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第二章 ムカデ

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夜も遅くなり、旦那が帰ってくる。

「……ただいま」

家に入るなり、旦那はリビングのソファーに倒れ込んだ。

「……もー、無理」

「お疲れ」

旦那はかなりお疲れのようで、心配になる。

「前の部署に戻りてー」

「あー」

前の支社では旦那が最年少で、なにかと指導してもらうほうだった。
しかしここでは役職が付き、後輩を指導する立場になっている。

「……いっそ仕事、辞める?」

「それはない」

私が言った途端、勢いよく旦那は起き上がった。
レンズの向こうからまるで睨みつけるように私を見る。

「今が踏ん張りどきなんだってわかってる。
自分のやり方が悪いから現場が上手く回ってないのもわかってる。
どうにかここを乗り越えないと、先に進めない」

「……そっか」

旦那がこの仕事が好きなのを知っている。
今だって向上のために頑張って勉強しているのも。
だから、無理に辞めろなんて言えない。

「上司に相談してみたら?
ほら、前の職場じゃよく話聞いてもらってたじゃん?」

旦那はこうと思うと目の前しか見えていないときがある。
もしかして今も、そうなんじゃないかと思った。

「あー……。
そうだな」

なにか気づきがあったらしく、旦那は後ろ頭を掻いている。

「ちょっと話してみるわー。
サンキュー、一千花」

「いえいえ、どういたしまして」

私にはそれくらいしかできないので、旦那の役に立てたんなら、いい。

「風呂入ってくるわー。
悪いけどメシ、頼む」

「りょーかーい」

浴室へ向かう旦那を見送り、私もキッチンに立つ。
今日の晩ごはんはもらったグリンピースのご飯と味噌鯖、それに春雨の酢ものとお吸い物だ。

「あがったー」

「はーい、もうできてるよー」

そのうち、お風呂から出てきた旦那と遅い食卓を囲む。

「前も言ったけど、遅くなる日は先に食べてていいんだぞ?」

「えー、だってひとりの食事は味気ないしさ」

どうでもいい話をしながら料理を食べる。

「そういやなんで、襖閉めてるんだ?」

そのうち、行儀悪く旦那が箸で、階段向こうの部屋を指した。

「あー。
なんか散らかってるのを見られるのが嫌かな、って」

「ん?
誰か来たのか?」

「まあ、そんなとこ」

笑って誤魔化し、箸を進める。

「セールスとかじゃないだろうな」

眼鏡の下で旦那の眉間に深い皺が寄る。
その心配はもっともだ。

「違う、違う。
近所の奥さんとちょっとお茶しただけ」

さらに嘘をつくのは心が痛むが、なんとなくこれ以上、旦那に心配をかけたくなかった。

「そんな親しい人ができたんならよかったじゃん」

「ま、まあね」

答えながら視線が泳ぐ。
それでも今はただ、旦那には安心して仕事に打ち込んでもらいたい。

片付けは俺がするという旦那を自室に追っ払い、皿を洗う。

「……はぁーっ」

無意識にため息をついてしまい、苦笑いしかできない。
本当は旦那に、仕事を辞めると言ってほしかった。
そうすれば――この家から引っ越せる。

「ま、仕方ないよね」

旦那がなりたくてなりたくてなった職業だ。
そうそう簡単に辞められないのはわかっている。
それに今の状態で仕事以外の心配事を背負わせるわけにはいかない。
これは私だけで解決しないといけないのだ。
決めたとおり、大きめの神社を探して明日はお札を買いに行こう。
あと、ここが事故物件じゃないのかも調べなきゃ。
事故物件だったときは……共存の道を模索する?
それはちょっと嫌だなー。
お札を貼ったらあそこに封じ込められるように祈ろう。
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