上 下
7 / 13
第二章 昔飼っていた犬

2-3

しおりを挟む
それからもほぼ毎日、店が開いている日は皿洗いにいった。
こんなに来て迷惑じゃないかと思うが、皿を洗ってくれるのは助かると大橋さんは笑っている。
相変わらず、食洗機は修理される気配がない。

「……明日、面接なんですよ」

もう定番となりつつある憂鬱なため息をつき、カウンターに突っ伏す。

「なんでやっと面接までこぎ着けたのに、そんなに憂鬱そうなの?」

大橋さんは怪訝そうだが、それはそうだろう。
普通だったら喜んでいてもいいところだ。

「だって……怖いんですよ」

また、俺の口からため息が落ちていく。
前の会社の上司や同僚から受けたパワハラのせいか、スーツ姿の人間が苦手になっていた。
特に上司と同じ年くらいの、中年サラリーマンが店にいるときなど、無駄に動悸がするくらいだ。
そんな状態なのでオンラインとはいえ、まともに面接ができるのか不安だった。

「こればっかりは僕にはどうにもしてあげられないからねぇ」

申し訳なさそうに言い、大橋さんが皿を置く。
今日のランチはエビクリームコロッケだ。

「いや、大橋さんは全然悪くないんで!
心配させてすみません!」

これは俺の問題で彼はまったく悪くない。
ここまで心配させている俺が、情けなくなってきた。

「まあ、いつまでも前の会社を引きずってる俺が悪いんで!」

笑ってその場をどうにかしようとしながらも明日、まともにネクタイを締められる自信がない。
技術面ではなく、精神面で。
スーツを着てネクタイとか締めたら、ストレスで吐かないか心配だ。

「仕方ないんじゃない?
僕なんかじゃ想像できないくらい、酷い扱いを受けてたみたいだし」

眼鏡の下で大橋さんの眉がきつく寄った。
かなりよくなってきたとはいえ、まだときどき上司怒鳴られる夢を見て、夜中に飛び起きる。
町谷さんからも病院で診断してもらって、労災申請しないかと勧められたくらいだ。
これ以上、あの会社に関わるのは嫌で断ったが。
ちなみに町谷さんは坊ちゃんで童顔な顔に似合わず、悪は徹底的に叩く質らしい。
鼻息荒く、ケツの毛までむしり取ってやりましょうと言われたときは若干、引いた。

「明日はさ、もう採用とか考えなくて、練習だと思って気軽にやればいいんじゃない?
落ちたら、残念会してあげるし」

「そうですね……」

エビクリームコロッケは珍しく、トマトクリームのようだった。
しかも、クリームどこ!? ってくらいエビがごろごろ入っている。
それにしても残念会とはなんだか、子供扱いさているみたいでちょっとムッとした。
いや、三十ほど年の離れている俺は大橋さんから見れば、完全に子供なんだが。

「本当に落ちたら残念会、してくれますか」

ちらっと、うかがうように上目遣いで彼を見る。

「もちろんだとも。
陽一くんの好きなもの、作ってあげる。
うちで一番高い、フルーツパフェもつけてあげよう」

眼鏡の下で目尻を下げ、大橋さんがにっこりと微笑む。

「うっす。
頑張ります」

パフェに釣られたわけじゃないが、俄然やる気が出てきた。

「あ、でも、採用されたらないんですよね……」

その事実に気づき、出てきたやる気はみるみる失速していく。

「もちろん、採用が決まったらお祝いだよ。
残念会よりももっといいもの、作ってあげる」

大橋さんが片目をつぶってみせる。
が、彼の不器用なそれは半目になっていた。
けれど、そこが可愛いなんて思っているのは秘密だ。

「うっす。
落ちても採用でもいいので頑張ります」

「うんうん、その意気だよ」

あんなに気が重かった面接だが、なんかやれそうな気がしてきた。
不思議だ。

今日ももちろん、食べ終わったあとは洗い物をする。

「いーかげん、食洗機の修理、しません?」

シンクには大量の食器が積まれていて、全部洗うのにも一苦労だ。

「うーん、そーだねー。
陽一くんの再就職が決まったら修理しようかな。
なにしろ、皿洗いがいなくなるからね」

客がほとんど捌けたので、大橋さんはいつ模様に椅子に座り、新聞を広げた。

「約束ですよ。
俺の採用が決まったら、絶対に修理してください」

「うんうん、わかったよ」

軽い調子で彼が頷き、本当にわかっているのか疑わしい。

「はぁーっ」

きっと、俺がついた諦めのため息も気づいていないだろう。

「これ。
よかったら、持っていって」

「ありがとうございます」

皿洗いが終わり、いつものように差し出されたレジ袋を受け取る。
しかし中には余ったパンや果物ではなく、弁当らしきパックが入っていた。

「これは……?」

「カツサンド。
ほら、勝負に勝つ、じゃないけどさ」

照れくさそうに大橋さんが頬を掻き、俺まで頬が熱くなってくる。

「……朗報を期待していてください」

「まあさ、そこまで気張る必要はないよ。
落ちたら残念会だし」

「うっす」

大橋さんにここまで気遣ってもらい、明日の面接は上手くいきそうな気がしていた。
しおりを挟む

処理中です...