上 下
56 / 71
『ペンは剣より強し』

レティシア及びモンタント事件③

しおりを挟む

 傍聴席から法廷に響いた大歓声は、職員総出で呼びかけることでなんとか声のボリュームが下がり始め、五分ほど時間を要したがなんとかブルーノの声が聞こえるほどにまで落ち着きを取り戻し始めた。

「静粛に! 静粛に! ……やっと静かになりましたね」

 呆れたようにブルーノ裁判官はため息を吐いた。
 かつて商人が貴族に金を積んで勝ち取った“傍聴”という制度に、前例のない出来事が続いているのだから疲労してもおかしくはない。

 静寂が戻ったことを確認したブルーノは、静かに口を開いた。

「被告人の本が及ぼした影響は凄まじく、いずれも社会常識に照らして好ましいものと判断します。しかし、一方で市場に混乱をもたらしたことも事実。悪意がなかったとはいえ、その責任は追及されなければいけません」

 ブルーノの言葉を聞いたアルバートの頰を冷や汗が伝う。

「検事の主張する詐欺罪では、被告人の罪を追及することは不可能。先だって行われた裁判における判決文から引用したとしても出版を禁止する理由が見当たりません」
「……な、なんだと?」

 唖然としたアルバートが漏らした呻き声は、法廷の静寂に吸い込まれる。

「『反社会的』でも『猥褻』でもない文章であることは疑いようもない。よって、被告人は無罪とするのが妥当である」

 シン、と緊張感が法廷に走った。
 ブルーノの言葉を、誰もが信じられなかったようでぱちぱちと瞬きをしている。
 静寂を破ったのは、アルバートの叫び声だった。

「……ぁ、あ、む、無罪だとぉっ!?」

 ダン、と検事席を拳を叩きつける。
 その音に私は思わず驚いて肩が跳ねた。

 怒りに肩を震わせたアルバートはさらに続けて叫ぶ。

巫山戯ふざけるな、巫山戯るな、巫山戯るなぁっ!!」

 アルバートを中心に、彼の感情の噴出に従って魔力が溢れ出す。
 その魔力はそよ風から段々と威力が強くなっている。

「異国あがりの平民風情が知ったような口をききやがって!」
「アルバート検事、魔力を抑えなさい。これ以上の暴言と魔力の行使は法廷侮辱罪に当たります」

 ブルーノの目配せに合わせて職員たちが剣を抜き放つ。
 まさに一触即発。
 いつ斬り合いが始まってもおかしくない事態にまで発展した。

「レティシアさん、とりあえず僕の後ろに」
「すみません、お願いします」

 私に魔力がないことを知っているアランの背中に隠れる。
 前世を含めると私の方が歳上になるのだが、身を守る術すら持たない私に出来ることはない。
 情けない話だが、魔力を持つ人に庇ってもらわないといけないほど私は無力なのだ。

「撤回しろ、ブルーノ! さもなくば、命はないと思え!」

 アルバートの放つ魔力はもはや脅しでは済まないレベルにまで強まっていて、子供たちが身を寄せ合っているがそろそろ吹き飛ばされそうになっている。
 シスターが咄嗟に魔力で打ち消しているが、貴族の魔力量と比べると劣っているので直に彼女の魔力が尽きてしまうだろう。
 傍聴席では、帯剣していなかった職員によって早くも避難誘導が始まっていた。

「アルバート、貴方は自分が何をしているのか分かっているのですか!?」
うるさい、煩い、煩い! お前が撤回しないなら、この会場にいる平民が死ぬことになるぞ!」

 問答はいよいよ怪しい方向に進み始めた。
 行方が気になったものの、職員から避難するように指示されては逃げないわけにもいかないので後ろ髪を引かれるような思いで法廷を離れる。

 職員に誘導され、アランに手を引っ張られるまま移動して裁判所の外に出る。
 建物の外に出ても、依然としてアルバートの魔力によって生み出された風が吹いていることを感じる。

「レティシア、無事だったのね!」

 名前を呼ばれて振り返れば、そこにはサリーの姿があった。
 傍らにはブレンダやフィッツ、セシルの姿もある。
 離れた場所では孤児院の子供達の手を握ったシスターやネクサスもいた。
 ひとまず見知った人たちが無事だったことにほっと胸を撫で下ろす。

「ええ、私もアランも無事よ」
「ああ、良かったわ。それにしても検事がいきなり暴れだすなんて……」

 怯えるサリーの肩を撫でながら私も眉をひそめる。
 不安に思うのは、詰め寄られていたブルーノ裁判官のこと。

 私の気持ちを悟ったのか、セシルが口を開く。

「無罪が言い渡されている以上、ブルーノ裁判官が撤回したとしても世論の追及は免れられないはずだ」
「そうね。こんなことになるなんて、本当に私ってツイてないわ」

 シェリンガムの甥であるアルバート。
 私を憎く思う気持ちは彼の人生から生じたもので、部外者の私には到底理解できないし、あれこれというものではないと思う。
 しかし、私とは何の関係もない人間を巻き込んで傷つけることだけはやめてほしいと思う。
 もっとも、激情に駆られた人間に理性的な判断を求めることが間違っているのかもしれない。

 風の勢いは弱まることもなく、むしろ増すばかり。
 傍聴席から避難してきた人たちは、裁判所の外でも危険と判断して敷地の外に向かって移動を始めている。

「道を譲れ、これは国王からの勅命である!」

 人の群れを掻き分け、やって来たのは王家の紋章を掲げた十人程度の騎士。
 彼らが裁判所の中へ駆け込み、数分と経たないうちに風が止んだ。
 戻ってきた騎士の一人が事態は落ち着いたと説明し、今日行われるはずだった他の裁判は一時中断となった。

 裁判所の職員から、被告人である私とアランは自宅に戻って待機するようにとの命令を受けた。
 このまま裁判所の前にいても何も出来ることがないとネクサスは判断し、後の事務処理は任せて欲しいとのことだったので自宅に戻ることになった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました

蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈ 絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。 絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!! 聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ! ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!! +++++ ・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)

転生したら乙女ゲームの主人公の友達になったんですが、なぜか私がモテてるんですが?

rita
恋愛
田舎に住むごく普通のアラサー社畜の私は車で帰宅中に、 飛び出してきた猫かたぬきを避けようとしてトラックにぶつかりお陀仏したらしく、 気付くと、最近ハマっていた乙女ゲームの世界の『主人公の友達』に転生していたんだけど、 まぁ、友達でも二次元女子高生になれたし、 推しキャラやイケメンキャラやイケオジも見れるし!楽しく過ごそう!と、 思ってたらなぜか主人公を押し退け、 攻略対象キャラや攻略不可キャラからも、モテまくる事態に・・・・ ちょ、え、これどうしたらいいの!!!嬉しいけど!!!

モブなのに、転生した乙女ゲームの攻略対象に追いかけられてしまったので全力で拒否します

みゅー
恋愛
乙女ゲームに、転生してしまった瑛子は自分の前世を思い出し、前世で培った処世術をフル活用しながら過ごしているうちに何故か、全く興味のない攻略対象に好かれてしまい、全力で逃げようとするが…… 余談ですが、小説家になろうの方で題名が既に国語力無さすぎて読むきにもなれない、教師相手だと淫行と言う意見あり。 皆さんも、作者の国語力のなさや教師と生徒カップル無理な人はプラウザバック宜しくです。 作者に国語力ないのは周知の事実ですので、指摘なくても大丈夫です✨ あと『追われてしまった』と言う言葉がおかしいとの指摘も既にいただいております。 やらかしちゃったと言うニュアンスで使用していますので、ご了承下さいませ。 この説明書いていて、海外の商品は訴えられるから、説明書が長くなるって話を思いだしました。

女性の少ない異世界に生まれ変わったら

Azuki
恋愛
高校に登校している途中、道路に飛び出した子供を助ける形でトラックに轢かれてそのまま意識を失った私。 目を覚ますと、私はベッドに寝ていて、目の前にも周りにもイケメン、イケメン、イケメンだらけーーー!? なんと私は幼女に生まれ変わっており、しかもお嬢様だった!! ーーやった〜!勝ち組人生来た〜〜〜!!! そう、心の中で思いっきり歓喜していた私だけど、この世界はとんでもない世界で・・・!? これは、女性が圧倒的に少ない異世界に転生した私が、家族や周りから溺愛されながら様々な問題を解決して、更に溺愛されていく物語。

悪役令嬢が美形すぎるせいで話が進まない

陽炎氷柱
恋愛
「傾国の美女になってしまったんだが」 デブス系悪役令嬢に生まれた私は、とにかく美しい悪の華になろうとがんばった。賢くて美しい令嬢なら、だとえ断罪されてもまだ未来がある。 そう思って、前世の知識を活用してダイエットに励んだのだが。 いつの間にかパトロンが大量発生していた。 ところでヒロインさん、そんなにハンカチを強く嚙んだら歯並びが悪くなりますよ?

破滅ルートを全力で回避したら、攻略対象に溺愛されました

平山和人
恋愛
転生したと気付いた時から、乙女ゲームの世界で破滅ルートを回避するために、攻略対象者との接点を全力で避けていた。 王太子の求婚を全力で辞退し、宰相の息子の売り込みを全力で拒否し、騎士団長の威圧を全力で受け流し、攻略対象に顔さえ見せず、隣国に留学した。 ヒロインと王太子が婚約したと聞いた私はすぐさま帰国し、隠居生活を送ろうと心に決めていた。 しかし、そんな私に転生者だったヒロインが接触してくる。逆ハールートを送るためには私が悪役令嬢である必要があるらしい。 ヒロインはあの手この手で私を陥れようとしてくるが、私はそのたびに回避し続ける。私は無事平穏な生活を送れるのだろうか?

転生したらただの女子生徒Aでしたが、何故か攻略対象の王子様から溺愛されています

平山和人
恋愛
平凡なOLの私はある日、事故にあって死んでしまいました。目が覚めるとそこは知らない天井、どうやら私は転生したみたいです。 生前そういう小説を読みまくっていたので、悪役令嬢に転生したと思いましたが、実際はストーリーに関わらないただの女子生徒Aでした。 絶望した私は地味に生きることを決意しましたが、なぜか攻略対象の王子様や悪役令嬢、更にヒロインにまで溺愛される羽目に。 しかも、私が聖女であることも判明し、国を揺るがす一大事に。果たして、私はモブらしく地味に生きていけるのでしょうか!?

美幼女に転生したら地獄のような逆ハーレム状態になりました

市森 唯
恋愛
極々普通の学生だった私は……目が覚めたら美幼女になっていました。 私は侯爵令嬢らしく多分異世界転生してるし、そして何故か婚約者が2人?! しかも婚約者達との関係も最悪で…… まぁ転生しちゃったのでなんとか上手く生きていけるよう頑張ります!

処理中です...