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第2章 猫は至上の生き物です

2-2 不審な人影

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「じゃあ、仕事をしていますのでなにかあったら呼んでください」

「かしこまりました」

アフタヌーンティが済んで、仕事部屋に籠もって仕事をする……フリをした。

いや、フリじゃまずいのだ、そろそろ締め切り的に。
けれど家の中に他の人の気配、しかも男がいるとなると、集中できない。

……また夜、頑張ろう。

そう誓ってデジタルメモの蓋を開けた。
書きかけの文章を保存して閉じ、新しいファイルを開ける。
それは執事とお嬢様の禁断の恋物語だった。

――執事ものは書かないなどと宣言しておいて。

だって、新作の案を練ろうとするたびに、松岡さんの姿がちらちらと横切っていく。
それにあの、ムカつく慇懃無礼な態度は、ドS執事のモデルにぴったりだ。
生活や仕事に支障をきたしてまで家政夫を雇っているのだから、元は取らないと惜しい。

最初は外の気配に神経を張り巡らせていたはずなのに、次第に設定するのが楽しくてこちらに集中していく。

「失礼します。
買い物に行って参りますが、なにか必要なものなどございますか」

唐突にふすまの向こうから聞こえた声で、肩がびくんと跳ねる。

「あ、郵便出してきてもらえますか」

ふすまを開けると、目の前に松岡さんが立っていた。
思わず後ろへ二歩、後ずさってしまう。

「……これ、お願いします」

「かしこまりました」

封筒を受け取り、恭しくお辞儀をして松岡さんがいなくなって、はぁーっと重いため息をついた。

……だから。
こういうのは心臓に悪いんだって。

また机に戻りながら、どうしようか悩む。
途切れた集中は戻ってきそうにない。

「気分転換、しようかなー」

本棚から適当な本を引き出してバランスボールに座る。
と、窓の外を誰かが横切った気がした。

……まただ。

それ、に気づいたのはこれがはじめてじゃない。
この半月くらい、何度か。

……気のせい、だよね。

そうだと思いたい。
そうじゃないと困る。
結局、本を開いてみたものの、ちっとも集中できなかった。


今日の夕食はラタトゥイユとカレー味のグリルチキン、それにほうれん草のスープだった。
食べる前に携帯で写真を撮っている私を、松岡さんがちらりとだけ見た。

「いただきます」

相変わらず、彼の作る料理は一流シェフが作るもののようにおいしい。

「ラタトゥイユは多めに作りました。
チーズをのせて冷蔵庫に入れてありますので、明日はそれをトースターで焼いてお召し上がりください。
グリルチキンもパンに挟んでおいておきますので」

「ありがとうございます」

この一ヶ月で私の食生活は劇的に変化した。
よくてコンビニ弁当、悪いと徳用菓子パン袋とコーヒー牛乳の生活をしていたのに、週二日のまともな食事に、さらに作り置きまでしてくれる。


夕食が終わると私に食後のお茶を出して松岡さんは片付けをする。
それくらい自分でやると言いたいところだが、きっと面倒くさくなって放置するのが目に見えている。
実際、彼がいない日に使った食器は流しに放置だし。

「それでは本日は失礼させていただきます。
次回は来週の月曜日に」

エプロンを外し、松岡さんは私へお辞儀した。
どうでもいいがあの、メイドエプロンのような白のふりふりエプロンは執事の美学に反しないんだろうか。
執事に憧れてイギリスの執事学校に留学もしたらしいが、ママチャリといいエプロンといい、どこかずれている。

「はい、ごくろうさまでした」

松岡さんが帰ったら、ようやく私の仕事時間。
明日は予定なんてないし、いつまでだって書いていられる。
仕事部屋に戻り私は、デジタルメモを立ち上げた。



……あ、まただ。

今日は少し早く起きられたので松岡さんが来るまで、仕事をしていた。
窓の外を誰かが通った気がしてデジタルメモから顔を上げる。

……もしかして、買い手がついたとか?

人影が通るのはいつも、塀の向こう。
私の家と隣家の間には側溝に蓋をしただけの小道があり、隣家はそこに裏口がある。
人が住んでいるなら誰か通ってもおかしくないが昨年、もうお年だった奥さんが亡くなって、おじいさんは介護施設に入った。
隣家はいま、空き家になっている。

きっと買い手がついたのだと思い込もうとした。
が、そんな話は聞いたことがないし、つい先日、建物付きだと売れないから壊してしまおうか、などと相談しているのを聞いたばかりだ。

「こんにちはー」

「あ、はい」

ぐるぐる悩んでいる間に、松岡さんが来ていた。

「あの、その、来るとき、隣の家で誰か見ませんでしたか?」

「お隣ですか?
いえ、どなたも見かけませんでしたが……」

今日も一分の隙もなく執事服を着込み、肩にかけた大きな荷物を床に下ろす。

「どうかいたしましたか」

「その、……なんでもないです」

こんなこと、彼に相談していいのかわからない。
曖昧に笑ってごまかした私に彼は怪訝そうだ。

「そうですか?
すぐにお茶のご準備、いたしますね」

「……はい、お願いします」

きっと気のせい、そうに違いないとまた自分に言い聞かせながらも、不安でしょうがなかった。

「どうぞ」

「……ありがとうございます」

いつも楽しみにしているアフタヌーンティなのに、今日はいまいちテンションが上がらない。

「……あれ?」

ティーポットを置こうとした松岡さんの腕を掴む。

「なにかついてますよ……?」

ジャケットの袖口についていたそれは、……動物の毛?

「ああ、申し訳ございません。
ここの前のお宅が猫を飼っておりまして。
それがついたのでしょう。
念入りに落としてきたつもりでしたが……申し訳ございませんでした」

なぜか松岡さんは少し早口だったし、眼鏡の奥の目はきょときょとと動いて落ち着きがない。

そんなに動揺するようなことなのかな。
それともやっぱり、執事としては猫の毛がついたままの給仕とか、あるまじきとか思っているのかな。

「いえ、別に」

なんだかそういうところはちょっとだけ可愛く見えて。
少しだけ不安な気持ちが晴れた。
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