上 下
69 / 129
第11話 Kaffee trinken

1.父親

しおりを挟む
いつものように長い竹林を抜けると、車は右に曲がり、竹林に沿って進んでいく。

「あのー、尚一郎さん?
高橋さん、道、間違えてるんじゃ……?」

達之助の暮らす本邸は、竹林を抜けて真っ直ぐだ。
けれど車は本邸を左に走っている。

「いいんだよ。
今日、僕を呼んだのはCOOだから」

困ったように笑う尚一郎の手を、思わずぎゅっと掴んでいた。
指を絡めて握り返されると、少しだけ安心できる。

……昨晩。
あれから、尚一郎が教えてくれた。
帰りに本邸に寄って、例の書類を渡したこと。
当然、尚一郎は中に入れないから、入り口で押部家付きの秘書に。

だから、きっとその件で呼び出しだろうと笑っていた。

 
着いたところは尚一郎の屋敷と同じくらいの大きさの、洋風の屋敷だった。

正面玄関で車を降り、そこから入る。
ずいぶん、本邸とは扱いが違った。
出迎えた執事の案内で通されたのは、書斎。

「来たか」

部屋の奥、窓を背に置かれた重厚な机には、両肘をついて手を組んだ、壮年の男が座っていた。
どことなく見覚えのある顔に、思わず隣を見てしまう。
その男は尚一郎の髪と瞳の色を変え、きっと年をとったらこんな顔になるんだろうな、そう思わせる顔だったから。

「ああ。
朋香さんとは初めてでしたね。
……初めまして。
尚一郎の父の、尚恭(なおたか)です」

にっこりと眼鏡の奥の目が笑い、ぽーっとなりそうになったが、慌てて軽くあたまを振って平静を保つ。

「朋香、です。
……ふつつかものですが、よろしくお願いします」

……尚一郎さんが年をとると、あんな感じになるんだ。

穏やかに笑う尚恭はナイスミドルという言葉がぴったりで、尚一郎のこの先が楽しみだとか密かに考えてしまい、そんな場合ではないと気を引き締め直す。

「可愛いお嬢さんですね。
私がもう、十ほど若ければ……」

「それで。
用件はなんですか?」

「おお、怖い」

尚一郎が周囲を凍らせそうなほど冷ややかに言葉を遮ったが、尚恭は堪えてないどころか、おかしそうにくつくつ笑っている。

「用件、ね。
……こんなことが許されるとでも思っているのか?」

尚恭の表情が一変し、ばさりと投げ捨てるかの様にその場に出されたそれは昨日、尚一郎が朋香の目の前でサインした書類だった。

「許されるのもなにも。
私は朋香以外の妻は認めませんし、そのためだったらこんな家など」

「そんなわがままが通じるとでも?
おまえは押部家唯一の、跡取りなんだぞ」
 
うっすらと笑う尚恭は、尚一郎よりもさらに恐怖を感じる。
これが重ねた年の差というものなのだろうか。

「私のところで止めたからよかったものの。
当主のところに渡っていたらどうなっていたか」

「大喜びで私を、廃嫡にしていたでしょうね」

冷たく笑い返した尚一郎だが、ただの負け惜しみにしか聞こえないのは気のせいだろうか。

「それが困るというのだ。
この問題は家族間だけのものじゃない。
オシベグループ全体に関わるものだ。
……わかるだろう?」

「……はい」

すっかり俯いてしまった尚一郎に、胸が苦しくなった。

……私のせいで、尚一郎さんを苦しませてる。

自分のためだったら家を捨てる、そう云ってくれたのは嬉しかった。

けれど。

……問題はそんなに簡単なことではなかったのだ。

「この書類は私が預かっておく。
ああ、侑岐さんとの婚約破棄についてはきちんと話を通しておくから」

「……よろしくお願いします」

深々とあたまを下げた尚一郎に合わせて、朋香もあたまを下げる。

……しかし、意外、だった。

婚約破棄も認めないと云うのかと思っていたから。

「話はこれで終わりだ。
昼食を一緒に食べて行きなさい」

「いえ、これで失礼させていただきます」

「……そうか」

一瞬、尚恭が淋しそうな表情を見せた気がしたのは気のせいだろうか。

「では、これで」

あたまを下げて部屋を出ていこうとする尚一郎に、慌ててあたまを下げて続く。

来たときと同じ廊下を進み、正面玄関から出ると、すでに高橋が車を回してあった。

車が走り出すと、ちらちらと尚一郎の顔を窺ってしまう。
すぐに感情的になる達之助と違い、尚恭は落ち着いて見えた。
達之助と同じで尚一郎を嫌っているかといえば、そうではない気がする。

その反面、父と息子の対面にしては、酷くビジネスライクにも見えた。

尚恭は尚一郎を、本当はどう思っているんだろう。

「朋香?」

あまりにちらちら見ていたせいか、尚一郎に苦笑いされてしまった。
恥ずかしくなって視線を逸らそうとして、唇に血が滲んでいることに気付いた。

「尚一郎さん、ここ」

「ん? 
ああ」

朋香に指摘されて唇にふれた尚一郎はしみたのか、僅かに顔をしかめた。
 
「唇、噛んだから。
切れたのかもね」

苦笑いする尚一郎に泣きたくなって俯くと、そっと手を握られた。

「朋香のせいじゃないから。
これは僕の問題」

「でも」

「朋香が笑っていてくれれば、僕は頑張れるから。
だから、笑ってくれるかい?」

「……はい」

無理矢理でも笑顔を作って顔を上げると、尚一郎も笑ってくれた。

尚一郎が背負っているものは、きっと自分が想像するよりもずっと重い。
どうしたら負担を減らしてあげられるのかわからないが、せめて。

尚一郎が望むのなら、できるだけ笑っていよう。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

逢いたくて逢えない先に...

詩織
恋愛
逢いたくて逢えない。 遠距離恋愛は覚悟してたけど、やっぱり寂しい。 そこ先に待ってたものは…

料理音痴

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
朝目覚めたら。 知らない、部屋だった。 ……あー、これってやっちまったって奴ですか? 部屋の主はすでにベッドにいない。 着替えて寝室を出ると、同期の坂下が食事を作っていた。 ……ここって、坂下の部屋? てか、しゃべれ!! 坂下から朝食を勧められ……。

甘い束縛

はるきりょう
恋愛
今日こそは言う。そう心に決め、伊達優菜は拳を握りしめた。私には時間がないのだと。もう、気づけば、歳は27を数えるほどになっていた。人並みに結婚し、子どもを産みたい。それを思えば、「若い」なんて言葉はもうすぐ使えなくなる。このあたりが潮時だった。 ※小説家なろうサイト様にも載せています。

隠れオタクの女子社員は若社長に溺愛される

永久保セツナ
恋愛
【最終話まで毎日20時更新】 「少女趣味」ならぬ「少年趣味」(プラモデルやカードゲームなど男性的な趣味)を隠して暮らしていた女子社員・能登原こずえは、ある日勤めている会社のイケメン若社長・藤井スバルに趣味がバレてしまう。 しかしそこから二人は意気投合し、やがて恋愛関係に発展する――? 肝心のターゲット層である女性に理解できるか分からない異色の女性向け恋愛小説!

憧れのあなたとの再会は私の運命を変えました~ハッピーウェディングは御曹司との偽装恋愛から始まる~

けいこ
恋愛
15歳のまだ子どもだった私を励まし続けてくれた家庭教師の「千隼先生」。 私は密かに先生に「憧れ」ていた。 でもこれは、恋心じゃなくただの「憧れ」。 そう思って生きてきたのに、10年の月日が過ぎ去って25歳になった私は、再び「千隼先生」に出会ってしまった。 久しぶりに会った先生は、男性なのにとんでもなく美しい顔立ちで、ありえない程の大人の魅力と色気をまとってた。 まるで人気モデルのような文句のつけようもないスタイルで、その姿は周りを魅了して止まない。 しかも、高級ホテルなどを世界展開する日本有数の大企業「晴月グループ」の御曹司だったなんて… ウエディングプランナーとして働く私と、一緒に仕事をしている仲間達との関係、そして、家族の絆… 様々な人間関係の中で進んでいく新しい展開は、毎日何が起こってるのかわからないくらい目まぐるしくて。 『僕達の再会は…本当の奇跡だ。里桜ちゃんとの出会いを僕は大切にしたいと思ってる』 「憧れ」のままの存在だったはずの先生との再会。 気づけば「千隼先生」に偽装恋愛の相手を頼まれて… ねえ、この出会いに何か意味はあるの? 本当に…「奇跡」なの? それとも… 晴月グループ LUNA BLUホテル東京ベイ 経営企画部長 晴月 千隼(はづき ちはや) 30歳 × LUNA BLUホテル東京ベイ ウエディングプランナー 優木 里桜(ゆうき りお) 25歳 うららかな春の到来と共に、今、2人の止まった時間がキラキラと鮮やかに動き出す。

【完結】溺愛予告~御曹司の告白躱します~

蓮美ちま
恋愛
モテる彼氏はいらない。 嫉妬に身を焦がす恋愛はこりごり。 だから、仲の良い同期のままでいたい。 そう思っているのに。 今までと違う甘い視線で見つめられて、 “女”扱いしてるって私に気付かせようとしてる気がする。 全部ぜんぶ、勘違いだったらいいのに。 「勘違いじゃないから」 告白したい御曹司と 告白されたくない小ボケ女子 ラブバトル開始

Spider

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
花火大会に誘われた。 相手は、会社に出入りしている、コーヒー会社の人。 彼はいつも、超無表情・事務的で。 私も関心がないから、事務的に接してた。 ……そんな彼から。 突然誘われた花火大会。 これは一体……?

FLORAL-敏腕社長が可愛がるのは路地裏の花屋の店主-

さとう涼
恋愛
恋愛を封印し、花屋の店主として一心不乱に仕事に打ち込んでいた咲都。そんなある日、ひとりの男性(社長)が花を買いにくる──。出会いは偶然。だけど咲都を気に入った彼はなにかにつけて咲都と接点を持とうとしてくる。 「お昼ごはんを一緒に食べてくれるだけでいいんだよ。なにも難しいことなんてないだろう?」 「でも……」 「もしつき合ってくれたら、今回の仕事を長期プランに変更してあげるよ」 「はい?」 「とりあえず一年契約でどう?」 穏やかでやさしそうな雰囲気なのに意外に策士。最初は身分差にとまどっていた咲都だが、気づいたらすっかり彼のペースに巻き込まれていた。 ☆第14回恋愛小説大賞で奨励賞を頂きました。ありがとうございました。

処理中です...