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忠珍鱈

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「樋野サン、○○の収録の件、段取り付きました?」
駈のいるブースに顔を出したのは、以前制作の現場で一緒に働いていた藤河だった。

このビルは二、三階が駈の所属するゲーム制作会社やその関連会社で占められており、かつフロア内もいくつかのブースに分けられている。
いつも通りラフなスタイルの藤河は、一見すると大学生のようにも見えるし実際年も若いのだが、サウンドクリエイターとしては既に頭角を表しており、次のリーダーと目されている奴だ。

「ああ、まだ調整中だけど、おそらく4月下旬にはなんとかなるってさ」
「結構先っすねぇ」
「まぁな。あれのメインテーマだとオーケストラ収録になるから、スケジュール調整がなかなか難しくてさ。とりあえずサブの方から、録れそうなタイミングで順次進めてもらう感じかなぁ」
「この時期ですもんね。じゃあ俺たちもまずはそっちから取り掛かります」
「はっきりしなくて悪いな」
「いいえ、仕方ないっすよ」
「色々決まり次第すぐ流すよ。それまで臨機応変に頼むな」
「まぁ、そういうの慣れてますんで!」

元気な後輩を見送りながら、駈はふう、と息を吐く。
一瞬明るくなった空気が、一気にいつもの雰囲気に逆戻りする。
時計を見ると正午を過ぎていた。

「休憩行ってきます」
そう声を掛けるも返事はない。
イヤホンで物理的に聞こえない人もいるが、そうでない人もいる。いつものことなのであまり気にしないようにはしているが。

1年ほど前、制作の現場からマネジメント業メインの部署へと異動となり、この通りいまだに周囲とは馴染めていない。
その原因というか、心当たりとしては無いわけではなかった。

『樋野さんって、変に細かくないですか』

異動して2か月程経ったあたりのことだ。
以前の担当者からろくに引き継ぎもなかったので、試行錯誤でなんとかやってきて、ひと段落付いた頃。
ドアの外で偶然耳にした陰口は、どこかで予想していたものだった。
『今までのやり方にいちいちケチ付けてくるし……暇なんですかね?』
「……」
とはいえ頭に来ないわけではない。そもそも、全てにおいてなあなあで通していた部署だったのだ。こちらのせいにするなんてお門違い甚だしい。このまま怒鳴り込んでやろうか……一瞬そんなことが頭をかすめたが、駈はそっとその場を離れることを選んだ。

「あそこには君が適任なんだ」――そう彼を推薦した、恩人でもある部長の顔に泥を塗るような真似をしたくはないと思ったからだ。

近くのカフェでコーヒーを啜りながら、眩しい外の様子を眺める。
冬も終わり、陽射しは随分と温かくなった。人々の服装も少しずつ軽やかなものに切り替わってきている。

それなのに気分が晴れないのは、この通り職場で上手く行っていないことも一因だが……やはり昨日見たあいつのことが大きい気がした。そう認めてしまうのは癪ではあったが。
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