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蛇足編

赦す理由

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 色々あったが、交流会は無事に終わった。
 会場のなかはすっかり無人になっていて、物悲しさを覚えてしまうほど静か。
 前世でもそうだったが、騒がしかった時の落差が大きければ大きいほど静寂が際立って物悲しい気持ちになる。

 私はアルバートと二人でファンからの贈り物を整理していた。
 荷物を抱えて振り返った時に彼と肩がぶつかる。

「あ、ごめんなさい。見えなかったわ」

 謝りながらも、思いの外近い距離に驚いて目を丸くする。
 それはアルバートも同じだったようで、彼は酷く怯えて困惑していた顔をしていた。

「なんで、ですか?」

 アルバートは震える声で私に問いかけた。
 その姿は二十歳目前だというのに、まるで叱られることに怯える子供のようだ。

「公衆の面前で、あんな事を言って……本当はアンタだって、オレのことを憎んでいるんだろ!」

 そう言ってアルバートは箱を固定するためのトンカチを握って、私の手を掴む。
 無理やり握らせて、彼は私の前に跪いた。

「償わせてくれ、頼むから……オレなんか、消えた方がいいんだよ」
「アルバート、死んでも貴方の罪は消えないわ」

 私の言葉と、掌から滑り落ちるトンカチを見てアルバートは私のスカートにしがみつく。

「殺してくれ……もう、もう辛いんだよ! 何処にもオレの居場所なんてない、いや初めからオレは生まれてこなきゃ良かったんだよっ!」

 普段の冷静さが嘘のように……いや、実際、あれは仮初だった。
 ペンを握った時。包丁を握った時。武器となり得る物を手に取ると彼は目を輝かせては、敢えて私に背中を向けていた。
 彼が私の家に傘を返しに来たのも、提案を呑んだのも、他罰を求めてなのだろう。
 それが癪で、私は彼を許し続けた。
 割り振った仕事にのめり込む姿を見て、正直ざまあみろとすら思っていた。

 今でこそ、新聞では私を聖女だの無実の乙女だの綺麗な言葉で飾っているが、蓋を開ければ醜悪な本性がたちまちあらわになる。
 我ながら、人としてどうかしているとすら思う。

「アルバート。あなた、本当は私のことなんてどうでも良かったんでしょう?」

 アルバートは固く唇を閉ざしたまま、何も喋らない。

「それどころか、私のことを哀れんですらいたでしょう」
「それ、は……わかっ、ていたなら、なんで……?」

 アルバートは酷く狼狽していて、掠れた呼吸音だけが響く。
 その反応を見て、私は自分が立てていた仮説が正しいことを確信した。

「貴方、ヘンリーに認められたかったのね。だから、私を処刑すれば見てもらえると、そう思ったのね」

 私を心の底から憎んでいるなら、拷問したことを悪いことだとは思わないはずだ。
 ましてや、私はアルバートが全てを失うきっかけになった人間。
 そんな人間のそばにいて、ずっと彼がなにもしてこなかった理由。

「そうだ。そうだよ、オレは自分のエゴの為に、ずっと……」

 アルバートが傘を返しに来た時の表情からずっと感じていた違和感の正体。
 それは希死念慮。
 終わりの見えない、精神への拷問だ。
 彼の中身はかつての私のようにどこまでも空っぽで、寂しい人だった。
 埋め方が分からず、満たし方も忘れてしまった末に道を踏み外してしまっただけの人間だ。
 彼が『変わる』と決めたなら、いい加減、私もこの憎しみも恐怖も手放さなくちゃ。

「アルバート」
「…………っ」

 名前を呼べば、彼は驚いて目をギュッと瞑った。

「貴方を条件付きで許します」
「条件……? 金か?」
「違います。貴方の全てを文字にしなさい」

 アルバートは数秒考えて、それから荷物の箱を見る。

「それは、アンタがこれまで作ったように本を書けって?」
「ええ、そうよ。これまで感じたこと、考えたこと、嫌だったこと、好きだったこと。全てを文字にしなさい」
「そんなことに、なんの価値があるんだ!?」

 アルバートの手が私の手首を掴む。
 獄中での出来事が蘇って、呼吸が乱れる。
 その恐怖をぐっと飲み込んで、受け入れる。
 受け入れがたい感情も余すことなく味わうことが生きるということだから。
 震える手で彼の手を握り返す。

「全て文字にして、私がそれを読んで、それから一緒に紅茶を飲んで、それでも死にたいのなら止めないわ」

 あんまりな言葉選びだと思う。
 もしかしたら、アルバートに一生癒えない傷を与えてしまうかもしれない。
 その結果、本当に自死を選んでしまうかもしれない。
 そうなれば、きっと私もこのことを引き摺るだろう。

 それでも、アルバートという人間を知りたいと思った。
 いや、この時は知らなければいけないとすら思ったのだ。

「それで、アンタの気が済むなら……」

 そう言って、気落ちした様子で彼は無言で片付けに取り掛かった。

 アルバートは言いつけを守ってこれまでの人生を振り返りながら文字にした。

 ぶつ切りで、脈略のない散文。
 単語を羅列したかと思えば、唐突に流暢な詩が現れる。

 いつもの仕事をこなしながら、彼は一人で書いていた。
 書き上がったそれを私が読んで、気になったフレーズを尋ねる。
 ポツポツと答えながら、彼はまたそれをメモする。
 いつしか、彼は私に語りながら物語じんせいを綴るようになっていた。

「昔、まだ母上が生きていた頃なんだが、よく両親は喧嘩していた。使用人が噂話をしていて、それがとても嫌だった」
「そう」
「『喧嘩しないでくれ』と頼んでも『子供は黙っていなさい』と言われたのが悲しかった」
「私も言われたことがあるの。心の柔らかい場所に刺さって抜けなかった覚えがあるわ」

 大抵は後ろ向きな記憶ばかりだった。
 一番引き出しやすい記憶なのもあるだろう。

 二日ほどでこれ以上は何も思いつかないとアルバートが弱音を吐き始めたので、今度は人物に焦点を当てさせた。
 両親や使用人に関するエピソードはどれも薄暗かったので、思い切ってヘンリー・ド・フォン・シェリンガムについて語らせた。

「叔父上は凄い人で、私──オレに経営の素晴らしさを教えてくれたんだ」
「そう。どんな話をしてくれたの?」
「目に見える利益だけが全てじゃない。防衛は出費だけが目立って、経営を知らない者は真っ先にこれを排除しようとするが、それはやっちゃいけないことなんだ」

 半年に一度だけ。
 親族一同が集うその場所で、アルバートを見てくれたのがその人だった。
 その事を思い出す彼の表情はとても穏やかで、するすると言葉が紡ぎ出される。

「『アルバートのような息子が欲しい』と言われて、とても嬉しかったんだ。あの人が望むなら、オレはなんでもするつもりだったのに……」
「今もそう思う?」
「思わない。最近のあの人は、なんだかとても怖いんだ。それに、昔の母上のように毎日怒っている。オレのことも、見てくれなくなったんだ」
「それはとても怖くて不安になるわね」

 取り留めのない話をしながら、アルバートは物語を書いていく。
 部下の一人が結婚した事、初恋の人に手酷い振られ方をしたこと、野良猫に触ったこと。
 直近の話をしていたかと思えば過去に飛ぶ。
 前後に脈略がなくても、私はそれを敢えて指摘せずに続けさせた。

 そして、ある日。
 ついにアルバートが自ら拷問していた時の話を出した。

「すぐに自白すると思ったんだ。それなのに、アンタは他の囚人みたいに泣き叫ぶわけでも睨むわけでもなく、ただじっと耐えていたんだ。それがすごく気になって、本当は叔父上の言う『レティシア』と違うんじゃないかって思ったんだ」

 叔父上は『妄言で人を誑かし、金を集める信念のない亡者のような存在』だと言っていたらしい。
 失礼な、印税の大半は寄付しているから今の私は贅沢とは程遠い暮らしをしているんだぞ。
 この前家に来た父がひっくり返って仕送り額を増やすと言って聞かなかったぐらいだ。
 ……まあ、貴族基準なのかもしれないけど。

「アンタが血で小説を書いていた時、ホッとしたんだ。気が狂っているから拷問していても耐えていたんだって」
「たしかにあの時の私はちょっとおかしかったわ」
「だいぶおかしいよ。いつかそのうち壁に頭をぶつけて死ぬんじゃないかと本気で心配した」
「そ、そんなに?」

 それからアルバートは静かに、淡々と拷問の時の手順や自白の引き出し方を喋っていく。
 これまでそうやって自白を引き摺り出して来たことを語る彼の顔は終始穏やかで、それが彼の日常だったのだと否が応でも悟ってしまった。

「尋問中に死なないように、なるべく動脈を避けて……」

 聞くに耐えない話だった。
 生かさず、殺さず、文字通り痛みを与えるためだけに手当てをする。
 それでも口を割らなければ脅して、そうして大抵の人は罪を認める。
 この世界では魔法がある分、その手口は過激なものだった。

「痛そうね」
「ああ、とても痛い」

 アルバートはそう言って、服の裾をめくって脹脛の傷痕を見せてくれた。
 練習と称して父親に付けられたものらしい。
 『死刑に出来ないなら、せめて傷痕を残して永久の戒めとしろ』と教えられてきたらしい。

 話は転がり、検事としての仕事を失ってから街の人に殴られた傷や、小さい頃に転んでついた傷について聞いた。
 そのなかでも、小さい頃の思い出が蘇ったようで彼は呟くように語った。

「その時、母上が教えてくれたんだ。実は花瓶に活けてある花よりも、原っぱに咲いているような小さな花が好きだと。『辛い時はこれを見て』と言われていた気がする……」

 私の記憶が正しければ、両親に関して明るそうな話が出たのは初めてのことだ。
 なんとなく気になって、続きを話すように促す。

「たしか、葉っぱが虫に食われたような形をしているんだ。こう、ハートマークをしていて……食べると酸っぱいと言っていた」

 なかなかワイルドな母だ。
 この辺りで生えているものといえば、と考えながら辞典を引っ張り出す。

「もしかして、これじゃない?」
「……あぁ、これだ! ウードソーエル! 間違いない!」

 アルバートは辞典を受け取って、しげしげと眺める。

「『喜び』『母の優しさ』」

 きょとんとした顔で、アルバートは私を見つめ返す。

「ウードソーエルの花言葉よ。この地域では、昔から春になったらウードソーエルが咲いた原っぱで子供を遊ばせるの。群生しているから、カーペットになると信じられていたのよ」
「母の優しさ……」

 彼は無言で辞典を見つめていた。
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