冒険者の受難

清水薬子

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女冒険者サナ

決着

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 普段は人でごった返す露天通りも、地震と二人の魔力持ちが魔法を放った影響で誰一人見かけない閑散とした大通りと化していた。
 遠くで逃げ惑う人々の悲鳴が聞こえる他に動く気配はない。

「さすがに一撃で倒れてはくれないかー」

 慌てて駆け寄れば、そこには風の刃を纏ったブレイドの姿があった。
 爆風の影響か、目深にかぶっていたフードははだけて品のない笑顔が露わになっている。
 相変わらず人を傷つけることに喜びを感じているらしく、愉悦に浸った視線は片膝をついたカインに注いでいた。

「カイン、大丈夫?」
「俺のことはいい。それよりも子供を連れてはやく逃げろ」
「馬鹿言わないでよ! 二人がかりでも防げなかった魔法を一人で防げるわけないでしょ!?」

 爆発で生じた破片が当たったのか、右頬には赤い線が走っている。
 よろよろと立ち上がって何かの魔道具を構えているが、右足を引きずっていた。
 そんなカインを気遣わしげに見ながら気絶した子供を抱え上げたエリザベスも肩に血が滲んでいる。
 後手に回ったことに心の中で舌打ちしながら近くにあった破片を拾い上げてブレイドに投げつける。

「うっわ、邪魔が入った」

 虫を見つけた時のような目で私を認識すると、周囲を取り巻いていた風の刃が破片を切り裂き、そのまま直線状に私に襲いかかる。
 間一髪躱したが、巻き込まれたシャツの裾はビリビリと切り裂かれた。

 全身の毛が逆立つのは隙間から入り込んだ冷気だけではない。
 数年前に感じた悍ましい気配はさらに邪悪なものを内包しているようで、魔力を感じ取れない私にもありありと悪意を感じ取れるほどに成長していた。

ーー淫魔というよりも悪魔だ。
 悪魔の中でもさらに上位、アークデーモンの可能性もある。

「信者を大勢失って弱ってるけどさ、魔力持ち程度ならすぐに殺せるんだよね。まあ、殺さないようにするのが一番難しいんだけど」

 呪文すら唱えずに風の刃がさらに追加で私に向かって放たれる。
 辛うじて避けるが徐々に追い詰められてきた。
 冒険者で荒事に慣れているとはいえ、体力には限りがある。

「ん~、さすがは冒険者。思ったより粘るなあ」

 あっけからんとした声ではあるが、余裕綽綽であることは微塵も隠すつもりはないらしい。
 嗜虐に唇を歪める様はさぞかし薄気味悪いものだろうとは思うが、風の刃を避けることに意識を傾けなければ直撃するので気にかける余裕はない。
 チラリと視界の端にエリザベスが子供を抱えて走り出す姿が見えたので出来る限り時間を稼ぐ。
 出来ればカインも逃げていて欲しいが確認する前に風の刃が腕を掠める。

「惜しい! せめてあとちょっとずれていればなあ!」

 胴体真っ二つだったのに、などと悪魔でも言わないような台詞を吐くブレイド。
 パチン、と指を鳴らすと私の背後で爆発が起きる。
 私に影が掛かったと思うと建物が崩れる轟音と衝撃が襲いかかる。

「い゛つ゛づ……これだから魔力持ちは厄介っ!」

 避ける間もなく建物の柱が倒れ、下敷きになってしまった。
 悪運が強いのか体と柱の間に崩れた石垣があったおかげで潰されずに済んだが下半身が巻き込まれてしまった。

「つっかま~えたっ! よしよし、動くなよ~! 安らかにぶっ殺してやるからなあ~!」

 掌を向けると数年前に見た毒々しい色の液体が矢を形成する。

 伝え聞いた話によれば、あの魔法はモルズ教団にのみ扱える魔法らしい。
 毒は体内を蝕み、壮絶な痛みを与えて衰弱させるというものだ。
 『安らかにぶっ殺してやる』つもりなどさらさらないということだ。
 とことん性根が腐り切っている奴らしい、残忍な甚振り方である。

「あ゛ぐ゛う゛っ!?」

 その証拠にブレイドの放った毒矢の魔法は人体の急所を避け、彼の位置からでは当てづらいだろう左の脇腹を掠った。
 皮膚を切り裂くだけでも毒は体内に入り込んで尋常じゃない痛みを与えてくる。
 下半身を挟まれていなければ転がり回っていただろう。
 叫んでしまってはせっかく逃げ出したエリザベスを呼び戻しかねないので歯を食いしばって耐える。

「さて、と。邪魔は片付いたし、とっとと神託に従って【神の器】を覚醒させちゃおっか!」

 髑髏を結え付けた儀仗を構え、懐から黒い塊を取り出して地面に放り投げる。
 黒い塊はまるで意志があるかのように一人でに動き、地面に見たこともない禍々しい魔法陣を描き始める。

 もがき、腕の力を使って下半身を引きずり出しながら周囲を確認する。
 そこにはやはりカインの姿があった。

「なんで逃げてないんですかねっ!」

 彼の性格と状況を考えれば手に取るように分かってしまう。
 右足の負傷では逃げても追いつかれるかもしれない。
 それなら恋人が少しでも遠く、安全な場所に逃げられるように時間を稼ぐ。
 素晴らしい人徳だが、モルズ教団の言うことが本当なら大陸滅亡が早まるだけだ。

「『Tareターレ perペル mortemモルテム veneratヴェネラット』」

 怪しげな呪文を唱え始めたブレイドの周りに黒いもやが吹き出す。
 ブレイドの悍ましい気配の他に身が竦むような吐き気を催す匂いが立ち込めて、黒いもやは一つの形になる。
 風にゆらゆらと揺れるその姿は不定形ではあるものの、大鎌を持った外套を羽織った人影のようである。
 顔には人面の代わりに闇のようにポッカリと開いた眼が特徴の髑髏が外套から覗く。

は……まさか本当に?」

 愕然とした表情で呆気にとられるカイン。
 唯一神の信徒である彼にとって、目の前に姿を現したそれはこれまでの信仰を否定するものだった。

「さあ、モルズ神様。そこにいる金髪が貴方様の器になる者です!」

 ブレイドが誇らしげに指し示すと虚無に満ちた眼光がカインを睨め付ける。
 生きているものの気配は微塵もなく、ただただ暗闇だけが広がる眼孔から表情を読み取るのは難しい。
 尤も、“神”という存在から人間如きが考えを垣間見ようとすることすらおこがましいのだが。

「危ない!」

 “モルズ神”と呼ばれたその存在は躊躇うことなくカインに向けて鎌を振り上げた。
 柱に挟まれた拍子に捻った足が痛むが、ゆっくり歩いたり叫んだりしたところで呆けたカインが我を取り戻すとは思えないので全力で走る。

 半ば体当たりするようにカインを突き飛ばしながら振り下ろされた鎌の刃をすれすれに避ける。
 慣性に従って二人で二回ほど転がり、呻き声を上げつつも立ち上がって短剣を構えた。

「カインさん、立てますか? この場は私が時間を稼ぎますから、あなたは少しでも遠くへ……」

 カインを庇いつつ目の前に立つ超常の存在が動き出してもすぐに対応できるように警戒していると、カランと儀仗が地面に敷かれた石畳にぶつかって跳ねる音が響いた。
 突然ブレイドが胸を両手で押さえて苦しみ、濁音混じりの苦悶の声を上げながら己の神を見上げる。

「待って、ください。我らが偉大なる……モルズ神様! 俺は務めを、果たしたはずですっ!」

 ブレイドの懇願にも似た訴えにモルズ神は首を横に振る。
 私には一体どんなやりとりが行われているのか分からないが、ブレイドは子供のように首を何度も左右に振る。

「そんなっ、復活を望まれていないなんてっ! あなたは偉大な、死を司る神なんですよ! こんな、こんなこと、あっていいはずがっ!」

 ブレイドがしきりに喚くが、その言葉は最期まで紡がれることはなかった。
 大鎌が横薙ぎに振るわれると、刃が通った首に線が走る。
 大量の血飛沫が飛び散る代わりにどす黒い魔力が吹き出し、モルズ神を形作るもやに吸い込まれていく。
 全ての魔力が吸い込まれ、跡形もなく塵となって消える。
 ブレイドがそこにいたことは儀仗だけが証明していた。

「何が起きたんだ……?」

 カインの呟きに答えを持ち合わせていない私は沈黙で返す。
 何故忠実な信徒を手にかけたのか。
 カインを攻撃したのは神の器の覚醒に死が必要だからなのかとも思っていたが、どうも違うようだ。
 いずれにせよ、モルズ神について詳しいわけではないので真実はまさしく『神のみぞ知る』。

 どう対処すればいいのかも分からず、途方に暮れているとこんこんと降り続いていた雪が止んだ。
 ぶわっと吹いた突風が雪を巻き上げて視界を覆い尽くす。
 咄嗟に顔を庇い、風が吹き抜けるとそこには私たち以外に生きているものの気配はなかった。

「消えた……」

 神の気まぐれか幸運が訪れたのか。
 人智を超えた存在はまるで初めから何もなかったかのようにほんの瞬きの間に消え失せてしまった。

 地面に転がる儀仗と脇腹から全身に広がりつつある毒の痛みだけがこの露天通りであった奇妙な出来事が夢ではないと知らせてくれる。

「はあ~~~……死ぬかと思ったああ~~~!」

 とりあえず危機が去った事だけは認識出来たので、盛大にため息をついて短剣をしまう。
 気が抜けると今まで堪えることができた痛みが酷くなったように感じてきて、思わず地面にへたり込む。
 隣に座るカインも精神的なショックが抜け切れていないようで、しばらくは話しかけても放心状態のままだ。

 結局騒ぎを聞きつけた衛視や冒険者達が駆けつけるまで立ち上がる気力は湧かなかった。
 駆けつけてきた人々が騒ぎ始めてきたなか、段々と意識がぼんやりしてきた。
 私の異変を察知したカインが我に返って話しかけてくるが、その声も遠く聞こえる。
 ぐらりと視界が傾いて何かに抱き留められた。
 ふわりと魔草の香りが鼻腔を擽ったが意識を保つのも辛くなってきて、ついには手放してしまった。
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