上 下
6 / 12
第二章 ムカデ

2-2

しおりを挟む
お宮では近所の人に笑われた。

「今朝も一千花ちゃんの悲鳴が響き渡ってたね。
また出たの?」

「そーなんですよ」

はぁーっと憂鬱なため息が私の口から落ちていく。
周囲から少し離れているとはいえ、窓を開けていてあの悲鳴では、一帯に響き渡るだろう。

「でも、ムカデはあんま、殺さんほうがいいよ」

私が草を刈る横から、別の奥さんが話に加わってくる。

「え、でも、喰われたら大変じゃないですか」

今のところそういう被害には遭っていないが、知らずに布団に入って……などという話も聞く。
私としては駆除してしまいたい。

「ムカデは昔、この辺り一帯を治めていた殿様の家紋だからね」

ほら、と、彼女が指したお宮の灯籠には確かに、ムカデを模した家紋らしきものが刻まれていた。

「ここらでは無念のうちに亡くなった一族の化身だと言われてるし、特に一千花ちゃんのうちは……」

「……ちょっと」

声を潜めたもうひとりの奥さんにつつかれ、彼女が話をやめる。

「なんでもない」

曖昧に笑い彼女は誤魔化してきたが、なにを言いかけたのか非常に気になった。
特にあの家に関係あるとなると。

「あの……」

「とにかく。
ムカデは殿様一族の化身だから、ここらの人はよう殺さんのよ。
そういうわけ。
あ、宮下みやしたさーん!」

これ以上は聞かれたくないとばかりにふたりは話を切り上げ、別の場所へ行ってしまった。

「なん、だったんだろ?」

釈然としないまま、引き続きその場の草刈りを続ける。
特にうちにムカデが湧く理由でもあるんだろうか。
殿様の怨念とか?
いやそれこそ。

「そんなの、あるわけないじゃん」

浮かんできた考えを笑って否定する。
そんな馬鹿らしいこと、あるわけない。

お宮の掃除を終えて家に帰ると、旦那が料理をしていた。

「食べるだろ?」

「ありがとー」

お礼を言い、二階の自分の部屋へと階段に足をかける。
何の気なしにその横の部屋を見て、――背筋が、ぞくっとした。

……まただ。

気にしないようにして階段を上がる。
北向きのその部屋は日があまり差さず、半ば倉庫として使っていた。
当初の予定ではオタク部屋にするはずだったが、各自の部屋ができたのでそれは満たされてしまった。
それになぜか湿気が多く、グッズの収納に向かないというのもある。
本が黴びられたら大惨事だ。

そんな部屋なので暗く、少しひやっとするのはわかる。
それでも私はあの部屋に若干の苦手意識を抱いていた。

「おまたせー」

「おー」

着替えてキッチンへ行くと旦那ができあがった料理を並べているところだった。
チャーハンとワカメスープの組み合わせは旦那の得意料理だ。

「いただきまーす」

向かいあって座り、スプーンを手に取る。

「わるいな、地域の出事とか任せっきりで」

申し訳なさそうに旦那は詫びてきた。

「いいよ、利也は仕事が忙しいんだし。
それに私はニートだしさ」

わざと笑って茶化す。
確かにいろいろ面倒だと思っている部分はあるが、それよりも旦那にはゆっくり休んでもらいたい。

「ニートって、一千花だって頑張ってるじゃん」

「あー……」

旦那の励ましがどこか気まずくて、天井を仰いだ。
執筆業とはいえ年に一冊、商業から本が出ればいいほうなどというのはもはや職業といっていいのか怪しい。

「いや、ほら、私はほとんど本出ないし……」

気まずくなって意味もなくワカメスープをかき混ぜた。

「あのな」

旦那がスプーンを置き、眼鏡越しにじっと私の目を見つめる。
失敗したと悟ったが、もう遅い。

「俺を始めほとんどの人間は小説なんて書かないの。
んで、電子だろうとなんだろうと出版社から本が出る人間なんてさらに少ないの。
だから一千花はもっと、胸張っていい」

旦那が言うのが正しいのはわかっている。
けれどSNSでは、私よりあとにデビューしたのに年に何冊も本を出している人ばかりだ。

「でも……」

「でもじゃない」

反論したらさらに睨まれた。

「それに遊ぶ金はちゃんと自分で稼いでるだろ。
それはもうニートじゃない」

それは一理ある……のか?
しかし自分が卑屈なのが悪いのだ。

「……ありがと」

うん、自分はできることを精一杯やっている。
商業出版の縁が薄いのも、ただ単に運がないだけなのだ。
……たぶん。

「いや、俺は……」

照れくさそうに旦那が後ろ頭を掻く。
私が後ろ向きになるたびに旦那はこうやって励ましてくれた。
本当に素敵な旦那様だ。

「そういや、さ」

気を取り直し、食事を続ける。

「なんか、ムカデは昔の殿様一族の化身だから殺さないほうがいいって言われたんだけど」

世間話程度に、お宮掃除で聞いた話をする。

「あー、だからうちはいっぱい出るのかもな」

なんでもないように言い旦那はワカメスープを飲んでいるが、それって?

「なんで?」

あの奥さんもそういうことを言いかけて止められていたが、この家になにかあるんだろうか。

「この裏山、昔は城だったらしいぞ」

「へっ?」

思いがけない事実に、変な声が出た。

「だから家の裏、石垣が残ってるし。
そんなわけでうちは殿様一族の化身のムカデが出やすいって言われてもなっとくっていうか」

「ふーん、そうなんだ」

お城の下に建っているなんて、なんてレアな家なんだ。
それはいいが、だからムカデが出るというのは困る。

食後、旦那に連れられて家の裏に回った。

「ほら、ここ見てみ?」

旦那が指した先にはもうほとんど崩れていたが、確かに石垣の跡があった。

「殿様っていっても家臣五人くらいで、治めてたのもここらの村二つ三つだったらしいけどな」

「ふぉえー」

旦那の話を感心して聞く。
なんでこんなに詳しいのかって、旦那は歴オタの一面もあるのだ。

「図書館行けばここらの歴史を書いた本があると思うぞ」

「そうだね、気が向いたら行ってみる」

用も済んだので一緒に家に戻る。
私は歴オタでもないし、さほど関心がなかった。
しかしこれが、あんなことに発展するだなんて誰が思うだろう?
しおりを挟む

処理中です...