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忠珍鱈

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外部の演奏者の人たちとの打ち合わせが無事に終わり、いつものカフェでコーヒーを片手に一息吐く。

都会の夏というのは本当に過ごし辛い。何度過ごしたところで慣れるようなものでもなかった。
若く見られるのが嫌で比較的かっちりした服装を好む駈だったが、さすがに今日はジャケットを持っていく気にはなれなかった。
窓の外を行く人々も一様に軽装だが、それでもパタパタと顔を手などで扇いでいる。

さらにここから数十分歩くのは苦痛でしかないが、帰ってすることといったら今日の報告と細々した雑務ぐらいなものなので、そこまで気は重くない。

それに……あの日屋上で羽根田と話をして以降、表面的にはさほど変わりはないものの、確かに少し、仕事がやり易くなったようには感じていた。

「よし、行くか」
小さく気合いを入れ、飲みかけのそれを手に立ち上がる。
さっさと仕事を片付けてしまおう。そして、数週間ぶりのあのバーで、マスター特製のモヒートでもお願いしよう。


むわっとする熱気に顔を顰めながら信号を待つ。
駅前交差点の大型スクリーンからは、遠慮のない音量でJPOPの週間ランキングが流されていた。

『今まさに飛ぶ鳥を落とす勢いのガールズユニット、○○のサードシングルはひと夏の切ない恋を歌ったダンサブルなナンバー!』
巨大な画面の中、あいつが曲を提供した女性アイドルが歌い踊っている。
ポップさの中に切ないフレーズが巧みに混ぜ込まれたそれは、やはりいつもの『サヤマスグル』らしさに溢れていた。


あの日以来、駈の元には英からの連絡が届き続けていた。

「この間はごめん」「話がしたい」「どこかで会えないか」――
似たようなショートメールがいくつか来て、それを見るたび胸がちくりと痛んだ。
だが、駈はその痛みに目を瞑り、決して返信をしようとはしなかった。

もし仮に、英があの日のことを全て『無かったこと』にしてほしいというのなら……駈は喜んでそれを受け入れるつもりだった。
決してあの頃には戻らないと諦めたその関係を、わずかにでも取り戻せるチャンスがあるというのなら……それに縋りたかった。

でももし、万が一、彼が駈に『それ以上』の関係を望んでいるのだとしたら――

その可能性を考えると、駈はどうしても送信ボタンを押すことはできなかった。


MVの中で、浴衣姿の少女たちがアップになっては消えていく。
『現在チャート急上昇中! この夏一番のヒットとなるか!?』

青信号を告げる音に、人々が一斉に動き出す。
駈もまた、その人波に紛れていった。
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