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忠珍鱈

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今まで体調不良などで出来ずじまいにいたあれこれを片付けていたら、あっという間に終電近くにまでなってしまった。

もともとひっそりとした住宅街だが、この時間ともなると本当に人ひとり見当たらない。
そんな中、マンション前に横づけされた黒のSUVに、駈はぎょっとして立ち止まる。

降りてきた人影は、予想通りのものだった。

「急にごめん……駈」
「……英」

こんな深夜に、何をしに来たというのだろう。
あの日、逃げるように立ち去って以来、何の連絡も寄越さなかったくせに――
自分の暴挙を棚に上げてそんな文句が出かかったが、駈はそれを飲み込んだ。
……というより、飲み込まざるを得なかった、というほうが正しい。

「どうしたんだよ、その顔」
「え?」
指摘された英は自覚がないのかポカンとしている。
だが、明らかにこの間の彼とは異なっていた。
それは、昼間の藤河とは似ているようで何かが違っている。

笑ってはいるが、生気のない顔だった。

「部屋、来るだろ」
そう言うと、彼は「いいの?」と首を傾げる。
「いいも何も……そのつもりで待っていたんじゃないのか?」
「あ、まぁ……」
「行くぞ」

煮え切らない様子の英だったが、駈がエレベーターに乗り込めばいそいそとその後ろに付いてくる。
そうして主導権を握っているうち、はじめはどくどくと忙しなかった心臓も少しずつ落ち着きを取り戻してくる。

「ごめんな」
斜め上から降ってくる声に、目も合わせず「別に」と答える。
ほんの数秒の密室が、やたらと長く感じられて仕方なかった。



「お邪魔します」
再びの深夜の来訪ということで、英は声を潜める。

「どうぞ」
促され部屋に入ると、彼は「やっぱり片付いてるなあ」と感嘆の声を上げた。
「別に、こんなの普通だろ」
「そんなことないって。俺の部屋なんて、見せられないぐらい汚いから」
「最悪だな」

ついそんな軽口を叩く。
すると、英はぱちりと瞬きをした後、ふにゃりと笑った。
「なんだよ、その顔」
「いや、なんというかさ……駈だな、って」


「……」
キッチンで一人、駈は黙々とコーヒーを淹れていた。

何かに集中していないと余計なことを考えてしまいそうだったから――というのが理由だが時すでに遅し、頭の中ではとっくにやかましい声が飛び交っていた。

なぜ、あいつをまた部屋に入れたんだ。お前は何を期待している? 冷静な自分が駈を責める。また傷つくことになるぞ……と。

それでも……駈にはもう、その気持ちを無かったことにはできなかった。

あの日のバーでようやく気が付いた、ずっと目を瞑り続けてきた彼への思い。
でも、それをぶつけるつもりはない。それは今も……そしてこれからもだ。

だが、もしマスターの言う通り、英もまた、あのひどい別れに後悔があるのなら……そして、高校時代のような関係を取り戻したい、と思ってくれているのだとしたら――それに応えたい、と思った。


ゴトリ、と英の目の前にマグカップを置くと、彼はハッと駈を見上げた。

「あ、ああ、ありがとう」
「で、どうしたんだよ。こんな夜中に」
英の傍に腰を下ろしながら、駈はその顔を覗き込む。
「あ、うん……」
「何だよ、はっきりしろよ」
元気のない英に強く当たるのは少し気も引けたが、このままじゃ埒が明かない。

じっと英から目を離さないでいると、彼もようやく決心がついたらしい。
「ここ、ギターある?」

部屋の隅からアコースティックギターを持ってくる。
差し出されたそれを受け取ると、英はポロンポロンと弦をはじき始める。

と、彼は一旦その動きを止めると、きょろきょろと部屋を見回した。
「なぁ、ここって……」
「防音だよ、一応な。まぁ、こんな年季入ったボロマンションじゃ真偽のほどは……ってやつだけどな」
「いやいや、別にそこまで思ってないって」
彼の顔に、わずかだが笑顔が戻った。

しばらく使っていなかったそれを調律し終えた英に、だが駈はつい、余計な一言を投げかけてしまった。
「で、今から何か弾き語りでもしてくれるのか? 天下のサヤマスグルが」
「……」
その言葉に、浮かんでいた笑顔が一気に引っ込む。

「あ、悪い……」
しかし英はまた笑みを作り直すと、肩を丸めた駈へと語り掛けた。
「いいよ別に、気にしないで。それに……今日はそのサヤマスグルの作った曲について、話がしたかったから」

英はそう言うと、ギターをしっかりと抱え直した。
「新曲……聞いてほしいんだ」
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