかな視線に、駈はグラスの中身を一口飲むと、ようやくその顔を上げた。
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