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礼央×シロ 編
噛みつきαのしつけ方 1
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人類の危機的人口減少期に、男女とは別の『第二性』が発見された。
α(アルファ)は、人口の約2割とされ、生まれつき身体や頭脳の能力が高い優秀なエリート。
β(ベータ)は、人口の約7割を占める、ごく普通の人々。
Ω(オメガ)は、人口の約1割と希少で、月に1回の発情期により、αを強く惹きつける。
αとΩは、互いに強く惹かれあい、相性が良い相手だと、出会った瞬間に本能的、いわば遺伝子レベルで惹かれ合うのだそうだ。
さらに、αとΩは〝番〟という特別な関係を結ぶことができる。番になると、Ωは番になったαしか受けつけない体になり、生涯ただ1人のαに身を捧げる。そしてαは、番であるΩの一生を独占することができる。
それは結婚よりも強い、特別な関係とも言われている。
αとΩの運命的で特別な繋がりというのは、β(普通)の俺には、きっと一生わからない。そう、思っていた。
あれは3年前。日本有数の大企業である藤堂グループの御曹司である藤堂 礼央(とうどう れお)が15歳の時だった。
その頃俺、立花 真白(たちばな ましろ)は、大学を出て、藤堂グループ傘下の子会社へ就職したばかりだった。その関係で参加したパーティーで、俺達は初めて顔を合わせたんだ。15歳の彼は、アメリカ人の母を持つというハーフ特有の恵まれた容姿と、すでに180cm近い長身の、モデルみたいな美少年で、皆の視線を釘付けにしていた。そんな彼から、
『お前、いい匂いがする。』
まるでαがΩに言うような台詞を言われ、俺は耳を疑った。
俺は、正真正銘のβだし、他のαにそんなことを言われたこともなかったからだ。
心当たりがあるとすれば、親戚に何人かΩがいることくらいだ。でもいくら希少なΩとはいえ、血筋を辿れば誰だって、どこかにΩがいたりするだろう。
彼にはそんな微かな素因まで、感じる感覚があるというのか…。
何の冗談かと思ったが、冗談ではなかったらしく、後日上司づてに、彼の側で使用人として働く様に言われた。社会人1年目で右も左もわからなかった俺は、権力におし流されるままに藤堂の大きな屋敷で働くことになってしまった。この世界は、エリートαが中枢を操る超格差社会だ。たいした能力もないβの俺が、楯突いたところで酷い目に遭うだけ。とはいえ、使用人としての知識なんて全くなかった俺は、彼の側で毎日失敗ばかりだった。お茶ひとつ満足に淹れられない。
「いい匂い」で雇われたわけだし、15歳に口説かれたらどうしようという多少の心配も杞憂に終わり、失敗を叱られるわけでも、使えないからとクビにされるわけでもなく、彼はまるで観察する様な瞳で俺を見ていたっけ…。
そしてあの夜。屋敷で働き始めて、まだ1ヶ月くらいの頃だ。夜勤のシフトも組まれる様になり、その日は泊まり込みだった。仮眠を取る部屋と時間を与えられ、眠っていた俺の部屋のドアが、夜中乱暴にノックされた。何事かと飛び起き、恐る恐るドアを開けると、彼が雪崩れ込む様に部屋へ入って来て…。
『礼央様、どうしたんですか!?』
上半身は裸で目も虚で、一目で普通の状態じゃないとわかった。
『…噛みたい。』
唸る様な声だった。その次の瞬間、急に彼が俺に覆いかぶさってきた。ものすごい力で床に押さえつけられて、首筋に思いっきり噛みつかれた時、
『………っ!!』
死んだと思った。声も出なかった。
まるで猛獣に襲われたみたいな、そんな感じ…。
着ていた服を引きちぎられてそのまま身体中に噛みつかれながら、何が何だか分からなくて、とにかく痛いし、ひたすら目を瞑って耐えた。
どれくらいの時間そうされていたのか覚えていないけど、やがて他の使用人達がやって来て、彼と俺は引き離された。
別れ際、辛そうにボロボロ涙を流す15歳の少年の顔が、今でも目に焼き付いている。
そしてこれこそが、俺が彼に雇われた理由だった。
藤堂家のα達は、不用意にΩと〝番〟関係を結ばないため、年頃になると、ある訓練を受ける。
それは、発情したΩとの定期的な性交渉。強制的にαのヒートを起こさせ、行為中のあらゆる自制心を養うためらしい。
彼は、この訓練を始めたばかりだった。発情したΩは首輪をしており、不用意に頸を噛んで番関係を結んでしまわない様になっている。でも、他の場所は噛むことが出来る。彼の場合は酷かった様だ。訓練用のΩがあまりの噛み癖に怯える様になり、困っていた時期だったらしい。しかも、噛めれば何でもいいというわけでもなかったらしく、自分自身を噛んでも駄目で、Ωの人間を噛まないとヒートは治らなかった。
だから、Ωの様な匂いがするβである俺は、格好の訓練材料だった。
希少なΩには傷をつけず、俺を噛む。そこから始めて、だんだんと俺を噛まない様に一緒に訓練をする。それが、俺に与えられた仕事だった。
「あー…、まだここも痛そ…。」
傷の手当てをしながら、礼央様が顔を顰める。
「…礼央様が、噛んだんですけどね。」
「噛んでる時に、もっと強く痛いって言えよ。」
「散々言いました!聞かないじゃないですかっ。」
「えー…?」
あれから3年。彼は18歳になった。さらに190cm近くまで身長は伸び、男らしい美貌にも磨きがかかった。学業成績も申し分ない。しかし、まだ例の訓練は終わらない。というか、Ωは噛まずに我慢できるのに、俺を噛まないとヒートが治まらないというパターンから抜け出せないでいる。訓練は、Ωの発情に合わせて月に1回とはいえ、俺の体には傷痕が絶えない。
ふいに首筋の傷口を舐められて、俺は痛みに顔を顰めた。
「痛っ…。舐めるのはやめてくださいといつも言ってるじゃないですかっ!」
「別にいいだろ?」
「よくないですよ!」
礼央様自ら傷の手当てをしてくれるが、やたら傷口を舐めたがって困る。まるで、野生動物が仲間の傷を舐めるみたいだ。彼はその手の本能が強すぎるのかもしれないし、もうそろそろ諦めるか、他の訓練方法でも考えてもらえないだろうか。
「早く礼央様の噛み癖を理解してくれる、Ωの彼女でも探して頂けませんか?」
「シロ以外のΩの匂いは、好きじゃない。」
「…私はΩじゃありません。」
初めて会った日から変わらず、彼だけが俺はΩの匂いがすると言う。念の為にバース検査を受けてみたが、やっぱりβだったというのに。
「俺はΩホルモンに敏感だから、素因まで分かるんだよ。」
他のβでも感じることがあるらしいけど、匂いや強さが皆違うんだそうだ。
「ちゃんとしたΩで、お好みの匂いで、多少噛まれても訓練に付き合ってくれる方がいたら一番いいんでしょうね…。」
「シロがいるだろ。発情期はまだかなー?」
Ωの発情期は、だいたい20歳くらいまでには来るのが普通だ。俺はΩじゃない上に、もう26歳だぞ。
「私には一生、発情期なんて来ませんよ。」
「気長に待ってやるよ、シロ。」
礼央様は、面白がるみたいに笑っている。だめだ、全然真面目に考えていない。使用人の俺のことを、呼びやすいからと〝シロ〟なんて、犬みたいに呼ぶのはいいが、ヒートの礼央様の方こそ野生的、いや獣的でいらっしゃる…。
彼は、Ωホルモンに対して過敏な特異体質の持ち主だ。
αは、発情期のΩホルモンによりヒートを起こす。ヒートというのは、αの発情のことで、ヒートになったαはΩを本能的に襲ってしまうらしい。
礼央様は、Ωホルモンに対して過敏で、襲うだけでなく激しく噛んでしまうことが問題だった。ヒート中の行為で、Ωの頸を噛んでしまうと、〝番〟という特別な関係になってしまう。それを防ぐためには、礼央様は他のαよりもさらに自制心が求められた。とはいえ、この3年でかなり成長され、噛み癖はだいぶ良くなってきている。
あとはもう、多少の噛み癖は理解してくれて、仮に噛んで番になってもいいようなΩの彼女か彼氏に躾けてもらったらどうだろうか。藤堂グループのイケメン坊ちゃんは、それはそれはモテるわけだし、噛み癖くらい受け入れてもらえると思うけど…。
でも、彼は遊んでばかりで特定の相手を作らない。そして遊び相手は、美しく賢く割り切って遊べるαばかりだ。
礼央様は若いからそれでいいかもしれないが、俺の人生はどうなるんだ。もう26歳になったというのに、毎月彼に噛みつかれ、傷が治った頃にまた噛まれるというサイクルで、彼女も作れない。
「私の人生に支障が出ているので、もう本当に勘弁してもらえませんか…。」
力なく呟いた俺に、彼が耳元で囁く。
「だから、シロも気持ち良くしてやってるだろ?」
「っ………!」
俺の頬が、瞬間湯沸かし器並みに熱くなった。性生活がままならない俺は、なぜか彼に噛まれると体が反応する様になってしまった。αのヒートに当てられるβなんて聞いたこともないけど、彼に触られると体が勝手におかしくなるのだ。そして遊び人の礼央様は、彼本人が興奮しているせいか、さして抵抗なく俺の性欲処理までする様になった。勢いが止まらなくて、後ろに指を突っ込まれたこともある。
だからこそ、もうこんな訓練はやめたい。噛まれて気持ち良くなったり、主とセックスまがいのことをするなんて、訓練の域を超えているじゃないか…。
「もう諦めて、遮断薬を毎日飲んだらいかがですか?」
αには、Ωホルモンの効果を遮断する薬だってあるんだ。普通は毎日飲まないみたいだけど、噛み癖が治らない以上、そうするしかない。毎日飲めば、ヒートは起こさないわけだし。
「…βは自由でいいよな。」
礼央様が、一瞬表情を無くす。
彼なりに、悩んでいるのは分かっている。これだけ優秀なαである彼が、自分の中の獣性をなかなか抑えられない。
初めて噛まれたあの夜、辛そうに泣いていた彼の表情を思い出した。あれから何度も訓練を嫌がって、逃げ出したり暴れたりしていたっけ。でも結局は、お父上の言いつけに従うしかなかった。今は泣くことはないけど、それでもやはり辛そうだ。一生薬を飲めと言ってしまった自分に、罪悪感が湧いてくる。
「…すみません。とにかく、誰か他の人で訓練を…。」
「そんなに嫌?」
ハッキリした二重の、ヘーゼル色の瞳でまっすぐに見つめられ、俺は答えに詰まった。
嫌だと言えばいい。いい匂いがするとか言われても、もう十分、俺だって協力してきたんだ。
そう思うのに、なぜか言えなかった。自分でも、よく分からなくなる。
「…次は、噛まずに訓練を合格できたらいいですね。」
それだけ言って、俺は手当てをしてもらっていた首筋の傷痕を手で押さえた。もうすぐまた訓練だというのに、深く噛まれた傷痕が、まだ疼いている…。
使用人の仕事をこなしながら、俺はひたすら考えた。
俺が、この特殊な仕事を理解してくれる彼女を作れたらいいんだけど、守秘義務があって礼央様の噛み癖は口外出来ない。変なΩが近づいて来たら困るのだ。
だとしたら、この傷の説明をどうしたらいい? ペットの猫に体中噛まれる、とかで信じてもらえるだろうか。
前に付き合っていた彼女とは、浮気を疑われて別れてしまった。信じてくれる人なんて、いるんだろうか…。
わからないけど、もう俺が自分で彼女を作るしかない。仕事を辞めるには、礼央様をかなり説得しないといけないし、当面は続けるしかなさそうだ。
それに、困ったことに、俺は礼央様に対して不思議な感情を抱いていた。こんな言い方は失礼だけど、この3年間、命がけで育ててきた猛獣への愛着というか…。初めは、何で俺がこんな目にと思っていたはずなのに…。いつもは自由奔放な遊び人で、飄々と笑っている。そんな彼に、訓練の時だけ切羽詰まった苦しそうな姿を見せられると、ギャップがありすぎて、放っておけなくなるというか…。
だからといって、何で体まで反応するのか自分でもよく分からないけど、この不思議な感情を持て余してきたのは事実だ…。
ふと、今まで断っていた見合い話を思い出した。実家の両親が、いい年なのに浮いた話がない俺を心配しているらしい。女性とデートでもしたら、気分が変わるかもしれない。俺はそう思い立ち、久々に実家へ連絡した。
見合いをしてみようと思うと話すと、両親は喜んで、ちょうどいい話があるからと、メールでプロフィールやら写真やらを送ってくれた。
βの女性で、可愛い印象の人だ。とにかく会って、話だけでもしてみよう。そう決めて、父にメールを返信する。
理解のある、いい人だといいな…。
なんせ傷だらけの体だし、仕事は不規則で夜勤もあるし…。
ため息をついて、俺はまた仕事へ戻ることにした。
それから数日後、また訓練の日になった。土曜日で、今日は夜からのシフトだ。あれから俺は、見合い相手の女性と何度かメールや電話でやり取りをしていた。そして、ちょうど今日の昼間、初めて2人で会って来た。ランチをして映画を見て、その後カフェでお茶もした。明るい女性で話も合いそうだし、不規則な仕事への理解もありそうだった。また2人で会う約束をして、俺の気持ちはかなりあがっている。
これで、今夜の訓練は乗り切れそうだ。
訓練の日は、礼央様がΩとの行為を終えるまで、別室で待機だ。待つ時間が、また心臓に悪い。つい、彼とΩとの行為を想像して複雑な気持ちになる。いくら訓練とはいえ、強制的にヒートにさせられ、性行為をすること自体おかしいと思うけど、そんな常識は通用しない世界だ。裕福なα達にとって、希少なΩを囲ってパーティーに同伴させたりするのは、ひとつのステータスだ。彼も、将来はそういう世界で生きる立場のαだし、必然的にΩと関わる機会は多くなる。だから、Ωへの対応はきちんと身につけないといけない。恵まれすぎたαも大変だと、つくづく思う。礼央様が言っていた通り、βが一番自由なのかもしれない。ΩはΩで、毎月発情期があるし、それを抑える薬も毎日飲まないといけない。その対価として、優れた子を産む能力があり、αとの強い絆が与えられているのか…。
どっちみち、βの俺には分からない世界だ。俺に出来ることだけに集中するしかない…。
夜も更けてきて、他の使用人からそろそろだという連絡が入った。大きなベッドに腰掛けて、嫌な緊張感の中ひとり待つ。最初の頃は、彼のあまりの噛み癖に他の人も一緒に部屋にいてもらっていた。噛み殺されるんじゃないかと思うような勢いで、数人で彼を俺から引き剥がしたりしながら、ヒートが治まるのを待った。それに比べると、今はだいぶ抑えがきくようになったと思う。2人きりで訓練出来るようにもなったし、きっといつかは、誰かに制止されなくとも、誰も噛まずにヒートを治めることが出来るようになる。そう信じよう。
ガチャリとドアが開く音がして、心臓が跳ね上がった。
ドアの方を見ると、礼央様の姿が目に入る。
「シロ…。」
名前を呼ばれて、息を呑む。いよいよだ…。
「礼央様、大丈夫ですか…?」
俺の問いかけには答えず、彼がフラフラとベッドまでやって来た。そのまま、俺に被さってくる。
「噛むのは3回までです。いいですね?」
回数は、段階的に減らしてきている。でも、その分深く噛まれてしまうことが多い。
「…シロ。」
熱に浮かされたような瞳、上気した頬。本能と理性の間を彷徨う彼に、俺の心臓がどんどん早くなる。
変な気分になるのを必死で堪えながら、俺は昼間会った女性のことを思い出そうとした。
「いい匂い…。」
彼は、必ず最初に首筋の辺りを噛みたがる。番関係を結ぶ時に噛む頸に近い場所だから、本能的なものなんだろうけど、まずはこれを逸らさないといけない。首筋に顔を寄せてきた彼に、
「他の場所で我慢し……っ…!!」
言い終わる前に、シャツの上から右肩を思いっきり噛まれた。
「痛いですよ…っ、離してください、そう…。」
比較的素直に口を離した彼に安堵する。
「すぐ離せましたね!!」
すかさず褒める。日頃は出来ないけど、頭をヨシヨシしてやる。まさに、猛獣のしつけだ。
今回は、調子がいいかもしれない。この1回くらいで、ヒートが治まってくれたら…。
「シロ、昼間何してた?」
「え……?」
ふいに全く予想外のことを聞かれ、驚いて見上げると、
「何をしてた?」
追い詰める様な視線が、俺を見下ろしている。どうして急にそんなことを聞くんだ…?
昼間会った女性の笑顔が、脳裏にチラついた。
「特に、何も…。」
咄嗟に、俺は嘘をついていた。そんな必要なかったかもしれないけど、なぜか素直に答えられなかった。
別に勤務外で何をしようと俺の自由だし、報告する義務なんてない。
「…噛みたい。」
頭と顎を両手で掴まれ、俺は目を見張った。目の前に彼の端正な顔が近づいてくる。そしてそのまま、俺は唇に噛みつかれ…、
「ぅん…………っ!!」
そんな気がする様な、キスだった。舌が入ってきて、俺の舌を強引に絡めとる。顔を固定されて、全く逃げ場がなかった。礼央様にキスされるなんて、初めてだった。
「な、どうしたんですか…っ!?」
長いキスから解放されると、俺は慌てて両手を突っぱねて離れようとした。でも、
「もっと、噛ませろ…っ!」
カッターシャツの上に着ていた黒いベストのボタンを引きちぎられる。相変わらず、すごい力だ。またすぐに組み敷かれた。
「あと、1回ですからね…!」
キスも数に入れていいのかわからないけど、早く終わらせたい。あまり長く触られると、体がまたおかしくなりそうだ。
俺の心臓の辺りを、彼がカッターシャツの上から撫で始める。ドクドクと、俺の鼓動が早い。その鼓動を確かめる様に、彼が頬を寄せる。
「っ…………!!」
ふいに、シャツ越しに左の乳首を思いっきり噛まれて、俺は思わずのけぞった。
シャツのボタンも引きちぎられて、剥き出しになった肌を好き放題に噛まれる。もう、3回どころじゃない。だめだ、これ以上噛まれると、また俺の体もおかしくなってくる。
「礼央様、もう終わりです!」
そう言って、必死に彼を押し退けてベッドの上を這う様に逃げようとした俺に、彼が背後から覆いかぶさってくる。
「…シロの、勃ってきた。」
耳元で囁かれ、ゾクリとした。そのまま耳介を噛まれて、体から力が抜ける。動けなくなって、ズボンごしに俺自身を弄られた。
「俺に噛まれると、気持ちいい?」
「違う…っ!」
つい敬語を忘れて、自分の口を押さえた。だめだ、他のことを考えよう。そうだ、今日デートしたこととか、見た映画のこととか…。
下着ごとスーツのズボンを下ろされて、そこを直接握られた。
「や、やめてください…!」
慌てて手を振り払おうとしたけど、また耳を噛まれて力が抜ける。そのまま、刺激されるともうダメだった。
肩を噛まれながら強く扱かれると、快感がせり上がってくる。声を堪えるだけで、もう精一杯だった。
「うぅ…………ん……っ!」
シーツに顔を埋めて、必死に声を殺す。
ダメだ、イク………っ!!
ビクビクと体が跳ねて、快感に逆らえず精を放った。ものすごい罪悪感と、気怠さに襲われる。仕事中、なのに…。
礼央様が、俺の頸を舐めてきた。そこは、Ωと番の関係を結ぶ時に噛む場所だ。
「噛みたい…。」
「礼央様…?」
背中に固いものが当たって、俺は青ざめた。まさか彼自身も、反応している…?
「だ、駄目ですよ…?」
かなり噛んだはずなのに、ヒートが治まるどころかまた…。
頸に、歯が立てられる。肌の感触を楽しむ様に何度か甘噛みされて、鳥肌が立った。
そこを噛んでしまったら、訓練は大失敗だ。
そこだけは、噛んじゃ駄目だ…!
衝撃に備える様に目を固く閉じると、急に背中から重みが消えた。
ハッとして振り返ると、彼が上半身を起こして、自分の腕に思いっきり噛みついている。
みるみる血が滲んで、シーツにポツポツと赤く滴っていった。
「れ、礼央様…っ! やめてください!!」
俺は、真っ青になって飛び起きた。慌てて噛むのをやめさせようと、腕に取り縋る。
ヒートになってΩを傷つけない訓練は大切かもしれないけど、これではもう、俺が訓練に付き合うのは無理かもしれない。人を噛み殺すんじゃないかという様な、初期の頃の強い衝動性は抑えられてきている。今も頸は噛まずに済んだ。
噛む力も、強いのは強いけど、死ぬ程じゃない。
駄目なのは、俺自身の体だ。噛まれて反応したりするから、話がおかしくなってくるんだ。ここまで一緒に頑張ってきて、最後まで力になれないのは残念だけど、もう俺は…。
「礼央様、すみません。やはり私はもう、訓練は出来ません。」
翌日曜日、俺は早朝で仕事上がりのシフトだったけど、礼央様の朝食が終わるまで待たせてもらい、そう切り出した。
彼の左腕には、痛々しく包帯が巻かれている。
「何、怪我のことでも気にしてんの?」
ダラリとソファに横たわって、英語で書かれた論文のコピーに目を通しながら、彼は何でもないことの様に言った。
αの使用人に論文検索をさせて、彼は前々からよく調べ物をしていた。英語やドイツ語や中国語、色々な言語で専門的な文章まで読みこなす。
調べ物に集中すると話を聞いてくれなくなるので、タイミングが悪かったかもしれない。でも、この勢いで意思表示をしておきたかった。来月の訓練は、早めに他の方法を考えて欲しい。
「怪我のことだけではなく、礼央様はもう、無闇に頸を噛むことはありませんし、力の加減も出来てきています。後はもう、焦らず他の方法で訓練をして頂きたいんです。」
「…まぁ、考えとく。」
本当に考えてくれる気があるのかどうか分からないけど、とにかく意思表示はしたぞ。
「…すみません。今日はこれで、失礼します。」
「そうだ、シロ。今日からこの屋敷に部屋を用意するから、しばらくこっちに住めよ。」
「え……?」
何でそんな必要があるのかと、俺は文献を熱心に読む主を見つめた。1000坪を越える広大なこの屋敷には、多くの使用人達がいる。使用人用の寮も近くにあり、俺はそこから通っていた。
「腕が痛いから、側で俺の世話して?」
訝しむ俺に、礼央様が包帯の巻かれた左腕を上げる。
左利きの彼にとっては確かに不自由かもしれないが、執事として専門的な教育を受けた使用人が他にたくさんいるのに。訓練中に怪我をさせてしまったのは、俺の責任だけど…。
「…私で、お役に立つのでしょうか。」
「お役に立ちたくない?」
「そういう意味では…!」
礼央様は小さく笑うと、ソファの上で体を起こして俺の方を見た。
「じゃあ、今日中に準備しろよ。」
言い方に棘があった。いつも適当なことばかり言って飄々としている彼だが、今日はかなりイライラしている様だ。
「…わかりました。」
俺は仕方なくそう言って、彼の部屋を後にした。
それから俺は、疲れ果てていたせいか、寮ですっかり眠ってしまった。起きたらもう夕方で、慌てて簡単に身の回りのものをまとめ、夕食を済ませて屋敷へ戻る。俺に与えられた部屋は、いつも訓練をしている部屋だった。
礼央様の部屋と近い上に、怒涛の様な3年間を否応なく思い出してしまう。
落ち着かない気持ちで、寮から持って来た荷物をクローゼットへ仕舞った。寮の部屋も個室で、バストイレ別の十分なものだが、屋敷の部屋の造りはやたら豪華だ。ゲストルームの様な間取りになっており、キングサイズの天蓋付きの大きなベッドに、アンティークなソファセット、外国映画に出てくる様なバスルームが専用に付いている。
訓練は上手くいかないし、礼央様の機嫌は悪いし、明日からの勤務は気が重い…。
ベッドの上でゴロゴロしながらそう思っていた所に、お見合い相手の女性から、スマホにLINEのメッセージが届いた。
『真白さん、土曜日の夜勤お疲れさまでした。今日は、ゆっくり休めましたか?』
可愛いスタンプも添えてある。
『夕方まで寝てしまいました。夜、眠れないかも。」
返信すると、すぐに既読がついて、
『じゃあ、電話してもいいですか?』
メッセージが返って来た。
女性の、明るい笑顔を思い出す。前の彼女と別れて久しいため、女性とこんなやり取りをするのは久しぶりだ。
21時か。あまり遅くなって電話するのもと思い、俺から彼女に電話をかけようとした、ちょうどその時…。
電話が鳴って、一瞬彼女からかと思ったら、仕事の電話だった。礼央様が俺を呼んでいるということで、休みを返上して働くことになってしまう。
…気が重い。でも、待たせるとますます機嫌が悪くなってしまいそうだ。
俺は慌てて制服の黒いスーツに着替え、彼の部屋へ急いだ。
「礼央様、失礼します。」
ドアをノックして、室内に入る。彼は1人ベッドの上で、また何やら難しそうな学術雑誌を読んでいた。
日頃は、休みの日はクラブやらパーティーやらに遊びに出掛けていることが多いが、流石に怪我が痛むのか部屋で休んでいた様だ。
「シロ、引越し済んだ?」
そう言って、彼はいつも通りの飄々とした笑みを向けてくる。思ったより、ご機嫌は悪くなさそうだった。
少しホッとする。
「引越しという程ではありませんが、身の回りの物は運びました。何か御用でしょうか。」
「シャワー手伝ってよ。髪、洗えない。」
「え?…あ、はい。」
利き腕が痛むから洗髪が難しいのはわかるけど、俺より上手く出来る人が他にたくさんいそうだ。いや、でも訓練中の怪我の責任は俺にあるんだ。やったことはないけど、何とかやってみよう…。
段取りを頭の中で考え始めた俺を尻目に、礼央様はベッドから立ち上がるとさっさとバスルームの方へ歩いて行く。
俺は慌てて後を追いかけた。
「一緒に入る?」
「入りませんよっ!」
軽口をたたく彼のルームウェアのボタンを外したり、包帯の上から防水カバーを被せたりするお手伝いをして、腰にはタオルを巻いてもらう。
明るいバスルームで、改めて彼の均整のとれた綺麗な身体を目の前にすると、思わず見惚れそうになった。何だか、気恥ずかしい。
「ジャケットくらい脱げば? 濡れるだろ。」
「そ、そうですね…。」
俺は、スーツのジャケットを脱ぎ、カッターシャツの袖を捲った。シャワー用の椅子を流しながらぐるぐる考える。
何で男の裸なんか意識してるんだよ…。ここは銭湯だとでも思うんだ!いや、もうむしろ礼央様は綺麗な獣くらいに思ってしまえば、恥ずかしくない…!
俺は、礼央様の体をボディーソープで洗いながら想像することにした。俺が洗っているのは、ライオン。いや伝説のポケ○ン…。
そう思って、無理矢理自分を落ち着かせる。髪の毛をいい香りのシャンプーで洗いながら、
「力加減は大丈夫ですか?」
「んー、もうちょっと強く。」
「こうですか?」
「それは強すぎ。」
「これくらいですか?」
「あー、それくらい。シロ上手、上手。」
だんだんといつもの感じに戻って来た。普通に話をする分には、気さくで話しやすいんだけどなぁ…。髪を流しながら、そんなことを思っていると、急にシャワーを持っていた右腕を掴まれた。そして、思いっきりお湯をかけられる。
「なっ、何するんですか!?」
ビショビショにされて目を丸くする俺を、彼が楽しそうに笑いながら眺めている。
「シロがぼんやりしてるからだ。」
そう言って髪を掻き上げながら立ち上がった彼に見下ろされ、一瞬体が固まる。俺だって身長は170cmあるけど、相手は190cm近い。俺の周りには彼ほど背の高い人物が他にいないため、圧倒的な威圧感を感じる。
それに何なんだよ、18歳の高校生にしてこの色気…。
濡れてると余計に際立って、さっきまで猛獣を洗っているつもりだったのに、また変な気持ちにさせられる。
「あとは、ご自分でお願いしますっ!」
俺は咄嗟に彼から目を逸らして、バスルームを出ようとした。でも、すぐに背後から長い腕が伸びて来て抱きしめられる。
「濡れちゃったし、脱いだら?」
頭の上から降ってきた声の艶っぽい響きに、よくないものを感じた。彼がよく遊び歩いているのは知っている。でも、俺にこういう雰囲気を出してくるのは、訓練の時だけだった。そしてそれは、俺の体が勝手に反応し始めてからだ。
俺が意識するから、面白がられるんだ…。
「離してください。」
俺は努めて平静を装った。淡々と、事務的に…。自分に言い聞かせる。俺のそんな様子に、彼が小さく笑う気配がした。
「ごめんごめん。昨日の傷、どうなってるか見たいだけだから、脱いでよ。」
彼はいつも、俺の傷痕を管理したがる。やたら舐めようとするし、傷フェチなのかもしれない。
「…舐めるから嫌です。」
「消毒みたいなもんだって。」
「いつの時代の話ですか…。」
「最新の科学に基づいてるけど?」
サイエンス系の論文なんかをよく読んでいる彼に言われると、冗談なのか本当なのかよくわからなくなるが、シャツの襟首を引っ張られ、首筋の傷のガーゼを剥がされた。濡れていて簡単に剥がれてしまう。
「だから、やめてくださ…っ!」
シャツのボタンを外されながら、首筋の傷をなめられた。
やっぱり獣だ。ライオンが仲間の傷でも舐めるみたいだった。
「あっ………!」
はだけられたシャツの下の、昨日噛まれた左の乳首を指でなぞられ、思わず変な声が出た。慌てて口を塞ぐ。
血が滲むくらい噛まれたせいで服に擦れると痛くて、絆創膏を貼っていた。それを一気に剥がされる。
「シロ…。」
名前を囁かれながら、昨日ガッチリ噛まれた耳介の傷を、温かい舌で舐められると、ゾワゾワした変な感覚が背筋を駆け抜けた。
同時に傷ついている左の乳首を直接指で触られて、全身から力が抜ける。思わず前のめりに倒れそうになった所を、彼に支えられながらゆっくりバスルームの床に座り込んだ。
「やめ、やめてください…!」
何で俺は、傷口を舐められて変な気持ちになっているんだ? 痛いだけのはずだろ…。
訓練で噛まれた時みたいに、体が言うことをきかない。確かに痛いのに、それとは違う妙な感覚に支配される。
だめだ、やっぱり何かがおかしい。
「シロ、いい匂い…。」
彼が俺の頸に鼻をくっつけてきた。訓練の時も、たまにこういう仕草をする。まるで、ヒートの時みたいじゃないか…?
「もうそろそろ、やめましょうか。」
体に力が入らなくて、俺は宥める様に声をかける。訓練の時は、こういう声掛けが一番効く気がする。
とにかく、早く彼から離れないと…。
そう思っていたのに、背中に硬くなったものが当たって、俺はビクリと固まった。
まさか、そんな…。
「こっちも手伝ってよ。」
腰を押し当てられて、息を飲んだ。手伝うってナニを…?
「…挿れてもいい?」
「いいわけないじゃないですかっ!」
揶揄われているだけだと思っていたのに、ついに使用人にまで手を出すつもりなのだろうか? 俺は男で、Ωでもないんだぞ。彼にとって俺はΩみたいな匂いがするらしいけど、この3年間、ここまで怪しい雰囲気を感じたことはない。
訓練もだんだんおかしな方向に進んでいるし、何なんだよ…。
「礼央様、Ωを呼びましょうか? 私は、こういうことは出来ません。」
そう言って、何とか自力で立ちあがろうと膝立ちまではしたけど、彼の力が強すぎて結局それ以上動けなくなる。
「ごめんごめん。じゃあ挿れないから、口でして?」
何でそうなるんだ!?俺は入浴の世話をしに来ただけなのに。いくら怪我は俺の責任でも、これはパワハラなんじゃないか??
「出来ませんよっ!」
「口開けるだけでいいから。」
青ざめて立ちあがろうとした所を彼に引っ張られ、座っている彼に向かって、四つ這いの格好になった。目を細めて俺を眺める礼央様に頭を撫でられて、ゾクリとする。
表情は笑っているはずなのに、有無を言わさない威圧感だった。うそだろ…。目の前に突きつけられた雄に、息を呑む。
「早く。」
撫でられていた髪を掴まれた。まるでヒートの時みたいに、乱暴だ。俺のこといい匂いって言ってたけど、何か関係があるのだろうか?いや、そんなはずない。俺はΩじゃないし、発情もしてない…。
言われるがまま、仕方なく口を開けた。そのまま、頭を動かされて口の中に彼のモノを入れられる。く、苦し…っ。
「歯をたてるなよ。」
俺のことは散々噛むくせに…!噛んでやろうかとも思ったけど、彼はとにかく獣(けだもの)なんだ。うまくやらないと大変な目に遭うことは、この3年でよく分かっていた。
「んっ…う゛ぅ………!」
右手を床について、少し浮かした腰を動かし始めた彼に、俺はもうひたすら耐えるしかなかった。頭を押さえられたままで、逃げ場がない。
あ、顎が痛い…早く、終わってくれ…!
「シロ、こっち見て。」
涙目になりながら、礼央様を見た。彼の情欲に浮かされた目が、俺を捕らえる。
「出すから、全部飲めよ…っ!」
む、無理だ…!!
次の瞬間、口の中に出されて、彼の味と匂いでいっぱいになった。そのまま口元を掌で覆われ、本当に飲むことを強要される。俺は吐き出すこともできなくて、ドロリとした彼のモノを飲み下した。性液を飲まされるなんて、いくら主だからって許されるのか…? αだったら、何してもいいのかよ…?
最低最悪の気分で呆然としていた時、ズボンの後ろポケットに入れていたスマホが鳴った。つい仕事の条件反射的で、手に取る。
彼女からの電話だった。そうだ、LINEで『電話していい?』ってメッセージが来てたんだった…。最悪のタイミングに固まっていると、彼にスマホをさっと取られる。
「な、何するんですか!?」
慌てて取り戻そうとする俺を制止して、彼が電話に出た。
『もしもし、真白さん?』
「シロは俺のなんで、もう連絡してこないでください。』
目の前のやり取りに、一瞬頭がついていけなかった。
礼央様は、そのままブチっと電話を切ってしまう。
「れ、礼央様!?」
今の、何だ…?
「昨日、会ってた女だろ?」
スマホを俺のズボンのポケットに戻しながら、彼が言う。
俺は驚きすぎて、声も出なかった。そういえば、昨日の訓練でも、俺が彼女と会っていたのを知っている様なことを言われた様な。何で、知ってるんだ…?
「シロの外出にはガードをつけてる。何かあったら、危ないからな。」
「な、何かって…。」
ガードって、ガードマン…?俺の行動は、監視されていたのか…?耳を疑った。そんなこと全然気づかなかったし、そもそも俺に、何の危険があるっていうんだよ。
「多分あともう少しで、わかるから。」
また頭を撫でられたけど、俺には、全く意味がわからない。
「…俺がシロに何年かけてると思ってんだよ。そんな女に、取られてたまるか。」
そう呟いて、濡れた髪をかき上げながら礼央様が立ち上がる。そして、座り込んでいた俺の手を取り、立たされた。そのままタオルを渡され、
「あとは自分でするから、シロも部屋に戻って風呂にでも入れよ。風邪ひくぞ。」
そう言ってまたシャワーを浴びはじめた彼に、それ以上俺は何も聞けなくなってしまった。この場にいるのも居た堪れず、俺は逃げる様に部屋に戻った。
何なんだよ、何なんだよ…。
自分の部屋のシャワーを浴びながら、俺の頭は混乱していた。冷えていた体が、だんだん温まってきて、思考が巡りはじめた。
何かがそのうち分かると言われた。
まるで、彼女に嫉妬したみたいにも見えた。
あの、礼央様が…?
多少のお触りは、揶揄われているだけだと思っていたけど、わざわざ俺の行動まで監視していたなんて。
初めて会った時に、『いい匂いがする』と言われたことを思い出した。αとΩの世界なら、あれはαからの求愛みたいなものだ。相性が良いαとΩは、発情期じゃなくても互いに惹かれ合うと聞いたことがある。
でも、俺はΩじゃない。それに、礼央様のことをそういう目で見たことは…ない、はず…。
彼に触れられると、体が反応するのは確かだ。最近は、必要以上に意識してしまう。だからもう訓練も続けられないとか、側にいない方がいいとか思っていたわけだし…。
俺、礼央様のこと好きなのか…?
男に触られて反応すること自体、普通ない。
3年間育ててきた猛獣、そう思っていたのに…。
命懸けで宥めているうちに、情がうつったのだろうか?
社会人になって初めての仕事で、無我夢中だったことは確かだ。礼央様の苦しそうな顔を見る度に、俺が何とかしないと、とか、彼がこんな思いをしなくて済むよう力になりたいとは思いつづけてきた。
まだ15歳だったのに、初めて会ったときからすでに俺より大きかった彼の姿を思い出す。
でも、中身はまだ幼かった。はじめは、可哀想だと思ったんだ。無理矢理あんな訓練をさせられて…。
体だけ否応なく熱くさせられて、心もそれについていけたらいいけど、彼の場合は違って見えた。体と心がバラバラになって、苦しそうだった。
その怒りをぶつけるみたいに体中を噛まれて、それを受け止める度に俺は…。
生傷が疼き出す。その痛みを自覚すると、ふと、俺の下半身が熱をもっていることに気がついた。
あぁ、やっぱりもうダメだ…。
いくら欲求不満でも、普通は女性の裸とかを想像しないとこんな風にならない。
ゆるく勃ち上がる自分自身にショックを受けながらも、欲望に逆らえずに手を伸ばした。
自分で刺激しながら、頭の中を巡るのは彼のことばかりだ。
完全にダメだ…。公私混同もいい所だ…。
そう思いながらも、体が全く言うことをきかない。
俺は自分の精を吐き出し、何ともいえない気持ちに襲われた。
シャワーを冷水に変え、これからどうしようと項垂れる。
このままでいいわけない。俺はβで、Ωじゃないんだ。多少その要素があっても、違うものは違う。将来有望なαとβの使用人の俺とじゃ、釣り合うわけがない。俺は、他の人を好きにならないと…。
シャワーを終えて、もう遅かったけど彼女に電話してみた。
彼女は電話に出てくれて、俺は開口一番さっきの電話のことを謝った。
友達がふざけただけだと言い訳をして…。
彼女はあまり深く追求せず、また会う約束をしてくれた。次の休みに会うことにして、俺は電話を切った。
何かがそのうちわかると言われたことは気になるけど、とにかくこのままじゃ、ダメなんだ…。
結局あまり眠れないまま、翌朝になってしまった。
あの部屋にいると、この3年の訓練のことばかり思い出してしまってしょうがない。
礼央様に言って、部屋を替えてもらおう。というか、寮に帰らせてもらおう…。
寝不足のせいかぼんやりしながらも、俺はいつも通り仕事をこなした。訓練以外は、普通の使用人の仕事をしている。必要な物品の管理や発注、クリーニングやらの外部業者とのやりとり、簡単な掃除なんかの雑用…。
仕事に追われていると、スマホが鳴った。また、礼央様が俺を呼んでいるらしい。今日は月曜日で学校があるはずだけど、どうやら怪我で休んでしまった様だ。
今度は、何をさせられるんだ…。
重たい足を引きずって、俺は礼央様の部屋へ行く。
「失礼します。お呼びでしょうか。」
部屋へ入ると、礼央様はルームウェア姿のまま、大きなソファの上でゴロリと寝そべっていた。テーブルの周りには、お菓子類が散らばっている。
「暇だから、ちょっと付き合えよ。」
「仕事中ですので…。」
「あ~腕痛い。学校も、ちょっとしんどくてさー。」
「………。」
腕が治るまでは、我儘に付き合うしかなさそうだ。
また何かされたら困るな…。手招きされたが、つい警戒してしまい、床に落ちていたお菓子のゴミを拾ったりしてグズグスしていると…。
「何か警戒してる?」
彼の端正な顔に、面白がる様な笑みが浮かぶ。
刺激しちゃいけなかった。淡々と、いつも通りにしないと。
「礼央様、お菓子のゴミはゴミ箱に捨ててください。」
いつも口を酸っぱくして言っている台詞を口にすると、彼が体を起こしてソファに座る。
「後でまとめて捨てまーす。」
「そんなこと言って、いつもそのままじゃないですか。」
「シロ、ここ座れよ。」
いつもの雰囲気に戻したいのに、失敗した。彼に、隣に座るよう言われ、
「…失礼します。」
渋々、彼の隣に座った。意識しちゃいけないと思っても、物理的な距離が近くなると体が勝手に緊張する。
「…あの女と見に行った映画、面白かった?」
彼が、リモコンを操作しながら呟いた。大きなテレビに、映画のコンテンツが表示される。
「礼央様、そのことなんですけど…。」
「恋愛もの見たんだっけ? シロの趣味?」
映画を選んだのは彼女だった。何の映画を観たかまで、報告されているのか。
「…礼央様は、どんな映画がお好きですか?」
どう答えたらいいかわからないけど、とにかく動揺したくなかった。そんな俺の様子を面白がるみたいに、彼が膝の上に寝転んでくる。
「年頃だから、恋愛ものも好きだけど?」
大型犬が甘えてくるみたいに、膝の上で落ち着くポジションを探す彼に、心臓が早くなってくる。
「シロは? 何か好きなやつ選べよ。一緒に見よう。」
リモコンを渡されて、とにかく短い映画にしようと再生時間を見ながら必死に選んだ。よく分からないけど、暴走列車を止めるアクションもの。これにしよう。
見始めると意外と恋愛要素があって、しまったと思った。
礼央様は、俺の膝の上でお菓子を食べながら大人しく観ている。
「俺もシロと、映画館行きてー…。」
「…それは、無理ですよ。」
礼央様が単なる使用人と2人で映画館なんて、他の使用人達に何と説明するのか。
「…考えたんだ、シロをずっと側に置いとく方法。」
「礼央様?」
「シロを俺のΩにする。」
な、何を言い出すんだ…。信じられない気持ちで、膝の上の主を見つめた。頭が良すぎて、逆におかしくなってしまったのかとさえ思う。
「色々調べたんだ。Ωホルモンのコントロールについて。」
彼が、科学論文をよく読んでいる姿を思い出した。でも、βをΩに出来るなんて、そんな話は聞いたことがない。
「無茶なことを…。」
つい素直にそう言った俺に、彼は俺の膝の上で仰向けになった。
「無茶なんかじゃない。バース性の後天性についての研究は、割とあるよ。皆それぞれ、素因を持ってる。でも、Ωは特に稀少だ。その発現条件とか…。」
後天性?確かにバース性は思春期に発現するものだ。でも、一般的には先天性のものだと言われている。後天的にコントロールできるかもしれないっていうことなのか…?
「礼央様、仮に後天的にコントロール出来るとしても、私はもう26歳ですから、無理ですよ。」
思春期を過ぎた自分がΩにされるなんて、そんなことあり得ない。
「この3年間、少しずつ試したんだ。相性もあるけど、αの体液は、Ωホルモンを活性化する。傷を舐めたり、深く噛んだり…。もっと手っ取り早い方法もあるけど、シロが嫌がるだろうから、時間をかけた。」
手っ取り早い方法は、想像すると恐ろしかった。昨夜みたいに、精液を飲まされたりとか、そういうことだろうか。
「同意なくΩにされたら、誰でも困りますよ…?」
やんわりと言ってみたけど、勝手にβをΩにしようとするなんて、人権侵害レベルの問題だ。
「もちろん、一方的にコントロールなんて出来ない。αに出来るのは、刺激を与えることだけだ。βの体が応えてくれないと、成立しない。」
「…体が応える?」
彼に触れられると、言うことをきかなくなる自分の体のことを思い出した。応えたって、まさか…。
「βが反応するかどうかは、心理的な問題も関わってくるし…。」
心理的な問題って、そんなこと言われたら…。
「礼央様、Ωにならなくても側にいることは出来ます。使用人としてなら…。」
導き出される結論を聞くのが、怖かった。
彼が、色素の薄いヘーゼル色の瞳で俺を捕らえる。
「男同士だから、身分が違うから、αとβじゃ釣り合わないから?」
まるで、責められているみたいだった。
礼央様のことは、大切に想っている。だからこそ、そう思うことは、間違っているのか?
「礼央様には、幸せになって欲しいんです。どうか相応しい人と…。」
「シロが、好きだ。」
迷いのないまっすぐな眼差しに、体が動かなくなった。
彼が、俺の肩に両腕をまわす。そのまま抱きしめられ、彼の唇が触れた。抵抗できずに舌を絡め取られ、こんなのダメだと思うのに、やっぱり体は言うことをきかない。
「βの常識なんて知らない。俺のΩになってよ。」
Ωになるなんて、そんなの無理に決まっている…。
「無理ですよ、そんなこと…。」
「もうすぐ分かるさ。…だってシロ、いい匂いがする。」
暗示をかけるみたいに囁かれて、俺は慌てて礼央様の腕を解いて立ち上がった。
「す、すみません、失礼します…!」
それだけ言って、足早に部屋を出る。
朝から感じていた体の怠さが、ますますひどくなってきた。熱でも、出そうだ…。
夕方になり、やっともうすぐ仕事終わりだと思っていた頃だった。賑やかに騒ぎながら、5人グループの若者達が屋敷の廊下を歩いてくる。礼央様と同じ学校の制服を着た彼らは、何度も屋敷に遊びに来たことのある顔ぶれだった。礼央様のご学友で、彼らもまた家柄の良い優秀なα達だ。とはいえ、年頃になり悪い遊びも覚えた様で、一緒に夜遊びをする仲間達でもある。
ちょうど礼央様の部屋の前で出くわし、俺は彼らに頭を下げて挨拶をした。
「あんたちょうどいいや、礼央どこ行ったか知らない? 見舞いに来たんだけど、部屋にいないみたいだからさ。」
「すぐにお呼びしますので、サロンの方でお待ちください。」
俺は、客人を通すためのサロンへ彼らを案内することにした。礼央様に連絡してみたが、応答がない。他の使用人に聞くと、トレーニングルームではないかという話だった。確かにマシンを使っていると、連絡に気づかないことがある。
他の者に、トレーニングルームまで声をかけに行ってもらい、俺は彼らの相手をすることになった。
「礼央の怪我、どんな感じですかー?」
「利き腕を怪我されたので、不自由な様です。」
「ってか、何で怪我なんてしたの?」
「詳しいことは、私にはちょっと…。」
サロンで彼らにお茶を出しながら、色々と聞かれ、気まずい思いをする。訓練のことは、絶対に秘密だ。
「あんた、Ω?」
ふいに、彼らのうちの1人に言われ、俺は耳を疑った。礼央様以外のαから言われたのは、初めてだった。
「礼央の奴、いくらΩ嫌いだからって、Ωを使用人にしてるの?さすが、贅沢だね。」
「いえ、私はΩじゃありませんから。」
慌てて否定する。
「え、Ωでしょ?なぁ?」
「えー? そうか?」
5人全員ではないけど、顔を見合わせて笑う彼らに、ゾッとした。ホルモンコントロールなんてものが、本当に成立しているのか…?
「なんかあんた、傷だらけだね。耳とか。」
そういえば、体の傷はスーツで隠せても、耳もだいぶ噛まれたんだった。ハッとして、つい顔が熱くなる。
「激しい彼氏か彼女でもいる? それとも、ご主人の礼央?」
「あはは、何だよ。礼央の奴、Ω嫌いなんて珍しいこと言ってる割に、やることやってんのかな?」
彼らが勝手に盛り上がり始めた。確かに噛んだのは礼央様だけど、ここはハッキリと否定しておく。
「違います!! これは…。」
うまい言い訳が浮かばず口籠る俺に、どんどん収集がつかない雰囲気になっていった。
「執事プレイか何か?楽しそー。俺らのことも、もてなしてよ。」
彼らのうちのひとりに、腕を引っ張られる。悪ノリとはこのことだ。
「やめてください。私はΩじゃありません!」
「本当にΩじゃないかもよ? やめてやれよ。」
制止する意見を聞かずに、悪そうな表情をした奴が俺の襟元を引っ張った。
「うわ、あんた首も傷だらけじゃん!」
首筋の辺りの傷を見られた。どんどん好き勝手にし始めた彼らに、内心俺は焦り始める。
「ち、違います、これはペットの猫に噛まれて…。」
苦しまぎれの俺の台詞に、一瞬彼らはポカンとして、その次の瞬間盛大に笑い始めた。
「何だよそれ!猫って耳噛む?」
「どちらかというと犬かも。」
「耳と首噛むって、どんな狂犬?」
…変なこと言わなきゃ良かった。腹を抱えて笑う彼らから離れ、どさくさに紛れて部屋を出ようとした俺を、さっきの悪そうな奴が追いかけてくる。
「待ってよ、執事さん。もうちょっと、お話しよ?」
肩を掴まれて、ゾッとした。相手は高校生なのに…。以前見かけた時は、こんな印象は受けなかったはずだ。αって、こんなに威圧感あっただろうか…?
「Ωなのに首輪もつけてないじゃん。大丈夫?」
「だから、Ωじゃないですって!!」
もう、敬語すら曖昧になってきた。早く礼央様が来てくれることばかりを考える。
今更だけど、凶悪な彼女に噛まれたことにでもしておけば良かったと後悔した。そうしたら、こんなに絡まれなかったかもしれないのに…。
「首輪買ってやるから、俺の所来ない?使用人じゃなくて、もっといいことさせてやるよ。」
ニヤニヤした顔で見つめられて、鳥肌が立った。Ωって、こんな目で見られるのか…?
βの俺は、今まで知らなかった目の色だった。肉食獣に狙われた、草食動物の気持ちがわかる気がする。
本能的な恐怖に、体が凍りついた。その時…。
「おい、何やってんだよ。」
部屋の温度が急降下しそうなくらい、不機嫌そうな礼央様の声がして、目の前の男がハッとした表情をした。
「あれ、礼央じゃん。思ったより元気そうだねー。」
俺を掴んでいた手をさっと離すと、礼央の方へ近づいて行く。仲間達は、決まりの悪そうな顔をして静観していた。
「…シロ、もう下がれ。」
そう言われて、俺は後ずさる様にしてサロンを出た。
サロンを出た後、器物破損した様な派手な音が聞こえたけど、構わず俺は自分の部屋へ戻った。心臓が、嫌な音をたてている。
…怖かった。
Ωだと言われたこともショックだし、αからあんな目で見られたのも初めてだった。
どうしよう、俺の体はどうなってるんだ…?
部屋の中に入るなり、ドアに背を預けて床に座り込んだ。
礼央様は、刺激を与えただけだと言っていた。応えたのは俺自身だと。もう、自分で自分の気持ちも体も、コントロールできない。
朝から怠かった体が、どんどん怠くなってきた。体中が熱い。熱でも出てきたのか…? そう思ったけど、何かが違う。何だ、この感じ…? 体中熱いけど、それだけじゃない…。
「何だよ…これ…。」
思わず両足をギュッと閉じる。ドクドクと脈打つ自身の欲望に、体を丸めた。内側から疼くように、体が欲情している。嫌だ、嫌だ、何だよこれ…。
Ωの発情、かもしれないと思った。一瞬、どうしたらいいのかパニックになる。いや待てよ、確かΩには発情してしまった後に使える特効薬があったはずだ。注射型で、打てばすぐに発情がおさまると学校で習った。屋敷にも、確か備品倉庫にあったはず。
早く、取りに行かないと…。
俺は、ドアにすがって立ちあがろうとした。でも、痛いくらい自身が勃ち上がっていて、歩けそうにない。
嘘だろ…。
強制的な体だけの発情に、全く気持ちがついていかない。
誰か上の人に事情を話して、持ってきてもらうしかない。俺は、信頼出来そうな人の顔を思い浮かべた。上司にあたる人は、ほとんどαだ。まさかと思うけど、ヒートになったりしないよな…? 礼央様の友達の、肉食獣みたいな目を思い出す。同僚のβの方が安全かもしれない。Ωだと知られることになるのは抵抗があるけど、他に選択肢がない。
そう思い、スマホを手に取った時だった。
「シロ、あいつらが悪かったな。殴っといたから。…大丈夫?」
ドアの向こうから、礼央様の声がした。聞きなれた声のはずなのに、脳に、甘い痺れが広がる様に聞こえる。
「は、はい…っ。」
何だよ、この感じ…。息が上がる。
しばらく間があいて…、
「……シロ、辛いだろ?」
まるで、全部わかっているみたいな言い方だった。
「だ、大丈夫です、から…っ。」
そう言われて、本当にΩの発情だと思った。
少しでも離れないと、彼がヒートになってしまうんじゃ…。ドア越しの気配から、床を這う様に遠ざかる。
「大丈夫なわけないだろ。特効薬が、ベッドの隣の棚の中に入ってるから。」
彼の言葉に、俺は何とかベッドまで這って行った。
大きな天蓋つきベッドには、両隣に棚がある。どっちかわからなくて、とりあえず右側から探した。見当たらない様な気がして、反対側に行こうとしたその時…、
「シロ、特効薬あった?」
背後のドアが開く気配に、ビクっと体が震えた。
鍵は閉めたはずだ。そんな、何で…?
「かぎ、は…?」
「シロに、いつ何があってもいいように、鍵は俺も持ってるんだ。」
そう言って、ドアを後ろ手に閉めた彼の姿を見た瞬間、時が止まった。
それは、強烈な一目惚れの様な感覚だった。初めて会ったわけでもないのに…。
脳の無意識の領域から送られてくる、言葉では説明できない直感…。
この人だ…。確かに、この人が、俺の…。
近づいてくる彼の姿が、まるでスローモーションの様だった。瞬きも忘れて見つめ続ける俺に、彼が端正な顔で笑う。
「シロにも分かっただろ? αとΩにはこういう〝特別〟があるんだよ。」
強く抱きしめられて、その体温と感触と匂いに、頭が痺れる。
「…俺のシロ。」
彼の眼差しが、変わった。ヒートだ…。
ベッドに押し倒されて、スーツを引きちぎる様に脱がされる。
「と、特効、薬は…?」
「…どこにあったかな。俺の番になったら、あげるよ。」
〝番〟…? そんな、番なんて一生ものの決断だ。
「好きなだけ、噛んでいいですから…、ヒートを、治めてください…!」
「頸も噛んでいい?」
そういう意味じゃない…っ!
体の熱に理性を失いそうになりながらも、急に大きな決断を突きつけられて、頭が混乱する。
礼央様を好きなのは、もう認める。でも、番となると流石に怖かった。
βの恋愛には、そんなもの存在しないんだ。一生を捧げると互いに誓うことはあっても、それは目に見えない心の繋がりの問題であって、番なんていう本物の縛りはない。
「まだ迷ってるんだ? シロは意外と物分かりが悪いな。」
礼央様の眼差しが険しい。ヒートの姿を何度も見てきたけど、ちゃんと理性を保っている分、違う怖さがあった。
獣扱いできない、怖さ。
知らず知らず震えてきた俺に、彼が綺麗な顔で笑う。
「怖くないよ?この日のために、訓練してきたんだ。シロを、壊したりしない。」
「もう少し、時間を…、待ってくださ…。」
「3年も待ったのに?」
傷ついていた左の乳首を、きつく噛まれた。
痛いのに、電気みたいにビリビリした快感が走る。
初めての発情に、理性はもう飛びそうだ。でも番なんて、考えれば考える程、怖かった。礼央様は、ただのαじゃない。あの藤堂グループの若き後継者だ。こんな人の番になったら、俺の人生って一体どうなるんだ…?使用人兼、愛人?
だめだ、想像できない…。こんな状況で、もう考えるのは無理だ…。でもこんな、なし崩しに番なんて…。
「すみません…。あなたが欲しくて、もう何も、考えられません…。番のことは、時間を、ください…。もう、抱いてくださ…っ。」
言い終わらない内に、キスされた。貪る様に求め合う。気持ちいい…。キスだけで、イキそうだった。
「結構、上手いこと言うんだな、シロ。」
ただの本心だ。本当にもう何も考えられない。ただ、彼が欲しい…。
「好き、好きです…!」
自分から、彼の首に両腕をまわした。
「…あ~、可愛い…。首輪買わないとな。」
彼が、俺の肩に噛みついた。痛いけど、愛おしい痛みだ。
ヒートでも、彼はちゃんと俺の話を聞いてくれるんだ。
すごい、訓練の成果だ。
勃ち上がっていたモノを刺激されながら、後ろに指を入れられる。
「シロ、濡れてるのわかる?」
「っ………!」
グチュグチュと湿った音がする。
「俺のために、シロの体が変わったんだよ?」
体が、変わってしまった…?彼を、受け入れるために…?
怖くて、恥ずかしくて、でも気持ちよくて…、縋る様に礼央様を見つめた。
「可愛い…、俺のシロ。」
キスされながら、中を少し掻き回されるだけでそこは甘く疼いた。徐々に指を増やされながら、我慢できずにイってしまった俺に、
「…俺も、もう限界。」
切羽詰まった様に彼が言う。
両足を抱えられて、熱いモノが押し当てられる。
「ひっ、あ゛ぁぁ………っ!!」
ヒクつく内壁を押し広げながら、彼自身が入ってきた。
ものすごい存在感に、反射的に腰が逃げそうになる。
「大丈夫だから。もうトロトロだし、飲み込めるよ。」
ガッチリと腰を掴まれて、ゆっくりと腰を進められる。
「あ゛、あ゛、ぁあ゛………っ。」
腰が、溶けそうだ。欲しかったものを与えられた様に、体が悦んでいる…。
挿れられただけで達した俺に、彼が瞳を細めた。
ペロリと舌なめずりをして、
「…ちょっと、加減できなくなってきたかも。ごめんな、シロ。」
そう言うと同時に、腰を奥まで一気に進めた。
「っ……、あ゛ぁぁぁ…………!!」
激しく腰を動かされ、イクのが止まらなくなる。
突かれる度、脳天を突き抜ける様な快感が走り抜けていく。
「あ゛ぁ!…いやだ、…あ゛あ゛あ゛……!!」
休むことも許されず、イキ続ける苦しさに、頭がついていかない。目の前に星が飛んだ。
もう、気持ち良すぎて苦しい…、もう無理だ……!!!
もう何回イッたか分からない。
こんなに達したのに、精液なんてもうほとんど出ないのに、どうして体の熱が治まらないんだ…?
欲しい、もっと、彼が欲しい…。
「助け…、たすけて……っ。」
泣きながら懇願する俺を、礼央様は容赦なく責め続ける。
体中を好き勝手に噛みながら、彼も何回か達していたけど、本能のまま中に出したりはしなかった。
Ωは男でも妊娠するんだっけ…と、途切れそうな意識の中で思う。
「気持ちよさそうだね、シロ…。」
もう、問いかけに答えることすら出来なかった。
「首輪の色は、やっぱり白が似合うかな…。」
俺の首の辺りを撫でながら、彼が目を細める。
「それとも観念して、番になる?」
答えを促す様に意地悪く腰を動かされ、また快感が突き抜けた。番になれば、助けてもらえるのだろうか…?
「聞こえてる? 返事もできないか…。」
彼が無理矢理、頸を噛もうと思えば、抵抗なんて出来ない。そんな力は、どこにも残っていなかった。
「俺達はもう、離れられない。…わかるだろ?」
頸に近い首筋の辺りを舐められる。
激しく求め合う、αとΩの特別な繋がり…。
こんなの、知らなかった。一生わからないはずだったのに。
「まぁ、シロが待てって言うなら、待ってあげてもいいけど…。」
すごい、訓練の成果だ。ヒートの彼だって、俺と同じくらい色々暴走しているはずなのに、こんなに理性を保っていられるなんて…。待ってくれるなんて…。
「シロの言い訳は、全部想像つくけど。まぁ、俺から逃げられるなんて、思うなよ?」
そう言って凶悪に笑った彼が、また俺の体に噛みついてくる。彼はやっぱり、獣なのかもしれない…。
α(アルファ)は、人口の約2割とされ、生まれつき身体や頭脳の能力が高い優秀なエリート。
β(ベータ)は、人口の約7割を占める、ごく普通の人々。
Ω(オメガ)は、人口の約1割と希少で、月に1回の発情期により、αを強く惹きつける。
αとΩは、互いに強く惹かれあい、相性が良い相手だと、出会った瞬間に本能的、いわば遺伝子レベルで惹かれ合うのだそうだ。
さらに、αとΩは〝番〟という特別な関係を結ぶことができる。番になると、Ωは番になったαしか受けつけない体になり、生涯ただ1人のαに身を捧げる。そしてαは、番であるΩの一生を独占することができる。
それは結婚よりも強い、特別な関係とも言われている。
αとΩの運命的で特別な繋がりというのは、β(普通)の俺には、きっと一生わからない。そう、思っていた。
あれは3年前。日本有数の大企業である藤堂グループの御曹司である藤堂 礼央(とうどう れお)が15歳の時だった。
その頃俺、立花 真白(たちばな ましろ)は、大学を出て、藤堂グループ傘下の子会社へ就職したばかりだった。その関係で参加したパーティーで、俺達は初めて顔を合わせたんだ。15歳の彼は、アメリカ人の母を持つというハーフ特有の恵まれた容姿と、すでに180cm近い長身の、モデルみたいな美少年で、皆の視線を釘付けにしていた。そんな彼から、
『お前、いい匂いがする。』
まるでαがΩに言うような台詞を言われ、俺は耳を疑った。
俺は、正真正銘のβだし、他のαにそんなことを言われたこともなかったからだ。
心当たりがあるとすれば、親戚に何人かΩがいることくらいだ。でもいくら希少なΩとはいえ、血筋を辿れば誰だって、どこかにΩがいたりするだろう。
彼にはそんな微かな素因まで、感じる感覚があるというのか…。
何の冗談かと思ったが、冗談ではなかったらしく、後日上司づてに、彼の側で使用人として働く様に言われた。社会人1年目で右も左もわからなかった俺は、権力におし流されるままに藤堂の大きな屋敷で働くことになってしまった。この世界は、エリートαが中枢を操る超格差社会だ。たいした能力もないβの俺が、楯突いたところで酷い目に遭うだけ。とはいえ、使用人としての知識なんて全くなかった俺は、彼の側で毎日失敗ばかりだった。お茶ひとつ満足に淹れられない。
「いい匂い」で雇われたわけだし、15歳に口説かれたらどうしようという多少の心配も杞憂に終わり、失敗を叱られるわけでも、使えないからとクビにされるわけでもなく、彼はまるで観察する様な瞳で俺を見ていたっけ…。
そしてあの夜。屋敷で働き始めて、まだ1ヶ月くらいの頃だ。夜勤のシフトも組まれる様になり、その日は泊まり込みだった。仮眠を取る部屋と時間を与えられ、眠っていた俺の部屋のドアが、夜中乱暴にノックされた。何事かと飛び起き、恐る恐るドアを開けると、彼が雪崩れ込む様に部屋へ入って来て…。
『礼央様、どうしたんですか!?』
上半身は裸で目も虚で、一目で普通の状態じゃないとわかった。
『…噛みたい。』
唸る様な声だった。その次の瞬間、急に彼が俺に覆いかぶさってきた。ものすごい力で床に押さえつけられて、首筋に思いっきり噛みつかれた時、
『………っ!!』
死んだと思った。声も出なかった。
まるで猛獣に襲われたみたいな、そんな感じ…。
着ていた服を引きちぎられてそのまま身体中に噛みつかれながら、何が何だか分からなくて、とにかく痛いし、ひたすら目を瞑って耐えた。
どれくらいの時間そうされていたのか覚えていないけど、やがて他の使用人達がやって来て、彼と俺は引き離された。
別れ際、辛そうにボロボロ涙を流す15歳の少年の顔が、今でも目に焼き付いている。
そしてこれこそが、俺が彼に雇われた理由だった。
藤堂家のα達は、不用意にΩと〝番〟関係を結ばないため、年頃になると、ある訓練を受ける。
それは、発情したΩとの定期的な性交渉。強制的にαのヒートを起こさせ、行為中のあらゆる自制心を養うためらしい。
彼は、この訓練を始めたばかりだった。発情したΩは首輪をしており、不用意に頸を噛んで番関係を結んでしまわない様になっている。でも、他の場所は噛むことが出来る。彼の場合は酷かった様だ。訓練用のΩがあまりの噛み癖に怯える様になり、困っていた時期だったらしい。しかも、噛めれば何でもいいというわけでもなかったらしく、自分自身を噛んでも駄目で、Ωの人間を噛まないとヒートは治らなかった。
だから、Ωの様な匂いがするβである俺は、格好の訓練材料だった。
希少なΩには傷をつけず、俺を噛む。そこから始めて、だんだんと俺を噛まない様に一緒に訓練をする。それが、俺に与えられた仕事だった。
「あー…、まだここも痛そ…。」
傷の手当てをしながら、礼央様が顔を顰める。
「…礼央様が、噛んだんですけどね。」
「噛んでる時に、もっと強く痛いって言えよ。」
「散々言いました!聞かないじゃないですかっ。」
「えー…?」
あれから3年。彼は18歳になった。さらに190cm近くまで身長は伸び、男らしい美貌にも磨きがかかった。学業成績も申し分ない。しかし、まだ例の訓練は終わらない。というか、Ωは噛まずに我慢できるのに、俺を噛まないとヒートが治まらないというパターンから抜け出せないでいる。訓練は、Ωの発情に合わせて月に1回とはいえ、俺の体には傷痕が絶えない。
ふいに首筋の傷口を舐められて、俺は痛みに顔を顰めた。
「痛っ…。舐めるのはやめてくださいといつも言ってるじゃないですかっ!」
「別にいいだろ?」
「よくないですよ!」
礼央様自ら傷の手当てをしてくれるが、やたら傷口を舐めたがって困る。まるで、野生動物が仲間の傷を舐めるみたいだ。彼はその手の本能が強すぎるのかもしれないし、もうそろそろ諦めるか、他の訓練方法でも考えてもらえないだろうか。
「早く礼央様の噛み癖を理解してくれる、Ωの彼女でも探して頂けませんか?」
「シロ以外のΩの匂いは、好きじゃない。」
「…私はΩじゃありません。」
初めて会った日から変わらず、彼だけが俺はΩの匂いがすると言う。念の為にバース検査を受けてみたが、やっぱりβだったというのに。
「俺はΩホルモンに敏感だから、素因まで分かるんだよ。」
他のβでも感じることがあるらしいけど、匂いや強さが皆違うんだそうだ。
「ちゃんとしたΩで、お好みの匂いで、多少噛まれても訓練に付き合ってくれる方がいたら一番いいんでしょうね…。」
「シロがいるだろ。発情期はまだかなー?」
Ωの発情期は、だいたい20歳くらいまでには来るのが普通だ。俺はΩじゃない上に、もう26歳だぞ。
「私には一生、発情期なんて来ませんよ。」
「気長に待ってやるよ、シロ。」
礼央様は、面白がるみたいに笑っている。だめだ、全然真面目に考えていない。使用人の俺のことを、呼びやすいからと〝シロ〟なんて、犬みたいに呼ぶのはいいが、ヒートの礼央様の方こそ野生的、いや獣的でいらっしゃる…。
彼は、Ωホルモンに対して過敏な特異体質の持ち主だ。
αは、発情期のΩホルモンによりヒートを起こす。ヒートというのは、αの発情のことで、ヒートになったαはΩを本能的に襲ってしまうらしい。
礼央様は、Ωホルモンに対して過敏で、襲うだけでなく激しく噛んでしまうことが問題だった。ヒート中の行為で、Ωの頸を噛んでしまうと、〝番〟という特別な関係になってしまう。それを防ぐためには、礼央様は他のαよりもさらに自制心が求められた。とはいえ、この3年でかなり成長され、噛み癖はだいぶ良くなってきている。
あとはもう、多少の噛み癖は理解してくれて、仮に噛んで番になってもいいようなΩの彼女か彼氏に躾けてもらったらどうだろうか。藤堂グループのイケメン坊ちゃんは、それはそれはモテるわけだし、噛み癖くらい受け入れてもらえると思うけど…。
でも、彼は遊んでばかりで特定の相手を作らない。そして遊び相手は、美しく賢く割り切って遊べるαばかりだ。
礼央様は若いからそれでいいかもしれないが、俺の人生はどうなるんだ。もう26歳になったというのに、毎月彼に噛みつかれ、傷が治った頃にまた噛まれるというサイクルで、彼女も作れない。
「私の人生に支障が出ているので、もう本当に勘弁してもらえませんか…。」
力なく呟いた俺に、彼が耳元で囁く。
「だから、シロも気持ち良くしてやってるだろ?」
「っ………!」
俺の頬が、瞬間湯沸かし器並みに熱くなった。性生活がままならない俺は、なぜか彼に噛まれると体が反応する様になってしまった。αのヒートに当てられるβなんて聞いたこともないけど、彼に触られると体が勝手におかしくなるのだ。そして遊び人の礼央様は、彼本人が興奮しているせいか、さして抵抗なく俺の性欲処理までする様になった。勢いが止まらなくて、後ろに指を突っ込まれたこともある。
だからこそ、もうこんな訓練はやめたい。噛まれて気持ち良くなったり、主とセックスまがいのことをするなんて、訓練の域を超えているじゃないか…。
「もう諦めて、遮断薬を毎日飲んだらいかがですか?」
αには、Ωホルモンの効果を遮断する薬だってあるんだ。普通は毎日飲まないみたいだけど、噛み癖が治らない以上、そうするしかない。毎日飲めば、ヒートは起こさないわけだし。
「…βは自由でいいよな。」
礼央様が、一瞬表情を無くす。
彼なりに、悩んでいるのは分かっている。これだけ優秀なαである彼が、自分の中の獣性をなかなか抑えられない。
初めて噛まれたあの夜、辛そうに泣いていた彼の表情を思い出した。あれから何度も訓練を嫌がって、逃げ出したり暴れたりしていたっけ。でも結局は、お父上の言いつけに従うしかなかった。今は泣くことはないけど、それでもやはり辛そうだ。一生薬を飲めと言ってしまった自分に、罪悪感が湧いてくる。
「…すみません。とにかく、誰か他の人で訓練を…。」
「そんなに嫌?」
ハッキリした二重の、ヘーゼル色の瞳でまっすぐに見つめられ、俺は答えに詰まった。
嫌だと言えばいい。いい匂いがするとか言われても、もう十分、俺だって協力してきたんだ。
そう思うのに、なぜか言えなかった。自分でも、よく分からなくなる。
「…次は、噛まずに訓練を合格できたらいいですね。」
それだけ言って、俺は手当てをしてもらっていた首筋の傷痕を手で押さえた。もうすぐまた訓練だというのに、深く噛まれた傷痕が、まだ疼いている…。
使用人の仕事をこなしながら、俺はひたすら考えた。
俺が、この特殊な仕事を理解してくれる彼女を作れたらいいんだけど、守秘義務があって礼央様の噛み癖は口外出来ない。変なΩが近づいて来たら困るのだ。
だとしたら、この傷の説明をどうしたらいい? ペットの猫に体中噛まれる、とかで信じてもらえるだろうか。
前に付き合っていた彼女とは、浮気を疑われて別れてしまった。信じてくれる人なんて、いるんだろうか…。
わからないけど、もう俺が自分で彼女を作るしかない。仕事を辞めるには、礼央様をかなり説得しないといけないし、当面は続けるしかなさそうだ。
それに、困ったことに、俺は礼央様に対して不思議な感情を抱いていた。こんな言い方は失礼だけど、この3年間、命がけで育ててきた猛獣への愛着というか…。初めは、何で俺がこんな目にと思っていたはずなのに…。いつもは自由奔放な遊び人で、飄々と笑っている。そんな彼に、訓練の時だけ切羽詰まった苦しそうな姿を見せられると、ギャップがありすぎて、放っておけなくなるというか…。
だからといって、何で体まで反応するのか自分でもよく分からないけど、この不思議な感情を持て余してきたのは事実だ…。
ふと、今まで断っていた見合い話を思い出した。実家の両親が、いい年なのに浮いた話がない俺を心配しているらしい。女性とデートでもしたら、気分が変わるかもしれない。俺はそう思い立ち、久々に実家へ連絡した。
見合いをしてみようと思うと話すと、両親は喜んで、ちょうどいい話があるからと、メールでプロフィールやら写真やらを送ってくれた。
βの女性で、可愛い印象の人だ。とにかく会って、話だけでもしてみよう。そう決めて、父にメールを返信する。
理解のある、いい人だといいな…。
なんせ傷だらけの体だし、仕事は不規則で夜勤もあるし…。
ため息をついて、俺はまた仕事へ戻ることにした。
それから数日後、また訓練の日になった。土曜日で、今日は夜からのシフトだ。あれから俺は、見合い相手の女性と何度かメールや電話でやり取りをしていた。そして、ちょうど今日の昼間、初めて2人で会って来た。ランチをして映画を見て、その後カフェでお茶もした。明るい女性で話も合いそうだし、不規則な仕事への理解もありそうだった。また2人で会う約束をして、俺の気持ちはかなりあがっている。
これで、今夜の訓練は乗り切れそうだ。
訓練の日は、礼央様がΩとの行為を終えるまで、別室で待機だ。待つ時間が、また心臓に悪い。つい、彼とΩとの行為を想像して複雑な気持ちになる。いくら訓練とはいえ、強制的にヒートにさせられ、性行為をすること自体おかしいと思うけど、そんな常識は通用しない世界だ。裕福なα達にとって、希少なΩを囲ってパーティーに同伴させたりするのは、ひとつのステータスだ。彼も、将来はそういう世界で生きる立場のαだし、必然的にΩと関わる機会は多くなる。だから、Ωへの対応はきちんと身につけないといけない。恵まれすぎたαも大変だと、つくづく思う。礼央様が言っていた通り、βが一番自由なのかもしれない。ΩはΩで、毎月発情期があるし、それを抑える薬も毎日飲まないといけない。その対価として、優れた子を産む能力があり、αとの強い絆が与えられているのか…。
どっちみち、βの俺には分からない世界だ。俺に出来ることだけに集中するしかない…。
夜も更けてきて、他の使用人からそろそろだという連絡が入った。大きなベッドに腰掛けて、嫌な緊張感の中ひとり待つ。最初の頃は、彼のあまりの噛み癖に他の人も一緒に部屋にいてもらっていた。噛み殺されるんじゃないかと思うような勢いで、数人で彼を俺から引き剥がしたりしながら、ヒートが治まるのを待った。それに比べると、今はだいぶ抑えがきくようになったと思う。2人きりで訓練出来るようにもなったし、きっといつかは、誰かに制止されなくとも、誰も噛まずにヒートを治めることが出来るようになる。そう信じよう。
ガチャリとドアが開く音がして、心臓が跳ね上がった。
ドアの方を見ると、礼央様の姿が目に入る。
「シロ…。」
名前を呼ばれて、息を呑む。いよいよだ…。
「礼央様、大丈夫ですか…?」
俺の問いかけには答えず、彼がフラフラとベッドまでやって来た。そのまま、俺に被さってくる。
「噛むのは3回までです。いいですね?」
回数は、段階的に減らしてきている。でも、その分深く噛まれてしまうことが多い。
「…シロ。」
熱に浮かされたような瞳、上気した頬。本能と理性の間を彷徨う彼に、俺の心臓がどんどん早くなる。
変な気分になるのを必死で堪えながら、俺は昼間会った女性のことを思い出そうとした。
「いい匂い…。」
彼は、必ず最初に首筋の辺りを噛みたがる。番関係を結ぶ時に噛む頸に近い場所だから、本能的なものなんだろうけど、まずはこれを逸らさないといけない。首筋に顔を寄せてきた彼に、
「他の場所で我慢し……っ…!!」
言い終わる前に、シャツの上から右肩を思いっきり噛まれた。
「痛いですよ…っ、離してください、そう…。」
比較的素直に口を離した彼に安堵する。
「すぐ離せましたね!!」
すかさず褒める。日頃は出来ないけど、頭をヨシヨシしてやる。まさに、猛獣のしつけだ。
今回は、調子がいいかもしれない。この1回くらいで、ヒートが治まってくれたら…。
「シロ、昼間何してた?」
「え……?」
ふいに全く予想外のことを聞かれ、驚いて見上げると、
「何をしてた?」
追い詰める様な視線が、俺を見下ろしている。どうして急にそんなことを聞くんだ…?
昼間会った女性の笑顔が、脳裏にチラついた。
「特に、何も…。」
咄嗟に、俺は嘘をついていた。そんな必要なかったかもしれないけど、なぜか素直に答えられなかった。
別に勤務外で何をしようと俺の自由だし、報告する義務なんてない。
「…噛みたい。」
頭と顎を両手で掴まれ、俺は目を見張った。目の前に彼の端正な顔が近づいてくる。そしてそのまま、俺は唇に噛みつかれ…、
「ぅん…………っ!!」
そんな気がする様な、キスだった。舌が入ってきて、俺の舌を強引に絡めとる。顔を固定されて、全く逃げ場がなかった。礼央様にキスされるなんて、初めてだった。
「な、どうしたんですか…っ!?」
長いキスから解放されると、俺は慌てて両手を突っぱねて離れようとした。でも、
「もっと、噛ませろ…っ!」
カッターシャツの上に着ていた黒いベストのボタンを引きちぎられる。相変わらず、すごい力だ。またすぐに組み敷かれた。
「あと、1回ですからね…!」
キスも数に入れていいのかわからないけど、早く終わらせたい。あまり長く触られると、体がまたおかしくなりそうだ。
俺の心臓の辺りを、彼がカッターシャツの上から撫で始める。ドクドクと、俺の鼓動が早い。その鼓動を確かめる様に、彼が頬を寄せる。
「っ…………!!」
ふいに、シャツ越しに左の乳首を思いっきり噛まれて、俺は思わずのけぞった。
シャツのボタンも引きちぎられて、剥き出しになった肌を好き放題に噛まれる。もう、3回どころじゃない。だめだ、これ以上噛まれると、また俺の体もおかしくなってくる。
「礼央様、もう終わりです!」
そう言って、必死に彼を押し退けてベッドの上を這う様に逃げようとした俺に、彼が背後から覆いかぶさってくる。
「…シロの、勃ってきた。」
耳元で囁かれ、ゾクリとした。そのまま耳介を噛まれて、体から力が抜ける。動けなくなって、ズボンごしに俺自身を弄られた。
「俺に噛まれると、気持ちいい?」
「違う…っ!」
つい敬語を忘れて、自分の口を押さえた。だめだ、他のことを考えよう。そうだ、今日デートしたこととか、見た映画のこととか…。
下着ごとスーツのズボンを下ろされて、そこを直接握られた。
「や、やめてください…!」
慌てて手を振り払おうとしたけど、また耳を噛まれて力が抜ける。そのまま、刺激されるともうダメだった。
肩を噛まれながら強く扱かれると、快感がせり上がってくる。声を堪えるだけで、もう精一杯だった。
「うぅ…………ん……っ!」
シーツに顔を埋めて、必死に声を殺す。
ダメだ、イク………っ!!
ビクビクと体が跳ねて、快感に逆らえず精を放った。ものすごい罪悪感と、気怠さに襲われる。仕事中、なのに…。
礼央様が、俺の頸を舐めてきた。そこは、Ωと番の関係を結ぶ時に噛む場所だ。
「噛みたい…。」
「礼央様…?」
背中に固いものが当たって、俺は青ざめた。まさか彼自身も、反応している…?
「だ、駄目ですよ…?」
かなり噛んだはずなのに、ヒートが治まるどころかまた…。
頸に、歯が立てられる。肌の感触を楽しむ様に何度か甘噛みされて、鳥肌が立った。
そこを噛んでしまったら、訓練は大失敗だ。
そこだけは、噛んじゃ駄目だ…!
衝撃に備える様に目を固く閉じると、急に背中から重みが消えた。
ハッとして振り返ると、彼が上半身を起こして、自分の腕に思いっきり噛みついている。
みるみる血が滲んで、シーツにポツポツと赤く滴っていった。
「れ、礼央様…っ! やめてください!!」
俺は、真っ青になって飛び起きた。慌てて噛むのをやめさせようと、腕に取り縋る。
ヒートになってΩを傷つけない訓練は大切かもしれないけど、これではもう、俺が訓練に付き合うのは無理かもしれない。人を噛み殺すんじゃないかという様な、初期の頃の強い衝動性は抑えられてきている。今も頸は噛まずに済んだ。
噛む力も、強いのは強いけど、死ぬ程じゃない。
駄目なのは、俺自身の体だ。噛まれて反応したりするから、話がおかしくなってくるんだ。ここまで一緒に頑張ってきて、最後まで力になれないのは残念だけど、もう俺は…。
「礼央様、すみません。やはり私はもう、訓練は出来ません。」
翌日曜日、俺は早朝で仕事上がりのシフトだったけど、礼央様の朝食が終わるまで待たせてもらい、そう切り出した。
彼の左腕には、痛々しく包帯が巻かれている。
「何、怪我のことでも気にしてんの?」
ダラリとソファに横たわって、英語で書かれた論文のコピーに目を通しながら、彼は何でもないことの様に言った。
αの使用人に論文検索をさせて、彼は前々からよく調べ物をしていた。英語やドイツ語や中国語、色々な言語で専門的な文章まで読みこなす。
調べ物に集中すると話を聞いてくれなくなるので、タイミングが悪かったかもしれない。でも、この勢いで意思表示をしておきたかった。来月の訓練は、早めに他の方法を考えて欲しい。
「怪我のことだけではなく、礼央様はもう、無闇に頸を噛むことはありませんし、力の加減も出来てきています。後はもう、焦らず他の方法で訓練をして頂きたいんです。」
「…まぁ、考えとく。」
本当に考えてくれる気があるのかどうか分からないけど、とにかく意思表示はしたぞ。
「…すみません。今日はこれで、失礼します。」
「そうだ、シロ。今日からこの屋敷に部屋を用意するから、しばらくこっちに住めよ。」
「え……?」
何でそんな必要があるのかと、俺は文献を熱心に読む主を見つめた。1000坪を越える広大なこの屋敷には、多くの使用人達がいる。使用人用の寮も近くにあり、俺はそこから通っていた。
「腕が痛いから、側で俺の世話して?」
訝しむ俺に、礼央様が包帯の巻かれた左腕を上げる。
左利きの彼にとっては確かに不自由かもしれないが、執事として専門的な教育を受けた使用人が他にたくさんいるのに。訓練中に怪我をさせてしまったのは、俺の責任だけど…。
「…私で、お役に立つのでしょうか。」
「お役に立ちたくない?」
「そういう意味では…!」
礼央様は小さく笑うと、ソファの上で体を起こして俺の方を見た。
「じゃあ、今日中に準備しろよ。」
言い方に棘があった。いつも適当なことばかり言って飄々としている彼だが、今日はかなりイライラしている様だ。
「…わかりました。」
俺は仕方なくそう言って、彼の部屋を後にした。
それから俺は、疲れ果てていたせいか、寮ですっかり眠ってしまった。起きたらもう夕方で、慌てて簡単に身の回りのものをまとめ、夕食を済ませて屋敷へ戻る。俺に与えられた部屋は、いつも訓練をしている部屋だった。
礼央様の部屋と近い上に、怒涛の様な3年間を否応なく思い出してしまう。
落ち着かない気持ちで、寮から持って来た荷物をクローゼットへ仕舞った。寮の部屋も個室で、バストイレ別の十分なものだが、屋敷の部屋の造りはやたら豪華だ。ゲストルームの様な間取りになっており、キングサイズの天蓋付きの大きなベッドに、アンティークなソファセット、外国映画に出てくる様なバスルームが専用に付いている。
訓練は上手くいかないし、礼央様の機嫌は悪いし、明日からの勤務は気が重い…。
ベッドの上でゴロゴロしながらそう思っていた所に、お見合い相手の女性から、スマホにLINEのメッセージが届いた。
『真白さん、土曜日の夜勤お疲れさまでした。今日は、ゆっくり休めましたか?』
可愛いスタンプも添えてある。
『夕方まで寝てしまいました。夜、眠れないかも。」
返信すると、すぐに既読がついて、
『じゃあ、電話してもいいですか?』
メッセージが返って来た。
女性の、明るい笑顔を思い出す。前の彼女と別れて久しいため、女性とこんなやり取りをするのは久しぶりだ。
21時か。あまり遅くなって電話するのもと思い、俺から彼女に電話をかけようとした、ちょうどその時…。
電話が鳴って、一瞬彼女からかと思ったら、仕事の電話だった。礼央様が俺を呼んでいるということで、休みを返上して働くことになってしまう。
…気が重い。でも、待たせるとますます機嫌が悪くなってしまいそうだ。
俺は慌てて制服の黒いスーツに着替え、彼の部屋へ急いだ。
「礼央様、失礼します。」
ドアをノックして、室内に入る。彼は1人ベッドの上で、また何やら難しそうな学術雑誌を読んでいた。
日頃は、休みの日はクラブやらパーティーやらに遊びに出掛けていることが多いが、流石に怪我が痛むのか部屋で休んでいた様だ。
「シロ、引越し済んだ?」
そう言って、彼はいつも通りの飄々とした笑みを向けてくる。思ったより、ご機嫌は悪くなさそうだった。
少しホッとする。
「引越しという程ではありませんが、身の回りの物は運びました。何か御用でしょうか。」
「シャワー手伝ってよ。髪、洗えない。」
「え?…あ、はい。」
利き腕が痛むから洗髪が難しいのはわかるけど、俺より上手く出来る人が他にたくさんいそうだ。いや、でも訓練中の怪我の責任は俺にあるんだ。やったことはないけど、何とかやってみよう…。
段取りを頭の中で考え始めた俺を尻目に、礼央様はベッドから立ち上がるとさっさとバスルームの方へ歩いて行く。
俺は慌てて後を追いかけた。
「一緒に入る?」
「入りませんよっ!」
軽口をたたく彼のルームウェアのボタンを外したり、包帯の上から防水カバーを被せたりするお手伝いをして、腰にはタオルを巻いてもらう。
明るいバスルームで、改めて彼の均整のとれた綺麗な身体を目の前にすると、思わず見惚れそうになった。何だか、気恥ずかしい。
「ジャケットくらい脱げば? 濡れるだろ。」
「そ、そうですね…。」
俺は、スーツのジャケットを脱ぎ、カッターシャツの袖を捲った。シャワー用の椅子を流しながらぐるぐる考える。
何で男の裸なんか意識してるんだよ…。ここは銭湯だとでも思うんだ!いや、もうむしろ礼央様は綺麗な獣くらいに思ってしまえば、恥ずかしくない…!
俺は、礼央様の体をボディーソープで洗いながら想像することにした。俺が洗っているのは、ライオン。いや伝説のポケ○ン…。
そう思って、無理矢理自分を落ち着かせる。髪の毛をいい香りのシャンプーで洗いながら、
「力加減は大丈夫ですか?」
「んー、もうちょっと強く。」
「こうですか?」
「それは強すぎ。」
「これくらいですか?」
「あー、それくらい。シロ上手、上手。」
だんだんといつもの感じに戻って来た。普通に話をする分には、気さくで話しやすいんだけどなぁ…。髪を流しながら、そんなことを思っていると、急にシャワーを持っていた右腕を掴まれた。そして、思いっきりお湯をかけられる。
「なっ、何するんですか!?」
ビショビショにされて目を丸くする俺を、彼が楽しそうに笑いながら眺めている。
「シロがぼんやりしてるからだ。」
そう言って髪を掻き上げながら立ち上がった彼に見下ろされ、一瞬体が固まる。俺だって身長は170cmあるけど、相手は190cm近い。俺の周りには彼ほど背の高い人物が他にいないため、圧倒的な威圧感を感じる。
それに何なんだよ、18歳の高校生にしてこの色気…。
濡れてると余計に際立って、さっきまで猛獣を洗っているつもりだったのに、また変な気持ちにさせられる。
「あとは、ご自分でお願いしますっ!」
俺は咄嗟に彼から目を逸らして、バスルームを出ようとした。でも、すぐに背後から長い腕が伸びて来て抱きしめられる。
「濡れちゃったし、脱いだら?」
頭の上から降ってきた声の艶っぽい響きに、よくないものを感じた。彼がよく遊び歩いているのは知っている。でも、俺にこういう雰囲気を出してくるのは、訓練の時だけだった。そしてそれは、俺の体が勝手に反応し始めてからだ。
俺が意識するから、面白がられるんだ…。
「離してください。」
俺は努めて平静を装った。淡々と、事務的に…。自分に言い聞かせる。俺のそんな様子に、彼が小さく笑う気配がした。
「ごめんごめん。昨日の傷、どうなってるか見たいだけだから、脱いでよ。」
彼はいつも、俺の傷痕を管理したがる。やたら舐めようとするし、傷フェチなのかもしれない。
「…舐めるから嫌です。」
「消毒みたいなもんだって。」
「いつの時代の話ですか…。」
「最新の科学に基づいてるけど?」
サイエンス系の論文なんかをよく読んでいる彼に言われると、冗談なのか本当なのかよくわからなくなるが、シャツの襟首を引っ張られ、首筋の傷のガーゼを剥がされた。濡れていて簡単に剥がれてしまう。
「だから、やめてくださ…っ!」
シャツのボタンを外されながら、首筋の傷をなめられた。
やっぱり獣だ。ライオンが仲間の傷でも舐めるみたいだった。
「あっ………!」
はだけられたシャツの下の、昨日噛まれた左の乳首を指でなぞられ、思わず変な声が出た。慌てて口を塞ぐ。
血が滲むくらい噛まれたせいで服に擦れると痛くて、絆創膏を貼っていた。それを一気に剥がされる。
「シロ…。」
名前を囁かれながら、昨日ガッチリ噛まれた耳介の傷を、温かい舌で舐められると、ゾワゾワした変な感覚が背筋を駆け抜けた。
同時に傷ついている左の乳首を直接指で触られて、全身から力が抜ける。思わず前のめりに倒れそうになった所を、彼に支えられながらゆっくりバスルームの床に座り込んだ。
「やめ、やめてください…!」
何で俺は、傷口を舐められて変な気持ちになっているんだ? 痛いだけのはずだろ…。
訓練で噛まれた時みたいに、体が言うことをきかない。確かに痛いのに、それとは違う妙な感覚に支配される。
だめだ、やっぱり何かがおかしい。
「シロ、いい匂い…。」
彼が俺の頸に鼻をくっつけてきた。訓練の時も、たまにこういう仕草をする。まるで、ヒートの時みたいじゃないか…?
「もうそろそろ、やめましょうか。」
体に力が入らなくて、俺は宥める様に声をかける。訓練の時は、こういう声掛けが一番効く気がする。
とにかく、早く彼から離れないと…。
そう思っていたのに、背中に硬くなったものが当たって、俺はビクリと固まった。
まさか、そんな…。
「こっちも手伝ってよ。」
腰を押し当てられて、息を飲んだ。手伝うってナニを…?
「…挿れてもいい?」
「いいわけないじゃないですかっ!」
揶揄われているだけだと思っていたのに、ついに使用人にまで手を出すつもりなのだろうか? 俺は男で、Ωでもないんだぞ。彼にとって俺はΩみたいな匂いがするらしいけど、この3年間、ここまで怪しい雰囲気を感じたことはない。
訓練もだんだんおかしな方向に進んでいるし、何なんだよ…。
「礼央様、Ωを呼びましょうか? 私は、こういうことは出来ません。」
そう言って、何とか自力で立ちあがろうと膝立ちまではしたけど、彼の力が強すぎて結局それ以上動けなくなる。
「ごめんごめん。じゃあ挿れないから、口でして?」
何でそうなるんだ!?俺は入浴の世話をしに来ただけなのに。いくら怪我は俺の責任でも、これはパワハラなんじゃないか??
「出来ませんよっ!」
「口開けるだけでいいから。」
青ざめて立ちあがろうとした所を彼に引っ張られ、座っている彼に向かって、四つ這いの格好になった。目を細めて俺を眺める礼央様に頭を撫でられて、ゾクリとする。
表情は笑っているはずなのに、有無を言わさない威圧感だった。うそだろ…。目の前に突きつけられた雄に、息を呑む。
「早く。」
撫でられていた髪を掴まれた。まるでヒートの時みたいに、乱暴だ。俺のこといい匂いって言ってたけど、何か関係があるのだろうか?いや、そんなはずない。俺はΩじゃないし、発情もしてない…。
言われるがまま、仕方なく口を開けた。そのまま、頭を動かされて口の中に彼のモノを入れられる。く、苦し…っ。
「歯をたてるなよ。」
俺のことは散々噛むくせに…!噛んでやろうかとも思ったけど、彼はとにかく獣(けだもの)なんだ。うまくやらないと大変な目に遭うことは、この3年でよく分かっていた。
「んっ…う゛ぅ………!」
右手を床について、少し浮かした腰を動かし始めた彼に、俺はもうひたすら耐えるしかなかった。頭を押さえられたままで、逃げ場がない。
あ、顎が痛い…早く、終わってくれ…!
「シロ、こっち見て。」
涙目になりながら、礼央様を見た。彼の情欲に浮かされた目が、俺を捕らえる。
「出すから、全部飲めよ…っ!」
む、無理だ…!!
次の瞬間、口の中に出されて、彼の味と匂いでいっぱいになった。そのまま口元を掌で覆われ、本当に飲むことを強要される。俺は吐き出すこともできなくて、ドロリとした彼のモノを飲み下した。性液を飲まされるなんて、いくら主だからって許されるのか…? αだったら、何してもいいのかよ…?
最低最悪の気分で呆然としていた時、ズボンの後ろポケットに入れていたスマホが鳴った。つい仕事の条件反射的で、手に取る。
彼女からの電話だった。そうだ、LINEで『電話していい?』ってメッセージが来てたんだった…。最悪のタイミングに固まっていると、彼にスマホをさっと取られる。
「な、何するんですか!?」
慌てて取り戻そうとする俺を制止して、彼が電話に出た。
『もしもし、真白さん?』
「シロは俺のなんで、もう連絡してこないでください。』
目の前のやり取りに、一瞬頭がついていけなかった。
礼央様は、そのままブチっと電話を切ってしまう。
「れ、礼央様!?」
今の、何だ…?
「昨日、会ってた女だろ?」
スマホを俺のズボンのポケットに戻しながら、彼が言う。
俺は驚きすぎて、声も出なかった。そういえば、昨日の訓練でも、俺が彼女と会っていたのを知っている様なことを言われた様な。何で、知ってるんだ…?
「シロの外出にはガードをつけてる。何かあったら、危ないからな。」
「な、何かって…。」
ガードって、ガードマン…?俺の行動は、監視されていたのか…?耳を疑った。そんなこと全然気づかなかったし、そもそも俺に、何の危険があるっていうんだよ。
「多分あともう少しで、わかるから。」
また頭を撫でられたけど、俺には、全く意味がわからない。
「…俺がシロに何年かけてると思ってんだよ。そんな女に、取られてたまるか。」
そう呟いて、濡れた髪をかき上げながら礼央様が立ち上がる。そして、座り込んでいた俺の手を取り、立たされた。そのままタオルを渡され、
「あとは自分でするから、シロも部屋に戻って風呂にでも入れよ。風邪ひくぞ。」
そう言ってまたシャワーを浴びはじめた彼に、それ以上俺は何も聞けなくなってしまった。この場にいるのも居た堪れず、俺は逃げる様に部屋に戻った。
何なんだよ、何なんだよ…。
自分の部屋のシャワーを浴びながら、俺の頭は混乱していた。冷えていた体が、だんだん温まってきて、思考が巡りはじめた。
何かがそのうち分かると言われた。
まるで、彼女に嫉妬したみたいにも見えた。
あの、礼央様が…?
多少のお触りは、揶揄われているだけだと思っていたけど、わざわざ俺の行動まで監視していたなんて。
初めて会った時に、『いい匂いがする』と言われたことを思い出した。αとΩの世界なら、あれはαからの求愛みたいなものだ。相性が良いαとΩは、発情期じゃなくても互いに惹かれ合うと聞いたことがある。
でも、俺はΩじゃない。それに、礼央様のことをそういう目で見たことは…ない、はず…。
彼に触れられると、体が反応するのは確かだ。最近は、必要以上に意識してしまう。だからもう訓練も続けられないとか、側にいない方がいいとか思っていたわけだし…。
俺、礼央様のこと好きなのか…?
男に触られて反応すること自体、普通ない。
3年間育ててきた猛獣、そう思っていたのに…。
命懸けで宥めているうちに、情がうつったのだろうか?
社会人になって初めての仕事で、無我夢中だったことは確かだ。礼央様の苦しそうな顔を見る度に、俺が何とかしないと、とか、彼がこんな思いをしなくて済むよう力になりたいとは思いつづけてきた。
まだ15歳だったのに、初めて会ったときからすでに俺より大きかった彼の姿を思い出す。
でも、中身はまだ幼かった。はじめは、可哀想だと思ったんだ。無理矢理あんな訓練をさせられて…。
体だけ否応なく熱くさせられて、心もそれについていけたらいいけど、彼の場合は違って見えた。体と心がバラバラになって、苦しそうだった。
その怒りをぶつけるみたいに体中を噛まれて、それを受け止める度に俺は…。
生傷が疼き出す。その痛みを自覚すると、ふと、俺の下半身が熱をもっていることに気がついた。
あぁ、やっぱりもうダメだ…。
いくら欲求不満でも、普通は女性の裸とかを想像しないとこんな風にならない。
ゆるく勃ち上がる自分自身にショックを受けながらも、欲望に逆らえずに手を伸ばした。
自分で刺激しながら、頭の中を巡るのは彼のことばかりだ。
完全にダメだ…。公私混同もいい所だ…。
そう思いながらも、体が全く言うことをきかない。
俺は自分の精を吐き出し、何ともいえない気持ちに襲われた。
シャワーを冷水に変え、これからどうしようと項垂れる。
このままでいいわけない。俺はβで、Ωじゃないんだ。多少その要素があっても、違うものは違う。将来有望なαとβの使用人の俺とじゃ、釣り合うわけがない。俺は、他の人を好きにならないと…。
シャワーを終えて、もう遅かったけど彼女に電話してみた。
彼女は電話に出てくれて、俺は開口一番さっきの電話のことを謝った。
友達がふざけただけだと言い訳をして…。
彼女はあまり深く追求せず、また会う約束をしてくれた。次の休みに会うことにして、俺は電話を切った。
何かがそのうちわかると言われたことは気になるけど、とにかくこのままじゃ、ダメなんだ…。
結局あまり眠れないまま、翌朝になってしまった。
あの部屋にいると、この3年の訓練のことばかり思い出してしまってしょうがない。
礼央様に言って、部屋を替えてもらおう。というか、寮に帰らせてもらおう…。
寝不足のせいかぼんやりしながらも、俺はいつも通り仕事をこなした。訓練以外は、普通の使用人の仕事をしている。必要な物品の管理や発注、クリーニングやらの外部業者とのやりとり、簡単な掃除なんかの雑用…。
仕事に追われていると、スマホが鳴った。また、礼央様が俺を呼んでいるらしい。今日は月曜日で学校があるはずだけど、どうやら怪我で休んでしまった様だ。
今度は、何をさせられるんだ…。
重たい足を引きずって、俺は礼央様の部屋へ行く。
「失礼します。お呼びでしょうか。」
部屋へ入ると、礼央様はルームウェア姿のまま、大きなソファの上でゴロリと寝そべっていた。テーブルの周りには、お菓子類が散らばっている。
「暇だから、ちょっと付き合えよ。」
「仕事中ですので…。」
「あ~腕痛い。学校も、ちょっとしんどくてさー。」
「………。」
腕が治るまでは、我儘に付き合うしかなさそうだ。
また何かされたら困るな…。手招きされたが、つい警戒してしまい、床に落ちていたお菓子のゴミを拾ったりしてグズグスしていると…。
「何か警戒してる?」
彼の端正な顔に、面白がる様な笑みが浮かぶ。
刺激しちゃいけなかった。淡々と、いつも通りにしないと。
「礼央様、お菓子のゴミはゴミ箱に捨ててください。」
いつも口を酸っぱくして言っている台詞を口にすると、彼が体を起こしてソファに座る。
「後でまとめて捨てまーす。」
「そんなこと言って、いつもそのままじゃないですか。」
「シロ、ここ座れよ。」
いつもの雰囲気に戻したいのに、失敗した。彼に、隣に座るよう言われ、
「…失礼します。」
渋々、彼の隣に座った。意識しちゃいけないと思っても、物理的な距離が近くなると体が勝手に緊張する。
「…あの女と見に行った映画、面白かった?」
彼が、リモコンを操作しながら呟いた。大きなテレビに、映画のコンテンツが表示される。
「礼央様、そのことなんですけど…。」
「恋愛もの見たんだっけ? シロの趣味?」
映画を選んだのは彼女だった。何の映画を観たかまで、報告されているのか。
「…礼央様は、どんな映画がお好きですか?」
どう答えたらいいかわからないけど、とにかく動揺したくなかった。そんな俺の様子を面白がるみたいに、彼が膝の上に寝転んでくる。
「年頃だから、恋愛ものも好きだけど?」
大型犬が甘えてくるみたいに、膝の上で落ち着くポジションを探す彼に、心臓が早くなってくる。
「シロは? 何か好きなやつ選べよ。一緒に見よう。」
リモコンを渡されて、とにかく短い映画にしようと再生時間を見ながら必死に選んだ。よく分からないけど、暴走列車を止めるアクションもの。これにしよう。
見始めると意外と恋愛要素があって、しまったと思った。
礼央様は、俺の膝の上でお菓子を食べながら大人しく観ている。
「俺もシロと、映画館行きてー…。」
「…それは、無理ですよ。」
礼央様が単なる使用人と2人で映画館なんて、他の使用人達に何と説明するのか。
「…考えたんだ、シロをずっと側に置いとく方法。」
「礼央様?」
「シロを俺のΩにする。」
な、何を言い出すんだ…。信じられない気持ちで、膝の上の主を見つめた。頭が良すぎて、逆におかしくなってしまったのかとさえ思う。
「色々調べたんだ。Ωホルモンのコントロールについて。」
彼が、科学論文をよく読んでいる姿を思い出した。でも、βをΩに出来るなんて、そんな話は聞いたことがない。
「無茶なことを…。」
つい素直にそう言った俺に、彼は俺の膝の上で仰向けになった。
「無茶なんかじゃない。バース性の後天性についての研究は、割とあるよ。皆それぞれ、素因を持ってる。でも、Ωは特に稀少だ。その発現条件とか…。」
後天性?確かにバース性は思春期に発現するものだ。でも、一般的には先天性のものだと言われている。後天的にコントロールできるかもしれないっていうことなのか…?
「礼央様、仮に後天的にコントロール出来るとしても、私はもう26歳ですから、無理ですよ。」
思春期を過ぎた自分がΩにされるなんて、そんなことあり得ない。
「この3年間、少しずつ試したんだ。相性もあるけど、αの体液は、Ωホルモンを活性化する。傷を舐めたり、深く噛んだり…。もっと手っ取り早い方法もあるけど、シロが嫌がるだろうから、時間をかけた。」
手っ取り早い方法は、想像すると恐ろしかった。昨夜みたいに、精液を飲まされたりとか、そういうことだろうか。
「同意なくΩにされたら、誰でも困りますよ…?」
やんわりと言ってみたけど、勝手にβをΩにしようとするなんて、人権侵害レベルの問題だ。
「もちろん、一方的にコントロールなんて出来ない。αに出来るのは、刺激を与えることだけだ。βの体が応えてくれないと、成立しない。」
「…体が応える?」
彼に触れられると、言うことをきかなくなる自分の体のことを思い出した。応えたって、まさか…。
「βが反応するかどうかは、心理的な問題も関わってくるし…。」
心理的な問題って、そんなこと言われたら…。
「礼央様、Ωにならなくても側にいることは出来ます。使用人としてなら…。」
導き出される結論を聞くのが、怖かった。
彼が、色素の薄いヘーゼル色の瞳で俺を捕らえる。
「男同士だから、身分が違うから、αとβじゃ釣り合わないから?」
まるで、責められているみたいだった。
礼央様のことは、大切に想っている。だからこそ、そう思うことは、間違っているのか?
「礼央様には、幸せになって欲しいんです。どうか相応しい人と…。」
「シロが、好きだ。」
迷いのないまっすぐな眼差しに、体が動かなくなった。
彼が、俺の肩に両腕をまわす。そのまま抱きしめられ、彼の唇が触れた。抵抗できずに舌を絡め取られ、こんなのダメだと思うのに、やっぱり体は言うことをきかない。
「βの常識なんて知らない。俺のΩになってよ。」
Ωになるなんて、そんなの無理に決まっている…。
「無理ですよ、そんなこと…。」
「もうすぐ分かるさ。…だってシロ、いい匂いがする。」
暗示をかけるみたいに囁かれて、俺は慌てて礼央様の腕を解いて立ち上がった。
「す、すみません、失礼します…!」
それだけ言って、足早に部屋を出る。
朝から感じていた体の怠さが、ますますひどくなってきた。熱でも、出そうだ…。
夕方になり、やっともうすぐ仕事終わりだと思っていた頃だった。賑やかに騒ぎながら、5人グループの若者達が屋敷の廊下を歩いてくる。礼央様と同じ学校の制服を着た彼らは、何度も屋敷に遊びに来たことのある顔ぶれだった。礼央様のご学友で、彼らもまた家柄の良い優秀なα達だ。とはいえ、年頃になり悪い遊びも覚えた様で、一緒に夜遊びをする仲間達でもある。
ちょうど礼央様の部屋の前で出くわし、俺は彼らに頭を下げて挨拶をした。
「あんたちょうどいいや、礼央どこ行ったか知らない? 見舞いに来たんだけど、部屋にいないみたいだからさ。」
「すぐにお呼びしますので、サロンの方でお待ちください。」
俺は、客人を通すためのサロンへ彼らを案内することにした。礼央様に連絡してみたが、応答がない。他の使用人に聞くと、トレーニングルームではないかという話だった。確かにマシンを使っていると、連絡に気づかないことがある。
他の者に、トレーニングルームまで声をかけに行ってもらい、俺は彼らの相手をすることになった。
「礼央の怪我、どんな感じですかー?」
「利き腕を怪我されたので、不自由な様です。」
「ってか、何で怪我なんてしたの?」
「詳しいことは、私にはちょっと…。」
サロンで彼らにお茶を出しながら、色々と聞かれ、気まずい思いをする。訓練のことは、絶対に秘密だ。
「あんた、Ω?」
ふいに、彼らのうちの1人に言われ、俺は耳を疑った。礼央様以外のαから言われたのは、初めてだった。
「礼央の奴、いくらΩ嫌いだからって、Ωを使用人にしてるの?さすが、贅沢だね。」
「いえ、私はΩじゃありませんから。」
慌てて否定する。
「え、Ωでしょ?なぁ?」
「えー? そうか?」
5人全員ではないけど、顔を見合わせて笑う彼らに、ゾッとした。ホルモンコントロールなんてものが、本当に成立しているのか…?
「なんかあんた、傷だらけだね。耳とか。」
そういえば、体の傷はスーツで隠せても、耳もだいぶ噛まれたんだった。ハッとして、つい顔が熱くなる。
「激しい彼氏か彼女でもいる? それとも、ご主人の礼央?」
「あはは、何だよ。礼央の奴、Ω嫌いなんて珍しいこと言ってる割に、やることやってんのかな?」
彼らが勝手に盛り上がり始めた。確かに噛んだのは礼央様だけど、ここはハッキリと否定しておく。
「違います!! これは…。」
うまい言い訳が浮かばず口籠る俺に、どんどん収集がつかない雰囲気になっていった。
「執事プレイか何か?楽しそー。俺らのことも、もてなしてよ。」
彼らのうちのひとりに、腕を引っ張られる。悪ノリとはこのことだ。
「やめてください。私はΩじゃありません!」
「本当にΩじゃないかもよ? やめてやれよ。」
制止する意見を聞かずに、悪そうな表情をした奴が俺の襟元を引っ張った。
「うわ、あんた首も傷だらけじゃん!」
首筋の辺りの傷を見られた。どんどん好き勝手にし始めた彼らに、内心俺は焦り始める。
「ち、違います、これはペットの猫に噛まれて…。」
苦しまぎれの俺の台詞に、一瞬彼らはポカンとして、その次の瞬間盛大に笑い始めた。
「何だよそれ!猫って耳噛む?」
「どちらかというと犬かも。」
「耳と首噛むって、どんな狂犬?」
…変なこと言わなきゃ良かった。腹を抱えて笑う彼らから離れ、どさくさに紛れて部屋を出ようとした俺を、さっきの悪そうな奴が追いかけてくる。
「待ってよ、執事さん。もうちょっと、お話しよ?」
肩を掴まれて、ゾッとした。相手は高校生なのに…。以前見かけた時は、こんな印象は受けなかったはずだ。αって、こんなに威圧感あっただろうか…?
「Ωなのに首輪もつけてないじゃん。大丈夫?」
「だから、Ωじゃないですって!!」
もう、敬語すら曖昧になってきた。早く礼央様が来てくれることばかりを考える。
今更だけど、凶悪な彼女に噛まれたことにでもしておけば良かったと後悔した。そうしたら、こんなに絡まれなかったかもしれないのに…。
「首輪買ってやるから、俺の所来ない?使用人じゃなくて、もっといいことさせてやるよ。」
ニヤニヤした顔で見つめられて、鳥肌が立った。Ωって、こんな目で見られるのか…?
βの俺は、今まで知らなかった目の色だった。肉食獣に狙われた、草食動物の気持ちがわかる気がする。
本能的な恐怖に、体が凍りついた。その時…。
「おい、何やってんだよ。」
部屋の温度が急降下しそうなくらい、不機嫌そうな礼央様の声がして、目の前の男がハッとした表情をした。
「あれ、礼央じゃん。思ったより元気そうだねー。」
俺を掴んでいた手をさっと離すと、礼央の方へ近づいて行く。仲間達は、決まりの悪そうな顔をして静観していた。
「…シロ、もう下がれ。」
そう言われて、俺は後ずさる様にしてサロンを出た。
サロンを出た後、器物破損した様な派手な音が聞こえたけど、構わず俺は自分の部屋へ戻った。心臓が、嫌な音をたてている。
…怖かった。
Ωだと言われたこともショックだし、αからあんな目で見られたのも初めてだった。
どうしよう、俺の体はどうなってるんだ…?
部屋の中に入るなり、ドアに背を預けて床に座り込んだ。
礼央様は、刺激を与えただけだと言っていた。応えたのは俺自身だと。もう、自分で自分の気持ちも体も、コントロールできない。
朝から怠かった体が、どんどん怠くなってきた。体中が熱い。熱でも出てきたのか…? そう思ったけど、何かが違う。何だ、この感じ…? 体中熱いけど、それだけじゃない…。
「何だよ…これ…。」
思わず両足をギュッと閉じる。ドクドクと脈打つ自身の欲望に、体を丸めた。内側から疼くように、体が欲情している。嫌だ、嫌だ、何だよこれ…。
Ωの発情、かもしれないと思った。一瞬、どうしたらいいのかパニックになる。いや待てよ、確かΩには発情してしまった後に使える特効薬があったはずだ。注射型で、打てばすぐに発情がおさまると学校で習った。屋敷にも、確か備品倉庫にあったはず。
早く、取りに行かないと…。
俺は、ドアにすがって立ちあがろうとした。でも、痛いくらい自身が勃ち上がっていて、歩けそうにない。
嘘だろ…。
強制的な体だけの発情に、全く気持ちがついていかない。
誰か上の人に事情を話して、持ってきてもらうしかない。俺は、信頼出来そうな人の顔を思い浮かべた。上司にあたる人は、ほとんどαだ。まさかと思うけど、ヒートになったりしないよな…? 礼央様の友達の、肉食獣みたいな目を思い出す。同僚のβの方が安全かもしれない。Ωだと知られることになるのは抵抗があるけど、他に選択肢がない。
そう思い、スマホを手に取った時だった。
「シロ、あいつらが悪かったな。殴っといたから。…大丈夫?」
ドアの向こうから、礼央様の声がした。聞きなれた声のはずなのに、脳に、甘い痺れが広がる様に聞こえる。
「は、はい…っ。」
何だよ、この感じ…。息が上がる。
しばらく間があいて…、
「……シロ、辛いだろ?」
まるで、全部わかっているみたいな言い方だった。
「だ、大丈夫です、から…っ。」
そう言われて、本当にΩの発情だと思った。
少しでも離れないと、彼がヒートになってしまうんじゃ…。ドア越しの気配から、床を這う様に遠ざかる。
「大丈夫なわけないだろ。特効薬が、ベッドの隣の棚の中に入ってるから。」
彼の言葉に、俺は何とかベッドまで這って行った。
大きな天蓋つきベッドには、両隣に棚がある。どっちかわからなくて、とりあえず右側から探した。見当たらない様な気がして、反対側に行こうとしたその時…、
「シロ、特効薬あった?」
背後のドアが開く気配に、ビクっと体が震えた。
鍵は閉めたはずだ。そんな、何で…?
「かぎ、は…?」
「シロに、いつ何があってもいいように、鍵は俺も持ってるんだ。」
そう言って、ドアを後ろ手に閉めた彼の姿を見た瞬間、時が止まった。
それは、強烈な一目惚れの様な感覚だった。初めて会ったわけでもないのに…。
脳の無意識の領域から送られてくる、言葉では説明できない直感…。
この人だ…。確かに、この人が、俺の…。
近づいてくる彼の姿が、まるでスローモーションの様だった。瞬きも忘れて見つめ続ける俺に、彼が端正な顔で笑う。
「シロにも分かっただろ? αとΩにはこういう〝特別〟があるんだよ。」
強く抱きしめられて、その体温と感触と匂いに、頭が痺れる。
「…俺のシロ。」
彼の眼差しが、変わった。ヒートだ…。
ベッドに押し倒されて、スーツを引きちぎる様に脱がされる。
「と、特効、薬は…?」
「…どこにあったかな。俺の番になったら、あげるよ。」
〝番〟…? そんな、番なんて一生ものの決断だ。
「好きなだけ、噛んでいいですから…、ヒートを、治めてください…!」
「頸も噛んでいい?」
そういう意味じゃない…っ!
体の熱に理性を失いそうになりながらも、急に大きな決断を突きつけられて、頭が混乱する。
礼央様を好きなのは、もう認める。でも、番となると流石に怖かった。
βの恋愛には、そんなもの存在しないんだ。一生を捧げると互いに誓うことはあっても、それは目に見えない心の繋がりの問題であって、番なんていう本物の縛りはない。
「まだ迷ってるんだ? シロは意外と物分かりが悪いな。」
礼央様の眼差しが険しい。ヒートの姿を何度も見てきたけど、ちゃんと理性を保っている分、違う怖さがあった。
獣扱いできない、怖さ。
知らず知らず震えてきた俺に、彼が綺麗な顔で笑う。
「怖くないよ?この日のために、訓練してきたんだ。シロを、壊したりしない。」
「もう少し、時間を…、待ってくださ…。」
「3年も待ったのに?」
傷ついていた左の乳首を、きつく噛まれた。
痛いのに、電気みたいにビリビリした快感が走る。
初めての発情に、理性はもう飛びそうだ。でも番なんて、考えれば考える程、怖かった。礼央様は、ただのαじゃない。あの藤堂グループの若き後継者だ。こんな人の番になったら、俺の人生って一体どうなるんだ…?使用人兼、愛人?
だめだ、想像できない…。こんな状況で、もう考えるのは無理だ…。でもこんな、なし崩しに番なんて…。
「すみません…。あなたが欲しくて、もう何も、考えられません…。番のことは、時間を、ください…。もう、抱いてくださ…っ。」
言い終わらない内に、キスされた。貪る様に求め合う。気持ちいい…。キスだけで、イキそうだった。
「結構、上手いこと言うんだな、シロ。」
ただの本心だ。本当にもう何も考えられない。ただ、彼が欲しい…。
「好き、好きです…!」
自分から、彼の首に両腕をまわした。
「…あ~、可愛い…。首輪買わないとな。」
彼が、俺の肩に噛みついた。痛いけど、愛おしい痛みだ。
ヒートでも、彼はちゃんと俺の話を聞いてくれるんだ。
すごい、訓練の成果だ。
勃ち上がっていたモノを刺激されながら、後ろに指を入れられる。
「シロ、濡れてるのわかる?」
「っ………!」
グチュグチュと湿った音がする。
「俺のために、シロの体が変わったんだよ?」
体が、変わってしまった…?彼を、受け入れるために…?
怖くて、恥ずかしくて、でも気持ちよくて…、縋る様に礼央様を見つめた。
「可愛い…、俺のシロ。」
キスされながら、中を少し掻き回されるだけでそこは甘く疼いた。徐々に指を増やされながら、我慢できずにイってしまった俺に、
「…俺も、もう限界。」
切羽詰まった様に彼が言う。
両足を抱えられて、熱いモノが押し当てられる。
「ひっ、あ゛ぁぁ………っ!!」
ヒクつく内壁を押し広げながら、彼自身が入ってきた。
ものすごい存在感に、反射的に腰が逃げそうになる。
「大丈夫だから。もうトロトロだし、飲み込めるよ。」
ガッチリと腰を掴まれて、ゆっくりと腰を進められる。
「あ゛、あ゛、ぁあ゛………っ。」
腰が、溶けそうだ。欲しかったものを与えられた様に、体が悦んでいる…。
挿れられただけで達した俺に、彼が瞳を細めた。
ペロリと舌なめずりをして、
「…ちょっと、加減できなくなってきたかも。ごめんな、シロ。」
そう言うと同時に、腰を奥まで一気に進めた。
「っ……、あ゛ぁぁぁ…………!!」
激しく腰を動かされ、イクのが止まらなくなる。
突かれる度、脳天を突き抜ける様な快感が走り抜けていく。
「あ゛ぁ!…いやだ、…あ゛あ゛あ゛……!!」
休むことも許されず、イキ続ける苦しさに、頭がついていかない。目の前に星が飛んだ。
もう、気持ち良すぎて苦しい…、もう無理だ……!!!
もう何回イッたか分からない。
こんなに達したのに、精液なんてもうほとんど出ないのに、どうして体の熱が治まらないんだ…?
欲しい、もっと、彼が欲しい…。
「助け…、たすけて……っ。」
泣きながら懇願する俺を、礼央様は容赦なく責め続ける。
体中を好き勝手に噛みながら、彼も何回か達していたけど、本能のまま中に出したりはしなかった。
Ωは男でも妊娠するんだっけ…と、途切れそうな意識の中で思う。
「気持ちよさそうだね、シロ…。」
もう、問いかけに答えることすら出来なかった。
「首輪の色は、やっぱり白が似合うかな…。」
俺の首の辺りを撫でながら、彼が目を細める。
「それとも観念して、番になる?」
答えを促す様に意地悪く腰を動かされ、また快感が突き抜けた。番になれば、助けてもらえるのだろうか…?
「聞こえてる? 返事もできないか…。」
彼が無理矢理、頸を噛もうと思えば、抵抗なんて出来ない。そんな力は、どこにも残っていなかった。
「俺達はもう、離れられない。…わかるだろ?」
頸に近い首筋の辺りを舐められる。
激しく求め合う、αとΩの特別な繋がり…。
こんなの、知らなかった。一生わからないはずだったのに。
「まぁ、シロが待てって言うなら、待ってあげてもいいけど…。」
すごい、訓練の成果だ。ヒートの彼だって、俺と同じくらい色々暴走しているはずなのに、こんなに理性を保っていられるなんて…。待ってくれるなんて…。
「シロの言い訳は、全部想像つくけど。まぁ、俺から逃げられるなんて、思うなよ?」
そう言って凶悪に笑った彼が、また俺の体に噛みついてくる。彼はやっぱり、獣なのかもしれない…。
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