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第四章 彼が社長になると決意した理由

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週明け、月曜に砺波さんから婚姻届は無事に受理されたと連絡があったらしい。
仕事が速い。
私の本籍地はここから新幹線を使っても三時間はかかるのだ。

『これで夫婦だな』

なんて言ってその夜は海星さんにこれまで以上に愛された。
翌日、起きるのがつらくて一瞬、ずる休みを考えたほどだ。

結婚はまだ、会社には報告していない。
一士本部長から嫌がらせをされるだろうから、ギリギリまで秘密に……という話だが、それも今日終わる。

自分の実家に向かうというのに、運転している海星さんは緊張しているように見えた。

「うちの実家のケーキを手土産になんて大丈夫でしょうか……?」

後部座席に乗る箱をちらり。
私の実家は洋菓子店をしている。
海星さんは実家への手土産にうちのケーキを選んでくれたが、セレブの口にあうのか不安だ。
ちなみに頼んでいたケーキを取りに行ったら海星さんを見た家族が色めきだったが、またあとで来ると宥めて帰った。
実家には今日の夜、行く約束になっている。

「大丈夫だろ。
花音からもらった焼き菓子、美味しかったし。
あれでケーキがマズいとかなったら詐欺だろ」

「うっ」

以前住んでいたマンションにあった食材を、あれから海星さんの部屋に運んだ。
その中には実家の焼き菓子もあり、彼も食べている。

「……まあ、身内の私が言うのもなんですが、そこらの高級店と遜色ないと思ってますけどね」

なのに大人気店とはいかないのは、プロモーション不足と父の経営方針のせいだろう。
自分の手の回る範囲でしか作らない、それが父の拘りだ。
だからたくさん作らないのでそれほど売り上げが上がらない。
職人としての父は尊敬しているが、そのせいで収入が思わしくないのは悩ましい問題だった。

「じゃあ、大丈夫だ」

うん、と海星さんが力強く頷く。
それで安心できた。

車はそのうち高速に乗った。

「正直にいえば俺は、跡取りができたほうに社長を継がせるとかナンセンスだと思っているし、社長を継ぎたいとも思ってない」

「え?」

思わぬ唐突な告白につい、彼の顔を見ていた。

「でも、海星さんは社長になりたいから私と契約したのでは……?」

俺の子を妊娠してくれと言われた。
だからこそ、彼は社長になりたいのだとばかり思っていた。

「……海星」

不機嫌に彼がぼそっと落とす。

「なーんで花音はいつまで経ってもさん付けで呼ぶかな?」

そんな不満げに言われたって、年上で上司。
いくら夫でも無理に決まっている。

「ベッドの中ではあんなに可愛く『海星、海星』って言ってくれるのになー」

はぁーっとわざとらしく、彼がため息をつく。
それにカッと頬が熱くなった。

「あ、あれは……!」

……海星さんが無理矢理、そう覚え込ませたんじゃない!

喉まで心の声が出かかったが、どうにか止めた。
言ったらまた、なにをされるかわからない。

「ん?
でも普段はさん付けなのに、セックスのときだけ海星って呼ぶのもそれはそれで燃えるか……」

なんだか彼は真剣に悩んでいるが、気にしないようにしよう。

「それで。
海星さん」

こほんと小さく咳払いし、その場を仕切り直す。

「社長になりたくないとはどういう意味ですか」

「別に俺は好きでこの仕事をしているわけじゃない。
大学を卒業してしばらくは修行と称して別の会社、IT企業に勤めていたしな」

私が入社したときにはすでに彼は営業部長として働いていたので、それは初耳だった。

「でも一士の入社と同時に父から無理矢理、転職させられた。
ようするに、お守りだ」

「ああ……」

彼はなんでもないように言っているが、その苦労が偲ばれる。
一士本部長のトラブルや失敗はだいたい、海星さんが尻拭いしていた。

「弟を……一士をどう思う?」

その問いにはなんと答えていいかわからずに黙ってしまう。
我が儘、横暴、歩くセクハラ。
悪口ならいくらでも出てくるが、それ以外が思いつかない。

「兄相手に言いづらいよな」

困ったように海星さんは笑っているが、そうともなんとも答えられなかった。

「アイツが社長になったら、あっという間に会社が潰れるのは目に見えている」

それは確かにそうだろう。
今だって一士本部長はその横柄な態度で関わる企業から反感を買っている。
それをどうにか海星さんが取り持っている状態だ。
一士本部長が社長になればますますつけあがり、海星本部長の手に負えなくなるかもしれない。
そうなれば会社は潰れるだろう。

「別にあんな会社、潰れればいい。
でも、従業員は?
その家族は?
取り引きのある会社にだって迷惑をかける。
だから俺が、社長になると決めたんだ」

そこまで海星さんが考えているなんて知らなかった。
でも、それは誠実で真面目な彼らしい決断で、今までずっとどこか引っかかっていた疑問がすっきり解決した。

「それでこんな無理を花音にさせているわけだが、本当に悪いと思っている」

私に詫びる彼の声はどこまでも真剣だった。

「えっ、謝らないでくださいよ!」

慌てて謝る彼を止める。

「それに海星さんがそこまで会社……というか、まわりの人のことを考えてるって知って、ちょっと感動してるっていうか」

私だったらこんな自分を犠牲にするように社長になるなんて決断できるだろうか。
いくらたくさんの人を不幸にするとわかっていても、きっと迷う。
こんなふうに考えられる彼を尊敬する。

「だから私も早く身籠もれるように妊活、頑張ります!」

今まではただ漠然と妊娠しなきゃくらいにしか考えていなかった。
これからは妊娠しやすくなるようにいろいろ気をつけたいな。

「優しいな、花音は」

ふっと唇を緩ませて、柔らかく海星さんが笑う。

「そんな花音に今から嫌な思いをたくさんさせるわけだが……。
本当にすまない」

また彼が真剣な顔になり、私に詫びてくる。

「えっ、大丈夫ですよ。
気にしないでください」

海星さんの事情は有名だし、わかっているうえでこの契約を受け入れた。
それに悪いのは彼じゃないから、詫びる必要なんてない。

「……ありがとう」

彼の声は泣き出しそうで、私の胸がぎゅっと締まった。
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