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第12章 知ってしまった深い愛と絶望

12-2 もっと上手に騙してほしかった

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 そのあと、連絡した横井さんは若い女性警官を連れてすぐに来てくれた。

「あのお兄さんが犯人、ですか……?」

 全部、松岡くんがやったことだと説明した。
 けれど横井さんは釈然としていないようだ。

「一応、お兄さんからも事情を聞いてみますわー」

 横井さんはあまり信じていないのか、あの日のように耳をほじっていた。
 もしかして松岡くんから懐柔でもされているのだろうか。
 ついてきた女性警官も注意すればいいのに、挨拶したっきりずっと黙って後ろに座っているだけだし。

「とにかく松岡くんが犯人なので!
よろしくお願いします!」

「はぁ。
わかりました」

 どこまでもやる気のない横井さんにイライラする。
 やっぱり私は馬鹿にされているんだろうか。

「それで。
……そちらは、どちらさんで?」

 立川さんの方へあごをしゃくり、横井さんはにたぁっと笑った。

「大藤先生の担当をしております、蒼海出版編集の立川です」

 横井さんの横柄な態度と反対に、立川さんは礼儀正しくあたまを下げた。

「へぇ。
編集さんねー。
それで、なんで編集さんがここに?」

「大藤先生がパニックになって電話をかけてきたので、心配になって」

「へぇ、そう。
ところで、あのお兄さんが猫を捕まえるところを見たって、ほんと?」

「はい。
確かに執事服の男が猫を捕まえているところを見ました」

 これはいったい、なんなんだろう。
 まるで、立川さんが尋問を受けているみたいな。

「ほんとにあのお兄さんだった?
人違いじゃない?」

「確かに執事服の男でした」

「ほら、執事服の男ってだけで決めつけて。
同じ格好をした別の男、って可能性もあるでしょ?」

 どうして横井さんは立川さんの言うことを疑っているのだろう。
 それが警察官の仕事だから?

「間違いなく彼でした。
顔もはっきりと見ましたし」

「ふぅん。
じゃあ、あとで調書取るから詳しい日時とか証言して」

「はい」

 悪びれることなくへらへらと横井さんは笑っている。
 立川さんがきちんと大人な対応をしていたから黙っていたけれど、私はお腹の中でぐちぐちと文句を言っていた。

「まあね、事件が解決すればこちらとしてもありがたいですけど。
ただ、こちらの立川さん?と葛西さんの証言しかないわけですし。
お兄さんからも話を聞いてみて、また連絡しますよ」

「……お願いします」

 どうしてこの人はどこまでもやる気がないのだろう。
 松岡くんに脅されたときはあんなにきちんとしていたのに。

「じゃ、私はこれで」

 やっぱりへらへらと締まらない顔で横井さんは帰っていった。
 結局、女性警官は最後もあたまを下げるだけでなにも喋らなかったが、なにをしに来たんだろう……?

「警察ってほんと、当てにならない」

「ほんとにそうだね」

 不快そうに立川さんの眉が寄る。

「でも大丈夫。
僕が絶対に、あんな奴から守ってあげるから」

 そっと頬を撫でて笑ってくれる立川さんは王子様に見える。

 ――うん、間違いなく王子様だ。

 だって、悪い人に襲われた私を、助けてくれたんだから。

「あ、あの。
……仕事、いいんですか」

 傍にいてくれるのは嬉しいが、立川さんだって仕事があるはずなのだ。

「うん?
そうだね、そろそろ社に戻らないと編集長に怒られちゃうかも。
紅夏が心配で仕事放り出して来ちゃったから」

 困ったように立川さんが笑う。
 そんなに私を心配してくれたのだと、胸がじーんと熱くなった。

「ね、また明日来ていい?」

 ううっ、可愛く小首を傾げないでー!

「……はい」

「よかった」

 それはもう、本当に嬉しそうに目を細めて立川さんが笑う。
 こんなに嬉しそうに笑われたら、こっちまで嬉しくなっちゃう。

「じゃあね、紅夏。
ちゃんと戸締まりしとくんだよ。
僕以外の人が来たら開けちゃ、ダメ」

「はい」

「ほんとに、ほんとだよ?
僕以外の人間を入れちゃダメだからね。
そうじゃないと紅夏が危ないから」

 いままでのことがあるから、心配なのはわかる。
 が、少し心配しすぎじゃないかな。

「また明日来るから。
じゃあね、紅夏」

 立川さんの顔が傾きながら近づいてくる。
 意味がわかって目を閉じたものの……直前で、開いた。

「待って」

「え?」

 立川さんは不服そうだけれど、こればっかりは仕方ない。

「その、あの、私、……キスもまだしたことがない、ので。
それで、その、……初めてのキスは、……あの、……思いっきりロマンチックなのがいいな、……とか」

 顔から火が出ているんじゃないかと思うくらい熱い。
 言葉は尻すぼみになって消えていった。

「あ、うん。
そうなんだ。
……あ、いや、うすうすそうじゃないかとは思ってたんだけど」

 うっ、立川さんに気づかれていた。
 でもまあ、書いたものを読めばわからなくもないですよね。

「わかった。
じゃあ、ここならいい?」

 ちゅっ、立川さんの唇が触れたのは――私の額、だった。

「は、はい」

「じゃあ、ここへのキスは紅夏が蒼海文芸賞を獲るときまでおあずけ、でいいかな」

 ちょんちょん、立川さんの長い人差し指が私の唇をつつく。

「え?」

「そのときが最高にロマンチックだよね」

「は、はい……」

 立川さんがにっこりと笑い、私はとうとうオーバーヒートしてあたまから湯気がふしゅーっと吹き上がった。


 立川さんが手を振って帰り、玄関に鍵をかける。
 が、松岡くんには予備の鍵を預けてあるから意味がない。

「鍵、変えないと……」

 業者を呼んで交換してもらうのは面倒くさいが、これはそんな場合じゃないのだ。

「家政夫の解約もしないと……」

 なんでこう、いろいろと面倒なのだろう。
 そもそも、家政夫なんて頼んだのが間違いだったのだ。

「にゃー」

 立川さんがいたときは姿を消していた癖に、いなくなるとちゃっかりセバスチャンがごはんのお皿の前で待っていた。

「あー、そうか。
もうごはんの時間かー」

 猫の死体を見て松岡くんを追い出したのが夕方。
 もうすでに日はとっぷりと暮れている。
 立川さんには大変、申し訳ないことをした。
 いまから戻って仕事をすれば、帰るのはかなり遅くなるだろう。

「にゃー、にゃー」

「はいはい」

 急かされてごはんを入れてやる。

「ほんと、殺されたのがあんたじゃなくてよかったよ」

 代わりに殺された黒猫は気の毒だが、セバスチャンが本当に無事でよかった。

 ぼーっとセバスチャンがごはんを食べているのを眺めていたら、松岡くんが置いて帰った荷物が目に入った。

「これ、どうしよう……」

 取りに来てもらうのにも、松岡くんに会うのは嫌だ。
 届けてもし鉢合わせしたらとか考えると身震いがする。

「誰か、取りに来てくれたらいいんだけど……」

 ――ぐるるるるっ。

 人が真剣に悩んでいるというのに、腹の虫がなる。
 朝からなにも食べていないし、アフタヌーンティもブッチしたから仕方ないといえばそうだけど。

「なんか、食べるもの……」

 冷蔵庫を開けてみる。
 そこにはケーキが山ほど詰まっていた。

「なに、これ……」

 今日のアフタヌーンティのケーキだったのは察しがつく。
 けれど前に、ケーキ三つは苦しいと伝えたのだ。
 なのに、この数。

「そんなに仲直りしたかったの……?」

 不意に、ぽろりと涙が転がり落ちた。

「なんでこんなことになっちゃったんだろう……」

 これも全部、私を信用させるための手口だとわかっている。

 でも松岡くんは私と、本当の彼氏になりたいと願っていた。
 子供ができて三人で動物園に行きたいと言っていた。

 それは――私も、同じだった。

「騙すなら、もっと上手に騙してよ……。
この家が欲しいならあげたってかまわない。
殺したいのなら嘘だってわかんないように殺して。
私は……私は……」

 ――こんなにも松岡くんを愛していた。
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