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『ペンは剣より強し』
レティシア及びモンタント事件③
しおりを挟む傍聴席から法廷に響いた大歓声は、職員総出で呼びかけることでなんとか声のボリュームが下がり始め、五分ほど時間を要したがなんとかブルーノの声が聞こえるほどにまで落ち着きを取り戻し始めた。
「静粛に! 静粛に! ……やっと静かになりましたね」
呆れたようにブルーノ裁判官はため息を吐いた。
かつて商人が貴族に金を積んで勝ち取った“傍聴”という制度に、前例のない出来事が続いているのだから疲労してもおかしくはない。
静寂が戻ったことを確認したブルーノは、静かに口を開いた。
「被告人の本が及ぼした影響は凄まじく、いずれも社会常識に照らして好ましいものと判断します。しかし、一方で市場に混乱を齎したことも事実。悪意がなかったとはいえ、その責任は追及されなければいけません」
ブルーノの言葉を聞いたアルバートの頰を冷や汗が伝う。
「検事の主張する詐欺罪では、被告人の罪を追及することは不可能。先だって行われた裁判における判決文から引用したとしても出版を禁止する理由が見当たりません」
「……な、なんだと?」
唖然としたアルバートが漏らした呻き声は、法廷の静寂に吸い込まれる。
「『反社会的』でも『猥褻』でもない文章であることは疑いようもない。よって、被告人は無罪とするのが妥当である」
シン、と緊張感が法廷に走った。
ブルーノの言葉を、誰もが信じられなかったようでぱちぱちと瞬きをしている。
静寂を破ったのは、アルバートの叫び声だった。
「……ぁ、あ、む、無罪だとぉっ!?」
ダン、と検事席を拳を叩きつける。
その音に私は思わず驚いて肩が跳ねた。
怒りに肩を震わせたアルバートはさらに続けて叫ぶ。
「巫山戯るな、巫山戯るな、巫山戯るなぁっ!!」
アルバートを中心に、彼の感情の噴出に従って魔力が溢れ出す。
その魔力はそよ風から段々と威力が強くなっている。
「異国あがりの平民風情が知ったような口をききやがって!」
「アルバート検事、魔力を抑えなさい。これ以上の暴言と魔力の行使は法廷侮辱罪に当たります」
ブルーノの目配せに合わせて職員たちが剣を抜き放つ。
まさに一触即発。
いつ斬り合いが始まってもおかしくない事態にまで発展した。
「レティシアさん、とりあえず僕の後ろに」
「すみません、お願いします」
私に魔力がないことを知っているアランの背中に隠れる。
前世を含めると私の方が歳上になるのだが、身を守る術すら持たない私に出来ることはない。
情けない話だが、魔力を持つ人に庇ってもらわないといけないほど私は無力なのだ。
「撤回しろ、ブルーノ! さもなくば、命はないと思え!」
アルバートの放つ魔力はもはや脅しでは済まないレベルにまで強まっていて、子供たちが身を寄せ合っているがそろそろ吹き飛ばされそうになっている。
シスターが咄嗟に魔力で打ち消しているが、貴族の魔力量と比べると劣っているので直に彼女の魔力が尽きてしまうだろう。
傍聴席では、帯剣していなかった職員によって早くも避難誘導が始まっていた。
「アルバート、貴方は自分が何をしているのか分かっているのですか!?」
「煩い、煩い、煩い! お前が撤回しないなら、この会場にいる平民が死ぬことになるぞ!」
問答はいよいよ怪しい方向に進み始めた。
行方が気になったものの、職員から避難するように指示されては逃げないわけにもいかないので後ろ髪を引かれるような思いで法廷を離れる。
職員に誘導され、アランに手を引っ張られるまま移動して裁判所の外に出る。
建物の外に出ても、依然としてアルバートの魔力によって生み出された風が吹いていることを感じる。
「レティシア、無事だったのね!」
名前を呼ばれて振り返れば、そこにはサリーの姿があった。
傍らにはブレンダやフィッツ、セシルの姿もある。
離れた場所では孤児院の子供達の手を握ったシスターやネクサスもいた。
ひとまず見知った人たちが無事だったことにほっと胸を撫で下ろす。
「ええ、私もアランも無事よ」
「ああ、良かったわ。それにしても検事がいきなり暴れだすなんて……」
怯えるサリーの肩を撫でながら私も眉をひそめる。
不安に思うのは、詰め寄られていたブルーノ裁判官のこと。
私の気持ちを悟ったのか、セシルが口を開く。
「無罪が言い渡されている以上、ブルーノ裁判官が撤回したとしても世論の追及は免れられないはずだ」
「そうね。こんなことになるなんて、本当に私ってツイてないわ」
シェリンガムの甥であるアルバート。
私を憎く思う気持ちは彼の人生から生じたもので、部外者の私には到底理解できないし、あれこれというものではないと思う。
しかし、私とは何の関係もない人間を巻き込んで傷つけることだけはやめてほしいと思う。
もっとも、激情に駆られた人間に理性的な判断を求めることが間違っているのかもしれない。
風の勢いは弱まることもなく、むしろ増すばかり。
傍聴席から避難してきた人たちは、裁判所の外でも危険と判断して敷地の外に向かって移動を始めている。
「道を譲れ、これは国王からの勅命である!」
人の群れを掻き分け、やって来たのは王家の紋章を掲げた十人程度の騎士。
彼らが裁判所の中へ駆け込み、数分と経たないうちに風が止んだ。
戻ってきた騎士の一人が事態は落ち着いたと説明し、今日行われるはずだった他の裁判は一時中断となった。
裁判所の職員から、被告人である私とアランは自宅に戻って待機するようにとの命令を受けた。
このまま裁判所の前にいても何も出来ることがないとネクサスは判断し、後の事務処理は任せて欲しいとのことだったので自宅に戻ることになった。
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