37 / 59
北の帝国と非有の皇子
非有の皇子×城の中へ
しおりを挟む「なんだと、兄が鄧禹に殺された!」
李宝には弟がいた。史書に名前が残っていない以上、それほどの男ではなかったかもしれないが、弟として兄を殺されて憤怒するのは当然であろう。
彼は鄧禹との対面に臨場せず、兄の部隊を預かって待機していた。そこにこの凶報である。弟は呆然とした直後、決然として鄧禹への復讐を誓うと、部隊の兵へその意思を説き、彼らを味方につけることに成功した。もともと弟自身がこの部隊の副将であったし、兵も李宝の子飼いである以上、これは難しいことではなかった。
だが復讐自体は困難を極める。鄧禹の本陣は当然のことながら兵は多く、また今そこには劉嘉がいて、彼の兵も近くに駐屯していた。
李宝同様、弟にとっても劉嘉は主君だが、彼が兄の謀殺を受け容れたのであれば、鄧禹共々討つのにためらいはない。しかし鄧禹兵だけでも困難であるのに、劉嘉兵まで斬り破って彼らを討ち取るのは不可能である。
「よし、ならばせめて一矢を報いてくれる」
弟は歯噛みしながら周囲を見回す。と、一つの部隊が少し離れたところに駐屯しているのを見つけた。
鄧禹配下の赤眉将軍・耿訢の部隊である。
弟にとって相手は誰でもよかった。自分の部隊でも充分に戦果が見込め、鄧禹に一泡吹かせるに適当な規模の部隊であれば誰でも構わなかったのだ。
「あの部隊に夜襲をかけるぞ。準備せよ」
弟は自軍の兵にひそかに伝えると、他の部隊にばれないよう夜襲の準備を始めた。
その夜、鄧禹は接収した一家屋で眠っていた。
李宝を斬った件について、劉嘉や来歙への説明はさほど困難ではなかった。理と、皇帝である劉秀の意とをからめての弁は、彼らを納得させた。何の相談もなくいきなりのことだったため、いささかのしこりは残っているかもしれないが、さほど深刻なものでないのは鄧禹にも見て取れる。またこれは鄧禹も知らぬことだったが、彼ら二人もすでに李宝に小さな疑念を持っていたことも事を荒立てない一因だったのだろう。
宴は礼儀を損なわないなごやかさで終始し、劉嘉の降伏は成り、彼は準備の後洛陽へ向かい、劉秀に直接拝謁することも決まった。
また劉嘉はこの日もこれまで通り雲陽城内で寝み、鄧禹が城外で寝ることともなった。これは皇族である劉嘉に対する礼もあるが、鄧禹が自軍からあまり離れたくないという事情もある。
事ここに至ってまずありえないが、万が一劉嘉が襲ってきたとき、即応する必要があるためだ。
このあたり乱世で生きる鄧禹に甘さはなく、劉嘉もその意図を薄く感じ取っていたが、なにも言わなかった。
それゆえ一応は様々に懸念の片付いた鄧禹は、久しぶりに深く安眠できていたのだが、その眠りを破る凶報が飛び込んできた。
「赤眉将軍(耿訢)の陣が襲われております!」
どれほど深く眠っていても即座に覚醒できるのは、乱世の将軍にとって必要な資質の一つである。鄧禹もそれを持ち合わせていたが、状況に対しての混乱は他の兵と変わらなかった。
「誰の襲撃か! どこからだ!」
「わかりませぬ。現在調べている最中ですが、とにかくまずはご報告をと思いましたもので」
報せに来た兵の言うことはもっともなので鄧禹もそれ以上は怒気を飲み込み、急ぎ牀(寝台)から起き上がると、従卒に手伝わせて着替えと武装を急ぐ。
だがこのときすでに耿訢は討ち取られ、襲ってきた兵は逃走に入っており、鄧禹が兵をひきいて駆けつけたときは、完全に逃げ去った後だった。
襲撃してきたのは当然李宝の弟の部隊で、彼らは完全に油断していた耿訢の陣へ飛び込むと、脇目も振らず大将の陣へ突入し、彼を撃殺してしまったのである。もともと鄧禹に一泡吹かせることが目的だっただけに、それ以上は求めず逃げ去ってしまったことが成功の要因だった。
鄧禹は李宝に弟がいて、彼と一緒に劉嘉に臣従していたことを知っていたのだろうか。
知っていたとすれば兄を殺した後、彼を放置していたことが解せない。
知らなかったとすれば、彼の存在を劉嘉たちは鄧禹に教えていなかったのだろうか。
あるいは劉嘉は、鄧禹が弟のことをすでに知っていて、そちらへの対処も独自におこなうであろうと考え、何も言わなかったのかもしれない。
いずれにせよ、鄧禹はこれで遠征当初からひきいてきた将軍をまた一人失った。
李宝をいきなり処刑するという果断を選んだにしては事後処理に難がありすぎ、その報いを受ける形となってしまったが、これもまた鄧禹の失調がさらに浮き彫りになる結果と言えた。
李宝の弟たちのその後はわからない。どこかの勢力に吸収されたか、野盗となったか、それとも窮死したか。
劉嘉としてもこれは部下の不始末ということになるが、原因が鄧禹の拙速のせいでもあり、互いに非難も抗議もできない気まずさを残したまま、彼は劉秀に会うため、洛陽へ向けて出立することとなった。
劉嘉から兵を借りるという話は、ついに切り出すことができなかった。
李宝には弟がいた。史書に名前が残っていない以上、それほどの男ではなかったかもしれないが、弟として兄を殺されて憤怒するのは当然であろう。
彼は鄧禹との対面に臨場せず、兄の部隊を預かって待機していた。そこにこの凶報である。弟は呆然とした直後、決然として鄧禹への復讐を誓うと、部隊の兵へその意思を説き、彼らを味方につけることに成功した。もともと弟自身がこの部隊の副将であったし、兵も李宝の子飼いである以上、これは難しいことではなかった。
だが復讐自体は困難を極める。鄧禹の本陣は当然のことながら兵は多く、また今そこには劉嘉がいて、彼の兵も近くに駐屯していた。
李宝同様、弟にとっても劉嘉は主君だが、彼が兄の謀殺を受け容れたのであれば、鄧禹共々討つのにためらいはない。しかし鄧禹兵だけでも困難であるのに、劉嘉兵まで斬り破って彼らを討ち取るのは不可能である。
「よし、ならばせめて一矢を報いてくれる」
弟は歯噛みしながら周囲を見回す。と、一つの部隊が少し離れたところに駐屯しているのを見つけた。
鄧禹配下の赤眉将軍・耿訢の部隊である。
弟にとって相手は誰でもよかった。自分の部隊でも充分に戦果が見込め、鄧禹に一泡吹かせるに適当な規模の部隊であれば誰でも構わなかったのだ。
「あの部隊に夜襲をかけるぞ。準備せよ」
弟は自軍の兵にひそかに伝えると、他の部隊にばれないよう夜襲の準備を始めた。
その夜、鄧禹は接収した一家屋で眠っていた。
李宝を斬った件について、劉嘉や来歙への説明はさほど困難ではなかった。理と、皇帝である劉秀の意とをからめての弁は、彼らを納得させた。何の相談もなくいきなりのことだったため、いささかのしこりは残っているかもしれないが、さほど深刻なものでないのは鄧禹にも見て取れる。またこれは鄧禹も知らぬことだったが、彼ら二人もすでに李宝に小さな疑念を持っていたことも事を荒立てない一因だったのだろう。
宴は礼儀を損なわないなごやかさで終始し、劉嘉の降伏は成り、彼は準備の後洛陽へ向かい、劉秀に直接拝謁することも決まった。
また劉嘉はこの日もこれまで通り雲陽城内で寝み、鄧禹が城外で寝ることともなった。これは皇族である劉嘉に対する礼もあるが、鄧禹が自軍からあまり離れたくないという事情もある。
事ここに至ってまずありえないが、万が一劉嘉が襲ってきたとき、即応する必要があるためだ。
このあたり乱世で生きる鄧禹に甘さはなく、劉嘉もその意図を薄く感じ取っていたが、なにも言わなかった。
それゆえ一応は様々に懸念の片付いた鄧禹は、久しぶりに深く安眠できていたのだが、その眠りを破る凶報が飛び込んできた。
「赤眉将軍(耿訢)の陣が襲われております!」
どれほど深く眠っていても即座に覚醒できるのは、乱世の将軍にとって必要な資質の一つである。鄧禹もそれを持ち合わせていたが、状況に対しての混乱は他の兵と変わらなかった。
「誰の襲撃か! どこからだ!」
「わかりませぬ。現在調べている最中ですが、とにかくまずはご報告をと思いましたもので」
報せに来た兵の言うことはもっともなので鄧禹もそれ以上は怒気を飲み込み、急ぎ牀(寝台)から起き上がると、従卒に手伝わせて着替えと武装を急ぐ。
だがこのときすでに耿訢は討ち取られ、襲ってきた兵は逃走に入っており、鄧禹が兵をひきいて駆けつけたときは、完全に逃げ去った後だった。
襲撃してきたのは当然李宝の弟の部隊で、彼らは完全に油断していた耿訢の陣へ飛び込むと、脇目も振らず大将の陣へ突入し、彼を撃殺してしまったのである。もともと鄧禹に一泡吹かせることが目的だっただけに、それ以上は求めず逃げ去ってしまったことが成功の要因だった。
鄧禹は李宝に弟がいて、彼と一緒に劉嘉に臣従していたことを知っていたのだろうか。
知っていたとすれば兄を殺した後、彼を放置していたことが解せない。
知らなかったとすれば、彼の存在を劉嘉たちは鄧禹に教えていなかったのだろうか。
あるいは劉嘉は、鄧禹が弟のことをすでに知っていて、そちらへの対処も独自におこなうであろうと考え、何も言わなかったのかもしれない。
いずれにせよ、鄧禹はこれで遠征当初からひきいてきた将軍をまた一人失った。
李宝をいきなり処刑するという果断を選んだにしては事後処理に難がありすぎ、その報いを受ける形となってしまったが、これもまた鄧禹の失調がさらに浮き彫りになる結果と言えた。
李宝の弟たちのその後はわからない。どこかの勢力に吸収されたか、野盗となったか、それとも窮死したか。
劉嘉としてもこれは部下の不始末ということになるが、原因が鄧禹の拙速のせいでもあり、互いに非難も抗議もできない気まずさを残したまま、彼は劉秀に会うため、洛陽へ向けて出立することとなった。
劉嘉から兵を借りるという話は、ついに切り出すことができなかった。
670
お気に入りに追加
3,368
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
勇者一行から追放された二刀流使い~仲間から捜索願いを出されるが、もう遅い!~新たな仲間と共に魔王を討伐ス
R666
ファンタジー
アマチュアニートの【二龍隆史】こと36歳のおっさんは、ある日を境に実の両親達の手によって包丁で腹部を何度も刺されて地獄のような痛みを味わい死亡。
そして彼の魂はそのまま天界へ向かう筈であったが女神を自称する危ない女に呼び止められると、ギフトと呼ばれる最強の特典を一つだけ選んで、異世界で勇者達が魔王を討伐できるように手助けをして欲しいと頼み込まれた。
最初こそ余り乗り気ではない隆史ではあったが第二の人生を始めるのも悪くないとして、ギフトを一つ選び女神に言われた通りに勇者一行の手助けをするべく異世界へと乗り込む。
そして異世界にて真面目に勇者達の手助けをしていたらチキン野郎の役立たずという烙印を押されてしまい隆史は勇者一行から追放されてしまう。
※これは勇者一行から追放された最凶の二刀流使いの隆史が新たな仲間を自ら探して、自分達が新たな勇者一行となり魔王を討伐するまでの物語である※

子爵家の長男ですが魔法適性が皆無だったので孤児院に預けられました。変化魔法があれば魔法適性なんて無くても無問題!
八神
ファンタジー
主人公『リデック・ゼルハイト』は子爵家の長男として産まれたが、検査によって『魔法適性が一切無い』と判明したため父親である当主の判断で孤児院に預けられた。
『魔法適性』とは読んで字のごとく魔法を扱う適性である。
魔力を持つ人間には差はあれど基本的にみんな生まれつき様々な属性の魔法適性が備わっている。
しかし例外というのはどの世界にも存在し、魔力を持つ人間の中にもごく稀に魔法適性が全くない状態で産まれてくる人も…
そんな主人公、リデックが5歳になったある日…ふと前世の記憶を思い出し、魔法適性に関係の無い変化魔法に目をつける。
しかしその魔法は『魔物に変身する』というもので人々からはあまり好意的に思われていない魔法だった。
…はたして主人公の運命やいかに…

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~
おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。
どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。
そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。
その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。
その結果、様々な女性に迫られることになる。
元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。
「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」
今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。

巻き込まれ召喚されたおっさん、無能だと追放され冒険者として無双する
高鉢 健太
ファンタジー
とある県立高校の最寄り駅で勇者召喚に巻き込まれたおっさん。
手違い鑑定でスキルを間違われて無能と追放されたが冒険者ギルドで間違いに気付いて無双を始める。
ボクが追放されたら飢餓に陥るけど良いですか?
音爽(ネソウ)
ファンタジー
美味しい果実より食えない石ころが欲しいなんて、人間て変わってますね。
役に立たないから出ていけ?
わかりました、緑の加護はゴッソリ持っていきます!
さようなら!
5月4日、ファンタジー1位!HOTランキング1位獲得!!ありがとうございました!

貴族に生まれたのに誘拐され1歳で死にかけた
佐藤醤油
ファンタジー
貴族に生まれ、のんびりと赤ちゃん生活を満喫していたのに、気がついたら世界が変わっていた。
僕は、盗賊に誘拐され魔力を吸われながら生きる日々を過ごす。
魔力枯渇に陥ると死ぬ確率が高いにも関わらず年に1回は魔力枯渇になり死にかけている。
言葉が通じる様になって気がついたが、僕は他の人が持っていないステータスを見る力を持ち、さらに異世界と思われる世界の知識を覗ける力を持っている。
この力を使って、いつか脱出し母親の元へと戻ることを夢見て過ごす。
小さい体でチートな力は使えない中、どうにか生きる知恵を出し生活する。
------------------------------------------------------------------
お知らせ
「転生者はめぐりあう」 始めました。
------------------------------------------------------------------
注意
作者の暇つぶし、気分転換中の自己満足で公開する作品です。
感想は受け付けていません。
誤字脱字、文面等気になる方はお気に入りを削除で対応してください。
誰一人帰らない『奈落』に落とされたおっさん、うっかり暗号を解読したら、未知の遺物の使い手になりました!
ミポリオン
ファンタジー
旧題:巻き込まれ召喚されたおっさん、無能で誰一人帰らない場所に追放されるも、超古代文明の暗号を解いて力を手にいれ、楽しく生きていく
高校生達が勇者として召喚される中、1人のただのサラリーマンのおっさんである福菅健吾が巻き込まれて異世界に召喚された。
高校生達は強力なステータスとスキルを獲得したが、おっさんは一般人未満のステータスしかない上に、異世界人の誰もが持っている言語理解しかなかったため、転移装置で誰一人帰ってこない『奈落』に追放されてしまう。
しかし、そこに刻まれた見たこともない文字を、健吾には全て理解する事ができ、強大な超古代文明のアイテムを手に入れる。
召喚者達は気づかなかった。健吾以外の高校生達の通常スキル欄に言語スキルがあり、健吾だけは固有スキルの欄に言語スキルがあった事を。そしてそのスキルが恐るべき力を秘めていることを。
※カクヨムでも連載しています
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。