君の筋肉に恋してる

黛 ちまた

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016.外腹斜筋の崩壊は突然に その2

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 足元が大きく縦に揺れて、それからも少し揺れは続いた。慌てて近くにある丈夫そうなものに掴まる。
 震度4とか5だろうか? 横揺れじゃなく縦揺れだから大きく感じるのか、そうじゃないのかもよく分からないけど。

「リサ様!!」

 それから空が壊れた。ガラスの破片のような物が降ってくる。
 アイリスが私を庇うように覆いかぶさってきた。アイリスが怪我をしてしまう! 彼女を引き剥がそうとするのに、強い力で上から押さえられてしまう。

「…………?」

 予想していたような物は降って来なかった。
 アイリスも同じように感じていたらしく、力が緩んだ。
 二人で空を見上げると、まだキラキラしたものが降って来る。
 何だか分からないけど、キレイだと思って見上げていたら、再びアイリスの手に力がこもった。

 空に、黒い点がいくつも見えた。その数は見る間に増えていく。

「魔物だ! 魔物が入って来た!!」

 怒鳴るような叫び声がして、一瞬にして緊張が走る。
 さっきから降ってくるこれ、もしかして結界の破片……?
 アユミちゃん、失敗したのかしら……? あの子は大丈夫なの?

「リサ様、後ろの扉から逃げましょう。建物の中に入れば安全な場所まで逃げられる筈です」

 アイリスが言った。彼女の視線は空に向けられている。空には翼のある生き物がいた。魔物、なのだろうと思う。
 何処かから丸く赤く光る球がいくつも飛んで行き、魔物に当たる。ボタボタ、と何体かの魔物が地上に落下して行った。魔法って奴かしら?
 仲間をやられた事に腹を立てたのか、かなりの数の魔物がそっちに向かって飛んで行く。

 アイリスが何度も扉のノブを回す。
 さっきの衝撃で歪んでしまったのか、扉が開かない。

「そんな……っ!」

 あちこちから悲鳴や、叫び声が聞こえる。
 その時になって初めて、そうだ、ここは異世界だったのだと思った。それまで文化の違いみたいな物はあったけど、言葉が通じて、常識的な物も自分の知るソレと大差無かった。
 だから、本当の意味では、分かってなかった。
 ここは、私の生きていた世界と違うんだって事に。

 黒い影が私とアイリスを覆う。
 振り向くとそこには、大きな鷲のような羽根を持った猛獣がいて、私とアイリスを見ていた。
 獲物を狙う目。赤い目はサーシャ殿下の物とは違って、黒く澱んでいて、ギラついている。
 アイリスが息を吸った。
 彼女はなんだかんだ言って貴族のご令嬢で、こんな魔物になんて会った事なかっただろうと思う。私だってないし、動物園のライオンや虎と、檻であったり、網越しであっても恐怖心は少なからず抱いた。
 猛獣と同じように獰猛かも知れない魔物が、障害物も無い状態で、目の前にいて、私達を獲物と認識してる。
 身体が震える。
 怖い、怖い、と全身が訴えてくる。
 アイリスを庇うようにして前に立つ。

 このまま食われるのは、シャクに触るから、鼻っぱしらでも叩いてやろうかしら。そんな事したら苦しめて殺されたりするのかしら?
 視線を逸らさないまま、パンプスを脱ぐ。

「り、リサ様……何を……」

「女は度胸よ」

 どっちにしろ殺されるなら、抵抗してやる。
 そのまま食われてなんてやるものか。

 遠慮なく私達に近付く魔物。そりゃそうよね。私達、全然強そうじゃないものね。
 手に持ったパンプスをぐっと握る。
 膝が笑ってる。本能的な恐怖なのだと思う。
 でも、気持ちだけでも、ちょっとでも負けたくなくて、睨み付ける。
 まぐれでいいから、当たって欲しい。

 ほんのすぐそばまで来た魔物が、腕を振り上げた瞬間、アイリスが悲鳴をあげた。

「きゃああああああああああああっ!!」

 パンプスで魔物の鼻っぱしらを叩こうとした私の腕は空を切った。
 魔物が吹っ飛んだのが、スローモーションで見える。
 何かが視界の端に入り込んで、魔物にぶつかった。

「うおおおおおおおおおおっ!!」

 低く、怒りを含んだその声は、聞き覚えのあるもので。
 魔物を組み伏せたその大きな背中も、何度も見た事のあるものだった。

「レオ様……っ!!」

 半分に折れてしまった剣を、魔物に突き立てる。魔物も必死に抵抗する。そのたびに赤い血がレオ様から飛び散った。
 獣王との戦いの為に、大した装備をしていないレオ様の身体を、魔物の爪が容赦なく傷付けていく。
 魔物がレオ様の身体をはじき飛ばす。すぐにレオ様は起き上がり、魔物を睨み付ける。

「レオニード!」

 サーシャ殿下と王太子がやって来た。護衛を連れて。
 私達のいる場所は、少し高い位置にあるものの、登れない高さではない。
 王太子が剣をレオ様に渡すと、サーシャ殿下と目で合図をしたレオ様が魔物に斬りかかった。
 殿下の手から飛び出した魔法と思われる光の球が魔物に命中し、怯んだ魔物にレオ様の剣が攻撃を繰り出す。

「怪我はないか」

 王太子が私とアイリスの周りを護衛で囲んでくれた。
 まだ何も片付いていないのに、見慣れた顔を目にして緊急が途切れたのか、脚の力が抜けてその場に座り込んでしまった。

「リサ様!」

「リサ!」

 アイリスが私を守るように抱きしめる。彼女の手も、まだ震えていた。抱き締め返す。
 守ってくれてありがとう、アイリス。

 そうしてる間もレオ様は、サーシャ殿下の助けを受けながら魔物と戦っていた。
 疲労はかなりのものだと言うのに。
 それなのに、私を助けに来てくれた……。

 涙が溢れてきて、レオ様の姿がぼやける。

 振り上げたレオ様の剣が魔物に突き刺さり、断末魔をあげて魔物は動きを止めた。
 肩で息をするレオ様の身体は、傷だらけだった。着ていた服はあちこち破れて、肌が見える部分もあった。
 血があちこちから出ていた。

「レオ様……っ!」

 アイリスに支えてもらって立ち上がって、レオ様に近付いた。
 レオ様は振り返ると、眉尻を下げて微笑んだ。傷だらけの、汚れもついてしまった顔なのに、どんな笑顔よりも好きだと思った。

「リサ、無事で良かった」

 アイリスの手が私を押して、私はレオ様に抱き付いた。
 レオ様の腕に抱き締められて、涙が止まらなかった。

「勝負はレオニードの負けだ」

 サーシャ殿下が言って、思い出した。
 そうだった。闘技場から出たら問答無用で失格だ。
 思わずレオ様にしがみつく手に力がこもる。

「だが、時と場合によるだろう」

 王太子が抗議するが、レオ様は首を横に振った。
 少し悲しそうに、諦めのついたような顔をしてる。

「負けは負けだ」

 皆の視線が闘技場にいる獣王に向けられる。
 獣王の足元には魔物の死骸がいくつも転がっていた。
 彼もまた、あの場所で魔物を倒したのね。

「だが、勝負よりもリサが大事だ。勝負に勝てたとしても、リサが傷付いたら意味がない。愛する人を守れないなど、騎士がすたる」

 泣きじゃくる私の背中を、レオ様の大きな手が撫でる。

「レオ様……っ」

 困ったような、それでいて優しい笑顔を向けるレオ様に、胸が締めつけられる。
 レオ様が好き。レオ様じゃなきゃ嫌。

 にやりと笑ったサーシャ殿下が、観衆の方を向く。
 闘技場内に入り込んだ魔物は倒されたみたいだった。

「勝負はついた!」

 拡声器を通したように、殿下の声が通る。これも魔法なのだと言う。

「闘技場から出たレオニード・アロウラスは失格!! 勝者は獣王バシュラ!!」

 歓声とブーイングが同時に起こる。

「だが、番としては失格だ、獣王!」

 獣王がサーシャ殿下を睨む。

「目先の勝利に目が眩み、己が番の危機を看過しようとするなど、笑止千万。意義があるなら、今度は我がそなたの相手になろう!」

 場内は突然の事に静かになる。わずかなざわめきだけが広がっていく。
 戸惑ってるんだと思う。
 怒りを抑えているのか、獣王が無表情のままこっちにやって来た。
 殿下と獣王の睨み合いが続く。

 それから少しして、足元から温かい光が溢れて、空に上がっていく。
 第二陣と思われる、羽を持った魔物達が空に見えたけど、何かに阻まれて、こっちにはやって来れなかった。
 結界が張られたのだと分かった。

 獣王は目を閉じ、息を吐いて言った。

「私の負けだ」
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