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夏休みの視聴覚室は冷房も止められ、死ぬほど暑い。
それでも、他の生徒の声のない静かなそこは、まるで自分だけの城のような気分を味わえるから好きだった。
外からは野球部らの声とセミの声が聞こえてくる。教室中を取り囲んでいる黒いカーテンは、開け放たれた窓から外へとはためいていた。
英はいつものように、ギターを脇に置いたまま一冊の本を熱心に読んでいる。
駈もまたパソコンに向かい、昨日の続きに取り組んでいた。
「あ、それ6251進行ってやつでしょ。駈、好きだよねそれ」
しばらくそれぞれのことに集中していたのだが、大体先に飽きるのが英だった。
隣の机の上に腰掛けると、画面を覗いてくる。
「おい、邪魔するんだったら帰れ」
「ごめんごめん」
駈に睨まれ、英はわざとらしく肩をすくめてみせた。
再びパチパチとキーボードを叩く音だけが続いていたのだが。
そんな無言の時間を破ったのは、今度は駈の方だった。
「俺、そんなに6251使ってるか?」
すると英はくつくつと笑い、再び顔を近寄せてくる。
「気にした?」
「別に」
「嘘だね」
ニヤニヤと覗き込む英の頬に肘鉄を食らわせる。
「痛った! 俺の顔にそんな扱いできるの、駈ぐらいだからね」
「イケメンは死ね」
「僻むなって~」
そんなくだらないやり取りをするのは、こうして英と二人きりになるときだけだった。
別に秘密の関係という訳ではないが、教室にいるときはお互いつるむ友人も違うし、顔を合わせることもない。
「というか、別にいいじゃん。好きだから使ってんでしょ?」
「……」
黙ったのは、何となくムカついたから。
英に作曲について教え始めたのはほんの二か月前だ。それなのに、もうここまで理解しているなんて。
はぁ、とため息を吐く。降参だ。
「このコード進行、ドミナントモーションで出来ているだろ」
「ああ! ていうかその名前って妙にカッコいいよな」
「……」
「ごめんって。続けて」
「……まぁでも俺も英のことは言えないけどさ。初めて見たときインパクトある名前だな、って思ったし」
「だろ~?」
にやける英をひと睨みして、駈は画面へと視線を戻す。
「ドミナントモーションの理論ってさ、正直最初は難しくて」
「ああ、確かに。不安定とか安定とか、進みたがる性質とか……」
「そうそう。でも、一度それが理解できると、もう目からうろこ、って感じでさ。不安定さがあるからこそ、それが解消されると気持ちいい。音楽で感じるカタルシスのひとつってこれだったんだ、って。それをコードで説明できちゃうんだ、って」
駈の目が興奮にきらめく。
「で、6251ってさ、もちろん使う音にもよるけど構成自体はジャズっぽいていうか、洒落た感じあるだろ。でも、それで終わらない、延々と繰り返せる心地よさもある。だから、RPGとかの市街地探索の時とか、やり込み要素が多いやつにすごくマッチする気がするし、こういう大会用の一般向けの曲に使っても、印象的なフレーズが作れる気がして……って、なんだよその反応。やっぱり興味ないんだろ」
無反応な英に、駈は口を尖らせる。
だが、英は笑って首を振ると、机から飛び降りた。
「まさか!」
英はすたすたと窓の方へと歩いていく。
そして、窓枠に手を付いたと思うと、いきなり「わあーっ!!」と叫んだ。
「ちょ、ちょっと何やってんだよ!!」
慌てて駆け寄ると、英はまるで何もなかったかのように、何事かとこちらに振り向いた屋外競技の面々ににこやかに手を振っていた。
「何なんだよ、一体……」
英の隣に手を付くと、彼はあはは、と笑った。
「初めてなんだ」
窓の外、遠くの入道雲に向かって彼はそう呟いた。
「俺……今まで、こんなに何かにハマったことってなくってさ」
英は手にしていた本を見つめる。黄色い表紙のそれは駈が貸したものだ。
数年前、小遣いを捻出して買ったそれは、作曲のやり方について理論的にまとめられている中~上級者向けの指南書だった。
せっかく買うのであれば長く使えるものを……と相当な背伸びをしてしまったため、駈ですら理解するのに相当読み込んだものだったが、その本が今では、英に貸した当初の倍ほどまでに膨れ上がっていた。
「こうやって自分から勉強しようだなんて、絶対あり得なかったもんな、昔なら。それぐらい、楽しいんだ。だからかな……今、ちょっとだけ悔しい」
風が教室に吹き込み、英の色素の薄い髪をなびかせる。
伏せた目元、そのまつげが陽射しに淡く透ける。
それがとてもきれいだ、と思った。
もう一回叫んじゃおっかな~とふざける彼を無理やり窓際から引っ張ってくる。
駈は再びパソコンへと向き合った。
「あのさ……よければ通しで聴いてみるか? まだまだ手直し必要だし、そもそも途中までだけど……」
そう尋ねると、英は定位置の机の上から嬉しそうに頷いた。
パチリ、とキーボードを叩く。
軽やかなリズムに乗せて、しかしどこか寂しげな曲が流れ始める。
英は目を瞑っていた。
曲が終わっても、英は目を閉じたままだった。
しびれを切らした駈が口を開こうとすると。
「駈はさ、将来何になりたいの」
唐突にそんなことを聞いてくる。
「ええと、そりゃあ……ゲーム音楽を作ってはみたいけど……」
赤くなる顔を隠すように駈は俯く。
英は突如立ち上がると、また窓の方へと近寄っていく。
「おい、ちょっと……っ」
また叫ばれては事だ。彼を追って立ち上がった駈に、英はくるりと振り向く。
黒いカーテンが揺れている。その向こう側、真っ青な空。
「駈なら、きっとなれるよ。だって、こんなにカッコいい曲が書けるんだから!」
白い歯を見せて、英は笑った。
それでも、他の生徒の声のない静かなそこは、まるで自分だけの城のような気分を味わえるから好きだった。
外からは野球部らの声とセミの声が聞こえてくる。教室中を取り囲んでいる黒いカーテンは、開け放たれた窓から外へとはためいていた。
英はいつものように、ギターを脇に置いたまま一冊の本を熱心に読んでいる。
駈もまたパソコンに向かい、昨日の続きに取り組んでいた。
「あ、それ6251進行ってやつでしょ。駈、好きだよねそれ」
しばらくそれぞれのことに集中していたのだが、大体先に飽きるのが英だった。
隣の机の上に腰掛けると、画面を覗いてくる。
「おい、邪魔するんだったら帰れ」
「ごめんごめん」
駈に睨まれ、英はわざとらしく肩をすくめてみせた。
再びパチパチとキーボードを叩く音だけが続いていたのだが。
そんな無言の時間を破ったのは、今度は駈の方だった。
「俺、そんなに6251使ってるか?」
すると英はくつくつと笑い、再び顔を近寄せてくる。
「気にした?」
「別に」
「嘘だね」
ニヤニヤと覗き込む英の頬に肘鉄を食らわせる。
「痛った! 俺の顔にそんな扱いできるの、駈ぐらいだからね」
「イケメンは死ね」
「僻むなって~」
そんなくだらないやり取りをするのは、こうして英と二人きりになるときだけだった。
別に秘密の関係という訳ではないが、教室にいるときはお互いつるむ友人も違うし、顔を合わせることもない。
「というか、別にいいじゃん。好きだから使ってんでしょ?」
「……」
黙ったのは、何となくムカついたから。
英に作曲について教え始めたのはほんの二か月前だ。それなのに、もうここまで理解しているなんて。
はぁ、とため息を吐く。降参だ。
「このコード進行、ドミナントモーションで出来ているだろ」
「ああ! ていうかその名前って妙にカッコいいよな」
「……」
「ごめんって。続けて」
「……まぁでも俺も英のことは言えないけどさ。初めて見たときインパクトある名前だな、って思ったし」
「だろ~?」
にやける英をひと睨みして、駈は画面へと視線を戻す。
「ドミナントモーションの理論ってさ、正直最初は難しくて」
「ああ、確かに。不安定とか安定とか、進みたがる性質とか……」
「そうそう。でも、一度それが理解できると、もう目からうろこ、って感じでさ。不安定さがあるからこそ、それが解消されると気持ちいい。音楽で感じるカタルシスのひとつってこれだったんだ、って。それをコードで説明できちゃうんだ、って」
駈の目が興奮にきらめく。
「で、6251ってさ、もちろん使う音にもよるけど構成自体はジャズっぽいていうか、洒落た感じあるだろ。でも、それで終わらない、延々と繰り返せる心地よさもある。だから、RPGとかの市街地探索の時とか、やり込み要素が多いやつにすごくマッチする気がするし、こういう大会用の一般向けの曲に使っても、印象的なフレーズが作れる気がして……って、なんだよその反応。やっぱり興味ないんだろ」
無反応な英に、駈は口を尖らせる。
だが、英は笑って首を振ると、机から飛び降りた。
「まさか!」
英はすたすたと窓の方へと歩いていく。
そして、窓枠に手を付いたと思うと、いきなり「わあーっ!!」と叫んだ。
「ちょ、ちょっと何やってんだよ!!」
慌てて駆け寄ると、英はまるで何もなかったかのように、何事かとこちらに振り向いた屋外競技の面々ににこやかに手を振っていた。
「何なんだよ、一体……」
英の隣に手を付くと、彼はあはは、と笑った。
「初めてなんだ」
窓の外、遠くの入道雲に向かって彼はそう呟いた。
「俺……今まで、こんなに何かにハマったことってなくってさ」
英は手にしていた本を見つめる。黄色い表紙のそれは駈が貸したものだ。
数年前、小遣いを捻出して買ったそれは、作曲のやり方について理論的にまとめられている中~上級者向けの指南書だった。
せっかく買うのであれば長く使えるものを……と相当な背伸びをしてしまったため、駈ですら理解するのに相当読み込んだものだったが、その本が今では、英に貸した当初の倍ほどまでに膨れ上がっていた。
「こうやって自分から勉強しようだなんて、絶対あり得なかったもんな、昔なら。それぐらい、楽しいんだ。だからかな……今、ちょっとだけ悔しい」
風が教室に吹き込み、英の色素の薄い髪をなびかせる。
伏せた目元、そのまつげが陽射しに淡く透ける。
それがとてもきれいだ、と思った。
もう一回叫んじゃおっかな~とふざける彼を無理やり窓際から引っ張ってくる。
駈は再びパソコンへと向き合った。
「あのさ……よければ通しで聴いてみるか? まだまだ手直し必要だし、そもそも途中までだけど……」
そう尋ねると、英は定位置の机の上から嬉しそうに頷いた。
パチリ、とキーボードを叩く。
軽やかなリズムに乗せて、しかしどこか寂しげな曲が流れ始める。
英は目を瞑っていた。
曲が終わっても、英は目を閉じたままだった。
しびれを切らした駈が口を開こうとすると。
「駈はさ、将来何になりたいの」
唐突にそんなことを聞いてくる。
「ええと、そりゃあ……ゲーム音楽を作ってはみたいけど……」
赤くなる顔を隠すように駈は俯く。
英は突如立ち上がると、また窓の方へと近寄っていく。
「おい、ちょっと……っ」
また叫ばれては事だ。彼を追って立ち上がった駈に、英はくるりと振り向く。
黒いカーテンが揺れている。その向こう側、真っ青な空。
「駈なら、きっとなれるよ。だって、こんなにカッコいい曲が書けるんだから!」
白い歯を見せて、英は笑った。
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