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喫煙者の殺人

6.じゃあ試しに吊ってみましょう

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 翌日の朝。ここは明音の部屋。
 そこに高千穂と大きな鞄を持った松実、一人の男性刑事。都合三人が集まっている。

「じゃ、今から現場検証を始めよう」
「はい!」

 元気よく返事する松実に対して、もう一人は少しだけ浮かない顔をしている。
 しかし高千穂はもちろん、そんなのお構いなし。

「松実ちゃん、例のものは持ってきた?」
「もちろんです!」

 鞄から取り出されたのは、三つの凍った冷却ジェル枕。彼女はそれをつついて硬さを確認しながら笑う。

「よしよし。昨日水久保さん家の冷凍庫を開けたけど、確かに三つ分入るだけのスペースはあったし。なんならそのスペースを確保するためだろうね。冷凍チャーハンが冷蔵庫に移動させられてた」
「でもご報告したとおり、薬局に確認したところ。水久保さんが買ってったのは、確かに冷却ジェル枕三つですよ」
「そう。つまり」

 高千穂は枕を突いていた指で松実を差す。

「あるはずの、あった痕跡もあるものがない。それが意味するのは『もう処分された』ってこと。ただでさえ不可解な買い物をして、しかも消耗品でもないのに即効で処分したということは。おそらくそれは犯罪に使われ、重要な鍵になるものだった、ということだ」

 しかし彼は首を傾げる。

「ですけど千中さん。やっぱり水久保さんが犯人だと疑っているようですけど。彼、犬養さんが亡くなった時間はアリバイがありますよ? 犯行は無理なのでは?」
「そのトリックを今から検証するの」
「でも、いったいどうして水久保さんを疑ってらっしゃるんですか?」
「あれ」

 次にテーブルの上が指差される。そちらを見ると、未だに開封すらされていないままのブルーレイ。

「あれが何か」
「水久保さんの部屋にも、あのシリーズのブルーレイがあった。でも今そこにあるやつのまえで、ラインナップが止まってる。彼、被害者と親交があったでしょ? テーブルの上のあれは、被害者が水久保さんに渡そうと出していたところなんじゃないかな」
「つまり、犬養さんが亡くなる直前。水久保さんは彼女と会っていたと!?」
「その可能性は大いにある。つまり彼の『直近であったのは四日前』という証言は嘘になる」
「だから! 水久保さんが亡くなる直前の犬養さんに会っていたのはありえませんって! だって死亡推定時刻、彼は同僚の方と一緒にミーティングしてたんですよ!? 不可能です!」

 話が振り出しに戻った松実は無視。高千穂はさっきから冴えない顔をしている、もう一人の刑事に話し掛ける。

「じゃあ始めようか。よろしくね宮沢みやざわくん」

 一瞬宮沢の肩が、予防接種で看護師に呼ばれた子どものように跳ねた。
 なぜ彼が先ほどからこんな態度なのか、と問われると。それは……

「まずドアノブに輪っかを作る、と」

 高千穂は一応証拠品として回収された掃除機のコード代わり。ホームセンターで買ってきたロープを引っ掛け、見事なハンギングの輪を結ぶ。

「じゃ、宮沢くんお願い」
「はい……」

 彼は悲壮な顔で輪に首を通す。

「ちょちょっ! 何してるんですか!?」

 慌てて松実が止めに入ろうとするのを、彼女は駐車場のゲートみたいに手ではばむ。

「彼は被害者とほぼ同じ身長なんだよ。だから犯行の再現には手頃なんだ」
「じゃあ今から首釣らせるってことですか!?」
「死にゃしないよ。宮沢くん、準備できた?」
「はい……」

 哀れ宮沢、顔が浮かない理由はこれである。
 輪へ首を通した殉教者宮沢を横目に、高千穂は凍った冷却ジェル枕を三つ積む。

「じゃ、崩さないようにどうぞ」

 そーっと枕ジェンガに腰を下ろすと、

「む……」
「どう?」

 可哀想に蒼白だった顔が、少しばかり明るくなる。

「おっ、おっ。ちょっと圧迫感はありますけど、ギリギリ平気です! 台座の高さがじゅうぶんあるから、締まってこない」

 高千穂は満足そうに頷くと、松実の方へ首を向ける。

「じゃあ次。松実ちゃん、別のやつ出して」
「は、はい!」

 続いて鞄から取り出したのは、凍らせていない冷却ジェル枕。宮沢が腰を浮かせるあいだに、積み込む枕を入れ替える。

「できました!」
「よし。じゃ、同じとおりに……、GO!」
「ぅむっ!」

 勢いよく腰を落とすと、先ほどと違って台座の中身がジェル状。体が沈み込む。

「どう?」
「タップしてます! 締まってる! ヘルプ!」


「グハァ……、はぁ……」

 せっかく一回目の検証が平気で、顔色のよかった宮沢。今は青い顔でソファへ横になっている。
 高千穂は哀れなる男を気にせず、話を進めてしまう。

「凍った冷凍枕を台座にして座らせれば。中身が溶けてジェルになるまで、そして首が締まるまで時間が掛かる。だから実際に犯行に及んだ時間と死亡時刻をずらすことができる。つまり水久保さんには、死亡推定時刻よりまえ。例えば昼休憩なんかで犯行に及ぶことができる。松実ちゃんの懸念はクリアされるわけだ。しかし、それをするには。被害者に長時間、台座の上にいてもらわなければならない。そこで眠らせる必要があったから、睡眠薬をコーヒーに混入した」

 松実はメモを取りつつも、訝しむような声を出す。

「しかし、犬養さんが亡くなったのは十三時半から十四時半の間です。この真冬に、そんな短時間で枕が解凍されるでしょうか?」

 彼の疑問を聞いた高千穂は部屋の暖房をつける。

「あ、また勝手に」
「これが答えだよ」
「これが?」
「最初に現場に来た時。『室外機から水が出てる』って話したの覚えてる?」

 松実は慌ててメモを捲る。

「あ、はい、確かにそう書いてあります」
「そういうこと。つまり犯行当時も、この部屋は暖房がガンガンについていたんだ。だから枕もあっというに溶けた」
「でも、どうして水久保さんはそんなことしたんでしょう? 死亡推定時刻をずらすなら……。犯行を疑われやすい昼休憩から、もっと時間を離したくなると思います。なのになぜ、せっかくのタイムラグを少しでも縮めるような行為を」

 高千穂はタバコを取り出した。

「理由は二つ。一つは昼休憩直後なら、確実にミーティングの続きがあるから。それならアリバイがあるに決まっている。でも死亡指定時刻が後ろにずれ込むほど。ミーティングが早く終わってしまっている可能性。ひいては『自分のアリバイになるだけ、誰かと一緒に忙しくしている保証』が不確かになってくる。もう一つは、時間が掛かるほど、相手が途中で起きてしまうリスクがあるから。薬で眠りが深いうちに済ませてしまいたい」
「なるほど。あとタバコはやめてください。ここ灰皿ないですよ?」

 しかし彼女はキッチンの方を見てニヤリと笑う。

「でも代わりになるものはある」
「はい?」
「しかし……。それは容疑者に犯行が可能という証明であって……。彼が実際にそれを行なった証拠には、ならないのでは……?」

 未だにソファでしている宮沢。それでもぐったりなりに、松実より鋭い意見を投げ掛ける。
 高千穂も眉を八の字にしてタバコに火をつける。

「んー、そうなんだよねぇ……」

それきり場が沈黙に包まれてしまう。気まずい空気が暖房のとした熱気と相まって、重苦しく纏わり付く。

 その重みに耐え兼ねた松実が、鞄に手を突っ込みゴソゴソしはじめる。

「あの、じゃあ。甘いものでも食べて休憩しませんか?」
「甘いもの?」

 鞄から出てきたのは

「じゃじゃ~ん。フレンチトースト!」
「うまそう」

 宮沢も甘味の登場に、多少回復のきざしを見せて起き上がる。

「このまえ千中さんが食べてたのが美味しそうだったんで、買ってきました! どうぞ!」

 松実がフレンチトーストを配ろうと差し出すと、

 高千穂はそれに見向きもせず、口と鼻を両手で覆っている。

「フレンチトースト……。んー、うふふ」
「どうしたんですか千中さん。そんなに嬉しいんですか? それともいらないんですか?」
「うまい」

 宮沢が一足先にフレンチトーストをパク付き始めた頃。ようやく彼女は松実の方を向いた。

「松実ちゃん、お手柄だよ。フレンチトースト」
「はい? 糖分補給がですか?」
「いや? 水久保さんを逮捕するための、最後のピース」
「むぐっ!」

 急な発言に驚いて、宮沢はフレンチトーストを喉に詰まらせたらしい。

「松実ちゃん。二つばかし調べてほしいことがあるんだ。水久保さんの会社のタイムカードと、社宅の防犯カメラ」
「み、水……」

 合間に苦しげな声が挟まるが、松実も今回はそちらを気にする余裕がない様子。

「何かつかんだんですか!?」
「もちろんだとも。なんたって私は……

 取り敢えずやってみるか仕込みをしてから挑むかって言われたら。まず人にやらせて様子を見る人間だからね」
「まったく意味が分かりません」
「そんなことより水……」
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