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第六章 身籠もり旅行

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夕食は部屋食だった。
目にも舌にも美味しい料理が並ぶ。

「美味しいです!」

ご当地牛の陶板焼きステーキとか、頬が落ちてしまいそうだ。

「それはよかった」

にこにこ笑って食べている私を、海星さんも嬉しそうに見ている。
それだけで幸せって思うのはなんでだろう?

夕食の片付けが済んだあとは布団が引かれる。
……部屋の中央にふたつ並べて。
あんな話を聞かされたからか、今からシます!って感じが否めない。

「飲むだろ?」

「あっ、はい!」

海星さんが届けてもらったお酒の瓶を少し上げてみせる。
僅かに熱い顔で布団から目を逸らし、慌てて返事をした。

縁側にふたり、向かいあって座る。
彼が置いたお盆の上にはクリームチーズにナッツやドライフルーツを混ぜたディップとクラッカーがのっていた。

「お洒落ですね」

和風な旅館とは不釣り合いな気もするが、夕食も和洋折衷だったし、本館のほうは和モダンな内装になっていたからそうでもないか。

「んー、未来の俺たちの子供に」

「かんぱい」

小さくグラスをあわせ、お酒を飲む。
ウェルカムドリンクで出てきたスパークリング日本酒だ。

「あいますね、これ」

「そうだな」

ドライフルーツの入った甘めのクリームチーズは同じく甘めのお酒とあう。
さらにナッツとクラッカーがいいアクセントになっていていくらでもいけそうだ。

「家でも作ってみたいです」

「そうだな、これなら俺でもできそうだ」

つまみを食べながらお酒を飲む。
夜空にはいい塩梅に満月が浮かんでいる。
掛け流しの温泉が流れる音が静かな夜によく響いた。

「なあ」

「はい」

食事で飲んだお酒と相まっていい具合によって来た頃、ぽつりと海星さんが呟いた。

「花音はどうして、俺を好きになってくれないんだ?」

私を見る、レンズの向こうの瞳は濡れて光っている。

「あの、えっと」

どう答えていいかわからず言葉を濁した私にかまわず、独り言のように海星さんは続けていく。

「また利用されて捨てられるのが怖いのはわかる。
俺も同じだしな」

淋しそうに目を伏せ、グラスに残っていたお酒を彼は一気に飲み干した。
〝俺も同じ〟、その言葉にはっとした。
海星さんは社長夫婦に引き取られたが、そのことを前に義母は「親に捨てられた」
と言っていた。
もしかしたら実母は海星さんを愛していたのかもしれないが、物心つく前からそう言われ続けていれば信じるのは当然だ。

「ずっと愛とは金のことだと思っていた。
父と義母はより金を儲けるために結婚した。
母は父の金目当てだった。
一士たちだってそうだ」

海星さんの主張には重みがある。
一士本部長の奥さんはブランド品を買い漁り、ホストクラブ通いしているのは有名な話だ。

「でも、花音は人を好きになるのに金は関係ないと言っていた」

すーっと彼の視線が私に向く。
きっとキャバクラでの会話が聞こえていたのだろう。

「でも、私はお金目的で海星さんとの結婚を決めたんですよ?」

我ながら皮肉っぽいかなとは思う。
しかし、私は彼が思うほど、高尚な人間ではない。

「そうだな」

おかしそうに彼が、くすくすと笑う。

「しかしあれは、俺がそうするしかないように追い詰めたからな」

海星さんの手が伸びてきて、さらりと私の顔に落ちかかる髪を払った。

「それはそう、ですが……」

確かにあのとき、私の前には海星さんと結婚する――彼の子供を産むという選択肢しかなかった。
けれど決めたのは私だ。

「俺は、それこそ花音が言うみたいに運命だと思ったんだ。
愛は金だ、だから金で妥協できる相手を探せばいい、そう思ってキャバクラに通っていたらあんなところに、俺とは真逆の、それこそ俺が恋い焦がれる考えを口にする人間がいたんだ。
これを運命と言わずになんという?」

じっと二枚のレンズを挟んで彼が私を見つめる。
その瞳には強い思いが込められていた。

「まあ、金を条件に交渉しようと思っていたし、実際、金をちらつかせて花音に決断を迫ったんだから、人のことは言えないけどな」

嘲笑するように笑い海星さんはグラスを口に運んだが、空だと気づいて離した。
そのまま、グラスを手の中で弄ぶ。

「そんなわけで俺は最初から花音が気に入っていたし、だから花音を酷い目に遭わせたあの男をそれ以上の酷い目に遭わせないと気が済まなかったんだ」

小さく彼が肩を竦める。
私の意志とは関係なく、自分が高志を酷い目に遭わせたかったという海星さんがあのときはわからなかった。
しかしあれは、嫉妬ではないがそのようなものなのだと今になってようやく知った。
この人は最初から、私をこんなにも――。

「花音の心が深く傷ついているのはわかってる。
少しずつでいい、花音が俺を好きになってくれればいいと思っていた。
……でも、ダメだな」

彼の手が自分の前髪に伸び、くしゃりと掻く。

「怖いんだ、花音がいなくなるのが」

視線はこちらを向かない。
軽く頭を抱え、つらそうに彼は声を絞り出した。

「まだ小さかったのに、あの日の光景だけははっきり覚えている。
捨てないで、お母さん。
そう泣いて縋る俺を母は冷たい目で見て、非情にも迎えに来た男に引き渡した。
今でもよく、夢に見る」

目の前にいる海星さんが、まるで泣きじゃくる小さな子供のように見えた。
ずっとこの人はこんなつらい過去に囚われたままだったのだ。
ふたりのあいだにあるお盆を避け、彼へと手を伸ばす。

「花音は母と違うとわかっている。
でも……」

「私は海星さんを捨てたりしません」

腕を回し、触れた背中はびくりと恐れるように揺れた。
けれどかまわずに、彼を抱き締める。

「ずっと海星さんと一緒にいます。
いなくなったりしません。
だって私は海星さんを――愛して、います」

告白した途端、ぎゅっと力一杯、抱き締め返された。
彼と付き合うようになってようやくひと月と少しが過ぎたばかり。
それで彼のすべてがわかったのかといわれればそれまでだが、でも。
人を好きになるのは運命とかタイミングだ。
自分でそう言ったではないか。
だったらきっと、あの日あそこで海星さんと私が出会うのはそういうタイミングで、彼と私が恋に落ちる運命だったのだ。
好きになる理由とかごちゃごちゃ考えなくていい。
ただ、魂がこの人だって叫んでいる。
この人が私の魂の半分だって。
それに、捨てられるのを怖がりながらもこんなにも深く私を愛してくれる彼が、これ以上ないほど――愛おしい。

「花音……」

「好き。
海星さんが、好き。
愛してる」

私が腕に力を入れると、応えるように彼の腕にもますます力が入った。

「俺も花音を、愛している」

ようやく身体を離し、海星さんが私の顔を見る。
うっとりと眼鏡の奥で目尻を下げて彼は私に微笑みかけた。
どちらともなく、唇が重なる。
いつもは私の眼鏡を外すのに、余裕なく深く唇が交わった。
カチカチと眼鏡同士がぶつかる乾いた音と、私たちが漏らす密やかな吐息が月夜に響く。

「はぁ……」

唇が離れ、ふたり見つめあう。

「……花音を、滅茶苦茶に抱きたい」

「……はい」

抱き締められ、囁かれた言葉に頷いた。
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