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忠珍鱈

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近寄ってくる英を、駈はまたかと睨み付ける。
「おい英、いい加減、に……っ!?」

息を飲む彼の唇に、英は自分のそれを押し当てた。

かさついた、でも柔らかい感触。
それはあの日、駈から無理やりそれを奪ったときにも感じたものだった。

だが今日は、そこからゆっくりと伝わってくる熱がある。

「んっ……!」
駈の丸い後頭部に手をやり、さらに強く引き寄せる。
そして、押し付けていただけの唇を舌でくすぐってみる。
……すると、頑なに閉ざされていたそこが、少しずつ開かれていった。

迎え入れられた咥内は火傷しそうなほど熱かった。
はじめてのそこを、英はじっくりと確かめるように舌を動かす。
駈もまた、それに応えるように舌を絡ませ始めた。

「はぁ……」
「……ぁ、んぅ……っ」
他から遮断された空間はもう、二人の立てる吐息と水音でいっぱいになってしまっていた。

「……」
英はふと目を開けると、駈の様子を伺い見た。
きつく目を瞑った駈は英に見られていると気付くはずもなく、英との口づけに没頭していた。

少し苦しそうに、でも、甘く顔を火照らせる、そんな表情を見た瞬間。
英の体内を、焼けつくような渇望が駆け巡った。

「駈……っ」
切羽詰まった声で名前を呼ぶ。
腰を抱く手に力を込める。
そのまま前へと体重を掛けようとした……そのときだった。

とん、と何かが胸に触れる。

弱々しいその正体は、駈の手のひらだった。

「……っ!」
英はバッと腕の拘束を解く。
そして、慌てて駈から距離を取った。

解放された駈は、その崩れ落ちそうな身体を床に手を付いて支える。
そして、しばらくそのまま、上がりきった息を落ち着かせていた。

「だ、大丈夫……?」
英が駈を覗き込もうとすると。
「ほんと、お前は言ったそばから……」
首筋まで染め上げた駈が、英を赤い目で睨みつけてくる。

その姿に英は再び込み上げてくるものを感じながらも、それを振り払うように勢いよく頭を下げた。
「ほんとごめん! 俺……っ」
「……」
「駈……?」
反応の無い駈を、キレられるのを覚悟でまた覗き込もうとすると。


「なんて……お前だけのせいにするのは、フェアじゃないよな」
駈はそう言うと、ようやくその身体を起こした。

「フェア、じゃない……?」
いまいちその言葉の意味が飲み込めず、英はそう呟く。
すると、駈はフッと軽く笑った。

「だって、楽しんだのはお互い様、だろ?」

あの頃の面影を多分に残した彼の口が吐き出したその台詞に、英は言葉を失う。
まるで、駈の皮を着た別の誰かが喋っているようだった。

「……」
呆然とする英に、駈はまだ彼が話を理解していないと思ったのだろう。

「だからさ……お前にノった俺も同罪だ、ってことだよ」
駈はそう答えると、見たことのない顔で笑った。


「ということで、もう帰った方がいいんじゃないか?」

マグカップを下げにキッチンへと立ち上がった駈は、リビングに戻るなりそう言って時計を指した。

「えっ?」
「え、じゃないって。明日も仕事なんだろ?」
「あ、ああ、まぁそうだけど……」
「それに、車もあそこに置きっぱなしじゃ怖いしな。こんな場所でも最近、警察見回っているし」
「……」

この前、逃げ帰るようにこの部屋を飛び出した時とは真逆に、駈のほうが英を追い立てているようだった。

「なぁ駈、俺――」

立ち上がろうとした英に影が落ちる。
あ、と思った時には既に、その唇は駈のそれで塞がれていた。
ほんの一瞬の出来事だった。

「……」
目を見開き固まる英に、駈は唇をちろりと舐める。
そして、先ほどと変わらない調子で話しだした。

「さっきも言ったろ。お前の性格なら、俺だってよく分かってる」
駈の言葉に、英は慌てて立ち上がる。
「いや、あれはそういうんじゃ――」
「だとしたら……疲れてたんだよ、お互い。だってそういうときって、気分になるだろ? まぁ……相手が俺っていうのはどうかと思うけどな」
「駈、」
取り縋ろうとした手に鞄が押し付けられる。

「作曲、頑張れよ」
そう言って、駈はきれいに微笑んだ。


しばらくの間、英は玄関ドアの向こう側に立っていたようだったが、ようやく諦めたのかその場を立ち去って行った。

冷たいそこに背中を預け、駈は外の足音が小さくなっていくのをただ聞いていた。
やがて、車のエンジン音が深夜の住宅街に低く響く。

それがなくなってしまえば、またいつも通りの夜だった。

頭の中で、冷静な自分が笑っている。言った通りになっただろ――と。
だがそれを駈は即座に打ち消した。
英にも告げた通り、これは駈も同罪なのだ。

そして一つ、はっきりとしたのは……もうこれで、二人が高校時代のような関係に戻ることは二度となくなったということだった。

駈はずるずるとその場にしゃがみ込む。

「……俺も餞別、貰ったっていいよな」
吐き出されたその言葉は、生ぬるい夜の空気に溶けて消えていった。
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