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忠珍鱈

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社長室から退出した駈が向かったのは、あの屋上だった。


藤河なんかは特にこの面談について気を揉んでくれているだろうが……一度、一人になりたかった。

「ふう……」

ボロボロのベンチに寝転がり、空を見上げる。
絵の具で塗ったように真っ青だったそこは夕焼けの色に侵食され始めている。地上では感じられない海風のせいで、この場所だけは息苦しい程の蒸し暑さからは遠ざけられているようだった。

その風に吹かれながら、駈はあまりに色々なことがあり過ぎた今日一日を振り返っていた。

盗作事件のこと。時田さんのこと。これからのこと―――
そのどれもが考えたところでどうにもならないことばかりで、駈はすっと目を閉じた。
そして、遠くに聞こえる街の喧騒をただぼんやりと聞いていた。


それから三十分は経っただろうか。

ギギ……と扉の開く音がして、駈は慌てて身体を起こす。
コツ、コツ、とこちらへと近づく足音。
一体誰だと警戒しながら音の方へと目を向ける。

すると、そこに現れたのは。

「羽根田……」
変わらず暗い表情のままの彼が、無言でそこに立ち竦んでいた。


こちらが何も言わなければいつまでもその場に突っ立ってそうな彼にベンチを勧める。
「失礼、します」
隣に腰掛けた彼に、駈は改めて尋ねた。
「で、どうしてここに?」
「……」
羽根田はしばらく逡巡したものの、黙って待ってくれている駈の様子に、ようやくその口を開いた。

「あの、今回の件ですが……」
「……」
なおも言いよどむ羽根田に、駈はじっとその先を待つ。
だがそう時間も掛らず、彼はその続きを口にした。

「本当に……本当に、申し訳ありませんでした」
そう言い切った羽根田は、その頭を深々と下げた。

「おいおい、どうしたんだよ突然」
思わず笑ってしまった駈に、羽根田はバッと顔を上げる。
「茶化さないでください」
眉を吊り上げる羽根田に、駈は無理やりその口元を引き結ぶ。
「ごめんごめん、あんまり、その……意外だったものだから」
「それって……馬鹿にしてますよね」
笑いを堪える駈に、羽根田はうんざりとした表情を向けつつも、
「まぁ……気持ちは、分からないでもないですけど」
とバツが悪そうに呟いた。


「でも、君も大変だったな。色々と聞かれただろ?」
「……」
すると彼はまた一瞬口を閉ざしたものの、「初めてだったんです」と呟いた。
「社長の、あんな顔を見るのは」
その言葉に、駈は先ほどの彼のあの顔面蒼白ぶりに合点がいった。

「社長っていつもにこやかっていうか……軽い感じじゃないですか、言葉は悪いですけれど」
確かに、の社長はあまり怖い顔を周囲に見せることは無かった。
「まぁねぇ。でも、昔は結構、凄かったんだよ」
「そうなんですか?」
「この時代には受けが悪いっていうんで、あんまり出さなくなっただけでさ」

そうして昔を懐かしんでいると、羽根田は「でも、」と言葉を続けた。

「社長、俺にそう……厳重注意した後、急にソファに座るよう言ってきて」
「へぇ?」
「それで……あの日あったこととか色々、正直に話すようにって……」


『人は変われるよ。どんなふうにでもね』
耳奥で聞こえた、穏やかな声。

それは、行き詰り、もう退職以外の道を見いだせなくなっていた駈を救ってくれた言葉だった。

「……社長が話の分かる人で、良かったな」
駈がそう言うと、羽根田もまた、噛み締めるように頷いた。


あの日のように、二人の間を風が通り抜ける。
煙草はいいの? と問えば、羽根田は「この後で、少し」と微笑んだ。


「今だから言いますけど」
「ん?」
「俺……あの当時、樋野さんのこと馬鹿にしてました」

そんな爆弾発言をちらちらとこちらを伺いながらする彼に、怒るふりをする気も失せてしまう。
「ああ……それは何となく」
……何となくどころか直接陰口を聞いたこともあったが、そこは伏せておくことにした。

羽根田は続けた。
「だから……樋野さんの仕事を見ていても、何でそんなに効率の悪いことしているんだろうな、ぐらいの認識でしかなかったんです」
「……なるほどな」
「でも……今ならその仕事の意味がよく分かるんです。どうしてあそこで、あの手順が必要なのか、とか……もう遅いですけど」

「……」
部下の横顔を黙って見つめる。
と、それに気付いたのか、羽根田は「何ですか」と振り向いた。

「いや、何というか……ちょっとね」
含み笑いでそう言うと、むきになって絡んでくる。
「ちょっとって何ですか」
そんな彼がなんとなくおかしい……というより、妙に可愛らしくもあり。

「ん、いや……やっぱり今日はいつもと違うな、って」
そう思ったまま口にすると、彼はさらに顔を顰めた後、「案外性格悪いんですね」とその表情を緩めた。


そして、もう一度駈へと向き直ると。

「俺、もっと勉強します。だから……これからも、よろしくお願いします」
そう言って、照れ隠しのようにぺこりと頭を下げた。
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