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女冒険者サナ
冒険者サナ
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頰を撫でられる感覚に目を覚ます。
部屋の中には朝日が差し込み、小鳥の囀りに混じって往来を行き交う人々の活気あふれる声が聞こえた。
ズキズキと痛む頭を押さえながら掠れた呻き声をあげる。
「水を取ってこよう」
スルリと頰から手が離れ、カインがベッドから降りてバスローブを羽織るとキッチンへと向かった。
ぼんやりと部屋の天井を見つめながら昨日のことを思い出す。
仕事終わらせて、食事して……それから、それから……!
素肌に直接触れる毛布の感触。
顔に熱が集まり、慌てて体を起こそうとしてズキリと痛みが走る。
ベッドに体を預けるという結果に終わった。
「無理に起き上がると痛めるぞ」
ナイトテーブルの上に水の入ったグラスを置いてカインがベッドに腰掛ける。
起き上がろうとした拍子にずれた毛布をかけ直した。
「二日酔いだろう。水、飲めるか」
寝転がりながら水を飲めるはずもない。
首を横に振れば、彼は「だろうな」と返した。
思案した様子でグラスに入った水を見つめた後、持ち上げて半分ほど水を口に含んだ。
ギシッとベッドが軋んだ音を立てて彼が私に覆い被さる。
頰に手を添えられながら唇を押し当てられ、舌が入る。
「んっ」
彼の体温で温くなった水が流し込まれた。
こくこくと喉を鳴らしながら飲み込めば、痛みすら感じていた乾燥が和ぐ。
「『口移し』というのは思っていたより難しいな」
カインは唇の端から溢れた水を親指で拭いながら彼がまたグラスに手を伸ばす。
「いえ、いいです。一人で飲めますから!」
手をついてベッドから起き上がろうとすると肩を押された。
大した力が込められていないというのに容易くベッドに倒れ込む。
「どう見ても大丈夫そうには見えないが」
正論を言われ言葉に詰まる。
反論できない私を見てカインは愉快そうに口角を上げ、グラスを一気に傾けて残りの水を口に含む。
喉が乾いていたこともあって、諦めて口移しで与えられる水を飲む。
「ぷはっ……はあ、全部飲めたな」
彼は手の甲で口を拭う。
私も少しだけ溢れた水を拭って体をゆっくり起こす。
腰は重いがいきなり動かさなければなんとかなりそうだ。
バスローブを羽織って立ち上がろうとするが、膝がガクガクと笑ってしまう。
「まずは何か食うか」
「ひゃっ!? ちょっと!」
膝の裏に手を回してヒョイと抱え上げられる。
俗に言うお姫様抱っこをされ、反射的に彼のバスローブを掴んで抗議の声をあげるが、無視されてソファーまで運ばれる。
「座って待ってろ」
ソファーに座らされ、水の入ったグラスをテーブルに置きながらそう言われてしまう。
この足腰では立ち上がることもままならないので大人しく水を飲む。
カインはキッチンからハムエッグとトーストを乗せた皿を二枚持って隣に腰を下ろした。
「ほら、食え」
私の前に置かれた皿から渋々トーストを取って齧る。
普段食べるものと違って純粋な小麦粉を練って焼いたものだ。
私がトーストを半分食べ終わる頃、彼はとっくに完食していて牛乳を飲み干すところだった。
「午後に一度教会に顔を出さなきゃいけないんだが、お前はどうする?」
「昼ごろに約束があるので……」
「そうか」
残りのトーストとハムエッグを平らげる。
空になった皿を取り上げられてしまい、客人としてもてなされるという居心地の悪さを味わう。
互いに無言で座っていたが、沈黙に耐えきれなくなって彼を盗み見ながら口を開く。
「あの、昨日は無礼を働いてすみませんでした」
「気にしなくていい」
バッサリと切り捨てられてしまい、気まずい沈黙に口を閉ざす。
そのまま静寂に耐えていると教会から十時を知らせる鐘の音が響く。
そろそろ身支度を整えなければ約束に間に合わなくなるだろう。
安静にしていたおかげか、足はだいぶマシになった。
一応家主の彼に断りを入れてから浴室を借りて着替える。
ライトブラウンのコットの上にダークグリーンのシュールコーを着る。
手持ちの櫛で髪を梳かし、ふと壁に設置された鏡が目に入った。
首元をずらして右肩を露出させれば、紫色になった鬱血痕が古傷の上についている。
「服に隠れる位置だからいっか」
試しに指で押せばピリと電流が走る。
これぐらいなら2日ほどで消えるかな、と経験から来る見立てを立てる。
傷跡を見て完治までの日数を推定するのは職業病のようなものだ。
服を正して髪型に乱れがないことを確認している時、首元にうっすら赤くなった痕が見えた。
ギリギリ鏡で確認しづらい位置にあるそれは、大方どこかにぶつけたか引っ掛けた時についたものだろう。
「いつついたんだろ?」
身に覚えのない痕に首を傾げるが、職業柄生傷が絶えないので特に気にすることもなく流す。
リビングルームに戻ればとっくに着替え終わったカインが新聞に目を通していた。
「2日間、お世話になりました。このお礼は後日させていただきます」
「本当に気にしなくていい。……じゃあな」
礼を述べれば、彼は新聞から視線をあげることなく別れを告げた。
素っ気ない彼のいつも通りの態度に安堵する。
やはりここ2日間の彼の態度の方が異常だったんだ。
少しだけ軽くなった荷物を背負い直して彼の家を後にした。
◇◆◇◆
約束の時間となり、冒険者ギルドに顔を出す。
受付のモニカたっての願いで昼食を食べに行く約束だったのだが、ギルド内は騒然としていた。
慌ただしく書類を作成していたモニカが顔を上げると私の存在に気づく。
「ごめんなさい、サナさん! ランチ行くの無理そうです!」
「大丈夫ですよ。それより何かあったんですか?」
モニカは周囲を確認すると顔を近づけてヒソヒソと小声で話す。
「実は……この辺りで活動していたモルズ教団の根城に一斉に動きがあったみたいなんです。幹部だけでなく教祖のブレイドも何処かへ移動しているとか」
「ああ、だからこんな事になっているんですね」
モルズ教団が大規模に動くということは、必ず近い日に虐殺が起きるという前触れでもあった。
武器を持って殺気だった冒険者の様子を見るに、討伐依頼が出されているのだろう。
「その影響で依頼を中止にする冒険者が続出してまして……」
モニカが半泣きで依頼書を抱える。
一枚や二枚なんて半端な数ではなく、十枚単位の束になったそれが机の上にも積まれている。
試しに受け取ったものは採取依頼や調査依頼などの収入が少ないものや時間のかかるものが多い。
そのなかから期日が近いものを三枚抜き取ってモニカに渡す。
「引き受けてくださるんですか!?」
半泣きになったモニカの顔が絶望に満ちたものから希望を見つけたものに変わる。
キャンセル料を払ったとはいえ、一度引き受けた仕事を土壇場で投げ捨てられた依頼人に説明をするのは受付の仕事なのだ。
精神的に追い詰められて辞めていく職員も多い。
「モニカさんにはいつもお世話になっていますから」
恩着せがましくモニカに微笑みかければ、無垢な彼女は安堵した表情を浮かべて頭を下げる。
受付は冒険者よりも依頼に関する情報を握っている。
その地域の魔物の種類や盗賊の出現位置、仕事の周期など冒険者からすれば垂涎もののだ。
受付の匙加減で実入りの低い仕事しか斡旋されないこともあればその逆もあり得る。
「それじゃあ、早速依頼の説明をしますね。まずは光苔の採取依頼です。密封性の高いガラス瓶に詰めて欲しい、とのことです。数は5、容器は後で返却するか代金を立て替えるそうです」
「大きさの指定は?」
「市場で売られている小さなもので大丈夫です。採取状態が良ければ追加報酬も支払うそうです」
モニカが指し示す光苔が採取できる洞窟の位置を頭に叩き込む。
モニカは次の依頼書の説明に移った。
「続きましてウィンドミル草の採取ですね。崖などの高所にしか生息しない珍しい植物です。強風が吹いていることも条件なので、採取の際は落下にご注意ください」
ウィンドミル草の採取は前にも引き受けたことがあるので大まかな位置は把握している。
念の為にモニカの説明を聞いたが、生息地域なども大きな変更はなかった。
「そしてこれは……森に入って帰ってこない子供の調査ですね。最後に見かけたから四日は経過しているようです」
「……その森にはどんな魔物が生息していますか?」
「ジャイアントトードやサーペントですね。一週間ほど前に冒険者がサーペントを狩っているので危険はないと思いますが、念の為に気をつけてください」
モニカが指し示した地図には一目見て分かるほど巨大な沼が描き込まれている。
魔物の線が薄いなら沼に落ちて死んだ可能性も視野に入れる必要があるだろう。
「丁寧な説明をありがとうございます、モニカさん。それでは行ってきます」
依頼書を丁寧に丸めて鞄に収納する。
笑顔でモニカに出発を告げれば、モニカも笑顔で私を見送った。
◇◆◇◆
街中でガラス瓶を必要な分だけ購入し、領収書も鞄にしまう。
買い物がてらに依頼を効率的にこなすための道順や魔物の情報を整理しつつ、鍛冶屋に預けていた槍を受け取る。
神殿は屋内だったのでナイフをメインに使用していたが、森であれば弓や牽制にも使える槍の方が便利だ。
ウィンドミル草を無事に採取し、光苔の採取も順調に終わった今、最難関の依頼が立ち塞がる。
森に入って四日経った子供の調査ほど絶望的なものはない。
大抵は魔物に殺され、胃袋の中で溶け切っているからだ。
死体が見つかるといいが、と晴れ渡った空を見上げながら袖をまくる。
「ジャイアントトードは見当たらないな……」
腐った卵のような匂いを放つ沼の風に顔を顰めながら周囲を確認する。
ジャイアントトードは巨大な蛙のような姿をした魔物で、昼は食料となる魚を求めて沼を離れる。
繁殖期でなければこちらから刺激しない限りは襲ってくることはない。
「やりますか」
沼の外周を一周しながら子供の手がかりとなるようなものはないかと目を凝らす。
ジャイアントトードの足跡に混じって早速子供の足跡を見つけた。
道中の薬草を毟りながら進んでいるようで、あっちにふらふら、こっちにふらふらと進んでいる。
足跡を辿りながら進んでいくと水気を吸って柔らかくなった泥が大きく抉れたような跡があった。
そこから沼に向かって何かが泥を巻き込みながら移動したような跡もある。
立ち上がって周囲を見回して子供の行方に見当がついた。
「死体に驚いた拍子に転んで沼に落ちたのね。子供なら沼のなかでそうそう暴れることもできないはず」
子供の背丈からでも見える位置にジャイアントトードの死体があった。
かなり腐敗が進んでいるようで、剥き出しの内臓は肉は見慣れな人が取り乱してもおかしくはない。
ましてや子供なら尚更だろう。
槍を取り出して穂先を私に向けて握る。
沼にズブリと差し込んで左右に動かせば、ゴンと何かが当たる感触が手に伝わる。
深さは私の腰ほど。
流石に中に飛び込めば私もあの世の仲間に加わるだろう。
手早く移動式の棺桶を組み立て、いつでも動かせるように設置しておく。
鞄から二本の紐を取り出し、岩にくくりつけながら死体の下に通し、なるべくゆっくりと引き上げれば泥をかき分けて塊が姿を現した。
その瞬間、鼻がひん曲がるほどの悪臭が周囲に満ちる。
「慈悲深き風の神アテンタ=フィラウティア様。どうかこの子が安らかに眠るため、風の加護をお恵みください。不浄を流し、清められるまでこの子が誰の悪意にも触れませんように……」
信奉する風の神に祈りを捧げれば、微かに風が吹く。
風に押し流され、少しマシになった臭いのおかげで作業を続けることができそうだ。
長時間水に浸った死体ほど悍ましいものはない。
水を吸ってブヨブヨになった体は人とは思えないほど膨らむ上に皮膚はボロボロ。
凄まじい死臭を放つ死体を好んで運ぼうとするものはいない。
たとえ血肉を分けた家族であろうと、生涯を共にすると誓った伴侶であろうとも触れることを躊躇うほど凄惨なのだ。
泥のおかげか、死体は滑りやすかったが薄布の上に置いて移動式の棺桶に収納する。
こういった場合にも備えて大きめに作った棺桶の蓋を閉め、ガラガラと街に向けて歩き出す。
街の正門からではなく、裏門を目指す。
裏門から入った方が教会に近く、住宅街もない。
蓋を閉めているとはいえ、死体見たさに好奇の視線を向ける輩もいる。
このルートであればこの子の名誉も守れるだろう。
「アンタは……ああ、そういうことか。通れ」
門の見張りを任されている兵士が私の顔と棺桶を見て事情を察する。
同情の眼差しを浴びながら潜り抜け、最短で教会の裏に到着した。
扉を叩けば、昨日カインの家を訪れていたラッセルが顔を出した。
「はい、なんの御用でしょう……ああ、その件ですね」
棺桶に気づくと一旦奥に引っ込む。
暫くして布や聖油の入った壺を持った数人の司祭を連れて戻ってきた。
棺桶を取り囲み、蓋を外す。
見かけない司祭––––恐らく新しく司祭となったのだろう–––––の顔が強張り、ヒュッと息を飲む音が寒空の下で響く。
『purificate dyhydrate sacrifice soul』
司祭の中でも最も位の高い中年の男が呪文を唱えると棺桶ごと水に包まれる。
泥を押し流し、余分な水気を吸い上げて死の不浄を祓う。
一切損壊することなく塊だったものを人だったものへと清めると、壺や布を持った司祭が処置を施し始める。
「それでは冒険者の方はこちらへ」
塀に囲まれた場所に行き、膝をついて目を閉じる。
ラッセルがとぽとぽと聖水を頭から肩へと振りかける。
乾きかけた泥がすっかり流れ落ちた頃、ラッセルがポツリと呟いた。
「貴女はどうして死体を運ぶんですか? 手間だってかかるし、金まで払うなんて、何が貴女を駆り立てるんですか?」
「……人は、いつかは死にます。死に向き合って、その時初めて人は生きていると言えるんです。その死をないがしろにすることは生命への否定ですので」
「左様ですか……『evaporate』終わりましたよ」
聖水を魔法で蒸発させると体の汚れはきれいさっぱり消え果てる。
金を払おうと鞄に手を伸ばすとラッセルは首を振った。
「今回は結構です。これからもよろしくお願いしますね、冒険者さん」
「ありがとうございます、こちらこそよろしくお願いします」
チラリと棺桶の方を見れば処置は完了したようで教会のなかに運び込むところだった。
棺桶は分解して清めたあと、代わりに借りていた葬儀屋へ返却される制度になってるのでそのまま冒険者ギルドに向かう。
疲れ果てた様子のモニカに報告すれば、後日依頼者に連絡して確認を取るとのことだった。
その他の依頼の報酬を受け取り、何かを食べる気にもなれずそのまま宿屋に直行して一室を借りた。
部屋の鍵を閉め、シュールコーとブーツを脱いでベッドに倒れ込む。
「はあ……疲れた」
部屋のなかは夕暮れが差し込み、教会の鐘が5時を知らせた。
寝るにはまだ早い時間帯であるし、腹を空かせたままでは良い睡眠が取れるはずもないというのは分かっている。
それでも寝支度は順調に進み、毛布を被ってしまえば目蓋は睡眠モードに突入する。
うとうととする間もなく意識は暗闇に落ちた。
部屋の中には朝日が差し込み、小鳥の囀りに混じって往来を行き交う人々の活気あふれる声が聞こえた。
ズキズキと痛む頭を押さえながら掠れた呻き声をあげる。
「水を取ってこよう」
スルリと頰から手が離れ、カインがベッドから降りてバスローブを羽織るとキッチンへと向かった。
ぼんやりと部屋の天井を見つめながら昨日のことを思い出す。
仕事終わらせて、食事して……それから、それから……!
素肌に直接触れる毛布の感触。
顔に熱が集まり、慌てて体を起こそうとしてズキリと痛みが走る。
ベッドに体を預けるという結果に終わった。
「無理に起き上がると痛めるぞ」
ナイトテーブルの上に水の入ったグラスを置いてカインがベッドに腰掛ける。
起き上がろうとした拍子にずれた毛布をかけ直した。
「二日酔いだろう。水、飲めるか」
寝転がりながら水を飲めるはずもない。
首を横に振れば、彼は「だろうな」と返した。
思案した様子でグラスに入った水を見つめた後、持ち上げて半分ほど水を口に含んだ。
ギシッとベッドが軋んだ音を立てて彼が私に覆い被さる。
頰に手を添えられながら唇を押し当てられ、舌が入る。
「んっ」
彼の体温で温くなった水が流し込まれた。
こくこくと喉を鳴らしながら飲み込めば、痛みすら感じていた乾燥が和ぐ。
「『口移し』というのは思っていたより難しいな」
カインは唇の端から溢れた水を親指で拭いながら彼がまたグラスに手を伸ばす。
「いえ、いいです。一人で飲めますから!」
手をついてベッドから起き上がろうとすると肩を押された。
大した力が込められていないというのに容易くベッドに倒れ込む。
「どう見ても大丈夫そうには見えないが」
正論を言われ言葉に詰まる。
反論できない私を見てカインは愉快そうに口角を上げ、グラスを一気に傾けて残りの水を口に含む。
喉が乾いていたこともあって、諦めて口移しで与えられる水を飲む。
「ぷはっ……はあ、全部飲めたな」
彼は手の甲で口を拭う。
私も少しだけ溢れた水を拭って体をゆっくり起こす。
腰は重いがいきなり動かさなければなんとかなりそうだ。
バスローブを羽織って立ち上がろうとするが、膝がガクガクと笑ってしまう。
「まずは何か食うか」
「ひゃっ!? ちょっと!」
膝の裏に手を回してヒョイと抱え上げられる。
俗に言うお姫様抱っこをされ、反射的に彼のバスローブを掴んで抗議の声をあげるが、無視されてソファーまで運ばれる。
「座って待ってろ」
ソファーに座らされ、水の入ったグラスをテーブルに置きながらそう言われてしまう。
この足腰では立ち上がることもままならないので大人しく水を飲む。
カインはキッチンからハムエッグとトーストを乗せた皿を二枚持って隣に腰を下ろした。
「ほら、食え」
私の前に置かれた皿から渋々トーストを取って齧る。
普段食べるものと違って純粋な小麦粉を練って焼いたものだ。
私がトーストを半分食べ終わる頃、彼はとっくに完食していて牛乳を飲み干すところだった。
「午後に一度教会に顔を出さなきゃいけないんだが、お前はどうする?」
「昼ごろに約束があるので……」
「そうか」
残りのトーストとハムエッグを平らげる。
空になった皿を取り上げられてしまい、客人としてもてなされるという居心地の悪さを味わう。
互いに無言で座っていたが、沈黙に耐えきれなくなって彼を盗み見ながら口を開く。
「あの、昨日は無礼を働いてすみませんでした」
「気にしなくていい」
バッサリと切り捨てられてしまい、気まずい沈黙に口を閉ざす。
そのまま静寂に耐えていると教会から十時を知らせる鐘の音が響く。
そろそろ身支度を整えなければ約束に間に合わなくなるだろう。
安静にしていたおかげか、足はだいぶマシになった。
一応家主の彼に断りを入れてから浴室を借りて着替える。
ライトブラウンのコットの上にダークグリーンのシュールコーを着る。
手持ちの櫛で髪を梳かし、ふと壁に設置された鏡が目に入った。
首元をずらして右肩を露出させれば、紫色になった鬱血痕が古傷の上についている。
「服に隠れる位置だからいっか」
試しに指で押せばピリと電流が走る。
これぐらいなら2日ほどで消えるかな、と経験から来る見立てを立てる。
傷跡を見て完治までの日数を推定するのは職業病のようなものだ。
服を正して髪型に乱れがないことを確認している時、首元にうっすら赤くなった痕が見えた。
ギリギリ鏡で確認しづらい位置にあるそれは、大方どこかにぶつけたか引っ掛けた時についたものだろう。
「いつついたんだろ?」
身に覚えのない痕に首を傾げるが、職業柄生傷が絶えないので特に気にすることもなく流す。
リビングルームに戻ればとっくに着替え終わったカインが新聞に目を通していた。
「2日間、お世話になりました。このお礼は後日させていただきます」
「本当に気にしなくていい。……じゃあな」
礼を述べれば、彼は新聞から視線をあげることなく別れを告げた。
素っ気ない彼のいつも通りの態度に安堵する。
やはりここ2日間の彼の態度の方が異常だったんだ。
少しだけ軽くなった荷物を背負い直して彼の家を後にした。
◇◆◇◆
約束の時間となり、冒険者ギルドに顔を出す。
受付のモニカたっての願いで昼食を食べに行く約束だったのだが、ギルド内は騒然としていた。
慌ただしく書類を作成していたモニカが顔を上げると私の存在に気づく。
「ごめんなさい、サナさん! ランチ行くの無理そうです!」
「大丈夫ですよ。それより何かあったんですか?」
モニカは周囲を確認すると顔を近づけてヒソヒソと小声で話す。
「実は……この辺りで活動していたモルズ教団の根城に一斉に動きがあったみたいなんです。幹部だけでなく教祖のブレイドも何処かへ移動しているとか」
「ああ、だからこんな事になっているんですね」
モルズ教団が大規模に動くということは、必ず近い日に虐殺が起きるという前触れでもあった。
武器を持って殺気だった冒険者の様子を見るに、討伐依頼が出されているのだろう。
「その影響で依頼を中止にする冒険者が続出してまして……」
モニカが半泣きで依頼書を抱える。
一枚や二枚なんて半端な数ではなく、十枚単位の束になったそれが机の上にも積まれている。
試しに受け取ったものは採取依頼や調査依頼などの収入が少ないものや時間のかかるものが多い。
そのなかから期日が近いものを三枚抜き取ってモニカに渡す。
「引き受けてくださるんですか!?」
半泣きになったモニカの顔が絶望に満ちたものから希望を見つけたものに変わる。
キャンセル料を払ったとはいえ、一度引き受けた仕事を土壇場で投げ捨てられた依頼人に説明をするのは受付の仕事なのだ。
精神的に追い詰められて辞めていく職員も多い。
「モニカさんにはいつもお世話になっていますから」
恩着せがましくモニカに微笑みかければ、無垢な彼女は安堵した表情を浮かべて頭を下げる。
受付は冒険者よりも依頼に関する情報を握っている。
その地域の魔物の種類や盗賊の出現位置、仕事の周期など冒険者からすれば垂涎もののだ。
受付の匙加減で実入りの低い仕事しか斡旋されないこともあればその逆もあり得る。
「それじゃあ、早速依頼の説明をしますね。まずは光苔の採取依頼です。密封性の高いガラス瓶に詰めて欲しい、とのことです。数は5、容器は後で返却するか代金を立て替えるそうです」
「大きさの指定は?」
「市場で売られている小さなもので大丈夫です。採取状態が良ければ追加報酬も支払うそうです」
モニカが指し示す光苔が採取できる洞窟の位置を頭に叩き込む。
モニカは次の依頼書の説明に移った。
「続きましてウィンドミル草の採取ですね。崖などの高所にしか生息しない珍しい植物です。強風が吹いていることも条件なので、採取の際は落下にご注意ください」
ウィンドミル草の採取は前にも引き受けたことがあるので大まかな位置は把握している。
念の為にモニカの説明を聞いたが、生息地域なども大きな変更はなかった。
「そしてこれは……森に入って帰ってこない子供の調査ですね。最後に見かけたから四日は経過しているようです」
「……その森にはどんな魔物が生息していますか?」
「ジャイアントトードやサーペントですね。一週間ほど前に冒険者がサーペントを狩っているので危険はないと思いますが、念の為に気をつけてください」
モニカが指し示した地図には一目見て分かるほど巨大な沼が描き込まれている。
魔物の線が薄いなら沼に落ちて死んだ可能性も視野に入れる必要があるだろう。
「丁寧な説明をありがとうございます、モニカさん。それでは行ってきます」
依頼書を丁寧に丸めて鞄に収納する。
笑顔でモニカに出発を告げれば、モニカも笑顔で私を見送った。
◇◆◇◆
街中でガラス瓶を必要な分だけ購入し、領収書も鞄にしまう。
買い物がてらに依頼を効率的にこなすための道順や魔物の情報を整理しつつ、鍛冶屋に預けていた槍を受け取る。
神殿は屋内だったのでナイフをメインに使用していたが、森であれば弓や牽制にも使える槍の方が便利だ。
ウィンドミル草を無事に採取し、光苔の採取も順調に終わった今、最難関の依頼が立ち塞がる。
森に入って四日経った子供の調査ほど絶望的なものはない。
大抵は魔物に殺され、胃袋の中で溶け切っているからだ。
死体が見つかるといいが、と晴れ渡った空を見上げながら袖をまくる。
「ジャイアントトードは見当たらないな……」
腐った卵のような匂いを放つ沼の風に顔を顰めながら周囲を確認する。
ジャイアントトードは巨大な蛙のような姿をした魔物で、昼は食料となる魚を求めて沼を離れる。
繁殖期でなければこちらから刺激しない限りは襲ってくることはない。
「やりますか」
沼の外周を一周しながら子供の手がかりとなるようなものはないかと目を凝らす。
ジャイアントトードの足跡に混じって早速子供の足跡を見つけた。
道中の薬草を毟りながら進んでいるようで、あっちにふらふら、こっちにふらふらと進んでいる。
足跡を辿りながら進んでいくと水気を吸って柔らかくなった泥が大きく抉れたような跡があった。
そこから沼に向かって何かが泥を巻き込みながら移動したような跡もある。
立ち上がって周囲を見回して子供の行方に見当がついた。
「死体に驚いた拍子に転んで沼に落ちたのね。子供なら沼のなかでそうそう暴れることもできないはず」
子供の背丈からでも見える位置にジャイアントトードの死体があった。
かなり腐敗が進んでいるようで、剥き出しの内臓は肉は見慣れな人が取り乱してもおかしくはない。
ましてや子供なら尚更だろう。
槍を取り出して穂先を私に向けて握る。
沼にズブリと差し込んで左右に動かせば、ゴンと何かが当たる感触が手に伝わる。
深さは私の腰ほど。
流石に中に飛び込めば私もあの世の仲間に加わるだろう。
手早く移動式の棺桶を組み立て、いつでも動かせるように設置しておく。
鞄から二本の紐を取り出し、岩にくくりつけながら死体の下に通し、なるべくゆっくりと引き上げれば泥をかき分けて塊が姿を現した。
その瞬間、鼻がひん曲がるほどの悪臭が周囲に満ちる。
「慈悲深き風の神アテンタ=フィラウティア様。どうかこの子が安らかに眠るため、風の加護をお恵みください。不浄を流し、清められるまでこの子が誰の悪意にも触れませんように……」
信奉する風の神に祈りを捧げれば、微かに風が吹く。
風に押し流され、少しマシになった臭いのおかげで作業を続けることができそうだ。
長時間水に浸った死体ほど悍ましいものはない。
水を吸ってブヨブヨになった体は人とは思えないほど膨らむ上に皮膚はボロボロ。
凄まじい死臭を放つ死体を好んで運ぼうとするものはいない。
たとえ血肉を分けた家族であろうと、生涯を共にすると誓った伴侶であろうとも触れることを躊躇うほど凄惨なのだ。
泥のおかげか、死体は滑りやすかったが薄布の上に置いて移動式の棺桶に収納する。
こういった場合にも備えて大きめに作った棺桶の蓋を閉め、ガラガラと街に向けて歩き出す。
街の正門からではなく、裏門を目指す。
裏門から入った方が教会に近く、住宅街もない。
蓋を閉めているとはいえ、死体見たさに好奇の視線を向ける輩もいる。
このルートであればこの子の名誉も守れるだろう。
「アンタは……ああ、そういうことか。通れ」
門の見張りを任されている兵士が私の顔と棺桶を見て事情を察する。
同情の眼差しを浴びながら潜り抜け、最短で教会の裏に到着した。
扉を叩けば、昨日カインの家を訪れていたラッセルが顔を出した。
「はい、なんの御用でしょう……ああ、その件ですね」
棺桶に気づくと一旦奥に引っ込む。
暫くして布や聖油の入った壺を持った数人の司祭を連れて戻ってきた。
棺桶を取り囲み、蓋を外す。
見かけない司祭––––恐らく新しく司祭となったのだろう–––––の顔が強張り、ヒュッと息を飲む音が寒空の下で響く。
『purificate dyhydrate sacrifice soul』
司祭の中でも最も位の高い中年の男が呪文を唱えると棺桶ごと水に包まれる。
泥を押し流し、余分な水気を吸い上げて死の不浄を祓う。
一切損壊することなく塊だったものを人だったものへと清めると、壺や布を持った司祭が処置を施し始める。
「それでは冒険者の方はこちらへ」
塀に囲まれた場所に行き、膝をついて目を閉じる。
ラッセルがとぽとぽと聖水を頭から肩へと振りかける。
乾きかけた泥がすっかり流れ落ちた頃、ラッセルがポツリと呟いた。
「貴女はどうして死体を運ぶんですか? 手間だってかかるし、金まで払うなんて、何が貴女を駆り立てるんですか?」
「……人は、いつかは死にます。死に向き合って、その時初めて人は生きていると言えるんです。その死をないがしろにすることは生命への否定ですので」
「左様ですか……『evaporate』終わりましたよ」
聖水を魔法で蒸発させると体の汚れはきれいさっぱり消え果てる。
金を払おうと鞄に手を伸ばすとラッセルは首を振った。
「今回は結構です。これからもよろしくお願いしますね、冒険者さん」
「ありがとうございます、こちらこそよろしくお願いします」
チラリと棺桶の方を見れば処置は完了したようで教会のなかに運び込むところだった。
棺桶は分解して清めたあと、代わりに借りていた葬儀屋へ返却される制度になってるのでそのまま冒険者ギルドに向かう。
疲れ果てた様子のモニカに報告すれば、後日依頼者に連絡して確認を取るとのことだった。
その他の依頼の報酬を受け取り、何かを食べる気にもなれずそのまま宿屋に直行して一室を借りた。
部屋の鍵を閉め、シュールコーとブーツを脱いでベッドに倒れ込む。
「はあ……疲れた」
部屋のなかは夕暮れが差し込み、教会の鐘が5時を知らせた。
寝るにはまだ早い時間帯であるし、腹を空かせたままでは良い睡眠が取れるはずもないというのは分かっている。
それでも寝支度は順調に進み、毛布を被ってしまえば目蓋は睡眠モードに突入する。
うとうととする間もなく意識は暗闇に落ちた。
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「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
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小説家になろう様にも掲載中です
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他サイトでも掲載しています。
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