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「お前……帰るのか?」
駈はぽかんとして英を見上げる。
「ああ。もうこんな時間だしね」
英は手早くバッグを身に着けながらそう言った。
「別に、泊っていけばいいだろ」
さっき口に出すのを迷ったセリフがするりと飛び出す。
だがそう言ってしまった後、やはり顔に血が上ってくる感覚がして、駈はまたおちょくられるのを覚悟で顔を背けた。
の、だが――
「いいよ、代行呼ぶからさ」
……ついさっき駈を揶揄ったのは幻か何かだったのだろうか。
からりと笑う英に、駈は普段通りを装いながらも(何なんだよ、こいつ……!)と胸の中で気色ばんだ。
「いや、代行代もったいないだろ。ここで寝て、アルコール抜いてから帰れば――」
「大丈夫大丈夫、よくあることなんだ」
「……」
即座にそう返され、駈はまたしても黙り込む。
その言葉には色々と引っかかる点はあったが……確かに英にとってはその金額なんて大したことないんだろう。
でも、ここまで素気無く断られ続けられると、なんだか逆に面白くない。
何より……これではまるで、自分だけが意識しているみたいで悔しくもあった。
駈はずっと見上げていた顔を伏せると、ぽつりと呟いた。
「お前……そんなにここにいるのが嫌なのかよ」
すると突然、英がハァ……と大きくため息を吐く。
「駈ってホント……鈍感だよね」
急にそんな文句を言われ、「は?」と顔を上げる。
すると、そこにいたのは。
「分かんないもんかなぁ、駈は……俺が相当、我慢しているって」
顔を赤らめ、きまり悪そうに駈を見下ろす英だった。
「俺はさ、前みたいな失敗をしたくないんだよ」
駈にその目で促され、英はしぶしぶ同じ場所に腰を下ろす。
そして、ぼそぼそとそう呟いた。
「……失敗?」
駈は眉を寄せる。何のことを言っているのかさっぱり分からない。
「だから……前にここに来たときのことだってば。さっきもそれで謝っただろ」
「あっ、もしかしてそれって……お前が突然、」
「そう、それだよそれ!」
駈に最後まで言わせまいと、英は声を張り上げた。
「あの時は俺も結構精神的にやられてて……ってのは言い訳だけどさ。それで勝手に盛り上がって……あんなことになって」
英は胡坐の中に呟くようにそう溢す。
「で、もし……今日、こんな状態の駈に手を出したらさ……なんか、それって……ずるいだろ」
「ずるい、のか?」
駈は首を傾げた。英の基準がよく分からない。
「……」
英は本当に疲れ果てたように息を吐いた。
「俺、言ったよな。駈と新しい関係が作りたいんだ、って」
「あっ……ああ」
駈にとんでもない思い違いをさせたその言葉に、つい顔が引きつってしまう。
英はふわりと揺れた前髪の間から、確かめるように駈を見つめた。
「その意味、ちゃんと分かってる?」
と、いきなり英が駈の目の前へとにじり寄る。
「えっ、わ……っ」
後ずさりしようとした駈のその左手を、英は両手で捕まえる。
そして、握りしめた手ごと、駈の顔の高さまで持ち上げた。
「俺は駈とちゃんと、恋人になりたい」
英はその手から思いを伝えるように、さらにぎゅっと両手に力を込めた。
「友達以上恋人未満とか、身体だけの関係とか、そういうんじゃなくって……駈にとっての、たった一人になりたいんだ」
英の想いが、その目から、手のひらから、そして言葉から駈を隙間なく包んでいく。
「……って、ここまで言わないと、駈はまた勘違いしちゃうだろ?」
からかうような声色のくせに、その目はまるで縋るような色を帯びていた。
改めて告げられた彼の想い。
素直な気持ちで聞くだけで、こんなにも胸が一杯になってしまうのだということを、駈は生まれて初めて知った。
駈は彼の手の上から自分の右手を重ねると、少しだけ笑って首を振った。
「……しないよ、馬鹿」
英の目が答えを急かしている。駈はすぐにでも彼の願いに頷いてしまいたかった。
でも――そうする前に一つだけ、どうしても駈は英に伝えておきたいことがあった。
「俺も……英のことが、好きだ」
その言葉に、英の顔がぱっと綻ぶ。
「駈……!」
「でもな」
「…………何だよ」
不安そうな表情を浮かべる英に駈は若干の申し訳なさを感じながら、言葉を続けた。
「さっきお前、『新しい関係』って言ったよな」
「ああ、そうだけど……」
「それって……本当に必要か?」
駈の台詞に、英の顔がサッと曇る。
「あ、いや、別にこのまま曖昧な関係にしておきたいとか、そんなんじゃなくてな」
慌ててそう付け足すと、凍り付いていた英の表情が少し戻る。
でも、相変わらず警戒を解かない英に、駈もまた、まっすぐな眼差しを向けた。
「思い出していたんだ。俺たちの歴史……っていうと壮大過ぎるけどさ」
「歴史……?」
駈はこくりと頷いた。
「俺たちって、どうやったって交わらなそうなほどタイプの違う人間だったわけだよな。それが、何の因果か友人になって。でも、色々あって別れて……そして、この今がある」
そうだよな、と問いかけると、英も黙って頷いた。
そんな英に笑顔で応えながら、駈はごくりと唾を飲み込むと、もう一度しっかりと英を見つめ直した。
「だから、もう一度、一から始めるんじゃなくって……そんな俺たちのこれまでを全部ひっくるめて、お前と付き合っていきたいんだ」
駈がそう言い終わった瞬間、固く握り締められていた手の力がほどける。
それに不安をよぎらせる暇もなく、今度は英の腕ががばりと駈を抱き込んだ。
「おい、ちょっと……!」
「ほんっと、駈ってそういうとこだよなぁ」
頭上から笑い声が降ってくる。
「……悪かったな、面倒くさくて」
そうむすっと顔を顰めると、英は腕の中の駈を覗き込んだ。
「いいや、そういうところが……可愛いってこと!」
ニッと白い歯を見せて笑う恋人は、あの夏の日以上に眩しく――そして、たまらないほど愛しく見えた。
駈はぽかんとして英を見上げる。
「ああ。もうこんな時間だしね」
英は手早くバッグを身に着けながらそう言った。
「別に、泊っていけばいいだろ」
さっき口に出すのを迷ったセリフがするりと飛び出す。
だがそう言ってしまった後、やはり顔に血が上ってくる感覚がして、駈はまたおちょくられるのを覚悟で顔を背けた。
の、だが――
「いいよ、代行呼ぶからさ」
……ついさっき駈を揶揄ったのは幻か何かだったのだろうか。
からりと笑う英に、駈は普段通りを装いながらも(何なんだよ、こいつ……!)と胸の中で気色ばんだ。
「いや、代行代もったいないだろ。ここで寝て、アルコール抜いてから帰れば――」
「大丈夫大丈夫、よくあることなんだ」
「……」
即座にそう返され、駈はまたしても黙り込む。
その言葉には色々と引っかかる点はあったが……確かに英にとってはその金額なんて大したことないんだろう。
でも、ここまで素気無く断られ続けられると、なんだか逆に面白くない。
何より……これではまるで、自分だけが意識しているみたいで悔しくもあった。
駈はずっと見上げていた顔を伏せると、ぽつりと呟いた。
「お前……そんなにここにいるのが嫌なのかよ」
すると突然、英がハァ……と大きくため息を吐く。
「駈ってホント……鈍感だよね」
急にそんな文句を言われ、「は?」と顔を上げる。
すると、そこにいたのは。
「分かんないもんかなぁ、駈は……俺が相当、我慢しているって」
顔を赤らめ、きまり悪そうに駈を見下ろす英だった。
「俺はさ、前みたいな失敗をしたくないんだよ」
駈にその目で促され、英はしぶしぶ同じ場所に腰を下ろす。
そして、ぼそぼそとそう呟いた。
「……失敗?」
駈は眉を寄せる。何のことを言っているのかさっぱり分からない。
「だから……前にここに来たときのことだってば。さっきもそれで謝っただろ」
「あっ、もしかしてそれって……お前が突然、」
「そう、それだよそれ!」
駈に最後まで言わせまいと、英は声を張り上げた。
「あの時は俺も結構精神的にやられてて……ってのは言い訳だけどさ。それで勝手に盛り上がって……あんなことになって」
英は胡坐の中に呟くようにそう溢す。
「で、もし……今日、こんな状態の駈に手を出したらさ……なんか、それって……ずるいだろ」
「ずるい、のか?」
駈は首を傾げた。英の基準がよく分からない。
「……」
英は本当に疲れ果てたように息を吐いた。
「俺、言ったよな。駈と新しい関係が作りたいんだ、って」
「あっ……ああ」
駈にとんでもない思い違いをさせたその言葉に、つい顔が引きつってしまう。
英はふわりと揺れた前髪の間から、確かめるように駈を見つめた。
「その意味、ちゃんと分かってる?」
と、いきなり英が駈の目の前へとにじり寄る。
「えっ、わ……っ」
後ずさりしようとした駈のその左手を、英は両手で捕まえる。
そして、握りしめた手ごと、駈の顔の高さまで持ち上げた。
「俺は駈とちゃんと、恋人になりたい」
英はその手から思いを伝えるように、さらにぎゅっと両手に力を込めた。
「友達以上恋人未満とか、身体だけの関係とか、そういうんじゃなくって……駈にとっての、たった一人になりたいんだ」
英の想いが、その目から、手のひらから、そして言葉から駈を隙間なく包んでいく。
「……って、ここまで言わないと、駈はまた勘違いしちゃうだろ?」
からかうような声色のくせに、その目はまるで縋るような色を帯びていた。
改めて告げられた彼の想い。
素直な気持ちで聞くだけで、こんなにも胸が一杯になってしまうのだということを、駈は生まれて初めて知った。
駈は彼の手の上から自分の右手を重ねると、少しだけ笑って首を振った。
「……しないよ、馬鹿」
英の目が答えを急かしている。駈はすぐにでも彼の願いに頷いてしまいたかった。
でも――そうする前に一つだけ、どうしても駈は英に伝えておきたいことがあった。
「俺も……英のことが、好きだ」
その言葉に、英の顔がぱっと綻ぶ。
「駈……!」
「でもな」
「…………何だよ」
不安そうな表情を浮かべる英に駈は若干の申し訳なさを感じながら、言葉を続けた。
「さっきお前、『新しい関係』って言ったよな」
「ああ、そうだけど……」
「それって……本当に必要か?」
駈の台詞に、英の顔がサッと曇る。
「あ、いや、別にこのまま曖昧な関係にしておきたいとか、そんなんじゃなくてな」
慌ててそう付け足すと、凍り付いていた英の表情が少し戻る。
でも、相変わらず警戒を解かない英に、駈もまた、まっすぐな眼差しを向けた。
「思い出していたんだ。俺たちの歴史……っていうと壮大過ぎるけどさ」
「歴史……?」
駈はこくりと頷いた。
「俺たちって、どうやったって交わらなそうなほどタイプの違う人間だったわけだよな。それが、何の因果か友人になって。でも、色々あって別れて……そして、この今がある」
そうだよな、と問いかけると、英も黙って頷いた。
そんな英に笑顔で応えながら、駈はごくりと唾を飲み込むと、もう一度しっかりと英を見つめ直した。
「だから、もう一度、一から始めるんじゃなくって……そんな俺たちのこれまでを全部ひっくるめて、お前と付き合っていきたいんだ」
駈がそう言い終わった瞬間、固く握り締められていた手の力がほどける。
それに不安をよぎらせる暇もなく、今度は英の腕ががばりと駈を抱き込んだ。
「おい、ちょっと……!」
「ほんっと、駈ってそういうとこだよなぁ」
頭上から笑い声が降ってくる。
「……悪かったな、面倒くさくて」
そうむすっと顔を顰めると、英は腕の中の駈を覗き込んだ。
「いいや、そういうところが……可愛いってこと!」
ニッと白い歯を見せて笑う恋人は、あの夏の日以上に眩しく――そして、たまらないほど愛しく見えた。
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