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『ペンは剣より強し』
レティシア及びモンタント事件①
しおりを挟む裁判当日。
私はレティシアとして再び裁判所を訪れていた。
「おはよう、レティシアさん。体調はどうだい?」
「おはようございます、アラン様。昨日は散々でしたが、今日は絶好調です」
「それはよかった!」
結局、教会で無碍に扱われた私は『破門されてもいいや』と開き直ることにした。
何かあったら、その時はその時だ。
事情を話したところ、アランが「なるほど、教会も壊しておくか」と言ってたので相談する相手を間違えたかもしれない。
「法律に反することはしない」と約束させたはいいけれど、「法律なんていくらでもねじ曲げられる」と宣っていたのでいつかは司法制度も整える必要がありそうだ。
おかしい、私は政治家でも官僚でもないはずなのになんで胃を痛めなくてはいけないんだ。
控え室では既に準備に取り掛かっていたネクサスが資料の確認をしていた。
入室してきた私とアランに気付いて立ち上がる。
「おお、レティシアさん。今日はよろしくお願いします」
「ネクサス先生、初公判の弁護をお願いしますね」
握手を交わして打ち合わせをしていれば、あっという間に時は過ぎて開廷の時刻になった。
職員に案内され、扉を潜った先には空席が見当たらない傍聴人席と被告人席に置かれた椅子二つ。
今回、アランも被告人席に一緒に座るのだ。
「共犯だね……」と意味深に囁いてきたが、ここで迂闊に狼狽えると変に解釈されそうだったので「法律上はね」とだけ答えておいた。
それでもご機嫌だったので、彼はもうダメかもしれない。
『モンタント事件』以降、あの時のような裁判官が真面目な顔でとんでもない事を言い出すのではないかと期待して傍聴しているようだ。
加えて、レティシアとしての注目度も影響して傍聴を希望する人が増えたらしい。
最前列ではサリーが、その他にも文芸サロンの仲間やセシルなどの見知った姿が見えたので小さく手を振っておく。
セシルは手を振り返してくれなかったけど、サリーとブレンダは手を振り返してくれた。
フィッツは片手を上げてくれたのでよしとしよう。
ふと検事席から視線を感じたので、そちらの方を見る。
検事席にはシェリンガム元公爵の甥、アルバート・シェリンガムの姿が。
おそらくは『モンタント事件』と類似していて、有罪を勝ち取った経験があるから抜擢されたのだろう。
「貴女が……いや、貴様がレティシア・フォン・ルーシェンロッド! 我が叔父の宿敵!」
「私は確かにレティシアですが、誰かの宿敵になった覚えはありませんよ」
「煩い! その綺麗な顔で数々の男を誑かしているそうだな、お前の天下も今日で終わりだ!」
「誑かした覚えもないですね。あと、天下ってなんの話です?」
アルバートは、ふんっ、と鼻で笑うばかりでこれ以上私と会話する気がないらしい。
交友関係が広がった最近では、こういうワケの分からないことを初対面で吹っかけてくる人との遭遇率が格段に増えた気がする。
繊細な人なら精神を病んでしまいそうだ。
気遣わしげに私を見てくるネクサスに向けて肩を竦めれば、彼もアルバートの顔を見てやれやれとため息をついていた。
扉が開き、裁判官が黒い法衣を翻しながら歩く。
前回のヒューゴ裁判官とは違って、若い青年だった。
服につけたぴかぴかのネームプレートには『ブルーノ・ミランテス』と書かれていた。
浅黒い肌をしていたので、もしかしたら外国から来たのかもしれない。
「それでは、これよりレティシア被告人の裁判を始めます」
訛りのない綺麗な声でブルーノ裁判官が開廷を告げた。
「被告人レティシア及び白狐出版社は、政府による出版の認可なく本を製造し、販売した。これは王国法第五十三条『詐欺罪』に該当──当てはまる」
衆目のなか、アルバート検事が手元の資料を読み上げる。
さすがの検事といえども、傍聴人の多さは無視できなかったらしい。
いつもとは違って、分かりやすい言葉を選んで使っていた。
「被告人は政府による出版の認可なく本を製造し、販売したことで不当に利益を得た、と検事は主張しているのですね」
「はい。さも認可があるように偽り、販売したことは罪です。さらに、被告人の本によって王国内の紙やインク、印刷機の需要が高騰し、本来保護されるべき学術書へ多大な影響を及ぼしています」
ヒューゴと比べ、ブルーノは丁寧に主張を整理していく。
几帳面な性格なのだろう、手元の資料は丁寧にファイリングまでされていた。
好感が持てる人間だ。
「検事の主張は分かりました。それでは次に被告人の意見を聞きましょう」
ざわ、と傍聴人からどよめきが起きる。
アルバートも訝しむように裁判官の顔を見つめる。
「……えっ、は、はい!」
「どうか緊張なさらないで。検事の主張に対して、貴女はどのようにお考えですか?」
まさかこの国で被告人の意見を仰ぐ裁判官がいるとは思わず、一瞬頭が真っ白になりかけたが一呼吸して心を落ち着かせる。
異国から来たなら、この国の裁判のしきたりに則って裁判を執り行うとは限らない。
「政府の認可を得ずに本を作り、販売しましたことは事実です。しかし、検事の主張する詐欺罪に当たるような『不当な利益』は得ておりません」
「なるほど。それでは次に、弁護人の主張を聞きましょうか」
話を振られたネクサスは静かに立ち上がる。
注目の裁判ということで、卸したばかりのオーダーメイドスーツ(天使の刺繍針作成)をビシッと着こなしている。
「弁護人は、検事の主張は根拠のない言いがかりだと反論します」
傍聴席からどよめきが起きる。
ドラマを期待する観衆の求めに応じるように、ネクサスが手を挙げるとすぐさま沈黙がその場を支配する。
この前、即席で教えた演説術を早くも使いこなしている。
「まず、政府の認可なく本を製造し、販売したことは事実ですが、それらの違いは一目瞭然」
そう言ってネクサスは『塔の王女と無名の騎士』ともう一冊の本を取り出す。
もう一冊のタイトルは『経営論』。
表紙に使われている上質紙には政府の印章が彫り込まれ、タイトルは高価な金色のインクが使われている。
一般論として、本と言われれば『経営論』を連想する人が多いはずだ。
「被告人が作り、販売した本のどこにも認可を偽造した痕跡はなく、また内容にもそういった旨のものが記載されておりません」
「拝見します」
ネクサスから渡された本を受け取り、さっと目を通したブルーノは静かに息を吐く。
「弁護人の主張する通り、偽造した痕跡はありません。さらに、検事の主張するような物価の高騰はあくまで結果論であり、複数の要因が絡まって起きたことなので一概に被告人の責任を追及することは不可能です」
ネクサスの弁舌に、傍聴席の皆は息を飲んで耳を傾けているようだった。
途中でヒートアップして難しい言葉を使っていたが、おおよそ言いたいことは伝わっているらしくあちらこちらで解説役の囁きが聞こえてくる。
「さらに、弁護人は参考文献として『モンタント事件』の判決文を提出します。この裁判では出版停止を命令する理由として、『反社会的』及び『猥褻』であることを挙げています」
ネクサスが『モンタント事件』を引き合いに出した瞬間、傍聴席にいた半数の人間が目を輝かせながら顔を上げる。
「被告人の本にそういった意図は一切なく、子供に広く親しまれております。その参考人を弁護人は呼んでおります」
「参考人、ですか。良いでしょう、連れてきなさい」
ネクサスが目配せをすると、近くで控えていた彼の事務所の部下がさっと扉を開ける。
その扉を駆け足で潜ってきたのは……。
「すげー!」
「おっきいー!」
「わー! 人がいっぱいいるよー!」
「こらこら、みんな静かにしなさい」
「「「はーい!」」」
孤児院の子供たちと妙齢のシスターさんだった。
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