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女冒険者サナ
冬籠り一日目
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目が覚めたとき、目の前にあったのは見目麗しい金髪の青年の寝顔だった。
もう何度目になるのかも分からない、心臓に悪い目覚め方をした私はその時点で自己嫌悪に駆られていた。
情けないことに二日酔い特有の頭痛に加えて鈍い痛みが走る腰ではまともに起き上がることもできない。
混濁した記憶の中でうっすらとこの家のソファーでワインを飲んだことを思い出し、段々と顔から血の気が失せる。
ーーやらかした。完全にやらかした。
記憶をなくすまで酔っ払ってしまうなんて、私はなんて愚かで学習しない生き物なのだろうか。
失敗するなり損をするなり何が起きても自己責任で片付けるところだが、他人に迷惑をかけたとならば話は違う。
もう金輪際お酒は摂取するまいと誓いを立てたところで隣で眠っていたカインが目を覚ました。
長い睫毛に縁取られた瞼を震わせ、蒼く輝く瞳がぼんやりと瞬いた。
まだ眠気が残っているようで何度か緩慢な瞬きを繰り返した後、手を伸ばして私の頬を撫でる。
毛布のかかってなかった頬にあたたかい掌が触れた。
じんわりと伝わる温もりにほんの少しだけ頭痛が治まるような気がする。
「おはよう、サナ」
「おはよう、ございます」
ガサガサの二日酔いボイスで返答するとカインの目が丸くなる。
体を起こすとはらりと鍛えられた上半身が露わになった。
朝日のなかでサラサラと流れる金髪や光を発する碧眼にうっすらと目の下にある隈も相まって、さながらどこかの貴婦人が抱える絵画のようだ。
乱れた髪をかきあげる仕草になんだか気恥ずかしさを感じて視線を逸らす。
私も体を起こそうとしたが腰に鈍い痛みが走り、思わず呻き声を上げた。
「今水を取ってきてやる。服は……俺のでいいか」
クローゼットの引き出しを漁ったカインが引っ張り出したのは普段彼が着ている白いシャツだった。
シャツを渡したカインは水を取ってくると言って寝室の外へ出た。
部屋のなかを見渡すが私が昨日着ていた衣服が見当たらない。
流石に裸のままでいるわけにもいかず、諦めて受け取ったシャツに腕を通す。
バスローブを借りた時と同様、一回りほど大きいサイズのシャツは袖をまくらないと指が見えないほどだ。
シャツの裾は太腿までの長さがある。
「風呂まで借りてたの……!?」
体のどこにも汚れがないことに気付いて愕然とした。
人の家で記憶をなくすまで酔っ払った挙句風呂まで借りるなんて図々しいにも程がある。
髪や体からは全く馴染みのないシャンプーやら石鹸の香りがふわりと鼻腔をくすぐる。
「はわわわわ……限定スイーツとかで許してもらえるかなあ? いや、そもそも甘味は好きなの? ああでも高価なものは逆に気を遣うというし……お゛お゛う゛」
頭を抱えて悩むが二日酔いでガンガンと頭痛がするなかでまともな解決策が浮かぶわけもない。
ああでもない、こうでもない、と思いついた案を検討しているとカインが寝室に戻ってきた。
「水は一人で飲めそうだな」
「わざわざありがとうございます」
レモンの入った水差しとコップを持ってきてくれたので、差し出されたコップをありがたく受け取る。
迷惑しかかけていない現状に対して申し訳なさを募らせながらレモン水を飲む。
知らぬ間に水分を欲していたようでコップ一杯の水を飲み干すのにそう時間は掛からなかった。
レモンの爽やかな香りと酸っぱさが残っていた眠気を追い払い、ズキズキと痛む喉や頭が少しマシになった気がする。
改めて感謝すれば、親切なカインは「気にしなくていい」と言うだけでなく朝食も振る舞ってくれるらしい。
せめて手伝いだけでも、と立ち上がろうとしたがやんわりと断られた。
満足に立ち上がれない人間が台所にいても邪魔なだけなので、しょんぼりとしながらも大人しく待つことにした。
待つ間、暇なのでなんとなしに部屋の中を見回す。
やはり昨日着ていた私の衣服はどこにも見当たらず、床に放って置かれていたカインの服も恐らく洗濯用の籠に放り込まれている。
台所から食事を用意する音に混じってガサガサと何かが窓にぶつかる音がした。
ベッドの上を這いながらシンプルでなんの装飾もない分厚いカーテンを退けて窓の外の景色を見た。
一面の白銀。
外はまさしく地吹雪の最中にあった。
吹き荒ぶ風に舞い上がった雪で外界の景色は白に塗りたくられ、空からは雪がひたすら降り積もる。
窓枠に触れる高さにまで積もった雪は明日になるまで出歩くことすらままならないだろう。
これでは帰るどころの話ではない。
「朝食はオートミールでも構わないか?」
「はい。ありがとうございます」
壁伝いにゆっくりとなら歩けるのでフラフラと足取り危なく寝室から出れば、リビングルームは暖炉が煌々と室内を照らしていた。
朝食の準備をしていたカインが部屋から出てきた私に気付く。
どうやら二日酔いの私のために栄養価の高いオートミールにしてくれるようだ。
「ベッドに横になっていても良かったんだが……手を貸そう」
「あああ、手を煩わせて本当にすみません」
フラフラな私を見兼ねたカインに支えられながらソファーに案内される。
おまけにソファーの前に水差しとコップを置かれ、「転んだら危ないから大人しくしているように」と釘を刺されてしまった。
「あの、カインさん。昨日私が着ていた服は……?」
大きな荷物は冒険者ギルドに預けているので着替えはない。
出来れば他人の家で下半身を一応隠れているとはいえ下着もなく彷徨くのは憚られる。
例え着回すことになったとしても構わないと思うぐらいには礼儀はあるつもりだ。
「それなら雪で濡れていたから洗濯している」
「洗濯……って、魔法式洗濯機を持ってるってことですか!?」
「浴室の横に扉があっただろう。そこに置いてある」
カインの話を聞き、そういえばそんな部屋を見かけたことを思い出した。
物置か何かかと思っていたが、まさか魔法式洗濯機があるとは思いもしなかった。
なんでも空気に満ちる魔力で洗濯やら乾燥やらを済ませてくれる便利な魔道具らしい。
一週間に一度しか使えないという制限はあるが、常に清潔な衣服を準備できるというのは垂涎もの。
その制限付きの魔道具を使用させたことにワナワナ震えながらソファーの上で身悶える。
「できたぞ」
「ありがとうございます」
コトンとオートミールをよそったボウルが二人分目の前に置かれた。
片方は二倍かとおもう量だったのでカインの分だろう。
隣に腰掛けたカインから感謝しつつスプーンを受け取る。
オートミールを一口、掬って頬張った。
「美味しいです」
ほんの少し甘味があり、温められたミルクもあって食べやすい。
村ではよく食べていたが、外食ではなかなかメニューにないものなので新鮮な気持ちになって口角が緩む。
「それはよかった」
隣に座ったカインも安心したように笑うと二倍オートミールをもしゃもしゃ食べ始めた。
◇◆◇◆
ほぼ同じタイミングでオートミールを完食した。
「ご馳走様でした」
自分が思っていたよりも体は空腹だったようで、久々のオートミールを平らげるのに時間は掛からなかった。
しかし、私よりも二倍の量を平然と平らげたカインは涼しい顔で食器を下げた。
見た限りでは食事前と変わらない腹の厚さに慄く。
彼の胃袋は空間魔法か何かで拡張しているのではないだろうか。
「外は地吹雪か」
食器を片付けたカインがリビングルームの窓から外の様子を窺った。
数分で地吹雪が止むはずもなく、居心地の悪さに身体が縮こまる。
ただでさえ何を考えているのか分かりづらい彼の背中から感情の機微を読み取るなど不可能。
迷惑しか掛けていない自分への恨み言を重ねたところで現状がどうにかなるわけもない。
「地吹雪が止むまで泊まっていくといい」
「重ね重ね申し訳ありません……」
気を遣ったカインが申し出てくれた。
心苦しさを感じながらも受け入れざるを得ない。
「気にしなくてもいい。それより、夜まで暇だろう。本棚にある本で良ければ読むといい」
「ありがとうございます。それじゃあ、お言葉に甘えて……」
なんだか目が覚めてから謝罪と感謝の言葉しか言っていないような気がする。
いよいよ本気で彼の好むようなものを贈呈しなければならないと覚悟を決めた。
そうと決まれば調査あるのみ。
本棚からカインの嗜好が分かるかもしれないと思い、ソファーの横に置かれた本棚を覗き込む。
『唯一神教の歴史』『各都市における精霊信仰の分布から見た地域の特色』『経済と宗教の相関関係』『魔法という概念』……おおよそ私の人生で見かけることはない類の本が羅列されている。
題名を見るだけで一歩退きたくなる気持ちをぐっと堪えて下の方に視線を向ける。
『効率的な収納方法』『フレドラ地方の家庭レシピ』『生活に役立つ魔法大全』……上の段より多少俗っぽいラインナップだが、やはり馴染みがない。
棚の一番奥、見えづらい位置に何かあるのが見えたので引っ張り出す。
他の本と比べて厚さは薄っぺらく、柔らかい表紙に紙の質はあんまり良いとは言えない。
極め付けは中身が全く推測できない点にある。
「おい待てっ! その本どこにあった!?」
タイトルもないその本、というよりは冊子が気になって捲ろうとした矢先カインが素っ頓狂な声を出して駆け寄ってきた。
突然のことに驚いていると本を引ったくられ、背中に隠される。
「見たか!? この本のなか、見たのか!?」
「いえ、見てませんけど……」
「そうか。……危なかった、間一髪だった」
どうやら空間魔法でどこかに収納したらしく、カインの両手には先程の冊子は姿を消していた。
動揺していたようなので、もしかしたらかなり個人的なものだったのかもしれない。
家に泊めさせてもらっているというのに彼の踏み入ってはいけない領域に気づかず不快な思いをさせてしまった。
「ごめんなさい、奥の方にあったもので気になってしまって……開く前に確認するべきでしたね」
「あ、いや。これは、アレだ。うん、アレだから気にしなくていい。うん、俺も忘れていたからな」
日頃冷静なカインにしては、かなりしどろもどろなフォローだった。
一先ず謝罪を受け入れて貰ったのでお互いに水に流す。
どうやら本棚を見ただけでは彼の嗜好は判明しないようなので、気を取り直して暇つぶしのために本を選ぶ。
とりあえず実生活に役立ちそうな収納メソッドについての本を読むことにした。
◇◆◇◆
料理について書かれた本と他二冊を本棚に戻し、カインに気づかれぬようこっそりため息をつく。
夕食をいただいた上にこれから泊まる身分で言うことではないが、彼の家は遺憾せん娯楽が少ない。
少ない、というよりは私向きではないというのが正しい表現だろう。
「む、いかんな。教会の鐘が聞こえないと時間を忘れてしまう」
カインもきりの良いところまで本を読み終えたようで鈴蘭を想起させる栞を挟んでパタンと本を閉じた。
軽く伸びをして凝り固まった体を解し、眉間をグリグリと指圧している。
手に持っている本は『民俗学から見た地域経済の歴史』。
タイトルの時点で内容が全く推察できないうえに、本棚にある他のどの本よりも分厚い。
チラリと見えたページにはびっしりと文字が書き連ね、挿絵というものが全く見当たらなかった。
「そろそろ寝るか」
本をテーブルの上に置いたカインはそう言って立ち上がる。
「ほら、どうした?」
「……あの、なんでしょうか?」
膝にかけていたブランケットを畳んで私の方に手を差し伸べている。
「予定がないとはいえ、あまり遅くまで起きていると体に悪いぞ」
首を傾げていると焦れたように私の手を掴んで立ち上がらせる。
目を白黒しながら彼が何を考えているのか考えていると気がつけば寝室に誘導されていた。
クローゼットとナイトテーブル、それと一人用のベッドだけの寝室だ。
地吹雪はまだ止む気配はなく、日は既に暮れたことで部屋のなかは薄暗かった。
「あの、カインさん。お心遣いいただいて本当に嬉しいんですけど、流石にそのベッドに二人で寝るのは無理がありますって……」
一人用のベッドは二人で横たわることはできても満足に寝返りを打つのは難しい。
そう指摘するとカインは面食らったように蒼く輝く目を瞬いたあと、ベッドと私を交互に一瞥した。
「ベッド以外でどこで寝るつもりだ?」
「……ソファーですかね」
「体を痛めるぞ」
「それほど柔じゃないです」
ここまで世話になっているというのに、家主と共にベッドに寝て安眠を妨げるわけにはいかない。
「一人で寝ると、寒いだろ……」
下唇を噛み締めていたカインが苦し紛れのように絞り出したのは子供染みた理由を絞り出した。
自分でも苦しい理由づけだということは分かっているようで、視線が左右に泳いだ。
「暖炉はあるが、ブランケットだけというのも良くない。風邪をひいてしまう」
これだと言わんばかりに目を爛々とさせながらリビングルームの明かりを消した。
夜も遅いと言いながらやんわりと私の肩を抱きながらベッドへ促された。
「あの、カインさん。それだとカインさんの隈が悪化しますって……あああああっ……」
そそくさと毛布を捲ってベッドにゆっくりと押し倒される。
毛布を掛けられた上に抱きしめられては脱出も叶わず、じわじわと彼の体から伝わってくる温もりに脱出する気も失せてしまう。
「お前は小さいからな。そこまで気にしなくても良い」
「ううう……」
「それに、昨日も、その前も一緒に寝ただろう。今更な話だな」
トドメにそう言われてしまっては無理に断る方が失礼な気がしてきてくるのだから、つくづく自分は押しに弱い。
頭を温かい掌で寝かしつけるように撫でられると全身が弛緩し始めてきて、段々と眠気で瞼が重くなり始める。
「分かりました……あの、カインさん」
「ん? まだ寒いか?」
穏やかでありながらもこちらの体調を伺うカインの優しさに気恥ずかしさを感じながらも夜の挨拶を告げるために口を開く。
「……おやすみなさい」
恥ずかしさに耐えきれず目を瞑る。
視界を閉じると暗い寝室のなかで窓にぶつかる雪や微かな身動ぎで生じる衣擦れと呼吸以外に聞こえる音がなくなって、余計にカインのことが気になってしまう。
微かに彼が笑った気配がして、額に柔らかいものが当たった。
「おやすみ、サナ」
もう何度目になるのかも分からない、心臓に悪い目覚め方をした私はその時点で自己嫌悪に駆られていた。
情けないことに二日酔い特有の頭痛に加えて鈍い痛みが走る腰ではまともに起き上がることもできない。
混濁した記憶の中でうっすらとこの家のソファーでワインを飲んだことを思い出し、段々と顔から血の気が失せる。
ーーやらかした。完全にやらかした。
記憶をなくすまで酔っ払ってしまうなんて、私はなんて愚かで学習しない生き物なのだろうか。
失敗するなり損をするなり何が起きても自己責任で片付けるところだが、他人に迷惑をかけたとならば話は違う。
もう金輪際お酒は摂取するまいと誓いを立てたところで隣で眠っていたカインが目を覚ました。
長い睫毛に縁取られた瞼を震わせ、蒼く輝く瞳がぼんやりと瞬いた。
まだ眠気が残っているようで何度か緩慢な瞬きを繰り返した後、手を伸ばして私の頬を撫でる。
毛布のかかってなかった頬にあたたかい掌が触れた。
じんわりと伝わる温もりにほんの少しだけ頭痛が治まるような気がする。
「おはよう、サナ」
「おはよう、ございます」
ガサガサの二日酔いボイスで返答するとカインの目が丸くなる。
体を起こすとはらりと鍛えられた上半身が露わになった。
朝日のなかでサラサラと流れる金髪や光を発する碧眼にうっすらと目の下にある隈も相まって、さながらどこかの貴婦人が抱える絵画のようだ。
乱れた髪をかきあげる仕草になんだか気恥ずかしさを感じて視線を逸らす。
私も体を起こそうとしたが腰に鈍い痛みが走り、思わず呻き声を上げた。
「今水を取ってきてやる。服は……俺のでいいか」
クローゼットの引き出しを漁ったカインが引っ張り出したのは普段彼が着ている白いシャツだった。
シャツを渡したカインは水を取ってくると言って寝室の外へ出た。
部屋のなかを見渡すが私が昨日着ていた衣服が見当たらない。
流石に裸のままでいるわけにもいかず、諦めて受け取ったシャツに腕を通す。
バスローブを借りた時と同様、一回りほど大きいサイズのシャツは袖をまくらないと指が見えないほどだ。
シャツの裾は太腿までの長さがある。
「風呂まで借りてたの……!?」
体のどこにも汚れがないことに気付いて愕然とした。
人の家で記憶をなくすまで酔っ払った挙句風呂まで借りるなんて図々しいにも程がある。
髪や体からは全く馴染みのないシャンプーやら石鹸の香りがふわりと鼻腔をくすぐる。
「はわわわわ……限定スイーツとかで許してもらえるかなあ? いや、そもそも甘味は好きなの? ああでも高価なものは逆に気を遣うというし……お゛お゛う゛」
頭を抱えて悩むが二日酔いでガンガンと頭痛がするなかでまともな解決策が浮かぶわけもない。
ああでもない、こうでもない、と思いついた案を検討しているとカインが寝室に戻ってきた。
「水は一人で飲めそうだな」
「わざわざありがとうございます」
レモンの入った水差しとコップを持ってきてくれたので、差し出されたコップをありがたく受け取る。
迷惑しかかけていない現状に対して申し訳なさを募らせながらレモン水を飲む。
知らぬ間に水分を欲していたようでコップ一杯の水を飲み干すのにそう時間は掛からなかった。
レモンの爽やかな香りと酸っぱさが残っていた眠気を追い払い、ズキズキと痛む喉や頭が少しマシになった気がする。
改めて感謝すれば、親切なカインは「気にしなくていい」と言うだけでなく朝食も振る舞ってくれるらしい。
せめて手伝いだけでも、と立ち上がろうとしたがやんわりと断られた。
満足に立ち上がれない人間が台所にいても邪魔なだけなので、しょんぼりとしながらも大人しく待つことにした。
待つ間、暇なのでなんとなしに部屋の中を見回す。
やはり昨日着ていた私の衣服はどこにも見当たらず、床に放って置かれていたカインの服も恐らく洗濯用の籠に放り込まれている。
台所から食事を用意する音に混じってガサガサと何かが窓にぶつかる音がした。
ベッドの上を這いながらシンプルでなんの装飾もない分厚いカーテンを退けて窓の外の景色を見た。
一面の白銀。
外はまさしく地吹雪の最中にあった。
吹き荒ぶ風に舞い上がった雪で外界の景色は白に塗りたくられ、空からは雪がひたすら降り積もる。
窓枠に触れる高さにまで積もった雪は明日になるまで出歩くことすらままならないだろう。
これでは帰るどころの話ではない。
「朝食はオートミールでも構わないか?」
「はい。ありがとうございます」
壁伝いにゆっくりとなら歩けるのでフラフラと足取り危なく寝室から出れば、リビングルームは暖炉が煌々と室内を照らしていた。
朝食の準備をしていたカインが部屋から出てきた私に気付く。
どうやら二日酔いの私のために栄養価の高いオートミールにしてくれるようだ。
「ベッドに横になっていても良かったんだが……手を貸そう」
「あああ、手を煩わせて本当にすみません」
フラフラな私を見兼ねたカインに支えられながらソファーに案内される。
おまけにソファーの前に水差しとコップを置かれ、「転んだら危ないから大人しくしているように」と釘を刺されてしまった。
「あの、カインさん。昨日私が着ていた服は……?」
大きな荷物は冒険者ギルドに預けているので着替えはない。
出来れば他人の家で下半身を一応隠れているとはいえ下着もなく彷徨くのは憚られる。
例え着回すことになったとしても構わないと思うぐらいには礼儀はあるつもりだ。
「それなら雪で濡れていたから洗濯している」
「洗濯……って、魔法式洗濯機を持ってるってことですか!?」
「浴室の横に扉があっただろう。そこに置いてある」
カインの話を聞き、そういえばそんな部屋を見かけたことを思い出した。
物置か何かかと思っていたが、まさか魔法式洗濯機があるとは思いもしなかった。
なんでも空気に満ちる魔力で洗濯やら乾燥やらを済ませてくれる便利な魔道具らしい。
一週間に一度しか使えないという制限はあるが、常に清潔な衣服を準備できるというのは垂涎もの。
その制限付きの魔道具を使用させたことにワナワナ震えながらソファーの上で身悶える。
「できたぞ」
「ありがとうございます」
コトンとオートミールをよそったボウルが二人分目の前に置かれた。
片方は二倍かとおもう量だったのでカインの分だろう。
隣に腰掛けたカインから感謝しつつスプーンを受け取る。
オートミールを一口、掬って頬張った。
「美味しいです」
ほんの少し甘味があり、温められたミルクもあって食べやすい。
村ではよく食べていたが、外食ではなかなかメニューにないものなので新鮮な気持ちになって口角が緩む。
「それはよかった」
隣に座ったカインも安心したように笑うと二倍オートミールをもしゃもしゃ食べ始めた。
◇◆◇◆
ほぼ同じタイミングでオートミールを完食した。
「ご馳走様でした」
自分が思っていたよりも体は空腹だったようで、久々のオートミールを平らげるのに時間は掛からなかった。
しかし、私よりも二倍の量を平然と平らげたカインは涼しい顔で食器を下げた。
見た限りでは食事前と変わらない腹の厚さに慄く。
彼の胃袋は空間魔法か何かで拡張しているのではないだろうか。
「外は地吹雪か」
食器を片付けたカインがリビングルームの窓から外の様子を窺った。
数分で地吹雪が止むはずもなく、居心地の悪さに身体が縮こまる。
ただでさえ何を考えているのか分かりづらい彼の背中から感情の機微を読み取るなど不可能。
迷惑しか掛けていない自分への恨み言を重ねたところで現状がどうにかなるわけもない。
「地吹雪が止むまで泊まっていくといい」
「重ね重ね申し訳ありません……」
気を遣ったカインが申し出てくれた。
心苦しさを感じながらも受け入れざるを得ない。
「気にしなくてもいい。それより、夜まで暇だろう。本棚にある本で良ければ読むといい」
「ありがとうございます。それじゃあ、お言葉に甘えて……」
なんだか目が覚めてから謝罪と感謝の言葉しか言っていないような気がする。
いよいよ本気で彼の好むようなものを贈呈しなければならないと覚悟を決めた。
そうと決まれば調査あるのみ。
本棚からカインの嗜好が分かるかもしれないと思い、ソファーの横に置かれた本棚を覗き込む。
『唯一神教の歴史』『各都市における精霊信仰の分布から見た地域の特色』『経済と宗教の相関関係』『魔法という概念』……おおよそ私の人生で見かけることはない類の本が羅列されている。
題名を見るだけで一歩退きたくなる気持ちをぐっと堪えて下の方に視線を向ける。
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棚の一番奥、見えづらい位置に何かあるのが見えたので引っ張り出す。
他の本と比べて厚さは薄っぺらく、柔らかい表紙に紙の質はあんまり良いとは言えない。
極め付けは中身が全く推測できない点にある。
「おい待てっ! その本どこにあった!?」
タイトルもないその本、というよりは冊子が気になって捲ろうとした矢先カインが素っ頓狂な声を出して駆け寄ってきた。
突然のことに驚いていると本を引ったくられ、背中に隠される。
「見たか!? この本のなか、見たのか!?」
「いえ、見てませんけど……」
「そうか。……危なかった、間一髪だった」
どうやら空間魔法でどこかに収納したらしく、カインの両手には先程の冊子は姿を消していた。
動揺していたようなので、もしかしたらかなり個人的なものだったのかもしれない。
家に泊めさせてもらっているというのに彼の踏み入ってはいけない領域に気づかず不快な思いをさせてしまった。
「ごめんなさい、奥の方にあったもので気になってしまって……開く前に確認するべきでしたね」
「あ、いや。これは、アレだ。うん、アレだから気にしなくていい。うん、俺も忘れていたからな」
日頃冷静なカインにしては、かなりしどろもどろなフォローだった。
一先ず謝罪を受け入れて貰ったのでお互いに水に流す。
どうやら本棚を見ただけでは彼の嗜好は判明しないようなので、気を取り直して暇つぶしのために本を選ぶ。
とりあえず実生活に役立ちそうな収納メソッドについての本を読むことにした。
◇◆◇◆
料理について書かれた本と他二冊を本棚に戻し、カインに気づかれぬようこっそりため息をつく。
夕食をいただいた上にこれから泊まる身分で言うことではないが、彼の家は遺憾せん娯楽が少ない。
少ない、というよりは私向きではないというのが正しい表現だろう。
「む、いかんな。教会の鐘が聞こえないと時間を忘れてしまう」
カインもきりの良いところまで本を読み終えたようで鈴蘭を想起させる栞を挟んでパタンと本を閉じた。
軽く伸びをして凝り固まった体を解し、眉間をグリグリと指圧している。
手に持っている本は『民俗学から見た地域経済の歴史』。
タイトルの時点で内容が全く推察できないうえに、本棚にある他のどの本よりも分厚い。
チラリと見えたページにはびっしりと文字が書き連ね、挿絵というものが全く見当たらなかった。
「そろそろ寝るか」
本をテーブルの上に置いたカインはそう言って立ち上がる。
「ほら、どうした?」
「……あの、なんでしょうか?」
膝にかけていたブランケットを畳んで私の方に手を差し伸べている。
「予定がないとはいえ、あまり遅くまで起きていると体に悪いぞ」
首を傾げていると焦れたように私の手を掴んで立ち上がらせる。
目を白黒しながら彼が何を考えているのか考えていると気がつけば寝室に誘導されていた。
クローゼットとナイトテーブル、それと一人用のベッドだけの寝室だ。
地吹雪はまだ止む気配はなく、日は既に暮れたことで部屋のなかは薄暗かった。
「あの、カインさん。お心遣いいただいて本当に嬉しいんですけど、流石にそのベッドに二人で寝るのは無理がありますって……」
一人用のベッドは二人で横たわることはできても満足に寝返りを打つのは難しい。
そう指摘するとカインは面食らったように蒼く輝く目を瞬いたあと、ベッドと私を交互に一瞥した。
「ベッド以外でどこで寝るつもりだ?」
「……ソファーですかね」
「体を痛めるぞ」
「それほど柔じゃないです」
ここまで世話になっているというのに、家主と共にベッドに寝て安眠を妨げるわけにはいかない。
「一人で寝ると、寒いだろ……」
下唇を噛み締めていたカインが苦し紛れのように絞り出したのは子供染みた理由を絞り出した。
自分でも苦しい理由づけだということは分かっているようで、視線が左右に泳いだ。
「暖炉はあるが、ブランケットだけというのも良くない。風邪をひいてしまう」
これだと言わんばかりに目を爛々とさせながらリビングルームの明かりを消した。
夜も遅いと言いながらやんわりと私の肩を抱きながらベッドへ促された。
「あの、カインさん。それだとカインさんの隈が悪化しますって……あああああっ……」
そそくさと毛布を捲ってベッドにゆっくりと押し倒される。
毛布を掛けられた上に抱きしめられては脱出も叶わず、じわじわと彼の体から伝わってくる温もりに脱出する気も失せてしまう。
「お前は小さいからな。そこまで気にしなくても良い」
「ううう……」
「それに、昨日も、その前も一緒に寝ただろう。今更な話だな」
トドメにそう言われてしまっては無理に断る方が失礼な気がしてきてくるのだから、つくづく自分は押しに弱い。
頭を温かい掌で寝かしつけるように撫でられると全身が弛緩し始めてきて、段々と眠気で瞼が重くなり始める。
「分かりました……あの、カインさん」
「ん? まだ寒いか?」
穏やかでありながらもこちらの体調を伺うカインの優しさに気恥ずかしさを感じながらも夜の挨拶を告げるために口を開く。
「……おやすみなさい」
恥ずかしさに耐えきれず目を瞑る。
視界を閉じると暗い寝室のなかで窓にぶつかる雪や微かな身動ぎで生じる衣擦れと呼吸以外に聞こえる音がなくなって、余計にカインのことが気になってしまう。
微かに彼が笑った気配がして、額に柔らかいものが当たった。
「おやすみ、サナ」
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