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四.担当変更――自覚したくないのに自覚した

1.悔しい

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そろそろコートが手放せなくなってきた頃。
私は大抜擢されて、大きな仕事を任された。
大口取引先に提出したいくつかの班の案の中で、私の案が採用されたのだ。
初めて、複数班での合同チームの中、チーフに選ばれた。
いままで以上に必死で頑張った。

……でも。

「その、まあ、こっちとしては不服だが、仕方ないのわかるよな。
担当は篠崎君から高城君へ変更になる。
まあ、仕事の内容自体には変更はないし、君にはサブという形にはなるがこれからもこの件に関しては引き続き関わってもらう。
不満はあると思うが、相手は大事な取引先だ。
納得してくれ」

「……はい。
わかりました」
 
入社時代にやったミスを、揚げ足を取るように先方から指摘された。
そういうミスをするような人間には任せられない、と。
詭弁だってわかっている。
相手は私が女だから、気に入らないのだ。

いまどき、とは思う。
でもいまでそういうことはちょくちょくある。
現に会社でも私は、半分の班しか受け持たせてもらえていない。

わかっているから、笑って飲み込んできた。
そうするしかなかった。

でも今回は。

先方も私の案で乗り気だった。
初めてといっていいほど、任された大きな仕事。
女だからって、舐められないように頑張った。

……けど。

結局、女ってことだけで外された。 

「まあ、その、残念、だったな。
先方がおまえのどこに、女を見たのか知らんが」

躊躇いがちに裕紀が声を掛けてくる。

「そーだよなー。
中身おっさんなのに、そんなこといわれると困るよなー。
まあ、私はサブにまわらせてもらって、
楽させてもらうから!」
 
わざとふざけて豪快に笑い飛ばし、裕紀の背中を力任せにばんばん叩いてやる。

「やっぱりおまえは、女の皮を被ったおっさんだな!」
 
裕紀は咳き込みながら笑っている。
まわりもつられて、笑っていた。

……うん。
これでいい。
私に落ち込むなんて似合わない。


意外と引き継ぎに手間取って。
退社時間になっても、まだわたわたしていた。
加久田たちにはもう用がなかったら、先に帰らせる。
気が付いたら、課内には裕紀と私のふたりになっていた。
ふたりとも、なんとなく気まずくて、妙に口数が増えていく。

「その、落ち込むなよ」

「落ち込む訳ないだろ」

「俺はおまえのこと、高く買ってるから」

「ありがとな」 

気まずそうに裕紀が慰めてくる。
それを、ただただ流した。

「その、このあと、ふたりで飲みに行かないか?」

「なんで?」

「残念会、的な」

この状況で、飲みに誘ってくるこいつの気持ちがわからない。
残念会?
なんだ、それは。

「いい」

「なんで?」

「中身おっさんとはいえ女とふたりで飲みに行ったとなれば、奥さん内心穏やかじゃないだろ」

「でも、おまえは男友達みたいなもんだし」

「……友達じゃない」

無神経な裕紀の言葉に、腹の底が静かに沸騰してくる。

「えっ?」

「友達じゃない!
元彼で、だだの同僚、だ!」

「……どうしたんだ?
急に?」

呆気にとられている彼に、ああ、こいつはそれだけの男なんだって気づいた。
私の気持ちになんかちっとも気づかない。
あの当時も、いまも。

「……もう大体終わっただろ。
なら帰る」

「ほんとにどうしたんだ?」

「帰る。
じゃあな」

怪訝そうな裕紀を残して会社を出る。

話していて、無神経な裕紀にだんだん苛ついてきていた。  

私の気持ちなんて。
何一つわかっていないくせに!

なぜか無性に泣きたくて、そしてなぜか、無性に加久田に会いたくなっていた。


「……おかえりなさい。
遅かったですね」

「なんで……!
おまえがいるんだよっ……!」
 
家に帰ると、部屋のドアに背を預けて、加久田が座っていた。
私に気が付くとよっこらしょと立ち上がって、優しく笑う。

「……っ」
 
不覚にも、涙が零れ落ちた。

「えっ、あっ、もう、いま泣かないでください!
とりあえず、なか、入れてください」

「合い鍵持ってるんだから、
勝手に入ってればいいだろっ!」
 
乱暴に鍵を開けて中に入ると、加久田も続いて入ってくる。
そのまま後ろ手にドアを閉めて鍵をかけ、自分の肩に私の顔を押しつけた。

「……なに、泣いてるんですか」

「……わかるかっ……!」
 
そのまま少しだけ、泣いた。
私が泣いている間、加久田は黙って、髪を撫でていてくれた。
それが無性に気持ちよくて、なぜか安心できて、涙はすぐに治まった。

「先輩。
お風呂、入ってきてください」

「……なんで?」
 
こんな時にやる気なのかと顔を見ると、にこにこ笑っていて……どうも、そういうつもりじゃないらしい。

「いいから。
そのあいだ、キッチン借りますね。
……あ、もうパジャマでいいですからね!」

「……わかった」
 
加久田の言動は訳がわからなかったが、疲れていたから素直に指示に従うことにする。
風呂へ湯を入れ始めてから、寝室にいってパジャマセットを持って浴室へ戻る。
戻る途中でキッチンの加久田を見ると、なにやらごそごそやっていた。

「……はぁーっ」 
 
お湯に浸かると、ため息が漏れた。

きっと今日は帰ってひとりだったら、風呂にも入らず、ごはんも食べず、ただベッドの中で丸くなってた気がする。
だから、帰って加久田がいてくれて……嬉しかった。  

あまり長くはいって待たせるのも悪い気がして、早々に切り上げる。
上がるとテーブルの上にはなにやらいろいろのっていた。

「もう上がったんですか?
もっとゆっくりしててよかったのに」

「待たせるの、悪いだろ」

「まあいいや。
とりあえず、ごはん、食べましょう?」

「って、これ、おまえが作ったのか?」
 
テーブルの上に並んでいたのは。

サーモンのカルパッチョみたいなのに、コロッケにはマヨネーズを塗って焼いてあって。
豆腐の上にはオクラの刻んだのになめたけ。
からあげにはなにやらタレが絡まってスライスたまねぎを和えてある。
ご飯には梅干しとじゃこ、大葉にごまを混ぜ込んであった。

「まあ、できあいの奴にアレンジ加えるくらいしかできないですけど」

「……いや。
これだけできれば凄いと思うぞ」

「わーい。
先輩に褒められた。
じゃあ、いただきます」

無邪気に喜んでいる加久田が可愛くて、ささくれだった心が少し温かくなった。

「……いただきます」

「あ、先輩」

「……なんだ」      

料理に箸をのばそうとしていたとこだったので、ちょっと不機嫌になる。

「今日は先に飲みますか?
あとですか?」

「もう風呂入ったし、このメニューだったら先」

「了解です!」
 
勝手知ったる何とやらで、冷蔵庫から日本酒と、食器棚からグラスを持って加久田が戻ってくる。
テーブルの上に置かれたのは……特別なときにしか買わない、お気に入りの日本酒。

「……今日は特別な日じゃない」

「……いいんです。
今日は特別で。
だからこれ、買ってきたんですから。
ほら、飲みましょう」

「……」

無言で、グラスに注がれた酒を飲み干す。
空きっ腹にこんなふうに酒を入れると、すぐにまわってくることはわかっていたけど、そうすることしかできなかった。
無言で注がれた二杯目を、また無言で飲み干す。

「加久田?」

注がれない三杯目を不満に思って顔を見ると、なぜか……淋しげな、顔。         

「先輩。
ごはんも食べてください。
そんな飲み方してたら、すぐ潰れますよ。
酒、好きなくせにそんなに強くないんですから」

「……そう、だな」

そのまま料理に箸をつける。
私が食べ始めると、加久田も食べ始めた。
なぜか、ふたりとも無言。
時々、私のグラスに酒が注がれる。
加久田のにも注いでやろうとすると、手酌でいいと遠慮された。

「……悔しい」
 
酒が進んでくると、弱音が漏れた。

裕紀には、他の奴には、絶対に聞かれたくなかった、言葉。

「……そうですね」

「男のおまえには!
私の気持ちなんか、わからないっ!」

「……そうですね。
悔しいことに、わかりません」

「なんで私は女なんだよ!
中身はおっさんなのに!」

「……先輩は女ですよ。
外身も……中身も」

「そんなこといわれたくない!」  

睨み付けると、傷ついた顔された。
思わず、視線を逸らす。

「帰れ!
もう、帰れ!」

「……帰りませんよ」
 
加久田が立ち上がり、私の前で膝をついた。
叩かれるのかと思って目を閉じると……ぎゅっと抱きしめられた。

「だって俺が帰ったら、先輩は……優里は悔しさと自己嫌悪でぐちゃぐちゃになって、ひとりで泣くんでしょう……?」

「……!
そんなこと……!」

「ないっていえますか?
いまだって、必死で我慢してるのに」

「うるさいっ!
黙れっ!」

加久田の腕の中から抜け出ようとジタバタやるものの、奴は少しも力を緩めてくれない。

「黙りません。
俺は、優里がひとりで泣くの、嫌なんです」

「黙れ、黙れよ、ばかっ……!
おまえに優しくされるの、嫌なんだよっ……」
 
泣きたくないのに、涙が溢れてくる。
情けないことに加久田にしがみついてわんわん泣いていた。

「悔しい、悔しいよ、加久田……」

「……大丈夫ですよ。
俺は、俺だけは優里の気持ち、知ってますから」    

「うん、うん、ありがとう、加久田……」
 
そのうち、酔いと泣き疲れたのもあって
うとうとしてくると、抱きかかえられてベッドに運ばれた。
こういうとき、悔しいことに自分はやっぱりひ弱な女なんだ、って自覚させられる。

「……かくた……お願い……眠るまででいいから……傍にいて」

「はい。
傍にいますから、安心して眠ってください」

ふっと加久田が愛しむように笑った気がした。
ベッドに座って、ゆっくりと髪を撫でてくれる。
なぜか安心できて、そのままゆっくりと眠りに落ちていった。
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