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長い沈黙が続いた後、隣の男が立ち上がる気配がした。
「ごめん」
そうひと言だけを残し、駈に背を向ける。
足音は次第に遠ざかり、軋む玄関扉が音を立てて閉まった。
駈はもう泣くことはなかった。
――ただ、終わったな、と思った。
こうなることは分かっていた。分かっていて言ったのだ。
このままこの感情を伏せて付き合ったところで、いつかそれは必ず二人の前に姿を現し、英を失望させることになる……それは終わりを引き延ばすことと何ら変わらない。
だから今、全てさらけ出した。どんな結果になろうとも、受け入れるつもりだった。
でも――いくら覚悟をしたところで、気持ちにまで即折り合いをつけられるわけじゃない。
「……」
誰もいなくなった隣は、それが普通だというのに、まるで穴が開いてしまったように空虚だった。
(やっぱり友人としてぐらいの付き合いは残しておきたかったな)
ついさっきまでとはまるで正反対のことを思い浮かべる自分がおかしくて、胸は苦しいのに笑いが零れた。
こうしてここでじっとしていたら、またさっきの二の舞になってしまう。
駈は重い身体をなんとか持ち上げようと足に力を込めて――固まった。
「ごめんごめん、待たせちゃって」
「…………は?」
再び現れた英に、駈はぽかんと口を開けるしかなかった。
「『は?』って酷くない?」
「いや、酷くないし、別に待ってないし……というか、帰ったのかと」
駈が何とかそう答えると、英は「ごめんって断り入れたじゃん」と口を尖らせた。
そして、英はコンビニの袋を持ち上げると、
「ちょっとコレをね」
と中からビールのロング缶を取り出した。
英はまた駈の隣に腰を下ろすと、小気味よい音をたててプルタブを開ける。
「そのコップの中身、飲んじゃって」
英に急かされるままほぼ口を付けずに残していた不味いそれを飲み干すと、彼は新しい缶の中身をそこに注ぎ入れる。そして、当然のように自分のコップにも注ぎ終わると、そのまま一気にそれを呷った。
「おい、それ、アルコール……」
駈が言いかけると、英はふう、と一息ついた後、
「泊っていってもいいんでしょ?」
と口元を拭った。ダメなら車で寝るからさ、と付け足す英に、駈はため息で応えた。
時計を見れば既に短針は一時を回っていた。
「はぁ~やっぱりビールはキンキンに冷えているに限るね」
「……」
(こいつ、何考えてんだよ)
駈はもう訳が分からなかった。
「英……お前、俺の話聞いてたか?」
たまらずそう尋ねる。
すると、英はうんうん、と頷くと、駈の目を見つめた。
「だから今度は、俺の話を聞いてもらおうかな、って思ってさ」
(こいつの話?)
訝しむ駈の前で、英は残りのビールを全て喉奥に流し込む。
ふーっと長く息を吐き終わると、英はテーブルに身体を預けるように両肘をついたまま話し始めた。
「例の新曲の話さ」
さっきのあの告白の際に話題に出したそれに、駈の身体がわずかに震える。
「経過報告、まだだったよな?」
「ここで、駈に色々と言ってもらって…あの後、家に帰ってすぐ修正に取り掛かったんだ」
「あの後……」
駈は数か月前、ちょうどこの場所で繰り広げられたやり取りを思い出していた。
だいぶ思い詰めていたらしい英に、それでも駈はかなり正直に思うことを言った気がする。
そして、その後――
駈は既に赤くなっているだろう顔を慌てて背けた。
「と……とにかく、お前がどこに住んでんのかは知らないけど、あの時間に帰ったら、もう……」
「ああ。もう久々に朝日……というか日の光を浴びながら作業したよ。俺、完全に昼夜逆転していてさ」
「いいよな、フリーは」
ついそんな嫌味を言ってしまい、駈は口を噤む。
だが彼は気にしたそぶりもなく、どこか懐かしむような声で呟いた。
「楽しかったんだ、そうやって時間を忘れて没頭するってのはさ。また大げさだって言うかもしれないけど……もう二度と、こんな気持ちは味わえないって思ってたから」
隣に座った英のその横顔を見つめる。
彼の目は、遠いあの夏の日を見ているようだった。
「で、そのまま夜中までぶっ通しで、もはや別の曲でしょってぐらい作り直して。それで、それを急いでマネージャーに持っていったんだ。もう少し粘らせてくれ、って締め切り伸ばしてもらってたからさ。まぁ……その期限もちょっと過ぎちゃったんだけどね」
「おいおい……」
駈が呆れた顔をすると、英は「滅多にないことだから」と弁解した後、駈へと視線を送る。
「で、なんて言われたと思う?」
「さあ……良かったんじゃないのか」
そう返すと、英は「適当だなぁ」と笑った。
駈はムッとすると、「別にそういう意味じゃない」と口を尖らせる。
「まぁ……急いだ分多少粗はあるにしても、お前の会心の出来なんだったら悪いはずがないって思っただけだ」
そう言い切った駈に、英は一瞬、目を見開く。
「……?」
その表情に駈が首を傾げると、英は「いいや、何でも」と目を細めながら首を振った。
「そうなれば、最高だったんだけどね」
「……え?」
「突き返されちゃったよ」
「……」
こいつに限って、そんなことがあるのだろうか。
駈のその表情を正しく読んだらしい英は、「そんなこともあるよ」と肩を竦めてみせる。
「でも……今回のはちょっと、堪えたなぁ」
英は眉を下げると、目を伏せながら小さく笑った。
「こう言われたよ、いたって真面目にね。……『サヤマさんの、いつもの感じでお願いします』……ってさ」
「ごめん」
そうひと言だけを残し、駈に背を向ける。
足音は次第に遠ざかり、軋む玄関扉が音を立てて閉まった。
駈はもう泣くことはなかった。
――ただ、終わったな、と思った。
こうなることは分かっていた。分かっていて言ったのだ。
このままこの感情を伏せて付き合ったところで、いつかそれは必ず二人の前に姿を現し、英を失望させることになる……それは終わりを引き延ばすことと何ら変わらない。
だから今、全てさらけ出した。どんな結果になろうとも、受け入れるつもりだった。
でも――いくら覚悟をしたところで、気持ちにまで即折り合いをつけられるわけじゃない。
「……」
誰もいなくなった隣は、それが普通だというのに、まるで穴が開いてしまったように空虚だった。
(やっぱり友人としてぐらいの付き合いは残しておきたかったな)
ついさっきまでとはまるで正反対のことを思い浮かべる自分がおかしくて、胸は苦しいのに笑いが零れた。
こうしてここでじっとしていたら、またさっきの二の舞になってしまう。
駈は重い身体をなんとか持ち上げようと足に力を込めて――固まった。
「ごめんごめん、待たせちゃって」
「…………は?」
再び現れた英に、駈はぽかんと口を開けるしかなかった。
「『は?』って酷くない?」
「いや、酷くないし、別に待ってないし……というか、帰ったのかと」
駈が何とかそう答えると、英は「ごめんって断り入れたじゃん」と口を尖らせた。
そして、英はコンビニの袋を持ち上げると、
「ちょっとコレをね」
と中からビールのロング缶を取り出した。
英はまた駈の隣に腰を下ろすと、小気味よい音をたててプルタブを開ける。
「そのコップの中身、飲んじゃって」
英に急かされるままほぼ口を付けずに残していた不味いそれを飲み干すと、彼は新しい缶の中身をそこに注ぎ入れる。そして、当然のように自分のコップにも注ぎ終わると、そのまま一気にそれを呷った。
「おい、それ、アルコール……」
駈が言いかけると、英はふう、と一息ついた後、
「泊っていってもいいんでしょ?」
と口元を拭った。ダメなら車で寝るからさ、と付け足す英に、駈はため息で応えた。
時計を見れば既に短針は一時を回っていた。
「はぁ~やっぱりビールはキンキンに冷えているに限るね」
「……」
(こいつ、何考えてんだよ)
駈はもう訳が分からなかった。
「英……お前、俺の話聞いてたか?」
たまらずそう尋ねる。
すると、英はうんうん、と頷くと、駈の目を見つめた。
「だから今度は、俺の話を聞いてもらおうかな、って思ってさ」
(こいつの話?)
訝しむ駈の前で、英は残りのビールを全て喉奥に流し込む。
ふーっと長く息を吐き終わると、英はテーブルに身体を預けるように両肘をついたまま話し始めた。
「例の新曲の話さ」
さっきのあの告白の際に話題に出したそれに、駈の身体がわずかに震える。
「経過報告、まだだったよな?」
「ここで、駈に色々と言ってもらって…あの後、家に帰ってすぐ修正に取り掛かったんだ」
「あの後……」
駈は数か月前、ちょうどこの場所で繰り広げられたやり取りを思い出していた。
だいぶ思い詰めていたらしい英に、それでも駈はかなり正直に思うことを言った気がする。
そして、その後――
駈は既に赤くなっているだろう顔を慌てて背けた。
「と……とにかく、お前がどこに住んでんのかは知らないけど、あの時間に帰ったら、もう……」
「ああ。もう久々に朝日……というか日の光を浴びながら作業したよ。俺、完全に昼夜逆転していてさ」
「いいよな、フリーは」
ついそんな嫌味を言ってしまい、駈は口を噤む。
だが彼は気にしたそぶりもなく、どこか懐かしむような声で呟いた。
「楽しかったんだ、そうやって時間を忘れて没頭するってのはさ。また大げさだって言うかもしれないけど……もう二度と、こんな気持ちは味わえないって思ってたから」
隣に座った英のその横顔を見つめる。
彼の目は、遠いあの夏の日を見ているようだった。
「で、そのまま夜中までぶっ通しで、もはや別の曲でしょってぐらい作り直して。それで、それを急いでマネージャーに持っていったんだ。もう少し粘らせてくれ、って締め切り伸ばしてもらってたからさ。まぁ……その期限もちょっと過ぎちゃったんだけどね」
「おいおい……」
駈が呆れた顔をすると、英は「滅多にないことだから」と弁解した後、駈へと視線を送る。
「で、なんて言われたと思う?」
「さあ……良かったんじゃないのか」
そう返すと、英は「適当だなぁ」と笑った。
駈はムッとすると、「別にそういう意味じゃない」と口を尖らせる。
「まぁ……急いだ分多少粗はあるにしても、お前の会心の出来なんだったら悪いはずがないって思っただけだ」
そう言い切った駈に、英は一瞬、目を見開く。
「……?」
その表情に駈が首を傾げると、英は「いいや、何でも」と目を細めながら首を振った。
「そうなれば、最高だったんだけどね」
「……え?」
「突き返されちゃったよ」
「……」
こいつに限って、そんなことがあるのだろうか。
駈のその表情を正しく読んだらしい英は、「そんなこともあるよ」と肩を竦めてみせる。
「でも……今回のはちょっと、堪えたなぁ」
英は眉を下げると、目を伏せながら小さく笑った。
「こう言われたよ、いたって真面目にね。……『サヤマさんの、いつもの感じでお願いします』……ってさ」
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