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芽生える不信感
しおりを挟むそれからナツは度々『動画撮影』と称して嬲られた。東堂と名乗った男がその動画をどう扱っているのかは知らないが、『視聴者』や『リクエストに応える』という発言からどこかの動画投稿サイトに載せていることが伺えた。
生配信なら意表をついて叫んで、情報を共有できたかもしれない。けれども、東堂は撮影した上で編集しているらしい。狡猾で油断も隙もなかった。
絶望しかけた時は、知り合いの警察官がなんの気なしに語ってくれた『誘拐された時のマニュアル』を思い出す。
犯人を油断させること。無闇に反抗しないこと。犯人の目的について知ること。そして、希望を失わないこと。
それらを脳内で復唱すれば、自然と落ち着きを取り戻せた。こういう極限状態で冷静さを欠くことは死に繋がる。生き延びることだけ考えて、情報を集めるのみだ。
今のところ、東堂は単独犯。たまにスマホを見ては仕事の愚痴を吐くことから、指示や支援は受けているが直接的に関与はしていないらしい。
ナツに関することは全て知っていると豪語する通り、大まかな人間関係と超能力に関する弱点を把握していた。
(拘束は自力で突破するのは不可能。目的は……ヒーローへの恨み? それとも性欲処理の相手が欲しいだけ?)
ナツは首を傾げて、東堂について集めた情報を整理する。何度か口淫を強要されることはあるが、彼は胸や下半身は尻尾を除いて積極的に触らない。まだ成熟しない細い胸や腰に興味はない様子だ。
男性について無知なナツは首を傾げつつも、貞操が無事なことに胸を撫で下ろす。
ナツが監禁されている場所は、東堂のアジトでもあるらしい。
繁華街の一画にあったというテレビ局で、過去に極道が銃乱射事件を起こしてからは、誰もこの物件を買いたがらなかった物件だ。死傷者が出ていないことから、心霊スポットにすらならなかった場所だ。ヒーローとして何度か付近をパトロールしたことはあったが、建物の内部までは詳しく調べなかった。
東堂と戦闘した地点からそれほど離れていない。まもなく警察か、先輩のシルフィが助けに来てくれるはず。そう思ってから何日過ぎたのだろうか……
(いけないっ! またネガティヴになってどうするの! 昼も夜も分からないから、時間感覚が狂ってるだけ!)
込み上げた疑惑を無理やり蓋をして封じ込める。犯罪組織はそういうテクニックを使って被害者の精神を追い詰める……のかもしれない。
東堂が置いて行ったサンドイッチを食べ終えた頃、足音が近づいて扉が開かれた。廊下が見えるだけで、外の様子は相変わらず分からない。
「いい子にしてたか?」
「……はい」
今日の東堂は機嫌が良い。面倒な『仕事』が上手くいったのだろう。
彼が手を挙げたので、ナツは反射的に超能力を発現する。
「ペットつうのは癒し効果があるってのはマジなんだなあ……」
頭をわしゃわしゃと撫で、猫耳をくるくると弄ぶ。敏感な聴覚器官を触られるたびにぞわぞわとした嫌悪感が背筋を登るが、殴られるよりはマシだと己を無理やり納得させる。
大人しくしていれば手の拘束は外され、濡れタオルで身体の汚れを落とす権利が与えられる。逆に反抗する意思を見せれば折檻と称した電撃腹パン。
東堂の顔色を見ながら息をひそめる毎日だ。
「猫は人に懐かないし、いきなり引っ掻いてくるらしいが、お前は大人しくて本当に良い子だよ」
投げてきたのは褒め言葉。抱きしめた上に頭を撫でるという、格下のナツを完全にペット扱いしていた。事実、足に繋がれた鎖の南京錠は彼が持っている。破壊できない以上は従うしかないのだ。
「そういや、ベッドの寝心地はどうだ?」
東堂の言葉にナツは部屋の端に置かれたエアベットを見る。欲しいものはないか、と問われたナツは一か八か運搬が面倒な布団かベッドを要求した。廃墟に布団を運び込む男がいれば、警察が不審がって事情聴取するのではないかと希望を掛けたのだが……。
東堂が買ってきたのは持ち運びが目立たないタイプのエアベッドだったのだ。
「おかげさまで毎日ぐっすりです……にゃ」
「そうかそうか。それは良かった」
敵に媚びを売るという屈辱に耐え、機嫌を損ねないように振る舞う。尻尾を好き勝手触られても、ひたすら無言で耐えるのだ。東堂は大きな手のひらでナツの耳や尻尾を思う存分堪能した後、ネクタイを解いて着替え始めた。
慌てて赤面したナツが背を向ける。依然としてぼろぼろのコスチュームのままでいるために涼しい腹部を、庇うように身を縮こめた。薄くなったとはいえ、未だに痛々しいほどに青い鬱血と火傷が腹を彩っている。股布が千切れたコスチュームは恥部を隠しきれていない。
せめてもの恥じらいとして足を擦り合わせる仕草は無自覚に男の欲情を煽るだろう。
あまりにも目に毒なその光景を視界の端に捉えながら上機嫌に東堂は呟く。
「『仕事』が片付いたからしばらくはナツと過ごせそうだ」
「うにゃ」
返答に困ったナツは曖昧に誤魔化した。下手に沈黙を貫くと、後々になって機嫌が悪くなるからだ。
しかし、東堂は浮かれていてもやはり隙はない。具体的な日時は決して口にしない。さきほど口にしていた『しばらく』がどれぐらいの時間を指すのかは、いつも彼のさじ加減で決まる。
そして、彼がしばらくという単語を使う時は必ずビデオ撮影がある。
「ナツ」
腐った蜜柑に触れてしまったときのような嫌悪感がナツを襲う。名前を呼ばれただけで、これから何を要求するのかナツは理解した──いや、理解させられたのだ。
湧き上がる嫌悪感と恐怖を押さえつけて必死に笑顔を作る。
「はい、なんですかニャ?」
「おいで」
下着姿になった東堂はエアベッドをぽんぽんと叩き、隣に座るよう促す。鎖をじゃらじゃらと鳴らしながら、ナツは大人しく東堂の隣に座った。彼の筋肉質な太腿が視界に飛び込んで、羞恥心に頰を染めながら顔を逸らす。
「そういえば、ナツの家は女家族なんだっけ?」
「……はい」
「高校二年の時に超能力に目覚めたんだったか」
東堂は骨張った大きな手でナツの赤い髪を一房掬い上げ、憐憫の視線を投げかける。彼の言う通り、ナツは超能力に目覚めてからこれまで学業とヒーロー活動に励んできた。
「好きなやつとか恋人はいるのか?」
「……いません」
「友達はいるだろ?」
「授業にはあまり参加できなかったので」
ナツはふとクラスメイトたちのことを思い出す。憧れの目で見てくる人もいれば、下卑た目でナツを不躾に見てくるものもいた。特に教師はナツのことを疎ましく思っていたようで『学生の癖に生意気だ』と面と向かって言ってきたことがあった。
友人らしい友人もいないナツは、どんどんと孤立し、また自らも周囲から距離を置いて行った。『自分は周囲と違う』という考えで寂しさに蓋をして。
同じ超能力者なら、分かり合えるかもしれないと淡い期待を抱き、居場所をヒーロー活動に求めた。その結果がコレだ。
「つまりぼっちか」
「……うにゃ」
「超能力のないやつらと過ごすのは面倒だろ」
東堂が新聞の切れ端をナツに渡す。日時は切り取られているが、『キャット行方不明』という見出しの記事だった。戦闘があったこと、発砲音を住民が聞いていることの他に、ヒーロー活動そのものを疑問視する文章が並んでいた。
心えぐられる文章を目にしたナツは唇を噛み締め、激情を堪える。
そんなナツの健気な思いを踏みにじるように、東堂がDVDプレイヤーの再生ボタンを押す。監禁初日に見せられたワイドショー、それもキャットに応援のコメントをしていたキャスターが語気荒く語る。
『賛否両論があったヒーロー活動ですが、超能力という危険なものの管理を怠ってきた政府への追求は免れないでしょう。そもそも、扇情的なコスチュームそのものに批判の声が高まっています。ネットではこのような意見が見られました』
匿名の意見が次々と紹介されていく。どれもナツのこれまでを批判するものだった。『足手まとい』『無能』『雑魚』、容赦のない指摘がナツの柔い部分に突き刺さって食い込む。
止めを刺すように、東堂が開いたウェブサイトには口淫を強要されているナツを罵倒する言葉がリアルタイムで動画上を流れていく。『売女』『娼婦』『ヒーロー(笑い)』『ビッチ』『ヤリマン』、意味は知らずとも残酷な言葉であることは容易に伺える。中には金を出してでもいいから、東堂に代わりたいというコメントまで投げかけられていた。
「嫌な連中だよなあ? 力も何もない癖に叫ぶのだけは一丁前。こいつら、お前が敵に負けるのを心の中でずっと願ってたんだぜ」
東堂の言葉を裏付けるように、『ヤリマンビッチヒーロー』というタグが動画につけられる。『こいつ、助ける価値ある?』という無慈悲なコメントが動画の上に流れた。
反論できず、ナツは受け入れがたい現実を拒むように目を閉じた。
「…………」
気落ちしたナツの肩を東堂が抱きしめ、耳元で囁いた。
「今日はもう疲れただろ? そろそろ寝るか?」
ナツはこくりと頷く。
二人で寝るには狭いエアベッドの上で寝転がる。エアベッドを運び入れて以降、ナツがベッドで寝ていると東堂がベッドに潜り込んでくるようになった。キスで起こされたこともある。
目を閉じれば、東堂の大きな手がナツの頭を撫でた。
(寝て忘れよう……大丈夫、先輩が助けに来てくれるはず)
まどろみながら、ナツは微かな希望に縋り続けた。心の底に眠る、微かな疑惑に目を逸らして。
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