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捕らわれたキャット

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「う、うう……?」

 呻き声をあげながら、ナツは目を覚ます。
 周囲にものはなく、暗闇だけが広がっていた。他に物音はなくて、すぐにナツはここが自室でないことに気付く。
 彼女の四肢は鎖で壁に繋がれていた。口にはギャグボールが噛ませられ、だらだらと唾液が端から流れ落ちてコスチュームを汚していく。
 瞬時に気絶する前の記憶を思い出した彼女は、敵に捕らえられた屈辱に顔をしかめながら脱出を試みて暴れた。

「無駄だぜ。それは特殊合金で作られた拘束具だから、そう簡単には壊れねぇよ」

 暗がりに目が慣れた頃。何者かに呼びかけられ、弾かれるように顔をあげた。
 へらへらとにやけ顔をした黒髪の青年がパイプ椅子に座っている。片手には見覚えのある仮面、サラリーマンに擬態した白のワイシャツに黒のスラックスと革靴というファッションをしていた。二十代後半といったところか。ところどころ引き裂かれた布の切れ端とそれから覗く傷一つない肌が戦闘の激しさと実力差を語っていた。

 ナツは消耗を承知で超能力を発現させ、拘束を突破するべく四肢に力を込める。金属が擦れる不快な音が響くだけで効果はなかった。ならば、とギャグボールに肉食動物的な鋭い歯を突き立てるが奇妙な弾力があって噛み砕けない。常人から逸脱した超能力を持ってしても解決できない困難に、そっと眉根を寄せた。

 湧き上がった恐怖を誤魔化すべく、忌々しい敵を睨み付ける。一度の敗北だけで屈するような性格の持ち主ではなかった。

「まあまあ、これから同じ超能力者同士、一つ屋根の下で仲良く暮らして行こうぜ」

 ケラウスが手元のスイッチを押す。
 一切に頭上、右手、左手の三方向から眩い光でナツは照らされた。逆光に目を細めながら、周囲の様子をいち早く確認する。光の急激な変化に適応できたのは、ネコ科特有の瞳孔調節のおかげだろう。

(ここは……撮影スタジオ? けど、埃が積もってる。どこかしら)

 そこはテレビ局の撮影場所に似ているようだとナツは思った。窓ガラスには内側から木の板が貼り付けられ、どこもかしこも埃をかぶっている。
 ナツの正面には三脚付きのビデオカメラが設置されていた。レンズの右上に赤い光が点灯し、時折ピント調節でもしているのかガラス越しに機械が動いている。

「あ、そうそう。自己紹介がまだだったな。俺の名前は東堂とうどう義孝よしたか、一応ケラウスってコードネームで通ってる。カメラの前の皆もよろしくな~!」

 ひらひらとカメラに向かって手を振る東堂。
 彼の本名を聞いたナツは、任務前に見かけた指名手配犯のポスターを思い出す。
 素顔を晒したまま銀行強盗を決行し、仲間が逮捕されるなか一人だけ逮捕されなかった人物だ。似顔絵と一致しないのは、整形と髪型の所為だろう。

「今日の素敵なゲストはこちらの高橋たかはしなつちゃん!」

 突然本名を呼ばれたナツは顔を強張らせる。彼女の視線の先にはスマホの画面があった。表示されているアイコンは彼女が使っていたSNSのアカウント。本名とは関係のない名前を使っているとはいえ、それを敵が見せてきたのだ。
 次に彼が見せてきたのはワイドショー。わざわざテロップでキャットの本名が書き込まれ、学生時代の顔写真付きで報道されている。
 コメンテーターはどれも彼女の無事を願う言葉を告げていた。

「一躍有名人だな~、ほら見ろよ。お前の仲間なんてテレビに引っ張りだこだぞ」

 テレビ会見で泣きながら「後輩ナツの無事を信じてる」と叫ぶシルフィ。少しでも多くの情報を求めて頭を下げる姿に、視聴者は心を打たれたようだ。例に漏れず、ナツもその一人だった。普段は冷たい先輩の思いもがけない健気な姿に、ナツは怯えている場合ではないと自身を鼓舞する。
 もしギャグボールがなければ、今頃はケラウスに自首を進める言葉を投げかけていただろう。なんなら、知り合いの優秀な弁護士だって紹介していた可能性すらある。

「んむ~! んむむむー!!」

 しかし、どれも意味のある言葉にならず。ただくぐもった呻き声と唾液が溢れるだけ。

「うんうん、みんなに自分は無事だって伝えたいよなあ? よぉし、それなら思いっきり叫んでみようか」

 ばちばちと青い電流が東堂の手に宿る。それをカメラに見えるようにかざしてから、拳を握った。それだけで、ナツは彼が何をするつもりなのか理解してしまった。

「せぇのっ!」

 腹パンが容赦なくナツへ襲いかかる。受け身は取れなかったが、本当的に腹筋に力を入れて少しでもダメージを減らそうと足掻いていた。
 電撃が身体を駆け巡り、否が応でも身体は激しく痙攣する。
 服が焼ける焦げ臭い匂いと腹に叩き込まれた拳の感触にナツは顔を顰める。

「う、ぐぅっ」

 痙攣したことで飛び散った唾液が部屋の地面を汚し、目尻に生理的苦痛から涙が滲む。それでも悲鳴を堪えたのは、ヒーローとしての矜恃だろう。
 俯いたナツの髪掴んで無理やりカメラに顔を向けさせる。

「うーん、まだまだ声が足りないぞ。お前、合唱を口パクでやり過ごすタイプか?」

 苦しげに呼吸を漏らすナツの髪を依然として掴んだまま、またも腹に拳を叩き込んだ。先ほどと同じ電撃の威力。けれども、彼女の腹には蓄積したダメージが残っていた。加えて、電撃で腹筋に力を入れることすらできない。

「うぶっ!? おえっ、おげえっ!!」
「おっと、カメラ前で緊張してるからって吐くなよ」

 薄ら笑いを浮かべながらギャグボールを外した瞬間、限界を迎えたナツは激しく嘔吐した。任務前に満腹であってはならないという同僚のアドバイスに忠実に従った結果、彼女の口から溢れたのは胃液だった。
 胃液はコスチュームを汚し、肌を汚し、更には電撃で焼け焦げた肌を痛めつけながら地面をびちゃびちゃと音を立てて広がっていく。

「それじゃあ、高橋ちゃんが限界を迎えたので、ここで一旦切りまぁす!」

 『切る』という言葉が聞こえたナツは咳き込みながら、ほっと胸を撫で下ろす。少なくとも回復する時間はあるのかもしれない、と淡い期待を抱いた。
 嘔吐が終わるなり、またもギャグボールを口内にねじ込まれて固定される。発言の自由を奪われたナツは未だ残る吐き気に顔を歪める。

「次の収録が終わったら公開するから、みんなチャンネル登録よろしく。パソコンの人は動画内の『登録』を、各種スマホの人は右下の『チャンネル登録』をぽちっとしてくれよな! もちろん、ベルマークをONにするのも忘れないでくれ!」

 胃液でひりつく喉と口内に咳き込むナツの頭を撫でながら、東堂はひらひらとカメラに向かって手を振った。数秒沈黙を保った後、録画の停止ボタンを押す。

 カメラを片付けた東堂は、甲斐甲斐しくナツのコスチュームについた胃液をタオルで拭う。作業中、彼はずっと無言だった。

「ほら、口濯げ」

 ナツは困惑しながらも、不快感には勝てず東堂の指示に従う。言われた通りにボウルに吐き出せば、口の中のヒリついた感覚がマシになる。すぐにまたギャグボールを噛ませられたのは不服だったが、下手に抵抗するのは得策ではないと判断した。
 彼はそれ以上はナツに近寄ることもせず、開封したサンドイッチを頬張る。

(この男、何が狙いなのよ……)

 ナツはただじっと息を潜めて彼がどこかへ消えるのを待つのだった。
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