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お茶会の悪魔

フラグを建てるよシェリンガム!

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 建国記念日当日。
 王家の印が施された招待状を片手にシェリンガム公爵は王城へ入城していた。
 彼はいつもならお茶会が始まる少し前に到着するのだが、この日ばかりは一時間前に来るというウキウキ具合だ。
 なにせ、この日のために下準備を済ませたのだから心が弾まない方が無理な話だった。

「ふふふ、レティシア・フォン・ルーシェンロッドの名声も今日で地に落ちると思えばこれまでの屈辱も糧になったと前向きに肯定できるものだなあ……」

 手に持ったワイングラスをくるくると動かし、葡萄酒が転がる光景をひとしきり眺めた後、香りを楽しんで口に含む。



 シェリンガムが初めて屈辱を味わったのは一ヶ月ほど前。
 『経営論』を書き上げ、その原稿を手に多数の出版社を傘下に持つエッシェンバッハ侯爵の元を訪れた時のことだ。
 この時の彼は自身の本が出版され、世に広く出回り、令息の読書会で愛読される未来が来ると心の底から確信していた。

『……なるほど。シェリンガム公爵、大変申し訳ないが貴方の本を我々で売り出すには少し厳しいところがある』

 自身の原稿はさっと目を通されただけですぐに返された。
 これが彼が味わった初めての屈辱だった。

 断られたことにたいして納得がいかなかった彼は、自身の伝手を使って、別の出版社から強引に本を売り出した。
 『必ず見返してやる』という決意を胸に秘めた彼に告げられたのは、在庫に困っているという出版社からの報せ。
 これが二度目の屈辱だった。

 そして、三度目の屈辱。
 それは忘れもしない、エッシェンバッハ侯爵家で開かれた読書会での出来事だった。
 休憩がてらに、ととある令息が読み上げた本は『塔の王女と無名の騎士』。
 彼が夢にまで見ていた令息の読書会にて読みあげられるという栄光を、あろうことか妄想から生まれた創作物が掠め取ったのだ。
 怒りに震えるシェリンガム公爵を他所に、盛り上がる他の参加者が殊更彼を憎悪へと駆り立てた。

『こんな本を読み上げるなんてなにを考えている! この“二人は手を繋ぎ、夜の闇へ消えていった”という文章は猥褻なことを示唆している以外ありえない! 恥を知れ!』

 そう声高く叫び、その書物を読み上げた令息を激しく非難した。
 落ち着かせようとしてくる他の令息の手を振り払い、破り捨ててやろうとした矢先。
 膨大な魔力に叩き伏せられ、地に顔をつけるという生まれて初めての無様な姿を晒す羽目になった。

『その本は僕が処分しよう。それでどうか手を打ってくださいませんかシェリンガム公爵様。皆が怯えております』

 凛とした声で書物を奪い取ったのはアラン・フォン・エッシェンバッハ。
 この国で広く名前が知られる、実力者の一人だった。

 屈辱に震えるシェリンガムは馬車に押し込められ、屋敷へと送り返された。
 それから、彼は本の作者『レティシア』について調べあげた。

 よりにもよって、エッシェンバッハ侯爵家傘下の出版社から出していること。
 他にも本を売り出し、エッシェンバッハ侯爵の令息アランが自ら契約を取り付けたこと。
 市井に広く出回り、何度も重版が決まっていること。

 それを知ったシェリンガムは激しく憎悪し、嫉妬に頭を掻き毟った。
 優れた知識によって書かれた哲学書ならば納得できよう、これまで見たことがないようなデザインを作れるような技術書ならば理解できよう。
 しかし、妄想の産物でしかない。


 手に入れた本を読み、彼はこう思った。

 ────なぜ、こんな誰にでも書ける文章が評価されている?
 ────なぜ、私の本は評価されない?



 その疑問は、マクシミアン公爵主催のお茶会に出た時に解決した。

 親しげにアランと歓談する令嬢『レティシア』。
 なるほど、年頃の男ならば見惚れるのも納得するような美しさと色気があった。
 数多の美女を見たことがあるシェリンガムでさえ、思わず目で追っかけてしまう魅力があった。
 歳を重ねれば数多の男性を誑かす存在になれるほどの美貌を感じさせる横顔を見つめ、次いでアランから己に注がれる底冷えするほどの鋭い視線にシェリンガムは気づく。

 ────恋に狂ったのだ。

 あの妄想の産物を本にして商売しようなどと、それこそ狂人の沙汰。
 二人は“そういう関係”で、だからアランは肩入れしたのだとシェリンガムは強く信じた。


「まったく、アラン殿も一時の恋慕で商いを左右するとは愚かとしか思えんなあ」

 シェリンガムの頭は彼にとって都合よく、心地の良い事実を作り上げていく。

 レティシアは肉体関係になることを条件に、あの下らない原稿を無理やり出版させたのだ。
 悪女レティシアと恋心故に加担するアラン。
 彼らを社交界から追放せねば、国が傾く。
 自分はそれを食い止めようとする愛国心溢れる気高き貴族。

 心地よい陶酔をさらに加速させるのは、彼の腰巾着たち。

「これはこれはシェリンガム様。本日もご機嫌麗しゅうございます。あの悪女が没落すると聞いて、私は昨日眠れませんでした」

 これまでルーシェンロッド家に辛辣を舐めさせられてきた貴族や商人たちだ。
 この日の為に、シェリンガム自ら招待状を出したのだ。
 貴族のなかにはファーレンハイト侯爵夫人の姿もある。

「ぐふふふふっ、あの女が顰蹙を買う姿が楽しみでたまらないなあ。この為に慣れないドレスデザインに手を加えた甲斐があったものだよ」
「お話によればとんでもないドレスを着てくると。門前で止められませんか?」
「とっくに根回し済みだよ、この私を侮らないでいただきたいねえ」
「さすがシェリンガム様!」

 不安げだったシェリンガムの腰巾着は晴れやかな顔になって彼を称える。

 この日の為に、シェリンガムは仕立て屋に圧力を掛けた。
 後ろ盾になっている第三王子の力を使ってリストを届けさせ、更には王妃のドレスデザインを入手した。
 それに手を加え、一店舗だけ圧力を掛けられなかったところにルーシェンロッド家の使用人として届けるようにと使用人に命令した。
 短期間でドレスが仕上がったとしても、王妃よりも悪目立ちするデザインのものを身につければどうなるか……。

「王室不敬罪で最悪、死刑かそれとも国外追放か……楽しみですなあ」

 ワイングラスを片手にクスクスと笑い始める貴族たち。
 この場にいる誰もがレティシアの失態を信じて疑わなかった。

「程度が知れる」

 凍りつくような声が王城のホールに凛と響く。
 建国神話に基づき、金色と銀色で神鳥を刺繍した紺色のジャケットに白のスラックスを身に纏ったアランが氷のように冷たい目でシェリンガムを見下していた。
 日頃なら激昂して掴みかかるシェリンガムだが、これからのことを考えればアランに哀れみすら覚える。

「ふん、生意気な顔も今日までだ」

 シェリンガムの脳内では既に何パターンもの罵倒方法からその後のルーシェンロッド伯爵家の引き摺り下ろし方がシミュレーションされている。
 あんなにも下品なドレスを着てくるのだから、会場にいる他の貴族は呆気にとられて言葉も出てこないかも知れない、なんて考えに笑みが溢れる。
 件の仕立て屋を調査した限り、やけにサンガスター商会からストールの材料であるシルクを仕入れているばかり。
 それで露出を誤魔化そうという若者特有の浅知恵だとシェリンガムは嗤う。

 そうして、会場の期待が最高潮に高まった頃。
 ホールの扉を警護している兵が声高く主役の来訪を告げる。

「ルーシェンロッド伯爵家御一行のご到着です!」

 ゆっくりと両開きの扉が開き、燦々と輝く日光を背に姿を現したのは……。


 高く結えられた桃色の髪は複雑に編み込まれ、銀色のビーズと色とりどりの宝石が頭部を飾り、彼女の歩幅に合わせて左右に揺れる。
 白い刺繍糸で薔薇が描かれた白布のチューブトップを押し上げる豊満な胸に一部の貴族だけに飽き足らず兵士の視線が釘付けになる。
 同じく蔦が刺繍された白の短いパンツからは健康的な肉付きをした太腿が惜しげもなく晒され、線の細い脹脛が半透明な腰布からちらちらと隠れて見える。
 想定以上の露出にシェリンガムの視線は上へ下へ彷徨い、やがてレティシアの顔に落ち着く。

 令嬢の羨望と嫉妬。男の不躾な欲。驚愕。動揺。
 それらの視線を一身に浴びながら、レティシアはオレンジ色のルージュが引かれた形の良い唇を開いた。

「あら、会場の皆さまご機嫌麗しゅうございます。如何でしょう、シェリンガム公爵様。貴方が私のために“ご用意”くださったドレスは?」

 透けた腰布を上品に摘みながら、悪魔レティシアはカーテシーをした。
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